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第十二節 就寝 そして朝


「……っ」


 ……疲れた。


 風呂上り。自室へと戻り、早々にベッドへと寝転がる。……中々にハードな一日だった。


 バイトもトレーニングもそうだし、その次の三人指導体制での料理作りもかなり堪えた。それまでのスケジュールの疲労に三者三様の指摘と教えがある中、どうにか下手なりに懸命に料理を熟す……。


 控えめに言ってかなりきつい。様々な観点からの意見やアドバイスをもらえるので、身にできればその分上達が早そうではあるのが救いか……。


「……」


 ――能力を使っての練習は新鮮だった。


 そう思いつつ目を閉じる。ひたすら同じ箇所の重力を増やし続けるというリゲルの訓練。傍から見れば何をやっているのかは分からないが、それでもリゲル本人の表情は歪み、汗が滲んでくる。良い訓練になるのではと試しに中に入ってみたが、疲れていたこともあって殆んど動けなかった。ジェインの訓練は――。


 時間加速を俺たちに掛け続け、同時にその状態で俺たちが自由に動き回るというもの。全てがスローモーションに映る世界は言われてみればかなり違和感がある。逆も解除の瞬間も然り。慣れきるまでには少し時間が掛かるだろう。


「……ふぅ」


 小さく吐く息。リゲルやジェインがいることもあって動いているときはまだあれだが、こうして一人きりになるとドッと疲れが出てくる感じがする。他者ではなく自分の事に意識が集中するせいかもしれない。……それに。


「……」


 初日なので当然かもしれないが、見慣れない部屋の景色がどうしても目につく。ホテルに泊まっているかのような、落ち着かない感じが多少はあってもおかしくはないはずだ。


 だが――。


「……」


 ――ここならば、安全だ。


 漸く取り戻されたように感じるのは、数日前までは当たり前のように享受していたその感覚。崩れない守りの中にいるという安心感に、感謝の心持を覚える。流石にプロの警備を掻い潜ってここまで来ることは難しいだろう。例えあの老人だとしても……。


 ジェインの言っていた通り、結局日中にも何もなかった。そのことも地味に大きい。……これならきっと、フィアも大丈夫であるはずだ。


〝明日は子どもたちに会いに行こう〟


 ひとまずの安息が得られたことで余裕のできた脳裏にジェインの言葉が思い返されてくる。――今日は特別に忙しかった。全てが初めての慣れないことばかり。学園もあるために、連日今日のようなスケジュールをこなすと言うわけではないが。


「……」


 それでも休息が必要であるのは確か。電気を消すために俺は立ち上がる。心地よく眠れればいいと、そんなことを期待しながら。









「……チッ」


 ――夜。苛立ちのままに響かせる舌打ち。殺意を感じない姑息な立ち回りに、感知範囲から完全に消失した力の気配。――逃げられたか。


「――」


 凍り付いた周囲一帯を見回し、一回転させた剣を仕舞う女性。細く、青みがかった銀色を放つレイピア。強大な力を内に秘めるソレは、彼女の手にあってこそ真価を発揮する得物。教皇より賜った彼女の誇り。


「……」


 一応セーブして戦っていたためか、周囲の建物への損害はない。後処理の必要がないことを確かめ、女性はその長い髪を翻して戦場だった場所をあとにする。……恐らくは賢王派。


 監視の意味でこの町に送られてきた女性だったが、このところやけに活発化している別の動きへ注意を払わざるを得なくなっていた。三大組織の宿敵である凶王派、その先兵たちが動き出している。なぜだかは分からないが……。


〝ワハハ! ゆけ、タイタン!〟


「……ッ」


 あの齢相応の、子ども染みた笑い声を思い返す度に走る苛立ち。真っ向からの立ち会い殺し合いでなく、終始からかい挑発するような立ち回りをしていたことも女性にとっては気に食わない一因だった。……最後に張られた煙幕もそうだ。最強の救難守護聖人と謳われる自分が、まさか攻め切れずに取り逃がすなどとは。


