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第十七節 順調な風 後編


「――よし」


 フライパンから慎重に盛り付けた形を見て、頷く。……はみ出しても崩れてもいない。これならば――。


「お、殆んど完璧じゃねえか?」

「そうですね。あとは――」

「味の方か」


 皿の上に鎮座するオムライスを交互にフィアたちが試食する。飲み込まれるまでの時間。審判を待つように、掌に力が入り――。


「――美味いな」


 緊張を解いたのは、ジェインからのそんな端的な一声。続く二人も。


「……うん、美味しいです」

「――本当か?」

「嘘ついてどうすんだっての。食ってみろよ」


 促されるまま自分でも食べてみる。……外側を包んでいる卵は、とろけ具合が丁度良い。


 ケチャップライスは甘すぎず薄すぎず、玉ねぎと鶏肉と合わさって互いの旨味を引き立てている。三人から教わった通りだ。これは……。


「……美味いな」

「だろ?」

「これで取り敢えず、オムライスは作れるようになったな」


 ――よし。


 グッと拳を握りしめる。三人によるチェックをどうにかクリアした。自分で作った料理は美味いという、その意味を漸く知れた感じだ。そして――。


「……!」


 隣に並べられた二人の料理を食べて舌鼓を打たされる。……美味い。その感想自体は初日のそれと変わりないのだが、何と言うか。


「……上手くなってないか? 二人とも」

「――カタストさんがいるからな」


 ブイヤベースを口へ運び。自分でも上達を確認したらしい、ジェインが言う。


「これだけ近くに手本にできる相手がいることは大きい。学ばせてもらった、色々と」

「ま、そうだな。俺もフィアの料理を食って、より上を目指そうと思えたぜ」

「そんな……」


 分かり易く照れているフィア。……お世辞ではない。二人がこれだけ上達した今になってもやはり、一番美味しいと思えるのはフィアの作った料理なのだ。なんというか。


「なんつうか、俺らのとは一味違えんだよなフィアの料理は」

「レパートリーも大したものだしな。僕も調理には気を遣っているつもりだが、微妙な処理の仕方や、心遣いの点で差を付けられているのかもしれない」

「お二人とも、そこまで……」


 自炊をしていたというリゲルはカレーや炒飯、シチューやオムライス、パスタなどガッツリ飯、主食というような料理。ジェインは厨房に入っていただけあってビーフストロガノフや各種スープ、アクアパッツァなどのある程度凝った料理も作れる。余り物、残り物などを使っての調理も二人とも上手いが、フィアは。


「いや……実際凄いよな」


 和洋中全てにおいて隙がない。マイナーな国の料理などは分からないが、大体俺たちの思い付くようなメニューは全て作れるといった感じだ。記憶喪失であるにも拘らず……。


 此処に来てからフィアの披露したレパートリーは今日まで一つも被ってはいない。しかも全てハイレベルで美味いから驚きだ。味覚に痛烈に訴えてくるというよりはどちらかと言えば家庭的な印象、素朴な味付けが多いとはいえ。


「もう、黄泉示さんまで」


 口ではそう言っているものの、満場一致で褒められているフィアは嬉しそうでもある。……今はその笑顔を見られることが嬉しいと。


「褒めても何も出ないですよ。本当に」


 心の内で、そんなことを思っていた。





「いやあ……」


 バイトを終えたタイミング。制服から着替えて出て、いつものようにお疲れさまでしたと言ったところで。


「正直始めの頃は、どうなるかと思っていたんだがね」


 感慨深げに言う店長。並んでいる俺たちを真っ直ぐに見つめ。


「様になって来たよ、全員。今の君たちなら、正式に仕事を任せられそうだ」

「……!」

「……マジですか?」

「マジもマジ、大マジさ。アービン君も、始めは笑顔が硬くてしょうがなかったが――」


 変装したリゲルを見て、ふっと目を細める。


「今では大分自然な表情で笑えるようになってきた。お客様への言葉使いも、きちんとしてきたようだしね」

「――あざっす」

「蔭水くんは」


 不意に名指しされて少し姿勢を正す。……どうだ。


「少し雰囲気が暗いと思っていたが――最近は明るくなってきたね。真面目なまま速くなった仕事ぶりは、こちらとしても安心できる」

「……ありがとうございます」

「レトビック君の仕事は相変わらず見事だし、カタストさんの丁寧な仕事にはこちらとしても頭が下がるよ。その上料理までできるとは」

「いえ……」


 謙遜するように笑うフィア。――そう。料理の腕がかなりのものだと分かってから、フィアはジェインの勧めで調理も手伝うようになっていた。四人中最高峰の腕前はこの場所でも如何なく発揮され、店長からも当然更に高い評価を受ける身になっている。


「これでフロアの方の仕事もこなせれば、正に完璧。パーフェクトなんだが……」

「す、すみません」

「いや、良いんだ。無理はするものじゃないし、私が一方的にそう思っているだけだからね」


 それでも少し残念そうな店長の様子。わけはなんとなく分かる気がする。俺が言うのもなんだが……。


 フィアの制服姿は控えめに言ってかなり似合っている。――ぶっちゃけるとかなり可愛い。接客としてフロアに立てれば店の新たな看板にまでなれるかもしれないと、そう思っているかどうかは分からないが。


