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第十五節 二人の間

 

 ……それから。


「んじゃ、いつも通りにストレッチな」


 リゲルの指示に従って、慣れてきた姿勢を取っていく。……そろそろ一人での部分が終わる。ここからは二人一組になって進めるのだが。


「……」

「……フィア?」


 文句を言い合いながらも普段通りに組んだリゲルたちと異なり。……俺と組むはずのフィアの反応が、芳しくない。どこか他へ気を遣っているようで――。


「――あ、ええと……」


 俺を見て、リゲルとジェインの方をチラリと見たあとで仕方なく下げるような頭。分かっていても地味にグサリと来る対応だ。


「済みません……お願いします」




 ――料理指導時。


「そんな調子だぜ。んじゃ、次は――」

「――焦げ臭くないか? なにか」


 包丁捌きについてリゲルの指導を受けている最中、鼻をひくつかせたジェイン。……確かに。どこからか、何かの焦げるような臭いが――。


「――あっ!」


 気が付いたといったように走り出したフィア。コンロに置かれたままのフライパンを掴むと、素早く火の上から退かしてスイッチを切る。的確な対応ではあったが……。


「ああ……」

「あー、こりゃやっちまったな」


 俺たちの前にあるのは、フライパン上で見事に黒焦げになった魚。中まで真っ黒というわけではないので、外側を削れば食べられないことはなさそうだが。


「ご、ごめんなさい! 折角のお魚を――!」

「んな気にしなくて良いぜ。わざとじゃねえわけだし、ここんとこ忙しいからな。ぼーっとしてるときくらいあんだろ」

「……済みません……」

「……」




「――最近、カタストさんの調子が今一つだな」


 遂にジェインからそんな話が出たのは学園。昼飯の途中でフィアが席を外したタイミング。


「今日の朝飯でもコップを倒してたしよ。根の詰めすぎなんじゃねえか?」

「……」


 出された話題にリゲルも頷いている。……フィアの様子がおかしいのは確かだ。


 バイトのときでさえ、皿を落として割ってしまったことで店長に平謝りしていた。そこまで高い食器でもなかったのと、フィアの普段の仕事ぶりが良かったために赦してもらえたが……。


「いっそ今日のトレーニングは休みにするか? 疲れて怪我でもしたらヤベえし」


 大事に繋がりかねない恐れがある以上、このままにしておくのが良くないのは明白。原因と思しき事柄も……。


「……まあ、概ね予想はつくがな」

「あ?」


 意味あり気に言って、購買で頼んだミルクティーのストローに口を付けながらジェインが俺の方を見る。


「原因は分かっているのか? 蔭水」

「……多分」

「――なるほどな」


 既に食べ終えられたバーガーたちの残骸。包みの上で手に付いたパンくずをパンパンと払い落としたリゲルも、理解したという風に頷いた。


「黄泉示絡みか。なら仕方ねえな」

「カタストさんがあの調子だと、僕らの側にも色々と支障が出る」


 参ったと言うように手を上げて、真っ直ぐ合わせてくるジェイン。


「早目にどうにかするに越したことはない。任せていいか? 蔭水」

「――ああ」


 立ち上がる。今なら丁度戻ってくるフィアと話せるはずだ。そう思って歩き出した背中に。


「――黄泉示!」


 掛けられた声。振り返った俺の目に映ったのは、サングラスを外した決めポーズのリゲル。


「覚えとけよ。ここじゃ、恋には手段を選ばなくて良いことになってんだぜ」

「――分かった」


 何を言っているのかさっぱり分からないが。素晴らしく良い笑みのリゲルの後押しを受けて、屋上をあとにする。階段を降り――。


「……」


 ……どこだ?


 そこで思う。そろそろ戻ってきていると思ったのだが、フィアの姿が見えない。ここで待つしかないか……。


 とは思ったものの、そこまで広くない階段の前に立っているのはどう考えても邪魔になる。ひとまず対面の壁際辺りで待っていようかと、考えつつ歩き出した――。


「――っ」

「うっ⁉」


 瞬間。角から現われた人影に激突する。足音も何も聞こえなかった。互いに避けようのないまま、制止も効かずに。――しまった。


「っ、――済みません」

「……」


 どちらも倒れはしなかったが。衝撃を受けて少しよろめいた相手は学生と思しき女性。大丈夫かと思う俺の前で、その長く青い髪を揺らしながら俺の方を向いた。射貫かれるような鋭い眼差し。だが、それ以上に。


「――あなた」

「――っ⁉」


 ――綺麗だ。合わせられたのは洞窟の中でできた氷のような冷厳な美しさを持った瞳。フィアとは違った、モデルのような近寄りがたい美しさ。その色素の薄い唇から、いきなり呼び掛けられたという事実に身体が固まる。力強い声。


「前にも、図書館で会ったわね。あのときはぶつからなかったけど」

「え……っ」


 思いがけない言葉に記憶を辿る。……図書館、図書館。


「あ……!」


 あのとき。フィアと一緒に図書館を見に行ったとき、危うくぶつかり掛けた女性だ。神学の本を持っていた……。


「レジャー施設にいるところも見たわ。今は……」


 一人みたいね、と。俺の周囲を見回した言葉の先を続け、意味ありげな目を向けてくる女性。誘うような、だが雰囲気としては肉食獣に見据えられているかのような鋭い気配に、息を呑む。何を――。


