第十節 サロンにて 後編
「三千風……さんか。ドアを開けずにいつの間にかこの部屋に入って来たあれが、得意の魔術ってわけっすか?」
「え?」
あれには驚かされた。当然のことを訊いたはずのリゲルの言葉に、なぜか三千風さんは怪訝な表情をみせ。
「僕は一応。……多分あなたたちが入ってくる前からこの部屋にいたんですが。気が付かなかったですかね?」
「……え?」
困ったような笑みに動揺する。――そんなはずはない。扉を開けて入って来るとき、俺たちの他に誰かいないかどうかちゃんと確認したはず……。
「黄泉示さん、あれ……」
思考の最中でフィアが指差した方向。……ソファーの前のテーブルの上に積まれているのは、それまでに読まれたと思しき数冊の本。飲み掛けだったのか、その横にはまだ中身の入っているカップも置かれている。――入口からは丁度、開いた扉が影になって見えないであろう死角の位置――。
「……済みませんでした」
「いえいえ、構いませんよ。元気な人たちだなあ、とは思っていましたが」
不注意を自覚して頭を下げた俺たちに、気にしていないと言う風に手を振る三千風さん。……やはり、先ほどの行動は全て見られていたらしい。
「そ、そう言えばあの絵は……」
「絵?」
俺と同じで気恥ずかしさを感じていたのか、フィアが話題と共に三千風さんの視線を逸らす。――いいぞ。
「ああ。あの絵には、幻惑系統の術式が組み込まれているんですよ」
「……幻惑?」
「はい。見ている者に絵の中の音などが聞こえているように錯覚させるんです。観賞用に作られた物なので害はありませんし、抵抗の必要もありません」
――良かった。途中で聞こえた単語に一瞬、身構えてしまった。マジか、と言って絵の前に寄っていくリゲル。早速試そうとしてるな。
「ところで皆さんは、どんな仕事をなさっているんですか?」
「――え?」
不意の質問。思わず返してしまったのは、そんな間抜けな返事。
「いえ。随分とお若いので、気になってしまって。学術院関係のお仕事なんですかね?」
答えに窮する。……下手に答えれば綻びからウソがばれる可能性がある。沈黙というのも良い手ではない。俺たちの答えを待つ三千風さんに対し、額に汗が浮かび――。
「――はいストップ」
唐突に割り込んできた声。……その正体に、心の底から安堵させられた。
「……范さん」
「訊きすぎよ三千風。この件については、あんたの出る幕じゃないわ」
「――立慧さん」
――助かった。隣でフィアがホッとしたようにその名を呼ぶ。……それにしてもいつの間に近付いてきたのか。今の今まで物音も気配も感じることはできなかった。
「余計なことは話さない。私の言ったこと、ちゃんと覚えてたみたいね」
「おー、すげえすげえ!」
落ち着いた中に芯の強さを秘めたようなその声。俺たちが言葉を返すより前に、割り込んできたリゲルの声に振り返る立慧さん。
「全く、元気ねあいつは……」
「――いや、驚きました。お久しぶりですね、范さん」
呆れるような溜め息を吐いた立慧さんに対して、その登場に驚いていたらしい三千風さんが挨拶を口にする。
「半年ぶりくらいですか。この時期にいらしていたとは知りませんでした」
「そうね、久しぶり。もう着任時期は決まったの?」
「はは。その冗談は僕にはちょっと厳しいですよ。――まだ未定です。残念ながら」
「……お知り合いなんですか?」
二人の遣り取りを聞いていたフィアが尋ねる。
「そうよ。と言っても、私がここに来たときにたまに顔を合わせるくらいだけど」
「范さんは支部長ですから……それで、今回はどんな用件で本山に? また直ぐ支部に戻られるんですか?」
「大したことのない野暮用よ。でも、今回は少し長くいるわ」
「なるほど。特別措置で入山したという、彼らが今回の関係者ですか」
「まあね。何となく察しは付くでしょ」
牽制……なのか? 気のせいかもしれないが、立慧さんの素っ気ない声調子の中には〝それ以上踏み込んで来るな〟という警告のようなニュアンスが込められているようにも感じられる。心なしか……。
「いや~、すげえな魔術――お、范さんじゃないすか」
単に穏やかではない空気の中、絵画を堪能したらしいリゲルが戻ってくる。
「休みに来たんすか? すげえですよねここ」
「まあね。うちにも一部屋欲しいくらいだわ」
「このサロンは本山の特色の一つですから……僕も休憩時には、よく此処にコーヒーを飲みに来ますよ」
俺たちでは完全に場違いなようだが、この人が此処にいることは、なんだかやけに自然な事のように感じられた。
「あんたは変わらないわね……ま、そうでなきゃだけど」
「三千風さんも見習いなら、魔術の勉強をなさったりしてるんですか?」
「え? いえ、それは……」
……なんだ? フィアの質問に、三千風さんだけでなく立慧さんまでもが飲み込めないような顔をして。
「……あんた、こいつらに自分の事なんて紹介したの?」
「一応、見習いだと言う風に……」
そこで事情を理解したように、あー、と表情を戻した。
「そういうこと……悪いわね。こいつら、まだ色々と疎くて」
「気にしませんよ。二年近くなってなんの進展もないようでは、大した見習いとも言えませんしね」
自嘲気な三千風さんの台詞に――立慧さんが、呆れたように息を吐く。
「……前々から言おうと思ってたけど、あんたは自分を過小評価し過ぎなのよ。一応言っとくけど、謙遜も度が過ぎると嫌味になるのよ」
「それは……済みません。――っと」
立慧さんと一頻り言葉を交わした三千風さんは、そこで壁の時計に目を遣り、おっと、というような表情になる。
「もうこんな時間ですか。……少し休み過ぎましたね」
テーブルに近付いて。残っていたコーヒーを飲み干し、積まれていた本を抱える。
「では范さん、――皆さんも、失礼します。また機会があれば」
会いましょうと言って、サロンから去っていく三千風さん。その後ろ姿が、開いた扉の向こうに消え――。
「……ふぅ」
閉じたところで。立慧さんが、解放されたような息を吐いた。……胸に渦巻いている疑問。
「済みません。三千風さんは――」
「あいつは見習いよ。但し、四賢者のね」
訊いた俺に、立慧さんは振り向かず答える。――四賢者?