「……」


 あってはならない失態だ。教皇猊下に対しての忠誠と信仰とを損なってしまう結果にもなる。……次見えたならば必ずや殺すと、首から下げる十字に固くそう誓って。


「――」


 女性は一人、夜の町中へ姿を消した。








 ……暗い。


 月さえ射していない暗闇の町の中。俺は力の限りに駆け走っている。ひたすらに、迫る何かから逃げるように。


「……っ」


 何度も何度も後ろを振り返る。……誰も着いてきてはいない。そのことを幾度となく確かめているはずなのに、嫌な予感と焦燥だけが募っていく。早く、早く逃げなければ。角を曲がり、路地を抜け――。


「――ッ」


 誰一人いない静寂を駆け抜けて、自分の家に入り込んだことで安堵する。……此処なら大丈夫だ。震える手で鍵を掛け、呼吸に乾いた喉を潤そうとキッチンへ向かう。廊下を通っている最中。


「――!」


 ……上から聞こえてきた異様な音。全身の毛が総毛立つ感覚を覚えながらも、反射に近しい所作で俺が上を向いた――。


「――ッ!!」


 瞬間。跳ね起きた俺の視界に移り込んだのは、真っ暗な室内。……弾む息。


「……」


 じっとりと濡れているシャツの不快な感覚を覚えつつ、周囲を見る。洗面台の方から僅かに漏れ出ている光。置かれたトランクから出ているズボン、内装を見ることで状況が思い出されてくる。……夢か。


「ッ――!?」


 ――息を吐きかけたところで横から鳴り出したけたたましいベルの音に心臓が飛び出しそうになる。……俺の反応などお構いなしに継続して鳴り響いているのは、室内電話の着信音。取った受話器から――。


「……はい」

「ああ、もしもし? 起きてるか?」


 響いてくる声。……リゲルか。


「……ああ」

「六時だぜ。そろそろ起きて、朝食でも食おうぜ」


 ガチャリと通話の切れた受話器を元に戻す。……時計は確かに六時を指している。アラームを掛けた時刻より一時間も早く起こされたことに溜め息を吐きつつ、ベッドから身を起こした。




「――おはようございます」

「……おはよう」


 出た廊下で。既に支度をして待っていたのはフィア。待つこと少ししてからジェイン、リゲルも姿を現す。こちらもいつも通りかと思いきや。


「よっ。良い朝だな」

「……何が良い朝だ」


 軽く手を上げたリゲルの横で呻くジェイン。髪はいつもより多少乱れており、明らかに不機嫌そうだ。なにが……。


「朝っぱらからお前の声を聞かされた身にもなってみろ。良い物が描けて、昨日の夜は良い気分で寝たと言うのに……」

「テメエこそこっちの第一声で切りやがって。一瞬壊れたかと思ってビビったじゃねえか」


 メンチを切り合う二人。昨日あれだけ動いたにも拘わらず、この二人は元気だな……。


「ええと……」

「――っと、悪い。朝食は食堂に用意してあっから、行こうぜ」




「……」


 リゲルに先導されるまま歩いて着いた場所。開け放たれた両開きのドアから目に入る光景は。


「……バイキング?」

「おう。好きなもん適当にとって食べてくれよ」


 そう言って傍にある皿を手にするリゲル。……これまた広い。品のある大部屋には白いテーブルクロスの引かれた四人掛け、六人掛けのテーブルが幾つも並べられており、本当にどこかのホテルにでも来ているかのような錯覚を覚えさせられる。この屋敷には一体幾つ部屋数があるのか……。


「……誰もいないんですね……」

「ここは客用の食堂だからな。黒服らは身内用のとこで、親父はいつも自分の部屋で食ってるぜ」


 設置された長テーブル。順々に料理の前を回って、好きなものを取っていく。量は普通に肉魚野菜をバランスよくとっていくジェイン。リゲルは唐揚げやソーセージなど濃いめの物までかなりガッツリと、フィアはサラダにトーストとシンプルに、最後に綺麗に焼かれた目玉焼きを乗せて。


