第一節 賢者たちとの会話 前編
「……ここだ」
千景先輩に先導されること十数分。俺たちが連れてこられたのは、立ち入り禁止になっている廃ビルの一角。
「――【開錠】」
先輩の言葉と共に翳された手が淡い光を放つ。同時に何か、カチャリというような音が扉の中から聞こえてきた。
「入ってくれ」
促されるままに部屋の中へと足を踏み入れる。目の前に広がっていたのは。
「ここは……」
劣化によりボロボロになった壁。床には無数の罅割れが走り、この部屋が何年も手付かずのまま取り残されていたことを示している。天井など、今にも崩れ落ちてきそうだ。
……こんなところに来て、何をするつもりだ?
まさかここが、魔術協会などという大層な名前の場所であるはずもないだろう。
「【起動】」
訝しげに思っている俺の前で、先輩が一言呟きを漏らす。
「お、おおっ?」
「きゃっ!」
その瞬間、罅割れていたはずの床の一部が、燐光を放ち始め――。
――上に十人は乗れるかというような、奇妙な図像が姿を現した。
「……魔法陣、か?」
ジェインの言葉が耳に届く。……そうか。これが魔法陣というものなのか。
言われてみればこれ以上ないほど正確に書かれたと思しき線や図形、随所に書き込まれた読めない文字のようなものがそれらしい雰囲気を醸し出しているようにも思えてくる。
「この上に乗るように。なるべく円の中からはみ出ないようにな」
「は、はい……」
先輩の声に、皆恐る恐るといった感じで法陣の上に乗る。そして俺たちが乗り終えたのを確認してから、先輩も法陣の中に入り――。
「――少し変な感じがするかもしれないが、我慢しろよ」
「お?」
「――【転送】」
その言葉と共に、身体全体が落ち込むような、どこかに向けて引っ張られるかのような奇妙な感覚が全身を襲う――!
「……っ」
「きゃあっ⁉」
体験したことのない感覚に思わずよろける。一瞬のうちに視界が暗転し、再び世界に色が戻って来たかと思うと――。
「――⁉」
――広がっているのは、どこかの建物の内部。辛うじてそのことが分かる。
先ほどまでの荒涼とした廃ビルとはまるで違う、手入れの行き届いた壁面。……石造りと思しき床は磨き上げられており、隅に至るまで鏡の様な光沢を放っている。
「おお? どこだここ?」
「……」
そのリゲルの声に先輩は答えることをせず、ただ一点に視線を注いでいる。その視線を追った、先。
――二人の人物が、俺たちの方に視線を向けていた。
「――ただいま戻りました」
先輩が丁寧に頭を下げる。その態度から、目の前の二人が明らかに高い立場の人間であることが理解できた。
「ご苦労だった、上守支部長」
「……」
先輩が頭を下げた、二人の人物……。一人は威厳ある顔つきの、それでいてどこか温かみがある雰囲気を漂わせたような、老人。髪には白いものが混じり、皴の刻まれた皮膚はその外見に違わぬ長い年月を過ごしてきたことを感じさせる。
そしてもう一人――。先輩の声に何を答えるでもなく佇んでいるのは、扇を手にした女性。こちらの方はそれなりに年若いようだ。見た目だけからすれば二十代か三十代。俺たちとそう変わらないようにも見えたが、立っているだけで感じられるある種の……。
凄みのようなものがあることを考えると、外見以上に年齢は上なのかもしれない。一切の虚偽を許さないようなその視線に晒されていることを意識し、思わず何かに身を隠したくなるような衝動を覚える。
目にした二人の雰囲気は対照的で、それでいて、こちらを畏れさせる威風のようなものは根底に共通しているように思えた。
「さて……」
一言を呟いて、先輩に向いていた老人の目がこちらを向く。
「疑問も色々とあるだろうが、これは最初に言っておかねばな」
その真っ直ぐな瞳で俺たちを見据えた後、老人は確かにそう言った。
「ようこそ、魔術協会へ。我々は君たちを歓迎する」
「――」
――歓迎。
その言葉が出たことで漂っていた緊迫感のような物が少し緩まった気がする。俺たちを助けてくれた先輩の案内で来た場所なのだから、危害を加えられることはないだろうという推測。老人の発言にそれが後押しされたような状態だ。それが例え、魔術協会という得体の知れない場所であっても。
「――自己紹介から行こうか」
俺たちの緊張が少しでも解けたことを察したのか、老人は続けて話を進めて行く。
「私は式秋光。今現在この魔術協会の指導的な立場にある者だ。よろしく頼む」
「は、はい。よろしくお願いします!」
そう言って優雅に一礼した老人に促されるように、フィアが慌ててお辞儀を返す。その態度に少し微笑みながら、老人は次に隣に立つ女性へと俺たちの視線を目で誘う。
「そして彼女が櫻御門葵。私の職務のサポートをしてくれている者だ」
「よろしく」
紹介を受けて、葵という女性も軽く頭を下げる。サポート。
その発言から秘書と言う言葉が即座に連想される。落ち着き払った態度。人当たりの良さというよりは冷静さを強く意識させる立ち振る舞い。勝手なイメージだろうが、それらが俺の中では秘書と言う表現と強く一致するのだ。老人の紹介からしてもそこまで的外れではないだろう……とは思う。
「よ、よろしくお願いします」
フィアがまた慌て気味に頭を下げる。対する女性は無言。応じるように僅かに首を動かしはしたが、依然としてその視線は冷厳さを湛えて俺たちを見つめたままでいる。老人との態度の差異が、少し気に掛かったが……。
目の前の二人が俺たちに害意を持っているわけではないことは、ひとまず信用して良さそうだ。そう判断する。……態度に敵意はないし。
