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第十一節 共同生活一日目 トレーニングと


 変装道具の件から言い合う二人の様子を見かねたフィアから飛び出した、〝次は何をするんでしたっけ?〟との発言を受け――。


「――ここがトレーニング室だぜ」


 先ほどまでとは打って変わって。白色灯の照らす室内で水を得た魚のように意気揚々としているリゲル。


「大体一般のジムと変わらねえ機材が揃ってんだ。チューブやらダンベルやらの器具はあっちにあって――」


 説明に沿って見渡す空間。……広い。明るい光に隈なく照らされた空間は、相変わらず地下とは思えないほど。


 壁際にズラリと並べられたランニングマシーンに、パンチングボール、サンドバッグ、その他幾つもの名前の分からないマシン。幾つもの輪の着いたバーベルに、リゲルのトレーニングの為か、中央にはリングまで備え付けられている。


「凄いですね……」

「まあな。時間帯は被んねえけど、親父や黒服らも使ってるぜ。普通にある公共の施設には俺らは出入りできねえからよ」


 屈託なく言うリゲル。先のようなバイトとは違い、激しく動く上に汗もかくならウィッグなどでは誤魔化せないか。歩きながら説明していたリゲルが指し示した扉は、更衣室。


「着替えはそれぞれの部屋でやって、出たとこ集合な。中にウェアが置いてあるから、ソイツに――」


 ――数分後。


「――うっし!」


 運動着に着替えた俺たちが室内に揃う。単純と言えば単純かもしれないが、普段着からこういったそれ用の服に着替えるとそれだけでやる気が出て来るような気がしてくる。心なしか――。


「――何から始めるんですか?」

「まあ、まずは準備運動だな。鍛えんのに当たってはなにより怪我や事故が一番怖え。しっかり身体を暖めとかねえと」


 フィアなどもいつもより気合が入っているような感じだ。長い髪を後ろで縛り、纏め上げた姿は普段では全く目にしないもの。……少し、新鮮な気がする。


「んじゃ始めるか。俺の真似してきゃあいいから。よっと――」


 リノウムの床に座り込み、リゲルが取っていく姿勢を見て真似していく俺たち。分からない部分などはその都度訊き、できていない部分はリゲルがチェックし――。


「――っと、フィア。そこはもうちょいこうだな」

「こ、こうですか?」

「んー、違えな。もっとこう――」


 途中のある姿勢で起こった齟齬。リゲルが目の前に行ってこう! とポーズを取って見せるが、今一つ直らない。フィアは普段余り運動はしない。学校でもやるような柔軟であっても慣れないことの方が多いのだろう。今一つ感覚のつかめない様子に。


「……ええと」

「そうだな……――黄泉示! ちょっと来てくれ」

「え?」


 俺? と指差すも来い来いとの手招きに応じて近くへ行く。目の前には手本を見せているリゲルと、言われた通りの姿勢を取ろうとして奮闘しているフィア。


「俺の方のポーズになるように直してやってくれねえか? 一回取れれば分かるはずだからよ」

「っ⁉」


 申し出。右往左往した俺の目を捉えていた、リゲルが含みある笑みを見せた。――おい。


「頼むぜ黄泉示。ジェインも待ってるしよ」

「……そうですね。お願いします、黄泉示さん」


 ええ……。


 不味いんじゃないかと思う俺の前で、フィアも髪を床に垂らしたまま頷いてくる。そうしたことには思い至っていないらしい、その真剣さに呼応して頷いてしまった俺。リゲルとフィアの姿勢を今一度見比べ、違っている部分を――。


「――」


 触れて押す。たったそれだけの動作だというのに、抵抗のない柔らかさにどこまで力を込めたものか戸惑わされる。硝子細工を扱うように少しずつ、少しずつ。……こんな感じで。


「……っ」

「ッ、どうした?」

「あ、いえ。大丈夫です。ちょっと……」


 微かに零された吐息に慌てさせられる。……〝ちょっと〟なんだ? 大丈夫だったのかと一抹の不安を覚えながらも。


「……これで、多分」

「ああ、OKだな」


 フィアの取れた姿勢を確認してよっ、と立ち上がるリゲル。ありがとうございます、との謝辞を受け止めて元の位置へと戻る。……緊張した。


「……で、いつまでこの体勢でいればいいんだ?」

「す、済みません」

「しょうがねえだろジェイン。うし、じゃあ次は――」


 余り何度もはやりたくないなとの思いをさて置いて、そこからは順調なストレッチが再開する。どこが伸ばされているのかを都度意識しながら、順々に取られていくリゲルの姿勢を真似していき――。


「……いつまでやるんだ?」


 かなりの数のポーズをとったところで尋ねる。俺は平気だが、二人はやや息が上がってきている。念入りにやるとして、三十分くらい……。


「ま、俺はいつも一時間くらいかけてやってるから、そんくらいだな」

「――いっ、一時間⁉」

「――なにっ?」


 フィアが素っ頓狂な声を上げる。信じられないと言った風に振り向いたジェインと内心は同じ思いだ。……そんなにか?


