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第十節 共同生活一日目 バイト

 

 ――ジェインが電話を掛けたのは、リゲルの家からそう遠くない位置にある喫茶店。


 以前にもジェインはそこでバイトをしていたことがあるらしく、そのときの働きぶりを覚えていてくれた店長から機会があればまた是非にと言われていたらしい。その為に今回融通を効かせてくれることになったのだとか。そして……。


「――んで、どうすんだよ」


 説明を聞き、ある程度の用意を終えて玄関に集まった俺たちの前で、ジェインが持っていた包みを放り投げる。


「秘密兵器だ」

「秘密兵器……ですか?」

「ああ。これさえあれば、リゲルだろうがなんだろうがバイトが可能になる」


 やや酷い言い草でやけに自信ありげな台詞。包みをキャッチしたリゲルは中身の見えない包装に一瞬目線を落とすと、取り敢えずといったように剥いでいく。幾つかの想像を巡らせる中で、バリバリと包装紙を破る音が続き――。


「――」

「……えっ」


 誰の目にもその正体が顕になった。……リゲルの手の内にあるのは、流れるように長い人間の髪。正確にはそれを模した金色のもの。これは。


「~~ふざっけんな‼」


 俺がその秘密兵器の名前を思い出した直後、硬直していたリゲルが大きく振りかぶった腕でその袋ごと床に叩き付けた。


「んなヅラなんか被れるかっての‼ 馬鹿にしてんのかテメエ⁉」

「ヅラじゃない、ウィッグだ。カラーコンタクトも中に入っているから壊れたら弁償させるぞ。あとそのサングラスを外して、服も私服に替えろ」

「私服つったって、スーツ以外のもんは――」

「何か一つくらいあるだろうが。店の制服を着るまでの間だけだ。良いからさっさと着替えて来い!」


 袋を拾って強引に押し付ける。おい――と言う声を無視して、行こう、と俺たちと共に外へ出たジェイン。暫し後ろで物音が静まり返ったあと、諦めたような、途方に暮れたように中へと戻っていく革靴の音が聞こえ……。


「だ、大丈夫でしょうか?」

「さあな」

「……」


 暫くして。――響いてきた違う足音。振り返った視界に移る姿に、思わず目を丸くしたのが自分でも分かった。


「……えっ?」


 フィアの第一声。信じられないといったようなその声が、俺の感想をも同時に表している。


「リゲル……だよな?」

「……たりめえだろ。それ以外の誰だってんだよ」


 不機嫌そうなその口調。……声は確かにリゲルだ。目の色と服装に加えて髪型と髪色まで変わったせいか、まるで別人のように見える。なんというか。


「……なにか一着くらいとは言ったが、どうしてよりによってそのシャツなんだ?」

「前に親父が土産で買って来たのがあったんだよ。これしかねえんだから、仕方ねえだろ」

「……まあ、いい」


 どう見てもその手の人間といった印象は完全に消え、好青年のような印象が漂っている。アロハシャツにスニーカーという服装を差し引いてもお釣りがくるレベル。……凄いな。


「それなら相手もお前がリゲルだとは分からないだろう。付け髭か伊達眼鏡でも付ければ完璧だが」

「それだけは御免だぜ」

「なら行こう。お前としても、早目に終わらせた方が良いだろうからな」






「――この店だ」


 先導してきたジェインに続いて、示された店に入る。俺、フィア、そして最後にリゲルの順番で、洒落た装飾の付いた扉を潜り。


「――やあ」


 暖かな空気の満ちた店内に入ると同時。待ち受けていたように出迎えてくれたのは、七分袖のシャツを着た壮年の男性。……扉から感じた雰囲気と同じく、お洒落な風体をしている。この人が……。


