第十二節 夜の修練
「ふぅ……」
風呂から上がり、寝間着のままベッドに腰掛ける。訓練に続いての夕飯も恙なく終わり、今は自室で久々に一人の時間を過ごしているところだった。……他の皆もそれは同じだろう。
「……っ」
鈍痛に眉を顰める。……致し方のない事ではあるが、立慧さんとの訓練によって身体の至る所に打撲の痕ができている。流石にと言うべきか頭や首などの急所はそうでもなかったが、手、足、腹などそれ以外の箇所に関しては狙うのにまるで躊躇がない。今日一日でどれだけ攻撃を喰らったのだろう、という思いが素朴な疑問として浮かんでくるほどだった。
俺が思っていたのとは裏腹に、組手よりも実際にはそのあとにやった〝防御訓練〟なるものが身体には響いた。内容自体は単純なもので、繰り出される立慧さんの攻撃をただひたすら捌き、防ぎ続けるというシンプルなものだったが……。
「速さに関しては、加減抜きだからな……」
呟く。――そう。打撃を当てたときの威力に関しては重傷とならないよう十二分に注意してくれているらしかったが、俺の身体能力がある程度高いこともあって攻撃速度そのものは殆んど手を抜いていないらしい。〝今でも少しは見えてるみたいだし、これくらいやんないと修行になんないわよ〟とは立慧さんの言。
「……」
……確かに立慧さんの言う通り、辛うじて反応は出来る。できるのだが、それを防ぐ技術が今の俺には全くと言って良いほど身に付いていない。無理に一撃二撃を凌いでも体勢を崩され、続く一撃を直撃させられてしまう。結局はそれの繰り返し。何とかするだけの心得を、俺は今日一日掛けても修得することができなかった。
組み手の方はともかく、防御訓練については今のところ完全に〝体で覚えろ〟というものなので……厳しさが目立つその指導方針に正直不満がないわけではない。だが、魔術協会などと銘打たれている場所でこれ以上の訓練を望んでも無理というものだろう。
刀の扱いに慣れている人間がいなくとも、武術に長けた人間がいるだけで充分に幸運。そう思うべきなのだ。立慧さんも自分のことを、〝最近は増えてるけどまだまだ少数派のスタイル〟と言っていたし……。
改めて全身の痣を見る。――少し極端に考えれば、この痣の数がそのまま実戦で俺が死にかねない回数になるということか……。
そう考えるとゾッとする。……今まで無事でいられたのがいかに薄い氷の上で成り立っていた出来事なのか。そのことを実感と共にヒシヒシと感じさせられている気分だ。自分たちの身を守れるようになりたいという望みが果たされるのは、まだまだ先になりそうだな……。
「……いや」
一人になったからといって、弱音を吐いている場合ではない。
立慧さんも言っていた通り、鍛えていないのにこれだけの身体能力を保持できていたことは確かに充分なアドバンテージだ。普通は十年の間何の鍛錬もしていなければ筋力、持久力は落ちに落ちる。それが俺にはなかった。……それだけでも充分に恵まれている。
だからそれでまだ足りないというなら、足りるように努力するしかない。そう。全ては俺の努力次第ということだろう……。
「……」
――それにしても、今日は疲れた。
思惟を巡らせていた俺に訪れる、鉛のような疲労感。……明日もまた立慧さんとの訓練だ。これ以上鍛錬の重りを増やさないよう、今日はもう早く寝よう……。
「……?」
そう思ってベッドに寝転がった直後、控え目なノックの音が部屋に響く。……誰だ? まさかまた先輩というわけではないだろうし……。
「――あ」
開けたドアの先にいたのは、――フィア。
「こ、こんばんは。黄泉示さん」
いつもよりなぜか緊張した態度。お邪魔しても大丈夫ですか? と、俺を見つつそう言って来る。
「……ああ。大丈夫だ」
その態度が気にはなったが、断る動機もない。ドアを押さえて入口を開け、中へとフィアを招き入れた。
「……」
「それで、どうしたんだ?」
きょろきょろと部屋を見回しているフィアだが、別に各々の部屋で内装は変わらない。俺の言葉に促されたようにええと、と口にして。
「……夕飯のときにもお話しましたけど、さっきの練習で、先輩から先駆け的に初級の治癒魔術というものを教えてもらいまして……」
「ああ」
それは聞いていた。食事を口に運びながら、話しているフィアが嬉しそうにしていたことを覚えている。