「別に珍しい事じゃねえぜ。プロのスポーツ選手なんかの中には、毎日二時間以上やってる奴もいるってくらいだからな」

「……僕らはプロのスポーツ選手じゃないと思うんだが」

「怪我を防ぐためには、そのくらいの気持ちでいろってことだよ。後半は二人組になってやるからな」


 姿勢を保ったままで苦しそうなジェインの言葉に訊く耳保つことなくニヤリと笑う。……待て。後半なんと――。


「勿論黄泉示とフィア、俺とジェインで分かれるぜ。んじゃ、続きも張り切っていくか!」


 ……――きっかり一時間半後。


「……ふう」


 フィアと組んでの柔軟を終えたのち、一息を吐いて立ち上がる。……長く苦しい戦いだったが、どうにか乗り越えた。感触やら声やら香りやら、感覚を刺激するものが触れ合いでは余りに多い。途中から心頭滅却をひたすらに心掛けたのがよかったのだろう。先人の教えは偉大だ。実に。


「どうよ。ここまで念入りにやっとくと、結構違えだろ」

「ああ……」


 確かにこれだけでも大分身体が温まった気がする。手足や太腿、肩や首。全身隈なくほぐれた感じだ。……無駄に汗が流れたのには別の要因があることも感じつつ、視線を移した先では――。


「……」

「……」


 座り込んだままへたばっているフィアとジェイン。体力のない二人はこれだけで既にへとへと。限界と言った様相を呈している。……初めてのトレーニングでこれだけやれば無理もない。ジェインと組んでのリゲルの柔軟は、バイトの報復かと思うくらいには厳しかったし……。


「まあしかし、全員そこそこ柔らかくて良かったぜ。硬いと怪我とかしがちだからな」

「……次は何だ、筋肉ダルマ」


 立ち上がりはしないままジェインが訊く。あれだけ汗だくで、まだ憎まれ口を叩く気力があるのか……。


「そうだな。ジェインとフィアは基礎練で体力を付けんのが最優先として、俺と黄泉示はスパーリングでもすっか」

「スパーリング?」

「ああ。やっぱある程度実戦っぽくやってった方が良いだろ。俺も黄泉示もある程度筋力はあるっぽいし、筋トレとかだけしてていざというとき動けねえんじゃ仕方ねえしな」

「基礎練習……って、なにをすればいいんでしょうか?」

「軽い筋トレと、あと幾つかは教えっから試してみるといいぜ。自分に合った方法で身体の動かし方を理解してくのと、それに必要な筋肉を付けてくのが基本。やってて疑問があれば訊いてくれていいからよ」

「……お前にしては明快だな」


 ジェインの零した言葉、確かに……。


「――習ったんだよ。昔、通ってたとこでな」


 通っていた? その言葉に引っ掛かりを覚える。普通に考えればジムか何かだろうが、リゲルの場合は……。


「うし、それじゃ本番だな。フィアとジェインには最初に俺から教えっから、黄泉示は――」




「……本当にいいのか?」


 設置された中央のリング。赤く塗られた一方のコーナーに立ち、手に持つ終月の感触を確かめる。……右脚の調子はまずまずだ。


「グローブも付けるから心配要らねえよ。それに、黄泉示も得物を持たきゃ本気でできねえだろ」

「……いや、それよりも――」


 俺の視線の先にあるのは、リゲルの左腕に巻かれている包帯。スーツでいるときは隠れていたが、今こうして目にするとやはり痛々しいものがある。


「んな長時間戦るわけじゃねえから大丈夫だっての。腕のいい医者に、きっちり縫ってもらったわけだしな」


 治りも順調だぜ、と言いつつ両腕で素早いパンチを繰り出して見せるリゲル。……昨日今日で治りが早いも何もないとは思うが、確かに学園のときからバイトまで、リゲルに怪我をしているような素振りは見て取れなかった。左腕を使う場面を減らしていることは分かったが、それ以外は全て普通。店長や客にも全く指摘されていない。


