第十四.五節 それぞれの思い
「――大丈夫か? 黄泉示の奴……」
「……さあな」
マシーンでランニングを続けながら。一定のリズムに沿って吐く息に乗せるようにして、ジェインは言葉を返す。
「蔭水についてはカタストさんの方がよく知っているはずだ。あとを追って飛び出して行ったからには、任せた方が良いだろう」
「……まあな」
どう見ても納得し切ってはいない頷き返し。下手な事を言えば黄泉示の部屋にまで押しかけかねない故にリゲルの手前ではそう言ったものの、実際ジェインにも心当たりくらいはあった。
自分たちが中途から参戦することになったあの戦い。動けないフィアを背に単独で戦わなければならなかった黄泉示の負担は、自分が想像する以上に重かったはずだ。……寧ろ。
あのあとから大して時間も経っていないのに、ここまで平静であることがおかしかったのだとジェインは判断する。この分析が的を射ているとしても、自分には何もできないが……。
「――お前こそ大丈夫なのか?」
「何がだよ」
流れで思い当たったのは想定するもう一つの懸念。惚けているのかどうか分からないリゲルの面をジロリと睨むようにして、直ぐ視線を前に戻す。
「その傷のことだ。分かっているはずだがな」
「おいおい、どんだけ今更だよ。そもそもんな悪かったら、ここまで動けてるはずねえだろうが」
「……」
だろ? と。言って数発のシャドーを打って見せるリゲル。如何にも常識的といったその態度をジェインは全くのこと信用していない。……あの老人を相手に、あれだけの傷を負ってなお戦い続けた大馬鹿だ。眼にした深さからもこの短期間で傷が治っていないことは明らかであり、無理を押している可能性は充分にある。
「――言っておくが」
掛かる負荷に次第に切れてきた息。なるべく声に真剣の色を出す為、一旦マシンを止める。
「蔭水と並んでお前は戦闘の要だ。もし負傷を悪化させて、いざと言うときに戦えないようであれば」
「分かってんだよんなことは。一々、言われなくてもな」
警句のつもりで言い出した言葉を不愉快だと言う様に遮って、背を向けたリゲルがグローブを外していく。
「相手がいねえんじゃやってても仕方がねえや。――使ったもんは元に戻しとけよ」
「待て。力の訓練はどうする」
「お前とマンツーマンなんてゾッとしねえよ。自分のは部屋でやるし、合わせんのは今日は無しだ」
リングを降り、どの道もう二人いねえしな――と。ジェインが返答を放つ前に、視線の先でバタリと扉が閉まった。
「……」
壁となったその扉を暫し見つめ。小さく息を吐いてジェインはランニングを再開する。……どの道、言って聞くような輩でないことは分かっている。だとすれば。
「――」
自分ができることをするだけだ。画面に出ている距離の表示を見ながら、ジェインは今一度己に喝を入れた。
「……ちっ」
人気のない廊下。じくじくと痛んでくる腕を押さえたい気持ちを抑えながら、リゲルは部屋に向けての道のりを歩いて行く。……一歩一歩。
「――ったく、もうちょい効く薬を作れねえもんかね……」
踏み締める毎に疼く傷口。事情などまるで知ることのない製薬方面に不快感から愚痴を零す。……日に二錠まで。処方された痛み止めを服用してはいるが、この時間帯になるとどうしても痛みのぶりかえしが起きてくる。加えて。
「……っと」
気のせいかどうか分からないが、日ごとに持続時間が短くなっているような感覚もあった。そうこうしている内に辿り着いたドアの前。ノブを捻って中へ入り、袋の置かれたテーブルの前で袖を捲るリゲル。しっかりと巻かれている包帯を解くと、真っ赤に染まっているガーゼを退かした。
「……」
眼に痛いグロテスクな赤。……皮膚の奥からじくじくと染み出してきていた血は、早くも今は止まりつつある。傷の状態が然程良くなっていないことに舌打ちを零しつつ、汚れたガーゼ類をゴミ箱へと放り投げる。パスリという音。
――ここまでの手傷を負ったのは久し振りだ。
立ち上がり、洗面台へ移動しながらリゲルは思い返す。……高校のときに一度だけ、乱闘で腕をへし折られたことがあった。
あのときは結局完治するまでの二ヶ月間、家の中で過ごす他なかった。日課のトレーニングもできず、元のように拳を振るえなくなるのではとの不安に苛まれながら、ただ腕を錆び付かせていくだけの時間……。
それ以来、日頃の小競り合いでは重傷を負わずに勝つことを心に決め、また実行してきたリゲルではあったが、先の戦いばかりはそうもいかなかった。対峙したあの老人。漲るようなエネルギーはまるで感じられないにも拘らず、恐るべき難敵。……あれは。
「ッ、いちち……」
固まった血と傷口を流水で洗い流し、軟膏を塗っていく。……レイルの関係でこれまでに幾度か目にした事のある、殺し屋に似ていた。ただの構成員とはレベルの違う、凍り付くようなあの殺気。
「……」
いや、正にそれそのものだったのだろう。現状の自分たち四人には、はっきり言って荷が重い相手だ。戦闘の経験を積んでいるのは自分しかいない。フィアやジェインにあれと渡り合えと言うのも無理な話。即ち。
「……ふーい」
仕上げに絆創膏を貼り終えて息を吐く。できるだけ早く、黄泉示に戦いの基本を身に付けてもらわなければならない。二人で連携して挑めれば個々の負担はあのときより遥かに楽になる。仮にもしそれが間に合わなかったならば……。
「――」
――例え如何なる状態であろうとも、自らが蹴りを付ける。
その覚悟でリゲルは腕に包帯を巻き付けていく。今の自分にとって恐いのは、二度と拳が握れなくなることではない。
今になって得られた日々を、戦い切ることなく失うことだ。……友と、自分たちの為に戦い抜いてみせる。例え、この腕がどうなろうとも――。