「一応は試用期間ということになっているが、正式にシフトに入りたければいつでも言ってくれたまえ。歓迎するよ」

「――ありがとうございます」


 多分そう遠くはないだろう。そつなくお辞儀をするジェインに倣い、俺たちも頭を下げる。


「いやいや。それじゃあ、皆また明日」




「……なんか」


 店からの帰り道の最中、変装中の姿で零したリゲル。取り出したサングラスをかけ。


「感慨深えよな。ああやって、自分のやってきたことが誰かに認められるってのは」

「……そうだな」


 初めてのバイト。内容としては小さなことかも知れないが、それでも……。


「嬉しいですよね。自分が、誰かの力になれてるって思えると」

「まあ、あの店長は特にできた人だからな」


 フィアの台詞を受けてジェインが言う。


「店長としての実力もあるし、正規でもない試用のバイトにも真摯に対応してくれる。そうじゃない場所も山ほどあるさ。経験から言えば、そちらの方がずっと多いくらいかもな」

「そうなのか?」

「ああ。僕が経験したり、聞いたりした中で言うと――」


 幾つかのエピソードが語られる。半分笑い話のようなものもあったが、中には。


「……酷いですね」

「まあな。幸いというべきか、僕はそれほど大事には遭わずに済んできたが」


 皆まで言わない。ぼかされた言葉の先は、敢えて訊かずにおく。


「そこで動くとなれば、その場所がどうなのかある程度は自分で判断する必要がある。得るものがないと思えばすっぱり辞めたって構わない」

「ま、そりゃそうだわな」


 ジェインの語りに珍しくリゲルが意見を同じくする。


「ボロボロになるだけの場所にいたって仕方がねえ。その時間で別の事をやった方が遥かにマシだぜ。そゆことで――」


 リゲルが取り出して見せたのは、店長から今日渡された分の給料袋。ジャラジャラと鳴らして。


「あの店じゃあきっちり、得られるものがあったってことだがな」

「……確かに」


 俺も袋を取り出して持ってみる。試用期間ということもあって時給は決して高くはないが、これまでの分の合計なのでそれなりの金額にはなる。……初めて自分の手で稼いだものなのだと考えると、実際の重さだけでない、相応の重みも感じられるような気がして……。


「――ケーキでも食ってかねえか? 初バイト成功を祝して、奢るぜ俺が」

「え……⁉」

「浮かれるな馬鹿が」


 指で自らを指し示すリゲルから発されたのは、至極普通の誘いであるように見えて俺たちにとっては全くそうでない台詞。咄嗟には言葉を返せずにいる俺の前で、叱責するように言ったジェイン。


「長めの外出はリスクが高い。命を無駄に危険に晒すつもりか?」

「この時間なら大丈夫だろ。日が落ちるまでにはまだあるし、人もワラワラ。襲うにゃ不向きすぎんよ」

「……それは」


 そうかもしれない。日は大分傾いてはいるが、街中にはまだ多くの人々が行き交っている。時刻を見ても日が落ち切るのはあと一時間先。流石にあの老人が襲ってくるようなことは……。


「リスク管理も大事だけどよ。それで色々と縛ってちゃ、魂の潤いってもんが擦り減っちまうぜ。なあ?」

「え、ええと……」

「……蔭水も同じ意見か?」

「……まあ」


 俺とフィアとが傾きかけているのを見て、ジェインが溜め息を吐く。眼鏡を上げ。


「今から五十分厳守なら構わない。――あと、お前に奢られるのは御免だ。自分の分は自分で出す」

「おーおー、向きになっちゃってまあ」

「あ、俺も遠慮しとくよ」

「私も……」

「マジかッ⁉」


 俺とフィアの言葉に軽くショックを受けたようなリゲル。芝居がかった仕草でよろよろとふらつき。


「そうか……その筋の輩の施しは受けねえってか。ふっ……」

「ええと、そうではなくて……ですね」

「俺もバイト代を使いたいんだ。折角自分で稼いだものだから」

「……なるほどな」


 ニヒルな笑みから一転して目を閉じるリゲル。分かるぜというように頷いてから目を開け。


「――いよっし! そういうことなら、いっちょ奮発して良いケーキでも食いに行こうぜ! 給料が吹っ飛ぶくらい高え奴!」


 早くも覇気を取り戻している。良いケーキと言っても――。


「そこの通りを一つ行った先に、美味いケーキの店がある」


 ドンピシャのタイミングで言葉を発したのは、ジェイン。手には素早く操作したと思しき携帯端末。


「以前バイトしていたことがあるからな。評判を見るに、今でも味は変わっていないはずだ」

「――やるじゃねえか」


 いつにない笑みを交わし合う二人。軽く拳を合わせる姿に、俺たちも自然と笑みが零れ――。


 ――その後ラスト一個となっていた限定ケーキを巡って、ひと悶着あったのは別の話。



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