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第二十節 誘い


「――示さん」


 ……。


「――泉示さん」


 ……なんだ?


 また。誰かが、俺の名前を呼んで……。


「黄泉示さん!」

「っ!」


 ――フィア。


 声の主の正体が分かったとき、一息に意識が覚醒する。急激に頭に入ってくる匂い、痛み、感触。身体を動かそうとするが、手足がやけにだるく重い……。


「う……」

「……黄泉示さん?」

「……ああ」


 見上げた先に。逆さまに映っている、フィアの顔。


「おはよう、フィア……」


 それを見た瞬間ホッとして、自然と挨拶が口から零れ出てきた。


「……よかったです。黄泉示さん、突然倒れて。どこか怪我してるのかと……」

「――蔭水、気が付いたか」

「……ジェイン」


 新たに視界に入ってきたジェイン。その表情を認めながら起き上がる。ここは……。


「……俺の、家か?」

「はい。一番近かったのと、何かあったとき直ぐに寝かせられる方が良いと思って。……済みません」

「……いや」


 自分の部屋だ。鍵は机の上においてあります、との台詞。動かした瞳に銀の輝きが目に入る。……俺のポケットから出したのかと、ぼんやりとそんなことを思った。


「……リゲルは?」

「ああ。大丈夫だ。今は先輩と向こうの部屋にいる」

「……先輩?」

「千景先輩も一緒に来たんです。大事な話がある、とのことで」

「君の容態を診てくれてもいた。今はリゲルを診ているようだがな」


 ……先輩。


 そのワードで何があったのかが急速に思い起こされてくる。……そうだ。俺たちは。


「……あのあと、どうなったんだ?」


 皆が無事ということは、少なくとも先輩は負けはしなかったのだろうが……。


「あの人には、逃げられました」

「逃げられた?」

「はい。千景先輩は私たちを守りながら戦ってくれて。……私たちに怪我はなかったんですけど、その分攻め切ることもできなかったみたいで」

「分が悪いと見たらしい男が、僕らに大き目の一撃を放った。先輩がそれを防いでいる間に、男は消えていたというわけだ」

「……そうだったのか」


 殺されるところだったのを救ってもらい、守ってまでもらった。先輩には感謝してもし切れない。


「ところで、蔭水の方は――」

「――どうだ? そっちの方は」


 ジェインの言葉の中途に聞き慣れない声が割り込んでくる。現われたのは。


「起きてるな」

「良かったぜ。無事目が覚めてよ」


 千景先輩と、何故か上着を脱いでいるリゲル。二人とも一見して大事はない。フィアの言う通り無事だったのは良い事で、そのことに安堵しているのは確かなのだが。


「――腕、どうしたんだ?」


 どこかその姿に違和感があるように感じたことの正体。どうした、というのは妙な表現だったかもしれないが、俺としてはそう尋ねるよりなかった。……老人に傷を負わされた左腕。シャツの上からでも分かるほどしっかりと巻かれていたはずの包帯が、綺麗さっぱりとなくなっているのだ。


「いい質問だぜ黄泉示。こいつはだな――」

「私が治した。大分深めの刺し傷だったし、自然治癒には時間が掛かりそうだったからな」

「っ……」


 話し始めようとした矢先を先輩にキャンセルされ、口を開いたまま動きを止めるリゲル。……治した? あの傷を――。


「……絵に描いたような間抜け面だな」

「うっせえ。黙っとけジェイン」

「……本当に治ったのか?」

「ああ。ほらよ」


 袖を捲り、見せられた左腕。確かに傷があったはずの箇所は、その他の場所と見分けがつかないくらいに何の痕跡もなくなっている。――完治している。それも恐ろしいほど綺麗にと、そのことを納得するしかなかった。


「悪いな。珍しい症状だったから、蔭水の方で私ができたことは余りなかったが……」

「ああ……いえ、別に」


 少々事態が飲み込めないまま曖昧な答えを返してしまう。あれだけの傷がこうもあっさりと消え去ったことに戸惑ってしまったが、済まないも何もこちらは窮地を助けてもらった身。先輩が頭を下げる理由などどこにもない。寧ろ俺たちこそ礼を言わなくてはならない立場だろう。


「――有り難うございました」


 上体だけを起こした状態で、遅ればせながら頭を下げる。


「助かりました、本当に。先輩が来てくれなかったら……」

「そんなに鯱ばらなくていい。礼ならもう、この三人から充分すぎるくらい受け取ってる」

「え?」


 思わず皆を見る。驚くことでもないだろう――と。


「命の恩人に礼を言うのは当然だかな」

「あのままならマジでヤバかったからな……礼なら幾ら言っても言い足りないぜ。全く」

「はい。本当に、どうなることかと……」


 言う三人。……確かに、考えてみればそうか。


「それで――」


 ジェインが言い出す。


「蒸し返すようだが、蔭水こそ調子の方は大丈夫か?」

「……ああ」


 少し考えてそう答える。いきなり倒れてしまったわけだが、原因については自分でも心当たりがあった。


 ――【魔力解放】の副作用。この技法は体内の魔力を一時に解放するため、使用後には動けなくなるほどの疲労と虚脱感が伴う。……初めてこれを発動させたときも同じ感じだった。そんなところまで再現している自らに苦笑する。使用を繰り返していれば、多少は慣れるようになるのだが。