「さて……我々の素性も明かしたところで、まずは事情の説明からだな。上守支部長になぜ君たちを連れて来てもらったか、その理由を話そう」
随所随所で俺たちの様子を確認しつつ、老人がそう告げてくる。話の運び方も丁寧だ。こちらのことをしっかりと見て緊張を解きほぐそうとしてくれているのが伝わってくる。訊いている側が安心させられるような話し方は、経験に裏打ちされたものだろうか。
「そうだな。何から話したものかとも思うが……」
言葉を選んでいるのか、少し考えるような素振りを見せたあと。
「……君たちは最近、何者かに命を狙われたね? それもこの短い期間で、二度も」
――選んだ割には、かなりストレートな物言いで来たな。
だが分かり易いと言えば分かり易い。なぜそのことを――との疑問が一瞬浮かぶが、直ぐに気付く。千景先輩がこの組織の関係者だったというのなら、あの男に襲われる以前から俺たちに目を付けていたのかもしれない。
俺とフィアが千景先輩に出会ったのは登校日初日。リゲルもジェインもそれぞれどこかで先輩と会ったことがあるか、見掛けたことがあるような発言をしていた。何よりあのとき俺たちが襲われているところに先輩が偶然通り掛かったとは、余りに考え辛いだろう。
「君たちの事は少し前から上守支部長に監視してもらっていた。――彼女を責める必要はない」
……やはりか。えっ――と驚いているフィアを余所に、先輩に一瞬目をやる。視線が合った先輩は声にこそ出さなかったものの、どこか済まなさそうな目付きをしているようにも思えた。
「監視と言っても、彼女はただ職務に準じただけだ。協会の中でも最も重要と言える職務に」
「……職務?」
ジェインの疑問符のついた呟きに、老人は頷きを以て応答する。
「この魔術協会は……名の通り、魔術と呼ばれる技法を扱う魔術師たちが所属する組織だ」
――魔術……と来たか。
言葉自体を聞けば普通は冗談か何かかと思うところなのだろうが、現実にそうとしか表現できないような事態に巻き込まれている身ではその言葉をそのまま受け止めるよりない。今更そこを否定することはできないのだ。
「魔術についての具体的な説明はいいかな? 報告では君たちのうち二人は実際にそれを使い、一人にはある程度の知識があるとのことだった」
老人の言葉にハッとさせられる。……リゲルの重力を操る力、ジェインの時間を操る力、知識がある人間というのは俺の事だろう。二人のあの力も魔術と呼ばれるものだったということか?
「私たちを襲った人が使っていたのも、魔術……っていうことですか?」
「その通りだ。君たちは雷の魔術を扱う者に襲われたと聞いている」
脳裏に蘇る、あの男の姿。……翳した掌から雷を放つあの光景は、正しく魔術という言葉でしか言い表せないものだった。
「あの男は協会でもマークしている腕の立つ反秩序者……彼女がいなければ、危ないところだっただろう」
……反秩序者?
またも聞き慣れない単語が出て来たことに疑問を覚えるが、今は口を挟むべきときではないことを意識し、言葉を飲み込む。
「君たちはそれこそ身を以て分かっていると思うが、魔術というのは強力な力であると同時に、ある種危険な力でもある。各人が思い思いにその力を振るえば、世の中には混乱しか訪れない」
――確かにそうだろう。俺たちの中で魔術を扱うのはリゲル、それにジェインだが、どちらも悪用しようとすれば使い道など幾らでも浮かんでくる。……二人の力は共に日常の中では想定すらされていないようなもの。
何も二人に限った話ではない。魔術を扱う人間は皆、普通の人間にとって思い描く想定の範疇を超えている。それが悪事に利用されたとき、どれほどの被害を出すことになるのかは容易に想像がつけられて。
「我々魔術協会はそういった事態を防ぐため、魔術師としてあるべき姿と守るべき秩序を提唱し、同時に魔術の使い手にそれを教える役割を担っている。年若いうちに魔術の素養があると分かった場合は別だが、君たちのようにある程度の年齢で魔術を扱えると分かった者に対してはその動向を監視しつつ、機を見てなるべく早い段階でこちらに来てもらうことになっているのだ」
……なるほど。
はいそうですか、と納得できるような心境でないことは確かだが、老人が語る内容には聞いていても一応の理屈が通っているように思える。千景先輩は元々そういった役割を持ってあの学園にいた……ということか。
「ただそうだな。気付いているとは思うが、今回君たちに来てもらった理由はそれだけではない」
――来た。今までより一層老人の言葉に意識を集中させる。……今までの説明なら、知識はあれど魔術師でない俺、そもそも魔術の欠片さえ知らないようなフィアはここに連れてくる対象から外れているはずだ。
なぜ俺たち四人がこの魔術協会とやらに連れて来られたのか。ここから話される内容が、それについての本題ということになる。
「単刀直入に言えば、君たちを連れて来てもらったのは、君たち自身を守るためだ」
――守る? 何からだ――と思い掛けるものの、直ぐにその答えは浮かんでくる。
「先に確認した通り、君たちは今回何者かに二度も命を狙われた。そして誰が君たちを狙っているのかという情報を、我々は既に掴んでいる」
「――⁉」
やはり。そう思った直後に予想外の言葉が出たことで、不意を突かれた形になる。……俺たちを襲ってきた二人の男たち。その正体を、目の前の老人は知っているということか?
