第九節 サロンにて 前編
「これは――」
第一書庫を目指して本山の中を進んできたジェイン。中途で協会員と思しき何人かの人間と擦れ違ったものの、特に声を掛けられるなどの反応はなく、また見るべき設備もなかった。そのジェインが足を止めたのは――。
「……」
黒く重く閉ざされた巨大な扉。あの地図の記載からすれば、ここが書庫で間違いないはずだったが。
「……」
恐らくは木造り。だがその濃厚な色合いの醸し出す重厚さは、ともすれば鉄にも匹敵するのではと思えるほど。雰囲気に圧倒されている自らを自覚しつつジェインは扉の上部に目を凝らす。……『第一書庫』と、確かにそう書かれているようだ。あの地図に特記がなかった以上、誰でも進入が可能な場所であるはず。
「……」
重厚な扉に鍵穴らしきものは見受けられない。少し迷った末、扉に手を当てて押した。
「……っ」
――少しばかり腕に力を込めた瞬間。その見た目からは想像もつかないほどの軽さで以て扉が内側へと開かれる。ジェインを招き入れるように空いた暗闇。内部が見えないことに警戒感を覚えつつ、踏み入れると同時。
「――」
鼻先に漂った紙の香り。靴裏に厚い布地の感触を覚えると共に、上部で点いた灯りが室内の光景を照らし出す。……目の前に広がるのは立体図で見たときと相違ない、先が見えないほどに並べられた無数の本棚。見える範囲にあるそのいずれにも、大小装丁様々な本がぎっちりと詰め込まれている。人気はない。
「……ふぅ」
此処が正に目当ての場所に相違ないことを確認して。漸くジェインは一息を吐くと、棚の並ぶ奥へと踏み込んで行った。
「――」
フィアとリゲルと。三人でサロンなる場所を目指してやって来た俺たち。途中幾つかの設備に寄りながらも余り人と会うことはなく、ここまでスムーズに来れていたが。
「ここ……ですかね?」
目の前にある扉には、確かに『サロン』との文字が書かれている。どうやら此処で間違いはないようだ。
「勝手に入っても、大丈夫なんでしょうか……」
「……多分な」
そう思っても不安になるのは、中が見えないようにきっちりと閉められている扉のせい。近付いて見るが、特に物音などは聞こえてこない。いきなり扉を開けて、中に人がわんさかいたら……。
「先輩が入れねえ場所には入れねえつってたし、とりま試してみようぜ」
「あっ、リゲルさん――」
俺たちの心の準備ができないうちにドアノブを掴んだリゲル。そのまま止める間もなく一気に、腕を回して押し――。
「――ぐぬッ⁉」
開かない。ノブを握り締めたリゲルの力を受けてなお扉はビクともしない。――鍵が掛かっているのか? 心なしかミシミシと言い出した扉に、俺が一抹の不安を覚えた。
「リゲル――」
「あ、これ引く奴だわ」
瞬間に外側に開かれた扉。止めようと伸ばしていた手が勢いよく空中に空ぶる。……なんだそれは。
「……びっくりしましたよ」
「悪い悪い。どっか引っ掛かってんのかと思って、ついな」
吐く息で緊張を抜くフィアに手を立てて謝っているリゲルを見つつ――気付くのは、開け放たれた内部から漂ってくる空気の流れ。廊下よりも暖かい、僅かに花の香りが含まれているようなその心地良い空気に釣られるようにして。
「……」
リゲルに続き踏み込んだ、部屋の内部が明らかになる。……柔らかな黄色の光で照らされた室内。
広がる床一面には複雑な文様を織られた光沢のある絨毯と、逆に簡素な暖色の壁紙。各所に置かれた古風な調度品に囲まれてあるのは、あの映像で見た通りのゆったりとしたソファー群。……実際の色などを見るとやけに高級そうに見える。座り心地も格別に良さそうだ。
「こいつは中々だな」
「素敵ですね……」
二人もおおむね同様の感想を口にする。……人は余りいないようだ。幸いにしてと言うべきか、俺たち以外に人影のようなものは見当たらない。
「おおすっげ、ふっかふかだぜ」
リゲルが踏み締めているのはいかにも手の掛かっていそうな絨毯。柔らかな中にもしっかりとした踏み心地がある。置いた足裏を迎え、しっかりと次の一歩へ送り出してくれるような感触。……歩きやすい。
「……」
完全に中に入ってぐるりと中の光景を見回す。……まるでどこかの宮殿かなにかにでもいるようだ。華美に溢れた絢爛さではなく、あくまで落ち着ける居心地の良さを醸し出しているのも実に良い。
「なんか面白そうなもんがあんな――」
「――黄泉示さん」
部屋の一角にあるテーブルへ向かったリゲル。それとは反対側で、フィアが俺の名を呼ぶ。
「見てください。これ……」
「……絵か」
フィアが指し示していたのは壁に掛かっている一枚の絵画。……さほど大きくはない。精々が一メートル四方くらいだろう長方形の額縁の中に描かれているのはどこかの風景。手前に見える山。奥の方には川が流れ、鳥が飛んでいる。良くある風景画だと、そんな印象を抱き――。
「……」
「……っ」
佇むフィアの反応に疑問を覚えた直後、耳に届く。……まさか。
「――」
疑りを晴らすように済ませた耳に。……聞こえてくる鳥の声。川のせせらぎ。そよぐ風に、草木のそよぐ音――。
「……聞こえました?」
「……ああ」
頷く。気のせいか、土や草の雄々しい香りまで漂ってきたような。まるで本当に描かれた風景の中にいるようだ。なんだこの絵画は……。
「おーい、二人とも、こっち来てみろよ!」
なんらかの魔術が使われた物なのだろうが。不思議に思いつつも堪能する中で、リゲルの喚呼ぶ声に振り返った。
「あの絵、んな面白かったのか?」
「……あとで見てみると良いぞ」
俺の言葉にへえ、と言って、リゲルが指し示したのは……なんだ?
