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※旧版につき閲覧非推奨 彼方を見るものたちへ  作者: 二立三析
第四章 魔術協会での生活
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第十三節 治療の否

 

 ――協会での生活が始まって、十日目の午後。


 知らず知らずのうちに訓練も日常になってきた、そんなある日。


「――カタストの両親は、どんな人なんだ?」

「え……?」


 いつものように魔術の指導をしてくれていた先輩から、唐突に訊かれた事柄。予想もしていなかった内容に思わず集中が途切れ、目の前に固定していた小さな魔力の障壁が霧消してしまう。


「あ……」

「あ、済まない。今のは完全に私のせいだから、数には数えないでくれ」


 素早く申し訳なさ気に言ってくる先輩。さっきまで宙に浮かんでいた、薄い力の板。この小さな魔力の障壁をできるだけ長く維持することが、今私がやっている訓練の一つだった。


 急場の訓練と言うことで、毎回ごとにその前より一分間、維持できる時間を伸ばすようにと言われている。三日目にこの指導に入ってからここまで何とか着いて来られてはいるけれど、毎回必ず前回を超えて行かなければいけないという意味で、中々に辛い訓練ではあった。


「……」


 けれど、今の私の意識はそこにはない。訓練の時間に先輩と話すのは今習っている魔術についてのことが一番多いけれど、それ以外では主に私の学園生活の話や、先輩が二人の友人の諍いを止めるのにどんな風にして日々工夫を凝らしているのかといったことについてだった。家族についての話題など、踏み込んだことは一度もない。


「いや、特に深い意味はないんだ。カタストは随分礼儀正しい方だと思ってな」


 これまでは。私の反応を気にしたのか、先輩が言葉を補ってくる。


「どんな両親に育てられたのか、興味が湧いたんだ。嫌なら話さなくても構わない。世間話だからな」


 先輩にしてみれば、いつもの学園生活の話からもう少し踏み込んだ程度の話題だったのかもしれない。訓練の片手間に話せるような、気楽な話題としてこの話を振ったのかもしれない。


「……」


 それでも、私は胸中に木霊してくる声を抑えることができなかった。


 ――どうして、そんなことを訊くのだろう。


 訊かれなければ考えなくてもいいのに。いつも見ないようにしている、考えないようにしていることを。黄泉示さんは事情を知っているし、リゲルさんやジェインさんたちとはその手の話題になることがない。なのに。


「……」


 ……先輩に悪気はない。


 現にこうして、私に気を遣ってくれている。……でも。


 どう答えればいいのだろうと。覚えていないと素直に言ってしまうのか、適当に言葉を並べて誤魔化すのかと。


 それを考えるだけでも私は迷う。……自分の空洞を、記憶にある底なしの断崖を意識させられるようで、見つめるのが怖い。自分自身が、吹けば飛ぶように実体の薄いものに感じられてしまう。


 私は――。


〝――〟


 ……その直後。


「――」


 不意に。誰かが私の名前を呼んでくれたような気がした。その言葉の響きで、思い出す。


 ――大丈夫だ。


 今の私は一人じゃない。黄泉示さんがいて、リゲルさんがいて、ジェインさんがいる。


 先輩たちだってそうなのだ。襲われていた私たちを助けてくれて、今もこうして私と向き合ってくれている。私が今確かに持っている繋がり。それを意識すると同時に――。


「――私、記憶喪失なんです」


 自分でも意識していないほどすんなりと、口から言葉が滑り出てきた。


「両親の顔も、いたはずの知り合いの顔も、……以前の私がどんな生活をしていたのかも、まるで思い出せなくて……」

「……」


 先輩は黙って居てくれる。私の言葉を、静かに聞いたあと。


「……なるほどな。それで、蔭水の家に居候してたのか」


 大袈裟に扱うこともなく、冷静でいてくれる。そのことが私には有り難い。


「はい。黄泉示さんが、助けてくれて……」


 話したことで相手に負担を掛けたのではないかと、気を揉まずに済むから。思っていることを素直に口に。


「先輩たちのお蔭で此処にいられます。皆さんが、助けて下さったお蔭なんです」

「……そうか」


 私の台詞を受けた先輩は一瞬、伏せるように視線を外し。


「強いなカタストは。――変な質問をして、済まなかった」

「え? い、いえ」


 頭を下げてくる、先輩のその所作に驚惑する。


「大丈夫ですから。寧ろ私の方がこんなことを話してしまって、申し訳ないというか――」

「いや、それは違う。訊いたのは私の方だからな」

「いえ、でも――」


 自分でも何を言っているのかよく分からなくなる。でも、そうであるはずなのだ。


 先輩は世間話のつもりでこの話を尋ねた。私はそれに答えた。ただそれだけのことで、だから空気が重苦しくなる必要なんてどこにもない。


 とはいえ、先輩の反応がこういった話を聞いた場合として一般的な反応であることも確かだった。上手く嘘を吐ければ、先輩に気を遣わせることも無かったのかもしれない。でも、それはそれでどこかおかしいことのような気がする。……難しい。