「ようこそ『マルガリータ』へ。レトビック君から話は聞いているよ」


 店長か。チェック柄のシャツと無地のズボンとはシンプルだが親しみやすい。店内の雰囲気にマッチした朗らかな笑顔を見せたあとで、力強くジェインと交わされる視線。


「なんでも四人纏まってバイトに入りたいそうだね。友達同士、仲が良いことで結構だ」

「ありがとうございます店長。――自己紹介を」

「蔭水です」

「フィア・カタストです。よろしくお願いします」

「……」


 名前と共に挨拶した俺たちの横で、リゲルだけが一人黙ったままでいる。脇腹をジェインに小突かれ、軽く姿勢を正して口を開いた。


「――アービンです。……よろしく」

「うむ。レトビック君の紹介ということだから信用はしていたが、全員、気持ちの良い若者たちだね」


 今し方名乗られたのが偽名だなどとは恐らく夢にも思わずに、鷹揚に頷いてみせる店長。


「まあ、まずは軽く仕事ぶりを見せてもらおうかな。そんな難しい仕事じゃないはずだから緊張しなくていい。体験してみて、お互い問題がないようなら本格的にシフトに入ってもらうから」

「は、はい」

「仕事のやり方は……そうだな。申し訳ないが、レトビック君。教えてあげられるかな。急なお客の入りで、今ちょっと立て込んでいてね」

「分かりました」


 着替えの場所とかは変わっていないから――と言って店長は一旦仕事の方に戻っていく。頷いたジェインに続き、俺たちは柔らかく照らされた店内を踏み出した。




 ――バイトの内容は、簡単に言ってしまえばキッチンとフロア業務。


 キッチン二人、フロア二人と大きく二か所に分かれて熟していく。キッチンの方は慣れているジェインと家事の得意なフィアとで引き受けるとのことだったので、俺とリゲルはフロアの仕事を二人で分担することになり――。


「い、いらっしゃいませ」


 向いていなさそうな接客になぜか当たっているのは、変装したリゲル。明らかに時期に合わないアロハシャツから制服に着替えたことで、益々好青年らしさが増しているせいか。


「ほら、笑顔が硬いよ。もっとにこやかに」

「いらっしゃいませ!」

「それじゃあちょっと投げ遣りだな。もっと丁寧に!」


 常連らしいお客さんたちが入って来るたび、新人教育に対する微笑ましい面持ちが向けられる。店長直々に鍛えられているリゲルを横目に見つつ――。


「……ご注文はお決まりでしょうか?」

「じゃあ、これとこれ。頼むよ」

「はい」


 つかえないよう口にした確認の復唱ののち、取った注文を伝えにキッチンへ入る。それほど広くはない。三人か四人が精々といった感じの手狭な調理場では――。


「――丁度良かった。これ、二番のテーブルに持っていってくれ」

「分かった。三番への注文、今日の日替わりパスタとコーヒー」

「は、はい!」


 洗い物をしているフィアと、主に調理を担当しているらしいジェイン。流石に経験者だけあってジェインの方は手慣れたもの。俺の注文を聞き、淀みない所作で手を動かしていく。冷蔵庫から食材を取り出し。


「――フライパンを出してくれないか? カタストさん ぶら下がっている左から二番目の奴だ」

「わ、分かりました!」


 指示まで飛ばしていく。着いていくフィアの方がてんてこ舞い。一杯一杯といった感じだ。料理が得意なフィアなら大丈夫かとも思ったが、そう簡単なものでもないか。


「――」


 思いつつ足早に戻ったフロア。ジェインの調理した料理を目当てのテーブルに置いてホッとしたのも束の間、別のテーブルの客が荷物を持って立ち上がる。……これは。


「ごちそうさまでした。お会計お願いします」

「――はい」


 レジ打ちだ。代金が直接絡む場所である以上ミスはできない。ジェインから教わった機械の操作を不慣れながらもどうにか熟し、告げた合計金額。渡された紙幣と硬貨を確認し、お釣りを――。