「少し、話がしたいのだけど――」

「――悪い」


 手が伸びる。混乱の中で突如として聞こえてきた静かな声。まるで金縛りが解かれたかの如く、唐突な勢いで首がそちらの方を向いた。


「――」

「異性交遊なら余所でやってくれないか。そこを塞がれてると、屋上にいけない」


 声の主は、そのハスキーなボイスからは想像もできないほど小さな背丈を持った学生。……いや、この人は。


「す、すみません」


 以前屋上で見た人物だ。……煙草を吸っていた、リゲルに依れば先輩だとかいう。そのことを理解して場所を空ける。確か、名前は――。


「――チッ」


 突然の舌打ち。思い起こしの中途で思わず目をやった俺の前で、女性は怨敵にでも出くわしたかのような刺々しい目付きを先輩へ向けている。その豹変に対する驚きを示す間もなく。


「……」


 なにも言わずに。俺には目もくれずに立ち去っていく女性。その背を少し見送る小さな背の先輩は、俺の方に表情の読み辛い一瞥を向けたあとで宣言通り屋上へと昇って行った。……何だったんだ? 今のは。


「……」


 動悸はまだ治まっていない。……フィアはまだ戻って来てはいない。もしかすると他のルートから戻ったのかもしれないと、そう努めて平静を取り戻すように考える。今し方の出来事の衝撃からまだ冷めないまま、ひとまず誰もいなくなった廊下へと背を向けた――。




 ――その後。


「うーし。んじゃ、俺らは先行ってるぜ」

「急がないから、二人ともゆっくり来てくれ」


 結局学園にいる間には話す機会を得られず。家に着いた途端、早々に先へ行ってしまうリゲルとジェイン。気を利かせてくれている、そのことをこれ以上ない後押しに。


「――フィア」


 部屋に戻ろうとする背中に声を掛けた俺の言葉に一瞬、ビクリとフィアの両肩が跳ねる。……やはり意識はされているようだと、確信に続き更に言葉を重ねた。


「その……この頃のことなんだが」

「……はい」


 何についての話なのかはフィアの方も分かっている。反応から窺えたそのことを足掛かりに、本題へと切り込んだ。


「――あの件が原因なら、気にしなくていい。俺も――」


 気にしていない、と続けようとして、しかし事実とは異なることに声が止まる。……気にするなという方が無理な話だろう。色々な意味で……。


 ……しまった。


「……黄泉示さんは」


 早くも計画が頓挫。思わずして無言になってしまった俺に対し、フィアの方から声が掛かってくる。


「気にしてないんですか? その……」


 言葉にならず胸元にやられた手。流石の俺でも、その意味くらいはなんとなく分かるつもりだ。


「……してないと言えば、嘘になる」


 そこを誤魔化すわけにはいかない。覚える決まりの悪さを堪え、その先へ。


「ただ、俺としてはその……」


 言わなくては意味のない事柄。自分の中にあるストッパーのような歯止めの感覚を乗り越えて、違わぬ感想を声に出した。


「……あのとき凄く、安心したような心持だったんだ」

「安心……」

「ああ」


 呟くようなフィアの台詞に同意の意を込める。――酷く落ち着くような気持ち。不安も恐怖も一切を、掻き消してくれるような。


「あのときは正直結構参ってたから、あのときああしてくれて、助かった。……感謝してる。その、変な意味じゃなくて……」


 しどろもどろになった後半。伝えたいことは捉え損ねていないはずで、ただ、フィアにどう受け取られるかを思うことで余計な付け足しを重ねてしまっている。自分にとってもそれがどうしようもなく――。


「そう……ですか」

「……」


 それっきり黙るフィア。失敗か成功か。事態がどうなったのか分からない待ちの時間に、耐え切れなくなって口を開く。


「……なにかあるのか? 他に……」

「いえ、その……」


 応えてくれたことに安堵しつつも、次に続けられるフィアの言葉の現われに構えた。


「ホッとしたというか、……少し、気にして欲しかったようなというか……」

「……どっちなんだ?」

「上手く、言えないんですけど……」


 また沈黙。先ほどとは違うどこか小恥ずかしい空気に、いたたまれず指を動かしている自分。……フィアも同じなのかもしれないと、ふとそんなことに思い至り。


「……でも」


 紡がれた声の音に、視線の先にいる彼女をしっかりと見た。


「こうして改めて話していたら、――なんだか、吹っ切れた気がします」


 口元に浮かべられるのは、柔らかい、穏やかな微笑み。ここ最近では見せることのなかった表情に、胸を撫で下ろし。


「行きましょう、黄泉示さん」

「……そうだな」


 今日はバイト前にする早目のトレーニングだ。リゲルとジェインが待ちかねているだろうことを思い、俺はフィアと、並んで奥へ向かった。









「――おう」


 激しい金属音が鳴り響く激戦の最中。何かに気付いたらしい、大男が不意に自分から距離を取る。


「時間か、忘れてたぜ。――ここまでだな、お嬢ちゃん」

「……」


 豪放磊落な笑みを向けた先で構えを保っているのは、一人の少女。飾り気のない短い髪。両腕に装着された金属製の手甲から飛び出す大振りの刃物が、その端正な可憐さを無骨さで以て削ぎ落としている。