「ま、取り敢えず試してみようぜ。上手くいかなきゃまたそのとき考えりゃいい」


 バシリと。グローブ同士を打ち合わせて言うリゲル。青のコーナーに立つその姿は、慣れているのだろうこともあって大変様になっている。……言ってもどの道聞かないか。


「基本寸止めだが、防いだり弾いたりする際の接触はアリだ。オッケーか?」

「……ああ」


 寸止め。その部分を強く意識して握り締める。互いにまともに当ててしまえばただでは済まない。特に左腕には間違っても当てることがないようにしなければと、決意を固め。


「うし。じゃあ、一ラウンド三分。――行くぜ」


 ストップウォッチのスイッチを押した――リゲルが構えを取った瞬間、一挙に増してくる圧力。……この間に見たときと変わっていない、左を前にしたボクシングスタイル。


「……」


 対する俺が取ったのは、正眼。切っ先を相手の喉元の高さに付けた、攻防に対してバランスの良い構え方だ。俺が身に付けている構えはこれだけだが、リゲルは素手。リーチでもこちらに大きく分がある。攻めを捌くことも先に撃ち込むことも容易だろう。……やはり、武器なしでやった方が良いのではないか――。


「――」


 そんな俺の思いを余所にリゲルが距離を詰めてくる。……じりじりと、足先で間合いを測るように少しずつ。こちらのリーチを警戒してか、一息に飛び込んでくることはしない。中に入ってきた瞬間が勝負になる――。


 ――来た。


 俺からはほぼ初動の見えないステップイン。接近に反応して振り上げた終月を一息に振り下ろす。――頭に当たる手前で止める。それで――


「――ッ⁉」


 決着だと思った俺の両腕を襲ったのは、予想もしていなかった横からの衝撃。――真っ直ぐに振り下ろしたはずの刀身が大きく左へと傾く。――しまった。


「ッ――」


 ずらされた軌道を戻すより先。守りに使うつもりで刀身を身体に引きつけたときには、既にリゲルの拳が脇腹の数センチ手前で止められていた。……速い。


「――こいつで一本ってわけだ」


 言葉と共に拳が引かれる。……軽々一本を取られたことへの悔しさより、驚愕の方が先に立つ。これほどとは……。


「……凄いな」

「速くてビビったぜ。ただ、ちょいと動きが読み易過ぎたな」


 屈託なくリゲルは言う。……考えてみれば、素手のこの状態であの老人と渡り合っていたわけだから。


「実際の戦いじゃ、どれだけ相手の裏をかくのかが勝負みたいなもんだ。読まれるような素直な挙動だと、幾ら強烈だったり速かったりしても、技術のある相手には通じ難い。――あと、もうちょい足を使った方が良いかもな。その方が狙いが――」


 俺より技術は明らかに上だ。そのことを念頭にリゲルのアドバイスを受け、取り組んでいく。……二度三度。繰り返すたびにどこが至らなかったのかを指摘し、改善に努める。確かにこういった形式なら、一人のときよりも早く伸びるだろう。


 特に昔でも型の訓練しかしていなかった俺は気付かされることが多い。自分にどれだけ隙があるのか、相手のいる実戦でのセオリー。何よりも――。


「――ッ」


 ――こんなに近いのか?


 拳で戦うリゲルの間合いの短さに驚嘆する。これでは掛かる圧力は得物を挟んでいる俺などとは比べ物にならないはず。それでいて俺と同等以上の動きを難なく披露して見せる胆力と技量。


 そして、それでもあの老人に一人では勝てなかったという事実。感心ばかりしている場合ではない。俺も、少しでも戦えるようにならなければ。ただ守ってばかりではなく――。


「――ッ!」


 その心意気を胸に終月を繰り出すが、一朝一夕で身体は着いてきてくれない。リゲルの身体が瞬転。大きく空ぶった刀身を戻す暇もなく。


「……っ……!」

「――一本だな」


 取られる。やはり、一筋縄ではいかないな。


「ちょいと休憩しようぜ。動きがぶれてきてるしよ」

「ああ……」


 言われて動きを止めてみて、自分の身体から思った以上に汗が流れ出ていることに気付く。一人での筋トレとは違う。模擬戦とはいえ、他者と相対しての訓練はここまで体力を消耗するものなのか……。


「……」


 深く息を吸い。ポストに背中を預けつつ下の様子を見る。リゲルから教えてもらった運動のうち、フィアが選んだのは――。


「――」


 ――縄跳びか。慣れていないせいか、その跳び方はまだぎこちないが、壁に貼られた鏡を見て適切な姿勢を保とうとしている。回している縄はビニールでできた軽めのもの。チョイスとしては少し意外なような気もするが。