「マジっすか⁉ 四賢者ってことは――⁉」
「そう。今二人いる『賢者見習い』の一人で、現四賢者筆頭、秋光様の弟子。将来は秋光様のあとを継いで四賢者になることがほぼ確定してる人間でもあるわ」
……驚きだ。
見習いの意味を完全に勘違いしていた。まさか、そんな人物だったとは。
「でも、それならどうしてあんなに……」
「自信なさ気だったかって?」
肩を竦めつつ立慧さんは言葉の続きを紡ぐ。
「私も聞いた話だけど、最近どうも修行の方が上手くいってないみたいね。もう何か月も秋光様から直に修行をつけて貰ってないって聞くわ」
「なるほどなぁ。幾ら将来有望だからっつっても、そいつは凹むかもな」
「ええ。まあ秋光様も最近は特別忙しいみたいだから、百パーセント三千風のせいってわけでもないんでしょうけど」
そうだったのか。物腰柔らかだが、どこか自信がないようだった三千風さんの態度を思い出す。……考えてみれば。
三千風さんがゆっくり一時を過ごしているところに俺たちが来て、騒がしい時間を過ごさせることにしまったわけで。スランプの際の貴重な休憩時間を潰してしまったような、決まりの悪い感覚を覚える。
「――ま、あんたたちが気にすることじゃないわ」
俺の表情を読み取ったかのような立慧さんの言葉。
「それはあくまでもあいつの問題だもの。進展がないったって、ちょっとやそっとで揺らぐ立場じゃないんだから。もっとドーンと構えてりゃいいのよ、あいつも。――まあ」
立慧さんが天井を仰ぐように見る。
「それが、今まで当たり前だとされてきたような人間が、結果が出せないと焦るって言うのには、少し同情するけど」
「けど……」
何かあるようなのはフィア。
「三千風さんがそんな方だったなら、私たちのことを話しても――」
「駄目よ」
良かったんでしょうかと言いたげなフィアの台詞に対して、立慧さんの回答は迅速だった。
「この措置は情報の漏洩を防ぐためなの。――あいつ、あんたたちのこと知らなかったでしょ。ならそういうこと」
それまでとは違った淡々とした口調。
「あいつが知るべきだと判断したなら、とっくに秋光様が伝えてるに決まってるわ。そうしないってことはつまり、伝える必要がないってことよ」
「き、厳しいんですね……」
フィアがそんな感想を漏らす。確かに四賢者の弟子に対してさえ漏洩を警戒するのは、少々やり過ぎのような気もする。組織を運営していくということは、俺たちが思う以上に大変なことなのだろうが……。
「……ま、昔はもうちょっと緩かったんだけどね」
「何かあったってことですか?」
「さあ。内緒。それより――」
立慧さんが壁の時計を見る。
「私たちの方もそろそろ時間みたいね。気付いてた?」
「マジっすか?」
言われて確認する時刻。立慧さんたちに言われた時間の、丁度十分前。
「一休みしたら行きましょ。――そう言えば、もう一人のあいつは?」
「あ、ジェインなら――」
書庫を見に行ったとの旨を説明する。多分直接行くだろうと言っていたことも。
「ふーん。見た目通り勉強家なのね。まあ今の時点じゃ読むのは厳しいと思うけど、自分たちが向き合ってるものの手強さを知るって意味では丁度良いかも」
例の道具から緑茶を注ぎ出し、静かに飲む立慧さんが言う。
「あいつ、時間にはルーズな方?」
「いえ、多分……」
正確な方のはずだ。ジェインが時間に追われているところを見たことがないし、常に余裕を持っているイメージ。遅刻などとは最も縁遠いに違いない。
「そう。なら迎えは要らないわね。万一遅れたときには、罰として筋トレでもやってもらおうかしら」