「しっかしまあなんだ。若い割に、中々にできるな」


 鋭い中にも好意的な目を向ける。……よく見れば男の骨太な両腕の皮膚には、今し方の戦闘で刻まれたと思しき線が数筋、皮一枚で入れられていた。


「正直言って期待以上だ。できればガチでやり合って楽しみたいところだが……」


 今一度男は少女の全身を見る。瞬きもせずに見据えるその瞳から放たれる殺気は、今なお一片たりとも薄れてはいない。顕にされた太腿、踏み込むように脚へ力がこもり――。


「――誘ってんのか? その短いヒラヒラは」


 軽口の虚を突くように後方から飛来した狙撃弾。ヘッドショットを狙ったそれを見ないままに頭の位置だけを変えて男は躱し切り――。


「ッ――!」


 起こされた強烈な閃光と轟音がその不敵な笑みを消し飛ばす。着弾点からの光に照らされて動きを止めている影に向けて、間髪入れず少女が一足飛びに切り込んだ。


「――ッ」


 ――そのブレード。男の喉首目掛けて突き出された鋭利な刃が、漆黒のブーツによる蹴りで弾かれる。流れた体を取り戻すように跳びつつ追撃の蹴りを防御する他方の手甲。


「――おうっ?」

「――退いて下さい」


 少女の見据える先に立つのは、一人の若い女性。角ぶちの眼鏡。ビジネススーツを纏う姿は、まるでどこかの秘書のようにも見える。


「油断ですか? ナンバーズを前にして気を抜くとは、私がいなければ死んでいましたよ」

「ガッハッハッ! まあそう硬いこと言うなよ、コッキーちゃん」

「その呼び方は止めて頂けますか」


 ハァと息を吐いて女性――コッキーはチラリと遠方に目を遣る。狙撃手。もう一人のナンバーズがいる地点に。


「俺たちの派なんてこんなもんさ。戦いは楽しんでこそなんぼ。先代も言ってたろ? 〝世の中に生まれた以上――〟」

「恐縮ですが、私はそのときにはいなかったので」

「そうだったな。――そう怖い顔するなよ」


 男の後半の台詞は、臨戦態勢のまま未だ鋭い殺気を放つ少女へと向けられている。


「今日の所はこれで終わりだ。――また会おうぜ、お嬢ちゃんたち」


 即座。闇に溶けるようにして女性と共に男が姿を消す。……気配の有無を確認して警戒を解くと、通信機の向こうにいる相手に呼び掛ける少女。


「……友佳里さん」

「ネイちゃん? 無事ですか?」


 聞こえてくる声は同年代の少女の物。やや焦りを含んだような問い掛けに、受け手の少女は淡々と応答する。


「はい。私の方に特に問題はありません」

「友佳里も大丈夫です。位置変えも兼ねて、今そっちに向かってます」

「分かりました」


 数分後。夜を弱々しく照らす人工の灯りを避けるようにして、狙撃銃を抱えた少女が現われる。急いで走ってきたせいか額はやや汗ばんでいるが、息を切らしている様子はない。


「気配はありませんね。一応、戦闘終了で良いと思います」

「はい。お疲れ様です」

「ネイちゃんこそ。二人目が出てきたときには、ビックリしましたけど……」


 少女は、そこでちょっと考えるように。


「……二人とも友佳里の知らない犯罪者でしたね。ネイちゃんなら知ってますか?」

「女性の方は分かりませんが、男性の方は特定できます」


 PDAを確認するまでもない。参照するのは数百を超える頁数を持った機関の犯罪人目録。脳裏に映像の如く浮かんで捲られるその中から目当ての人物の情報を探し出す。


「凶王派――前覇王の右腕と言われていた反秩序者です」

「えーっ⁉ そんな大物だったんですかあの人⁉」

「はい」


 あからさまにガックリと肩を落とす少女。


「そんなぁ……じゃあ、折角のチャンスを逃しちゃったってことじゃないですか」

「そうですね」

「もう~! ネイちゃん、先に言って下さいよ!」


 ポカポカと。相方の降らせてくる抗議の拳の連打を受けながら、機械のような少女は思う。……果たして、そうだろうかと。


 中途まで完全に隠し通し。詰めのつもりで放った狙撃を難なく回避して見せた。あの男一人が相手であったとしても、自分たちはあのまま勝ち切ることができていたのだろうか?


「――済みません」

「……いいですよ。次から言ってくれれば」


 ややふてくされたような口調。はあ~という溜め息のあとで、少女の雰囲気が切り替わるのを感じる。


「明日も学校ですし。お互いに、頑張って行きましょう!」



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