第三節 滞在 前編
「……黄泉示さん」
フィアに手を引かれたまま、リゲルたちのところまで下がった俺。
「おい、黄泉示……」
「……大丈夫だ。済まなかった」
柄にもなく心配そうなリゲルの声掛けに、できる限りの平常心と共に答える。……いきなり秋光さんに掴みかかった自分は、事情を知らないフィアたちからすればさぞ異常に映っているのだろう。――そんな自嘲気味な感想が、胸の内から零れた。
「――全くだな。よりにもよっていきなり相手側のトップに掴み掛かるとは。下手をすれば、僕たち全員がどうにかなっていてもおかしくは無かった」
「……ジェインさん」
躊躇いがちに、だが確かに、ジェインへと向けられたフィアの声。
「いいんだフィア。……済まなかった、皆」
頭を下げる。ジェインの言っていることは正論だ。終始穏やかな秋光さんとは対照的だった、葵さんの反応を思い出す。……事情はどうあれ、俺の行動で皆の立場を危険に晒し掛けた。
その事実を否定など出来るはずもない。いかようにでも叱責される心持で……。
「分かっているならいいさ。この話はこれで終わりにしよう」
だがそう言ったジェインの声は、俺が予想していたより少しだけ厳しさに欠けるもの。思わず上げた顔に。
「――ったく! 冷や冷やさせやがって!」
「っ!」
言葉と同時にヘッドロックを決めてくるリゲル。痛くはないが、圧迫感もあって少し暑苦しい。
「いきなり跳び出してったときはマジでビビったぜ。……あの姉ちゃん、綺麗な顔して気迫が半端じゃなかったからな」
「――」
扇を喉元に突き付けられたときの恐怖を思い出す。……あの瞬間、怒りに突き動かされていたはずの身体が一瞬硬直したかのように動かなくなった。今思えばあれは、葵さんが発していた気によるものだったのだろう。
「そういうお前も、今にも跳び出しそうな様子だったがな」
「そ、そうだったんですか?」
「いやまあ、ダチのピンチだしよ。何かあったらヤベえと思って――」
「……」
自分がどれだけ心配を掛けていたのかを自覚させられる。……重ね重ね、先ほどの俺には思慮が足りていなかった。
「……ったく、いつまでもそんなんじゃ、こっちとしても張り合いがねえぜ」
リゲルが俺に掛けたヘッドロックを外す。
「しゃんとしてろよ。何があったのかは知らねえけどよ」
「……ああ」
今はそうするしかない。リゲルたちに頷きを返したところで――。
「――全員落ち着いたか?」
俺たちの会話が終わるのを待っていたらしい、先輩が近付いて来る。その表情に警戒の色はなく、俺に対して何か尋ねるような素振りもない。そのことに、つい。
「……良いんですか?」
「? 何がだ?」
「いや、その……」
そう言われてしまうとこちらが困る。そんな俺の様子に、先輩はああ、と頷いて。
「良くなくして欲しいのか? さっきの行為について」
「そういうわけじゃない……ですが」
先輩はこの組織……魔術協会の人間だ。あれだけのことをした俺に対して何の咎めもなしというのは、些か妙な話ではないのか。
「掴み掛かられた当の秋光様が良いと言ったんだ。なら、私としてもそれ以上事を大きくするつもりはない」
「……」
「良かったじゃねえか黄泉示。先輩も赦してくれるってよ」
何か釈然としない気もするが。リゲルにバンバンと背中を叩かれる。音の割に痛くはないが、衝撃が凄い。掌がデカいせいか……。
「まあ正直なところを言えば、仮に蔭水が何かしようとしても、秋光様をどうこうできるとは思えないからな。――さて、部屋に案内しようか」
「部屋……?」
「そうか。伝えてなかったな」
先導しようとしたのか、一旦背を向けた先輩が、気が付いたように踵を返す。やや引き締めた眦。
「急な話ではあるが、お前たちには今日からここ、協会の総本山で生活してもらいたい。というか、こちらとしてはもうそういう手筈になっている」
――え?
さらりと言われた内容に対する驚愕が、俺の意識を半ば無理矢理な形で現実へと引き戻す。……どういうことだ?