「あれ、これ……」

「――あ、済みません!」


 渡したところで指摘されたミスに、一瞬遅れて気が付く。押す順番を逆にしていた。焦りを覚える中でもう一度し直す計算。紅茶に、季節のフルーツケーキが一つ……。


「――申し訳ありません」

「いえ。次のお客さんのときは、気を付けてくださいね」


 親切な言葉。訂正したお釣りを渡し、下げた頭から冷や汗が流れる。……バイトとはいえ、楽な仕事などない。今し方の失敗を繰り返さないよう内省しつつ。


「えー、ご注文は――」

「もっとはきはきと。接客で恥ずかしがる必要なんてないんだから」

「――黄泉示さん。さっきの注文が――」

「今行く」


 リゲルと店長の声を背中に、速足でフィアの元へと向かった。








「……」

「あー……」


 ――夕日の沈みかけている黄昏時。概算ざっと二時間半程度になる仕事を終え、リゲルの家へと戻る帰り道。


「疲れたぜ」

「……大変だったな」


 心底疲弊したといった様子のリゲルをせめて言葉だけでもと労う。着用者の疲労のせいか賑やかな模様のアロハシャツは来たときより少しくたれて、ウィッグが少しばかりずれている。それでも余程詳しい人間でなければ、これがリゲルだとは気付かれないだろうが……。


「なんでい。他人事みたいに言いやがってよ」

「いや……」

「大変だったのはお互い様だ。自分だけが苦労したなどと思わないことだな」

「テメエにそれを言われるとムカつくんだよなぁ……」

「に、似合ってましたよリゲルさん」


 自分も疲れているだろうに、どうにかカバーしようとするフィアの台詞にもリゲルはハァ、と溜め息を零す。まあ実際、いつもスーツでキメているリゲルからすれば今日のバイトは相当な苦痛だっただろう。最後まで誰にもバレなかったことを考えれば効果はてきめんだったと言えるが、そういう問題でもない。


「……フィアも大変だったな」

「大変ではありましたけど、黄泉示さんたちと比べたら……」


 そう言われる。家事の得意なフィアからしてみれば、接客の方が苦手ということか。正直俺やリゲルよりは遥かに向いていると思うのだが、苦手意識があるならそうもいかないのかもしれない。やはり、中々に難しいな。


「それに私はお皿洗いと道具の準備くらいで、お料理の方は殆んどジェインさんが引き受けてくれたので。……済みません」

「正直人使いは荒かったと思うんだがな。カタストさんが手伝ってくれたお蔭で助かった。――それに」


 眼鏡を押し上げつつジェインが言う。


「食器がピカピカだと店長が驚いていた。僕も最後の方は少し洗い物をやったが、カタストさんの手際は見事だったな」

「そ、そうですか?」


 ああ、と頷くジェイン。……フィアの洗い物の腕前は俺も知っている。無駄のない動きでかつ丁寧。気を付けているせいか、滑り易い食器でも間違っても落とすような真似はしない。料理を教えてもらうようになってから初めて見たときは、これが食器洗いの真髄かと震えが走ったものだ。


「……まあ、どうにか乗り切った感じか」

「回数を重ねればもっと楽になっていくさ。未体験の事をしたわけだからな」


 俺たち全員へ向けられたと思しきジェインの発言は、励まし鼓舞するように。


「大変なのはある意味当たり前だ。問題はそれにめげずに続けられるかどうか、じゃないか?」

「……そうだな」


 これが俺の初めてのバイトなのだ。やり切って見せると、握り締めた拳と共にそんなことを胸に誓い。


「頑張りましょう。――リゲルさんも」

「……ま、バイトしたいとは思ってたからな。やり方があれなのは気に入らねえが……」


 バシリと。いつものように撃ち合わせた拳と掌。


「やってやるぜ。乗りかかった船なら、最後までな」

「ああ、言い忘れていたがあの変装道具の代金はお前持ちだ。あとで金額を纏めて請求するから、バイト代からでも返してくれ」

「――ッ、この、業突く張り野郎が……ッ!」



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