「先輩にお聞きしたら、実際に誰かに向けてやってみた方が上達が早いみたいで。……できれば、その……」
「……」
――手伝ってくれ、ということか。
「掛かる対象になってくれってことか?」
「は、はい」
掻い摘んで言ってしまえば、フィアの治癒魔術の練習台になってくれということ。見つめるフィアの前で考えるが。
――正直な話、不安な部分もある。先輩から直に手解きを受けているとはいえ、訓練はまだまだ初日。午前中にフィアがやっていたのは術どころか魔力のコントロールだったことを思い返す。……流石に二つ返事で引き受けたくはない。
「……先輩の許可は貰ったのか?」
「あ、はい。私、魔力のコントロールはそれなりに上手くできているみたいで、治癒魔術でも初歩くらいなら大丈夫だろうって」
「リスクとかは?」
「それは全然ないらしいです。教わったのはごく初歩の治癒魔術で、事故の起きないように色々と制限が掛かってるって話していました。それに……」
なるほど。そういうことならと思った俺の前で、フィアが僅かに姿勢を変える。
「先輩が……その、〝蔭水の奴は立慧との修行でボロボロなんじゃないか〟って」
問うようなフィアの目付き。……お膳立ては、既に整っているということか。
「……分かった」
目の前のフィアと、心の中の先輩に手を上げるようにして。俺は、承諾の頷きを返した。
「では、その……」
「ああ」
フィアに言われて背中を向ける。……シャワーを浴びておいて良かった。
流石に汗だくの背中を見せたくはない。俺の了承を受けて、フィアがシャツを捲り――。
「――ッ」
小さく。息を呑む音が耳に響いた。
「……酷い痣ですね」
「……まあ」
背面はまだマシな方だが、それでも体勢を崩したときなどに何発かはもらっている。痛ましいと言ったフィアの声に少し、胸の奥が疼く。
「……始めますね。触れた方が、魔力を通し易くなるらしいので……」
そっと。気遣いの分かる弱さでフィアの掌が背中に触れる。後ろから零される呟き。俺には意味の分からない言葉の列を、それでもフィアはしっかりと紡ぎ。
「――」
触れられている箇所が暖かくなる。じんわりと、肌の奥が熱を持ってくるような感覚。それでいて熱すぎることはない熱は、微熱の熱さのまま留まり――。
「……ふぅ」
息を吐くフィアと、同時に引いた熱。ゆっくりと消えていく暖かさの残滓に、少し気付かなかったが。
「……どうですか?」
「……凄いな」
軽くなっている。重りのような鈍痛が、少しだけ。
「効いてる。少し、楽になった感じだ」
「そうですか……」
俺の反応に喜ぶと言うよりはホッとしたような様子のフィア。続けて行きますね、と、別の痣に手を当てる。……再度の詠唱。
「……」
治癒を受けている最中で思うこと。……フィアは。
――フィアは、戦うことを受け入れているのだろうか。
初めに襲撃を受けたとき、不安に一人では夜を超すことができなかったフィア。震える手の感触を。恐怖に怯える瞳の色を。まだはっきりと、覚えている。忘れられるはずもない。
フィアは紛れも無く普通の人間だ。初めて出会ったときから異変に巻き込まれ、俺と出会ってからは二度も命の危機に晒された。半ばやむを得ないような状況とはいえ。
――俺たちに付きあって無理をしていないと、どうして言えるだろう?
「――ふぅ」
「……フィア」
痛みがまた一部分で消える。ひと段落したとみて掛けた俺の呼び掛けに、はい? と答え。振り向いた俺の視線の先で――。
「……いや、ありがとう」
「……? はい」
額に汗を浮かべる彼女の姿を見て、礼を言うに留まる。……それを口にするのは何か、フィアの頑張りを侮辱するような気がして。
「もう大丈夫だ。……フィアも疲れてるみたいだし」
やはり慣れない魔術の行使は基礎とはいえ大きく集中力を使うものらしい。俺が回復してもフィアが疲れるのでは意味がない。
「大分楽になったから。やり過ぎても不味いだろ」
「……そうですね」
明日はまたお互いの訓練もある。シャツを戻した俺の前で、今日は此処までにしておきます、と立ち上がるフィア。続けて立った俺は、ドアの所までフィアを送り。
「――ありがとうございました、黄泉示さん」
「いや、こっちこそ。――じゃあ、また明日」
「はい。お休みなさい」
振り返り歩いていくフィアが自分の部屋に戻るのを見届けて。俺は、静かにドアを閉じた。