「……さっきの技の副作用だ。疲労みたいなものだから休めば回復すると思う」

「そうか。やはり先ほどのあれは、相応のデメリットがある技だったんだな」


 これだけ間隔が空いていればなと。どこか自嘲気な思いと共に、込み上げてきたのは申し訳なさ。


「……黙っていて済まなかった。発動させられるかどうかが微妙で……」

「いいさ。もう知れたわけだからな」

「結果オーライってな、気にすんなよ」

「……」

「――さて」


 俺たちの話がひと段落したとみたのか、一つ咳払いをして注目を集めた先輩。


「起きたばかりのところで悪いが、お前たちに着いて来てもらいたい場所がある」

「……!」

「え――」

「全員の安全に関わる話だ。着いて来てもらえるか?」


 その問い掛けに一瞬躊躇う。……先輩の表情は真剣そのもの。ここで、嫌だと答えたところで。


「……分かった」

「――ジェイン」

「正直な話、先輩のことを完全に信用したわけじゃないがな」


 頷きを返したのはジェイン。俺の声掛け、リゲルの顔向けに、分かっているさと眼鏡を押し上げつつ。


「ただ、話が僕らの安全についてとなれば着いて行かないわけにはいかない。それにもし僕らが断ったとしても余り意味はなさそうだ」


 ……そう。


 ジェインが言ったことは俺も考えていた。俺だけではなく、誰の認識もそうだろう。


 あの男から俺たちを守りながら退却させたことも、リゲルの深手を跡形も無く治してみせたことも。……どちらも俺たちの力量を超えた芸当。抵抗が無駄だということは、これ以上ないほどに分かっている。


「……そうしてくれるとこっちも助かる」


 どこか安心したように言う先輩。――この空気。直接言葉にはしていないが、何となくは分かる。


 恐らく俺たちをそこまで連れて行くことが、先輩の役目なのだろう。そしてもし自主的に俺たちがそれに従わないなら、力づくであっても――。


「案内しよう。――私の所属する組織、魔術協会へ」












「……」

「――漸くか」


 男の隣で晴れ晴れした笑みを口元に浮かべているのは、狂覇者。四人の王が揃う場にて。


「流石に謹慎は退屈だな。コッキーの奴が相手をしてくれなければ、実に――」

「――確認が取れた」


 主導を執るのは魔王。深紅の瞳をした幼き少女。その揺るぎない風格と厳格さは、初めて男を迎えたときと今とで一寸も変えられていない。


「器の方のな。だが問題もある。支部長が動いた」


 その口から続けられた意外な台詞に、一瞬の男の胸中を驚きが過った。


「……二派の使い手がしくじったのか?」

「なんだ。魔王派も冥王派も、揃って情けないことだ。初めから俺のところに任せておけば良かったものを」

「半端者は黙っていなさい」

「……」


 沈黙を保つ冥王。男の見つめる先。狂覇者による介入を執り成すように、魔王は頷き。


「器の周りに複数人の技能者がいる。時、重力、かの蔭水の一族。加えて」

「器自体から妙な気配を感知したとのことです。そこを戸惑っている合間に、支部長に出張られたとか」

「……」


 聞く次第から思惟を進める。……つまりは支部長が器たちの身柄を確保したと言うこと。そして今回のような場合、協会の対応は決まっている。


「……技能者たちごと器を押さえられた以上、匿われることは不可避だな」

「そこで信用ついでに、お前の意見を訊きたい」


 男の言が真実ならば差し迫る事態であるにも拘らず、些かも揺らいでないのはこの少女。その胸の内を推察して、男は内心で思わず笑みが浮かべる。


「――簡単なことだ」


 求められている内容が明らかであることに男は玲瓏な声音を発する。三大組織の一角たる魔術協会。その総本山の守りを、いかにして突破すると言うかだ。


「相手が守りを固めたのならば、それ以上の力で押し通ればいい」

「――ほう」


 単純明快に述べた男の台詞に狂覇者から愉快そうな声が上がる。


「実に良いな。正面突破とは、つくづく俺好みだ」

「――貴方は黙っていなさい」


 戸を閉めるが如くに言い放ち、賢王が男へ眼差しを向ける。


「それで? それだけの大口を叩いてみせるからには、何かしらの策はあるのでしょうね?」

「当然だ」

「確実性は?」

「四賢者二人以内なら、百と言っていい」


 告げた内容に賢王が眉を顰める。常識を足場にして考えるなら、それが常套の反応だろう。


「余りに盛り過ぎではないですか? 詰まらないブラフであれば」

「――そうか」


 賢王が口早に言の葉を紡ぎ出す寸前、その先を抑えたのは少女の威厳。


「ならばこちらから言うことはない。お前の策とやらを聞かせてもらう。――いいな?」

「……」

「ああ」

「――私から一つ提案が」


 無言、首肯と続いた冥王と狂覇者に続き、わざとらしく手を上げて見せたのは賢王。


「報告によれば、器の群れにはそれなりの素養を持っている者も含まれている様子。器は間違いなく砕くとしても、それ以外の沙汰は問題にならない」


 男を見据えた――宝玉のような瞳が、浮かばせる笑みに歪められた。


「その他を我らがどう扱おうとも、それは貴方の関与するところではないですね?」

「……好きにすると良い」

「決まりだな。畢竟、場所を移すとするか」



第三章はここまでです。次節から第四章に移ります。

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