7話① 影の薄い妹たち
「あと2セット!!」
「「はい!」」
グラウンドで練習ができないからか、下の階の廊下でトレーニングをしている陸上部の声が、この教室まで聞こえてくる。
「俺は神楽坂、そして、こっちの2人は芹沢」
そんな陸上部の部員たちの掛け声をBGMにしながら、翔さんは、自分と俺たちの軽い紹介をした。あまり詳しい自己紹介をしないのは、美奈さんの話を早急にするためだろう。
「2人?」
俺たちが双子の兄妹ということが分からなかったのか、俺たちの紹介に、彩さんが首を傾げた。
「僕たち双子なんですよ」
「……っ」
翔さんの意図を汲んだ俺が、説明を補足すると、遥が隣でうんうんと大きく頷いている。俺と遥は身長も顔つきも、それぞれお父さん似とお母さん似で分かれていて似ていないから、この説明は人生であと何百回もしないといけないだろう。
「あー、なるほどね」
彩さんは納得したのか、遥と同じように大きく頷いた。
「じゃあ、改めて……桜木です」
軽く全員が自己紹介を済ますと、彩さんの方から話を切り込んできた。
「で、私に何の用ですか? 雨も降ってるんで早く帰りたいんですけど」
「長いこと待たせちゃってごめんね〜、要件についてはこいつが話すから」
じめじめとした空気の中、1時間近く待たせてしまったせいか、彩さんは少し機嫌が悪そうに見える。それを察したのだろう、翔さんは、俺に事の説明をするように促した。
「あの……」
翔さんに促された俺は単刀直入に、彩さんに美奈さんのことを聞いた。
「桜木美奈さんって知ってますか?」
「桜木…………美奈? ……はは」
すると、彩さんは美奈さんの名前を聞いた途端に、さっきからの少しムッとした表情から一転、顔を引きつらせながら少し笑った。
「……なんでその名前を知ってるの?」
「え……?」
怒っているのか笑っているのか分からない表情をしながら、彩さんは質問に対して質問で返してきた。
「君がどうしてそっちの名前を知ってるのか聞いてるの!」
次の瞬間、彩さんは声を荒げて俺に詰め寄ってきた。至近距離で、俺をきつく睨みつけるように、力が入っている目元からは、彼女の動揺が読み取れる。
(でも、なんか……ちょっと嬉しそうだな)
「そっち……? そっちってどういう意味ですか?」
ただ、説明を求められても彩さんが何を言っているか分からなかった俺は、質問に質問で返してしまった。
「はぁ!? ……もしかしてそっちしか知らないって言うの?」
彩さんは全身の力が抜けたのか、急にその場にへたり込んでしまった。先ほどの、表情とはまた打って変わって、今度はとても悲しそうな顔をしている。
美奈さんの名前を聞いてからというもの、彩さんの感情の変化はとても激しい。
「結局…………分からないんだね」
「ねえ、彩ちゃん」
「……なんですか」
表情を曇らせる彩さんと目線を合わせるために、翔さんはその場にしゃがみ込むと、
「君は、桜木楓って知ってる?」
「っ! あなたは知ってるんですか!?」
聞きなれない名前を出してきた。ただ、彩さんはその名前に聞き覚えがあるのだろう、曇らしていた目をもう一度輝かせた。
「いや、今はまだ君の力にはなれないと思う……ごめん」
「そう……ですか」
「あ、あの!」
「なんだ?」
二人の会話に全くついていけなくて、遥と一緒に置いてけぼりにされた俺は、その会話に割って入った。
「二人していったい何の話してるんですか? 急に出てきた楓さんって誰ですか?」
「さあな~。俺もよく分かってない」
「さあなって……じゃあ、どうしてその人の名前が出てきたんですか」
最初にその名前を出した本人が知らないなんてことがあるのだろうか……。状況が何一つとして理解できない。
「……同一人物だからだよ」
「……? どういうことですか?」
俺が翔さんの反応を疑問に思っていると、彩さんはそれに答えてくれた。
「君がさっき言ってた、桜木美奈と桜木楓は……一応同一人物だよ」
「はぁ……?」
だが、それでも俺には彩さんの言ってる意味が分からなかった。俺が会った美奈さんと、会ったことも聞いたこともない楓さんが、一応? 同一人物とはどういうことだ……
「あー、ピンとこないか~。なんだっけあれ……そうだそうだ、思い出した」
訳が分からなくなって、ぽかんとしている俺を見た彩さんは、言葉に詰まりながらもそのキーワードを絞り出してくれた。
「あの人は多重人格だよ」
「えぇ!?」
「……あー、そういうことか。どうりで……」
驚きの声を上げた俺とは違い、翔さんは落ち着いた様子だ。何かが腑に落ちたのだろうか?
ちなみに、さっきから遥は話の邪魔をしたらいけないと思っているのか、俺の背中にピッタリとくっついて気配を消している。
「なんで翔さんがその……楓さん? を知っているかもそうですけど! そもそも彩さんは結局その人とどういう関係なんですか!」
混乱に混乱を重ねられた俺は、つい大きな声を出してしまった。この声量なら、下の階でトレーニングしている陸上部に今からでも混ざれそうだ。
「あれ? はぁ、知ってて私を呼んだんじゃなかったんだ」
何も知らない俺に呆れたのか、彩さんはため息をついた。期待はずれとでも言ったところだろうか。
「僕たちは何も知らないです。だから、桜木さんの力を借りたいんです」
「そもそも、なんでうちのお姉ちゃんの情報を集めてるの?」
「それもこの後説明しようと……ん? ……お姉ちゃん?」
さっきまでぐちゃぐちゃになっていた思考が一瞬で停止した。思考を巡らせようにも、考える力が完全に動いてくれない。
「あなたたちが情報を集めてる桜木楓……じゃなかった、君が知ってるのは桜木美奈の方だったね」
そして、その固まった思考を彩さんは一言で砕いてきた。
「その人、私のお姉ちゃんだよ?」
「……いや〜…………空が綺麗だな〜」
「……めちゃくちゃ曇ってるけど」
うん、なんかもう考えるの疲れた。