「なんか、可笑しいな私たち」

「……そ、そうですかね……?」


 ああ、と頷いた先輩が息を吐く。空気を変えるように。


「悪かった――というのは止すんだったな。……今のカタストの話を聞いて、私の方が思ったことなんだが……」

「なんでしょう?」


 少し身構える。今の話の流れで、なにか言われるようなことが。


「カタストの記憶喪失、私なら治せるかもしれない」

「――えっ?」


 集中して聴く私の耳に飛び込んできたのは、予想だにしなかったそんな先輩の言葉だった――。










「……」


 訓練を終えての食事時。


「うっしゃ、今日もモリモリ食うぜ!」

「食べ過ぎには注意しときなさいよ。どんな訓練してるのか知らないけど」

「――それで、その本に書いてあったことと矛盾しているように思うんですが」

「難しい質問だな。結論から言うなら明確な回答があるわけじゃないんだ。そもそも魔術というのは――」


 この面子での食事にも大分こなれた雰囲気が出てきた。互いの訓練の話をしたり、訓練のときとは違う相手同士で話したり。どうしても遠慮のあった初めの頃とは違い、ある程度普通に会話ができている。……ただ。


「ん~……もう一杯いっとくか、迷うところだな」

「……飲み過ぎは良くないんじゃないですか」

「だからよ、どこまでが飲みすぎか、その見極めが難しいってこったな。この齢になっても」

「……」


 フィアの様子が、今日はどこかおかしい。心此処に在らずと言ったようなそんな感じで、会話にも入ることなくぼーっとしている。時折食事を口に運んではいるが……。


「――にしても今日は特別大人しいなお前さん。どうだ? 一杯やっとくか?」

「あ、はい……」


 差し出された田中さんの手から躊躇うことなくコップを受け取るフィア。――お? と瞬かせた目を点にする田中さんの前で、並々と酒の注がれたコップを口へ――。


「――ちょ、待て待て待て!」

「ストップだカタストさん」

「……あっ」


 傾けようとしていた仕草に慌てたのは二人。一瞬動きを止めたフィアからジェインが素早くコップを取り上げると、リゲルの手を通じて直ぐに机の端へ。恐怖を知る者ならではの見事なリレー。流れるような連係だ。


「……飲むつもりだったのか?」

「えっ? えっと……お水……ですよね?」


 自信なさ気に訊いてくるフィア。把握できていない。今日のフィアは、完全に周りが見えていないな……。


「自分よりずっと年下の娘に何やってんのよ田中は……っ‼」

「いや、冗談のつもりだったんだっての! すんなり受け取ったから、途中でなんかおかしいと――!」


 騒動が勃発する。やいのやいのと騒いでいるテーブルを他所に。


「……大丈夫か?」

「えっ? ……あ、はい……」


 やはりどこかぼうっとしているようなフィアに声を掛ける。当の本人は、なんだか当を得ない返答で。


「大丈夫です。なんでもないですから……」

「……そうか」


 そう言われてしまえばそれ以上俺に踏み込める余地はない。ぼんやりしているフィアの様子を気にしつつも、俺はテーブルの喧騒へと向き直った。











「……はぁ」


 黄泉示さんたちとの夕食のあと。


 部屋で一人になって、私は少し前にあった千景先輩との遣り取りを思い出す。……あの話。


〝私が得意とする治癒魔術の中に、記憶の回復に関する術法もあるんだ〟


 いつも以上に真面目な顔をして先輩が話し出したのは、私が予想もしていなかった提案。


〝協会によって安全性が確認されてる術理で、副作用や後遺症もない。カタストさえ良ければ私の一存で試してみることはできる〟


「……」


 ――記憶が戻るかもしれない。聞かされたその内容は、私にとって本当に衝撃的で。


〝少し……考えさせて下さい〟


 そう言った。言うのが精一杯だった。いきなり、そんな重大な選択を迫られることになるとは。


「……」


 そのあとでもう少し訊いた話によると、先輩は実際過去にも何人か私と似たような症状の人たちを治療しているらしい。私と違って、軽い症状ではあったらしいけれど……。


「……」


 ……記憶が、戻る。


 両親の名前も、友人の顔も。私がどこの誰で、何をしていたのかも思い出せる。私に欠けているものを、全て――。


 ――でも、そうしたら?


 記憶が戻ったら。……今のこの私は、どうなるのだろう?


 そこはかとなく不安が過る。今の私は無い過去の上に立っている。今までなかったものが突然に、全て戻って来たら。


「……」


 ……考えるのは、私の事なのだろうか?