「よっ……と」


 テーブルに各々の皿を置いて、席に。こうして並べてみると、各人の個性が出ているようで少し面白い。椅子もクッションが思いのほかしっかりしていて、座り心地に良い意味で驚かされる。……凄いな。


「意外と食わねえんだな、黄泉示」

「朝だからな。取り敢えずこれくらいでいい」


 リゲルの見た俺の皿に乗っかっているのは、バナナにヨーグルト。ピザトーストに、フィアと同じく目玉焼き。見たところ黄身の硬さも半熟で、俺好みのようなので取ってみた。箸で軽くめくって裏側を覗いてみるが。


「この時間にガツガツ食うのはお前くらいだ。見ろ、僕らの取った分の倍はあるぞ」

「確かに、結構な量ですね……」

「こんくらい普通だろ。人間身体が資本。食わなきゃ持つもんも持たねえよ」


 むらのない綺麗な焦げ目だ。どうやったらこんな風に上手く焼けるのかと思いつつ、食べ始める俺たち。……食事のペースにも違いがある。ジェインはゆっくりと味わうようにして。フィアは一口一口が小さめで、リゲルは逆に頬張るようにして食べていく。ある程度進んだところで。


「――今日は学園のあと、子どもたちと遊びだな」


 牛乳を飲み干している最中にジェインが言う。……そうだ。


「間に空き時間があるのは、確か……」

「図書館にいればいい。あそこなら出口が多いし、学園の大よそ中心でどこへでも均等な時間で行けるようになっている。いざというときでも――」


 そんな話をしつつ過ごしていく朝の時間。大して量も乗せていない俺たちの皿は、さほどの時間もかからず空となり――。


「――ふう。食った食った」


 それとほとんど変わらないタイミングでリゲルがナイフとフォークとを置いた。……あれだけ盛られていた料理たちは見事に空になっている。分かってはいたが、実際に食い切ったところを見るとなんとも。


「……凄いな」

「あともう一皿くらいはいけるぜ。ま、それだと食い過ぎになるから食わねえけど」

「――着いていけないな」


 やれやれという仕草をしつつ、席を立ったジェイン。少しして戻ってくる足音と共に漂い始めるのは、覚えのある豊潤な香り。


「朝にはやはりコーヒーだな。この一杯で頭がスッキリする」


 カップに並々と注がれた真っ黒なコーヒーがテーブルに置かれる。はた目から見てかなり苦そうだが、ジェインは慣れているようにスムーズに飲んでいく。三分の一ほどを一気に飲み。


「ブラックか?」

「ああ。豆の味や香りを楽しみたいからな。ミルクや砂糖は使わない」

「凄く苦そうですね……」

「まあ、慣れないときついかもしれない。飲みやすさで選ぶなら、カフェラテやカプチーノ辺りが――」


 二人の会話を聞きつつ、思うこと。……大丈夫だ。


 見る。コップを掴む手は震えてはいない。俺は普通に話せている。大丈夫……。


「――黄泉示は何か飲まねえのか?」


 不意に。正面から掛けられた声。


「コーヒーだけじゃなく紅茶、コーラやジュースとかもあるぜ」

「……そうだな」


 それにびくりとしなかったことに安堵しつつ、リゲルの言葉に考えを働かせる。朝以外は俺は基本的には水。飲むとしてもお茶くらいだ。……だが。


「林檎ジュースでも飲むか。フィアも何か飲むか?」

「あ、いえ。私は――」


 折角ここにいるのだからと。思いつつ席を立つ。横長のテーブルに敷かれたクロスの上に並べられているガラス容器。……林檎、オレンジ、葡萄、バナナ、パイナップル、桃、ドリアン。様々な色合いの液体を眺めつつ――。


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