「そいつはまた随分いきなりな話っすね」
「――どういうことですか?」
さしものリゲルもこれには驚きを隠せていない。重ねてのジェインの問いに、先輩は俺たち全員を一瞥するようにして答える。
「どうもこうもないさ。さっき秋光様からも話があった通り、お前たちを狙っている連中のことを私たちは知っている」
最後の部分で強められる語調。
「その私たちからすれば、お前たちが今までのような生活を続けることは危険過ぎて看過できない。……分かるか?」
――思い返す。
俺たちは一度目の襲撃があったあと、自分たちにできる最善の用意を整えて来た。危険度の高い夜をリゲルの家で過ごし、日中は可能な限り固まって。相手にとってすれば一度目より格段に襲撃はし辛かったはずだ。だけに留まらず襲撃されたときのプランを用意することに加え、自分たちで力を磨きもした。
だが、それでも相手は二回目の襲撃を実行してきた。警戒されているだろうことは充分に分かっていただろうに、それでもなお、だ。……俺たちの抵抗は一蹴された。あのとき先輩が来てくれなければ、俺たちが死んでいたことはほぼ確実。俺たちが警戒することなど、相手は歯牙にも掛けていない。
何の守りもないあの場所にいれば、恐らくまた襲撃は繰り返されるのだろう。あちらの目的が、達成されるそのときまで……。
「じゃあ……」
不吉な方向に進んでいた俺の思考の中に、フィアの発した声が割り込んでくる。
「もしかして、学園にも通えなくなるんですか……?」
「そうだな。相手の出方が今一不明瞭なうちは別だったが、これからは他の人間が巻き添えになる可能性も出てくる。暫くの間は本山から出ないようにして欲しい」
――それも、尤もな話なのだろう。二度目の襲撃は昼であったにも拘らず、途中からは周囲に不自然なほど人の通りがなかった。もしかすると人払いをしていたのかもしれない。とはいえ三度目までそれが同じだとの保障はない。リゲルのときのように――。
「周りが巻き添えになるかもってことか」
「そんな……」
その光景を想像してしまったのか、口元に手を当てるフィア。だがその危険性を考慮しながらも、俺としてはある一つの疑問があった。単純な発想ではあるが。
「先輩がいるなら大丈夫なんじゃないですか? 今日みたいに……」
そう質問する。俺は気絶していたが、ジェインたちの説明からすれば先輩は俺たちを守りながらあの男を撃退して見せたはずだ。
それも手傷も負うことなしに、危うげなく。それだけの実力を持つ先輩が付いていてくれたなら、相手もそう簡単に手出しは出来ないのでは……?
「難しい話だな」
――苦笑気な先輩の重い声音。内容より先に、それが何よりも雄弁に答えを物語っていて。
「私にも一応仕事がある。常に護衛をしているわけにもいかないし、それに……」
そこまで言い掛けて、張り詰めた気を抜くように溜め息を吐いた。
「これからは、私じゃ守り切れない相手が出て来るかもしれない」
「……え?」
思わず口に出す。……あの二人より、更に強い相手?
「そ、そんな人がいるんですか?」
「いるな。少なくとも、敵方に六人」
――なんだそれは。
無理だとの思いが脳内を埋め尽くす。俺たちが束になっても敵わないあの男を退けた先輩が、太刀打ちできないと断言するほどの相手に、俺たちは命を狙われているのか?
どうして――。
「……だから、大人しく此処に住んどけってことすか」
「そういうことだ」
一つ頷いて、先輩は開いた両腕で空間を形作る建物そのものを指し示す。
「葵からも説明があったが、ここは魔術協会の総本山。龍脈を利用した【大結界】が常に建物の周囲を覆っているし、総勢六百人を超える魔術師たちがいる。何より――」
今の会話で俺たち全員の間に立ち込めた不安を振り払う意味もあってか、続く先輩の言葉が一転して自信に満たされたものへと変わる。
「先ほど顔を合わせた、式秋光様……それにあともう三人の四賢者が、この本山に居を構えている。分かり易く言うと、そのうち一人でもいれば、お前たちを狙っている相手もおいそれと手出しは出来ない。そのくらいの実力者だ」
「……なるほど」
話のスケールが大きくてついていけない。おいそれでなければ手出しできるのか、などと、混ぜっ返すように浮かぶ発想を抑えて。
「あの女性の方の方も、凄く強いんですか?」
「勿論だ。四賢者の補佐は並大抵の奴じゃ務まらない。今日私と戦った男も、葵が相手なら秒殺だったろうな」
……それは凄い。俺たちを勇気づける為に、もしかすると多少誇張を入れているのかも知れなかったが。
「関係者――学園や家族、バイト先には私たちの方から連絡しておく」
本題を進めるためか、先輩の話が事務的な内容の方に移る。
「事情の説明は面倒だからな。辻褄が合うよう専門の奴が上手く説明してくれるし、学園の方は休学扱いにしておけるからその辺りも心配ない」
その話し振りは随分と手慣れた様子だ。……こちらが本職なのだから当然かもしれないが。こうした一面を見せられると、先輩が俺たちとは住む世界の違う人間であることを思い出させられる。
「宿泊用の部屋はこっちだ。着いてきてくれ」




