9話② 運命
「隠し事?」
「うむ、その前に」
隠し事なんて大層な前ぶりをしたものだから、クロはしっかりと喉を潤してから言いたいのだろう、喉にお茶を通している。今日のお茶は、ノンカフェインのルイボスティーだ。
「おにぃ……これ」
クロが湯飲みをちゃぶ台に置いたタイミングで、さっきタオルを取りに行った遥が、真っ白なタオル片手に帰ってきた。
「ありがとう」
「うん……」
性懲りも無く声を荒げた俺のことが怖かったのか、遥は俺と目を合わせない。怯えた様子の遥を見て、俺の胸は締め付けられる。
「さてと、まずはどこから説明したらいいんじゃろうな」
俺の膝の上であぐらをかいて、太ももの上に肘をついたクロは、手のひらに顎を乗せて「う〜ん」と悩みだした。食べ物のこと以外でクロがこんなにも悩むのは、初めて見た。
クロが言葉を選ばなければならない時点で、とんでもない事態を抱えているということが分かる。
「遥ちゃん」
「はい……?」
誰も喋らない。そんな何とも言えない空気感の中、翔さんが口を開いた。
急に呼ばれた遥は、少し困惑気味に返事をしている。なんなら、俺と彩さんも困惑している。
「デートしない?」
「え……? 今……ですか?」
「うん、ちょっと境内を歩きに行きたいなーって思ってさ」
しかも、会話の内容も少し突拍子のないものだ。翔さんのことだから、何か考えあっての発言なんだろうが、今のところ、その考えは読めない。
「あの、神様がなんか大事そうな話を今からしようとしてるみたいで」
「あー、大丈夫だよ彩ちゃん」
クロの声が聞こえていない翔さんに、彩さんは今の状況を説明しようと、翔さんを呼び止めた。だが、翔さんは彩さんの静止を振り切って、そのまま社務室の扉に歩いて行く。
「遥ちゃん、おいで」
ドアノブに手をかけると、翔さんは遥を外に連れ出そうと、手を差し伸べた。遥もここまで言われたからだろうか、立ち上がって翔さんの方へ近づいていく。
そして、なぜこのタイミングで2人で外に出るか、未だにその意図が分からない中、扉を開けた翔さんは振り返って、
「まだ時間ありますよね、神様」
あろうことか、姿すら見えていないクロに話しかけた。
「うむ、まだ時間に余裕はあるのじゃ」
「ありがとうございまーす」
「っ!!!?? は……ぇ……」
俺には目の前の光景が、理解できなかった。
「ん? どうした幸人」
「ぇ……、え? ど、どうして……」
まるで今の出来事が当たり前かのように、翔さんは平然と俺に接してくる。翔さんにはクロの姿は見えないはずだし、声も聞こえないはずだ。それなのに、クロと翔さんは今、会話をした。
(ありえない……)
「んー、まあその辺の説明は、神様がしてくれると思うわ。そこら辺よろしくお願いします」
「ふん、まあいいじゃろう。貴様は早く行くのじゃ」
さっきまでが嘘かのように普通に会話をするクロと翔さんに、俺は開いた口が塞がらなかった。
「分かりましたよ。行こっか、遥ちゃん」
「ふわっ……!」
クロに急かされると、翔さんは遥の手を引いて境内へと出ていった。取り残された俺と彩さんは、何も分からないまま、クロを見つめることしかできない。2人とも黙っているのは、何を喋ったらいいかが分からないからだ。
クロは、どう説明したらいいかが頭の中でまとまったのか、「よし」と言って、俺の膝の上から離れると、俺と彩さんの前に座り直した。面と向かって話がしたいのだろう。
「今から貴様に話すことは、貴様たちを大きく混乱させるじゃろうが、落ち着いて聞いて欲しいのじゃ」
その言葉に俺と彩さんは深く頷いた。
少し気になるのは、落ち着いて欲しいと、落ち着きながら話すクロは、見たことのない目をしていることだ。寂しそうな、苦しそうな……見ているだけでこっちまで辛くなるような目だ。
「まず、貴様の記憶では、我がこやつの姉のために時を戻すのは1度目じゃが……実際は、2度目じゃ」
「なっ……!」
「え?」
俺は驚きのあまり言葉が出ず、彩さんは疑問が深まった声を上げた。
「1度目とか、2度目とか、一体何の事?」
クロの言葉が理解できなかった彩さんは、俺に確認してくる。神様であるクロに聞き返すのは、何だか恐れ多いのだろうか?
ただ、俺もクロの言葉を理解はしているが、未だに飲み込めてはいない。
「き、記憶の話ですよ」
「記憶?」
動揺している俺は、言葉を詰まらせながらも、彩さんの質問に答え始めた。
「さっきも説明した通り、クロ様には時を操る力があります。ただ、時を戻した後、なぜ時を戻したことを知っているか? それは、クロ様が戻す前の記憶を、戻した後にも与えてくれているからです」
「ごめん、全然分かんない」
俺の説明を受けた彩さんはめちゃくちゃ首を横に振っている。確かに、今の説明は自分でも複雑になったと思う。反省しよう。
ついさっきまで、神様すら信じていなかった彩さんに、分かりやすく伝えるのは、ここに彩さんを連れてきた俺の義務だ。
「えーっと……簡単に言うと、クロ様は過去や未来に行ける切符を配れるんです。その切符が無いと、例えクロ様が時を操ったとしても、それに気づくことすらできません。僕が、今回の桜木さん絡みで貰った切符は1枚でした。ただ……クロ様は、既に2回時を戻しているみたいです」
「なる……ほど?」
いやいや、簡単にまとめられるわけ無いだろ。
俺の説明の全てを理解することはできなかったのだろう、彩さんは首を傾げながら頷いている。ただ、その説明にいつまでも時間を取っている場合じゃない、本当に説明をするべきなのはクロなのだから。
「今、本当の1度目の記憶を貴様に渡すと、貴様は壊れてしまうからの」
「僕が壊れる?」
クロは少しだけ目元を潤ませて、目を細めている。きっと、辛いことを思い出しているんだろう。
「正しくは、壊れたからその記憶を我が奪い取った……じゃな」
「っ!」
今までクロが記憶を渡すことはあっても、奪うことなんて無かった。今回の案件はどうして、こうも前代未聞なことが多いのかと、頭を抱えたくなる。
「……1度目に何があったんですか?」
「まあ、焦るでない。今、貴様に記憶を渡すと壊れるだけであって、ある程度の説明をしてからなら渡すのじゃ」
ここまでクロを慎重にさせるほどの、恐ろしい出来事が1度目に起きたのかと思うと、余計に俺はその内容が知りたくなる。
「……分かりました」
「そんな、苦虫を噛んだような顔をするでない」
「僕は……そんな苦しい記憶をクロ様だけに背負って欲しく無いんですよ。1秒でも早く僕もその記憶を貰って、クロ様と一緒に悩みたいんです」
「芹沢くん……」
俺はクロが思っている以上に、クロのことを心配している。クロがいつ消えてしまってもおかしくない今の状況、俺は表面上平穏を保ってはいるが、常に気が狂いそうなのだ。
クロへの歪んだ愛情と思われてしまっても構わない。
「…………そんなに我を思ってくれる貴様に、重要なことを教えるのじゃ」
「重要なこと?」
「これは最後に言おうと思っていたのじゃが」
2人でクロの言うことに耳を傾けていると、今まで悲しい顔をしていたクロが、少し笑みを浮かべながらこう言った。
「我は、もうすぐ死ぬのじゃ」
その時の笑顔は、爽やかでもあり、底が見えないという気持ち悪さもあった。