「だからこそこうして君たちを連れて来てもらったというわけだ。……此処にいる限り、君たちの安全は我々が責任を以て保証しよう」
「……」
俺たちの間に流れるのは、沈黙。――冗談などではない。目の前に立つ老人の言葉は、確かな重みを持って俺たちの心に響いてきた。
そして何より、俺たち自身が今正に老人が言った通りの経験をしてしまっていることこそが。……それを生半可な態度で茶化すような真似を、否応なく俺たちに禁じていた。
「……」
この老人の言葉は事実。俺たちが置かれている状況も、連れて来られた理由も。
ただそうだとすると一つ、気になることがある。
「……どうして、俺たちを守るんですか?」
そのことを問う。
「見ず知らずの貴方たちに、そんなことをする義理は――」
「それが我々、魔術協会の責務だからだ」
返された回答は端的で。
「我々は力を管理する立場だ。管理するべき力によって悪道が為されるとすれば、我々はそれを防ぎ、いつの日か絶やさなければならない」
「……」
瞳に映るのは揺るぎない強い意志の光。この相手は嘘を言っていない。そのことを直感的に理解する。
「……現実的な保護の面でも、安心して貰って結構です」
それまで沈黙のまま、こちらを見つめているだけだった女性が不意に口を開く。
「この本山は私たち魔術協会の中核。施された仕掛けだけでも不落の守りを誇り、かつ秋光様方四賢者が常駐しておられます。まかり間違っても、内部にいる者に手出しはさせません」
「……その、四賢者ってのは?」
こちらもまた、強い言葉だ。あくまで落ち着き払ったままその言葉を口にしているところに、言葉では言い表すことのできない凄みを感じる。気迫に遠慮がちになりながらも訊いたリゲルに。
「総勢数千万人以上が所属する魔術協会でただ四人選ばれる役職。それが四賢者だ。協会の指導者と言っても良い」
「――」
先輩の説明。それを聞いて、自分たちの前に立っているのがどれだけの大物なのかと言うことがよく分かってくる。終始冷静だったジェインも、これには驚きを隠せていないよう。
「特に秋光様は、現四賢者の中でも筆頭を担われている。《救世の英雄》とも呼ばれている方だ」
「――っ、マジかよ」
「す、凄い方なんですね……!」
「……救世の英雄?」
――素直に驚きを見せるリゲルとフィアとは対照的に、言葉の語尾に疑問符を付けたジェイン。口にはしなかったが、現実味のない大仰な二つ名だなと、そんな風に冷静な思考を働かせているのかもしれない。正直な話、俺も似たような感想だ。英雄だけならまだ分からないでもないが。
「……信じておられないようですが、全て事実です」
救世の、とは、幾らなんでも大袈裟すぎないだろうか。そんな俺とジェインとの反応を見咎めたように、葵と名乗った女性が口を開く。
「秋光様は十年前のとある戦いの功労者。その戦いでの勝利が無ければ、私も貴方たちもこうして無事言葉を交わすことは出来なかったでしょう」
「――ッ」
「……そんな話を彼らにしたところで、信じられるものでもないだろう」
老人の言うように、女性から告げられたのはまるで冗談のような内容。しかしそれに付随した冷徹とさえ言えるどこまでも理性的な眼差しに、思わずジェインが微かに息を呑む気配が伝わってくる。……やや窘めるように。
「二人とも、余り私を持ち上げるようなことは言わなくていい。私がそのような名前で呼ばれるに相応しい人間でないことは、この自分が一番よく分かっている」
「ですが……」
「昔の話だ。それにその名は私一人にではなく、あのとき共に戦った仲間たち全員へ与えられるものだ」
更に何かを言い掛けた女性を遮る形で牽制する老人。――謙遜、とは少し違う。皮肉や嫌味では当然なく、あくまで本心を語っているだけというような素朴な口調。大袈裟な呼称にも拘わらず、この老人ならそう呼ばれていてもおかしくはない。……なぜか、そう感じてしまっている自分がいる。
……だが。