「――何はともあれ、動けるようにならないといけないからな」


 俺の視線を読み取ってか、視界の外のジェインから声が飛ばされてくる。――取り組んでいるのはランニング。


「カタストさんは運動経験も無いようだったし、最低限の筋力は必要だ。縄跳びなら跳び過ぎなければ怪我をするようなこともなく、全身の筋肉を一変に鍛えられる。……良い選択だと思うぞ」


 マシーンの上でそれなりの速さで動くベルトに合わせ、一定のリズムで走り続けている。テンポよく息を吐きつつ。


「近接戦の出来ない僕がこれ以上筋力を付けたところで意味は薄い。必要なのは動けるだけの心肺能力と体力、つまりは持久力だ」


 走りながら話すジェイン。……確かに、これまでの様子からもジェインに最も不足しているのは体力であるように感じられる。腕などに余計な力の入っていない綺麗なフォーム。額に浮かんだ汗を素早く袖口で拭う所作から伝わってくるのは、動きの基礎はできているということ。


「途中でばてて君たちの足を引っ張らないようにな……そこの馬鹿に恨み言を言われるのだけは御免だ」

「言わねえから安心しとけ。自分の戦いの結果を、他人のせいになんざしねえよ」

「――あとで能力を使っての訓練もしよう」


 陥穽を突くように飛ばされたその声に、否応なく意識を引かれる。


「僕らが奴と渡り合うには、能力の使用が不可欠だ。個別に磨くほか、感覚に慣れておいてもらう必要もあるからな」

「――ああ」


 確かな意見に頷きを返す。二人の努力を前に、俺も気合いを入れ直した――。






 各人が仕上げのストレッチを終え、汗を流す為にシャワーを浴びた、そのあと。


「えっと、じゃあ、皆さん用意の方は……」

「ああ。問題ない」


 ――先ほどまでとまるで温度の異なった空間で行われるのは、夕飯づくりを兼ねた料理指導。明るく広々としたキッチンに集結するエプロンを装着した俺たち四人。夜の危険性が高い以上、これまでとは違って夕飯を外で食べると言うわけにはいかない。そんな都合と普段俺がフィアに料理を教えてもらっているのを話したことで追加された予定だが。


「でも、リゲルさんもジェインさんも、ある程度お料理はできるんですよね?」

「まあな。俺は中学んときから自炊できるようにしてたし……」

「僕は教会の家事手伝いをしてたり、バイトで厨房に入っていたりしたからな。基本的なことは一通りできるつもりだが」


 ……あれ。


「……できないのって俺だけか? もしかして」

「そうなるな。全くできないのか? 蔭水は」

「いや、一応ちょっと前から、フィアに習い始めてはいるんだが……」


 できるようになった、とはまだとても言い難い。基本的な野菜の切り方なんかは身に付いてきているし、味や見た目に拘らなければ簡単なレシピなら作ることはできる、とはいえ。


「んじゃ、俺ら三人で黄泉示の指導だな」


 三人に比べれば雲泥の差だろう。やはりと言うべきか、スーツと同じブラックのエプロンを着けているリゲルが揚々と言う。教師三人態勢というまさかの展開に――。


「そうなるな。まあまずは、各自で得意な料理でも作ってみるか」


 戦々恐々の予感を抑え切れずにいる俺の前で。自作と思しき継ぎ接ぎのエプロンを纏うジェインが、慣れた手つきで包丁を手に取った。


「腕試しにな。実は僕もちょっとした自信があるんだ。少なくともこいつよりは上手い」

「ほう……おもしれえ」


 毎度の如くに火花を散らし合う二人。レイルさんの厚意により、ここにある道具や食材は自由に使って良いことになっている。……ただまあ、今回に関しては。


「フィアも入れよ! あんときの続きも兼ねて、三つ巴で決戦と行こうぜ」

「それがいいな。遠慮することはない。全力で掛かってきてくれ」

「えっ――」

「……やめといた方が良いと思うぞ」


 呟いた俺の忠告は早くもヒートアップする二人には届かない。蔭水は審判役だな、さあ行くぜ! と、気合いの入った一声と共に包丁を握る一番手のリゲルが始めた調理。予想に違わない豪快な手つきで食材が仕上げられていき――。


 ――その後の料理勝負は予想通り、満場一致でフィアの優勝に終わった。


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