見たことのないような変わった置き物だ。見た目や質感からして恐らく材料は木なのだろうが、目を惹くのは上部に埋め込まれた宝石のように鮮やかな透き通る石。施された紋様のような装飾が、その用途の想像を困難にさせている。……同じようなものが幾つかならんでいるところを見ると、インテリアというわけでもないらしい。物によって石の色が違うのが特徴的だが……。
「……なんだろうな」
「だろ? 何に使うのかさっぱり分かんねえぜ」
二人して頭を悩ませる。手に取り、角度を変えて眺め、降参し掛けたところで。
「あ、もしかして、それ――」
「――それは、飲み物を入れる魔道具ですよ」
不意に。背後から、俺たち誰のものでもない男の声が響いた。
「おわっ⁉」
「きゃっ⁉」
反射的に振り向いた俺たち。――先ほどまで誰もいなかったはずの俺たちの後方に、一人の若い男が立っていた。
「……っ」
「……済みません。驚かせるつもりはなかったんですが」
俺たちの反応に硬い笑みを返す男性。穏やかな口調と身のこなし。丁寧な所作にも警戒は解けない。――誰だ? さっきまで、この部屋には俺たち以外誰もいなかったはずなのに――。
「その魔道具の使い方で迷っていたんですよね?」
「は、はい」
「それは飲み物を注ぐために使うんです。例えばこうやって――」
そう言ってテーブルの端へ歩いて行く男。死角になっていた場所に並べられたカップのうち一つを手に取って戻ってくると、木製の道具の下にそのまま差し入れる。
「――【始動】」
石の部分に手を翳し、一言を呟くと同時に。液体の注がれる音と、湯気が立ち始め――。
「ほら、こんな感じです」
数秒して男が取り出して見せたカップには、薫り高い芳香を放つ一杯のコーヒーが満たされていた。
「やっぱりそうだったんですね」
「……気付いてたのか?」
「はい。さっき、あっちの端にカップが置いてあるのに気付いて、それで……」
「――コーヒー以外も出んのか? これ」
「ええ。赤色のものが紅茶。緑色の物が緑茶、青色の物が水ですね」
振り向いた先。いつの間にか取ってきたカップに、説明を受けつつ紅茶を注いでいるリゲル。……対応が早い。
「おー、マジで紅茶だ。――ありがとな、兄ちゃん」
「はは。お礼は結構ですよ、僕も初めてここに来たときは、どうやって使ったものかと首を捻らせたものですから」
そこまで卒のない受け答えをしてみせて、ふと男は何かに気付いたように目を細める。
「……失礼ですが、見ない方たちですね。最近本山に配属された方たちですか?」
「あ、いえ。俺たちは……」
〝――ああ、そうだったわ〟
訂正しようとして。思い返されたのは、立慧さんから受けていた注意。
〝言い忘れてたから今伝えるけど、あんたたちは一応、特別措置で本山に入ってきた協会員ってことになってるから〟
〝え? どうしてですか?〟
〝どうしてもこうしてもないの。これは、私たちの事情だから〟
〝まあ要するに、そんな節操なしに吹いて回っていい山でもねえってこった〟
意味あり気な笑みを浮かべる田中さん。そんなわけで――と。
〝あんたたちがどうしてここにいるのかは、一応私たち以外には秘密。もし誰かに訊かれたらさっき言ったように、特別措置で入ってきた協会員って答えときなさい〟
〝私たち与りであることを仄めかしても良いがな〟
――と、いうことだったはずだ。
「……その、特別措置で本山に来た、協会のメンバーなんですが……」
「……特別措置?」
「はい。そういうことで……」
言われた通りとはいえ、見知らぬ相手に向けて嘘を吐くことに一瞬不安が過る。俺たちの言葉に男は一瞬考え込むような表情を見せたものの……。
「それは凄いですね」
直ぐに疑いを消し去ったようだった。……凄い?
「本山に特別な手続きで配属された人間は、ここ数年間いなかったはずです。まだ若いのに、大したものですね」
「だろ? ま、才能って奴だな」
「そうですね。――ああ。本山に配属されて緊張する気持ちは分かりますが、そう構えなくても大丈夫ですよ。此処にいる協会員は皆、気の良い人たちばかりですから」
「は、はい。ありがとうございます」
いかにも自然な反応を見せたリゲル。加えて男は先ほどのフィアの返事も、別種の緊張から来るものだと受け取ってくれたらしい。――先輩たちの言葉を守れたことにホッとする。
「それでその、お名前は……」
「ああ。これは失礼しました。――三千風零と言います。この本山に勤めている協会員の一人で、今は見習いです」
スムーズに自己紹介する。……見習いということは、俺たちと似た立場と言うことだろうか? 年齢はやや上くらいに見えるが。