 気付くようにそのことを思う。記憶喪失と言うことで影響を受けているのは私だけではない。……黄泉示さん。その小父さんにも、多大な迷惑を掛けてしまっている。部屋借り、生活費、使う時間――。


 私があの家にいるだけで、他の人たちに迷惑が掛かっている。今は協会でお世話になっているから一時的にそうではなくなっているけど、いつか元の生活に戻ったときには、また……。


「……」


 ――大丈夫だ。


 自分を励ます。……過去を思い出したとしても、今の私がなくなるわけじゃない。


 昔の自分を取り戻して、ちゃんと受け止めて、その上で黄泉示さんたちとも。それが、私が本当に全員に顔向けできる道のはずだ。


「……よし」


 小さな決意を胸に。私は、柔らかなベッドに身を投げ出した。









 ――その翌日。


「――じゃあ、行くぞ」

「……はい」


 午前の訓練。いつもなら魔力制御の確認から入っている時間帯に、私は覚える緊張に掌を握り締める。正面から、私の頭を挟み込むようにして翳された先輩の手。


「目を閉じてリラックスしてくれ。肩の力を抜いて、流れに逆らわないよう――」

「――」


 言われた通りに目を閉じ、力を抜く。……少し煙草の匂いがするな、などと関係ないことを思いつつ。


「――っ」


 その直後、暖かい何かに頭部を包まれているような感触が生まれる。……これが、先輩の魔術なのだろうか。


 ――もしそうなら、これできっと――。


「……」


 私を覆っていた暖かみが静かに消える。そのことを感じて、眼を開ける。


「……どうでした?」


 胸の内に生まれた小さな疑問と、微かな後悔が表に出る前に。その気持ちを悟られないように私は急いで先輩に尋ねる。まだ、なにか変化があったような気はしない。


「……悪い。少し待ってくれ」


 言って何かを思案するような先輩。数秒の間のあとによし、と頷くと、片手だけ私の額に翳して、二言三言を呟いた。


「――」


 続く感覚。先輩の掌が、一瞬淡く青白い光を放ったような気がしたが……。


「変わりはないか? なにか……」

「いえ、特には……」


 私自身に自覚できるような変化は起こってこない。表情からして、先輩も今ので私に何か変化があったとは思っていないらしい。予想外の答えを求めていると言うよりは、万が一を可能性から排除するための行為のように私には思えた。


「――駄目だった」


 少しの間のあとで、その予想が確信に変わる。


「二種類の魔術を試したが、どちらも手応えがない。……済まない。大口を叩いておいて」

「……いえ」


 ――先輩の表情を確認したときに生まれた、微かな胸の疼き。


「仕方がないですよ。先輩のせいじゃ――」


 なにかに期待するようなそれが、今確かに花開いていることに気付きつつ。そのことを認めないように、私はぎゅっと掌を握り締めた。


「あ……そういえば、初日に教わった治癒魔術についてなんですけど――」









「――ありがとうございました」

「ああ、お疲れ」


 先に行ってますね、と言うフィアを見送って、千景は閉じた扉を見遣る。内ポケットから取り出すのは魔導院時代以来愛用している煙草のケース。三分の二ほど埋まっている中から一本を選り抜くと、染み付いた手つきで口にくわえる。


「……」


 ――正直に言えば、ホッとしたような部分もあった。


 葵から幾つか加えられていた追加の指示。千景の役割はフィア・カタストの来歴を探ることであり、思考の末に採ったのは記憶喪失の治療という名分にかこつけて他人の過去を覗き見する行為。もし仮に記憶が戻っていたならば、その中に特筆すべき事柄があるかどうかチェックしなければならないところだった。


「全く……」


 嫌な仕事だよなと思いながら、簡単な火属性の魔術で火をつけて吸いこむ。肺まで満ちていく濃厚な煙の感触が気持ちを落ち着かせていく。治癒を得手とする自身が一般に害ありとされるものを嗜好品として選んだのは皮肉だな、と。ふと浮かんだ考えに、閉めた口の端を微かに上げた。


「……」


 ――修行は順調に進んでいる。


 フィア・カタストだけではなく、他の三人も。リゲル・G・ガウスについては田中が担当と言うこともあって今一つ分からないが、葵が黙認しているのならばそれなりには順調なのだろう。自衛のためとはいえ素人同然の相手に手解きをすることに、始めのうちは煩わしさが募ってもいたものだが……。


「ふー……」


 次第に情が移ってきていると言うのが実情だ。自らと比べての進みの遅さにもどかしさを感じることはあるとはいえ、それも大して嫌な感覚ではなくなってきている。……千景以外の二人についても、それは同じことだろう。


 ――願わくば、事態が彼らにとって良い形で終結するようにと。


 魔術師らしからぬ祈りを胸中に、千景は燃えていく煙草の先端を眺めた。



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