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第二節 死闘 後編

 

 ――なにが、起きているの?


 嫌と言うほどその光景を見ているというのに、私はまだそんな、傍観者であるかのような思いを抱くことしかできないでいる。


 ――人気が無くなったのを不思議に思っていたら、急に目の前に人が現われた。


 その人が短剣を取り出したら、黄泉示さんがあの包みを開けて、中から刀が出てきた。


 そして、あの人が黄泉示さんに跳び掛かって――。


 ――黄泉示さんの背中から、血が……。


 そこまでを頭の中で整理したところで、漸く頭が目の前の光景を現実のものとして認識し始める。


 目の前に見えるのは、今までに何度も目にしてきた黒い背中。……見慣れているはずのその背中に、今はところどころ見慣れない色が混ざっている。――赤。ここ数週間の生活で目にすることの無かった、赤い色……!


「よ、黄泉示さん……」


 呼び掛ける声が震えているのが分かる。必死に絞り出したはずのその声は、自分でも無理だと思ってしまうほど小さくて。……黄泉示さんが、振り向くことはなかった。


「……っ……!」


 ――自分が情けない。助けてもらい、家においてまでもらった。黄泉示さんには今までに大きな恩がある。それに応えなくてはならない。そうなのに。


 なのに。黄泉示さんが血を流している後ろで。――私はただ、逃げることさえできずに震えることしかできないでいる。幾らそうしようとしてみても、射竦められた手足は凍り付いてしまったかのように動かない。


 ――それがどうしようもなく、悔しい……!











 ――死は、さり気ない。


 そのことを男は良く知っている。ドラマチックな死などは作り物だ。現実においては覚悟を決める猶予もなく、ただただ本当に唐突に、余りにあっけなく死というものを突き付けられる。


 その際に、人は果たしてどういった反応を見せるだろうか。


 仮に問われた者が軍人や男と同じ暗殺者(アサシン)であったなら、答えを出すことは比較的容易であるだろう。彼らは常に覚悟している。死を身近に置き、それが夢物語でない足場に立ち、その場所で今を生きている。


 そんな彼らからしてみれば、死は特別な物ではない。死とは考え得る一つの終わり方であり、それを避けるためにどう対処するかという態度を貫くだけのことに過ぎないからだ。


 他方。その死に晒される人間が、そうした覚悟をまるで持たない人間であったなら。


 死に馴染みない場で生きている人間が死の足音を聞いたとき、本能に突き動かされることのない人間が、果たしてどれだけいるだろうか。


 暗殺者としての老人の経験から言うならば、面白みのない事にそのような人間は殆んどいない。死に気が付かなければ話は別だが、大抵の場合は死が間近に立ち現われたことへの驚愕、続いてそれに対する恐怖、慟哭、狂乱、逃走――等々の反応、態度を示す。日頃どれだけ声高に信念やなにかを叫んでいる人物であろうとも、大抵の場合それは変わらない。物欲に固執し、人を蹴落とし、自らを肥やすことに躊躇いを覚えない人間とも――なにも。皮肉なことに、人間の生き方というものは、その終わりを前にしたときに初めて知れるものなのだ。


 ――その点から鑑みれば、この青年はそれなりによくやっていると言えたかもしれない。


「……」


 器と護り手を捕捉してから、どれだけの時間が経っただろうか。


 気分次第で長くも短くも感じるが、身に染み付いた感覚から正せば恐らく十分と経っていない。凡そ重大な使命の渦中にあるとは思えぬような呑気な思考が、男の脳裏を過って消える。


「……」


 自らに向けて振るわれた、刀の形をした(なまくら)を紙一重と言う精密さで躱す。その勢いのまま滑るように後ろへと下がり、行うのはこれで幾度目かになる間合いの調節。……この繰り返しにも、そろそろ飽きが来る頃合いだった。


 既に六十も半ばに差し掛かろうかと言う齢。日に日に抗い様の無い衰えを感じる中、突如舞い込んだ此度の使命。男の暗殺者としての最後を締め括るに相応しい、有終の美となる使命であるはずだった。


 ――それがいざ標的を捉えたと思って見れば、覇気の欠片も感じられないような青年と、凡そ荒事とは無縁と思えるような少女。達成に向けて意気込みを感じるどころか、ある種の引け目すら感じる始末。――こうした仕事は早く済ませるに限る。そう思いつつ事に臨んだ。


 だが殺しが始まってから六分の一時間が経とうとする今、男のその予想は、徐々に覆されつつある。――鍛えている人間の動きではない。


 構えや時たま起こり掛ける所作を見る限り心得はあるのだろうが、それとて所詮素人に毛が生えたようなもの。無いよりは幾分かマシといった程度だ。動きは無駄が多く乱雑で、少なくとも自分に対抗できるだけのものではない。


 手心を加えているつもりはなかった。死にもの狂いかと問われれば確かに違うと答えただろうが、少なくとも必要なだけの力で殺そうと試みてはいる。それでも目の前の青年がまだ立っていられるのは――。


 一重にその違和感を覚えるまでに優れた身体能力があってのことだと、そう老人は分析していた。……念を入れての試し。正面からの強襲に続き、当初の予定では初撃、続く二撃目でも充分に終わらせられるはずだったが、気付けば防がれた攻撃の数はこれで七手を超える始末。対象の命を断つことを主眼に磨かれた自らの動きを見切る動体視力と、それに縋り付くことを可能にするだけの運動能力。それがやけにそぐわない。


 刃も持たない、殺し合いの場には凡そ役立たずと言える武器に、真似事染みた稚拙な技術。俄かには信じ難かったが、幾度目かに及んだ攻防の末に老人も不承不承そのことを是認するに至っていた。お世辞にも上等とは言えない要素が立ち並ぶ中、その一点だけが不自然なまでに浮いているのだ。


「……はぁッ、……ッッ‼」


 負った傷の痛み。これまでの攻防の損傷からか。最早隠しようもない徒労の色が青年の顔を色濃く染めている。……にも拘らず双眸はまだ光を失ってはいない。自身が斃れれば後ろの少女もまた斃れると、そのことが分かっているからだろう。正に守り手に相応しい気質。守るだけの繋がりも縁もない相手を守るため、ここまで自分を奮い立たせられるのだから。


「……」


 その境遇に多少の憐憫は覚えるものの、使命の重さを鑑みれば同情の余地はない。これまで通りの攻めを続けるなら、この青年は今暫くの間は保つだろう。……この一帯は奴らの領分。


 人払いの呪を張っていることも含めてここまで目を付けられていないだけでも存分に運が良い。が、予断を許さぬただの幸運であることには変わりないのだ。これ以上達成を長引かせれば失敗の恐れも出て来てしまう。


「……」


 ――殺しには、獲物に相応しい技を以て。


 初めての仕事以来、四十五年近く貫き通してきた矜持。それからしてみれば目の前の相手に自らの暗殺者としての一端を示すことは有り得ないし、有り得てはならない。


 だが、これ以上長引かせることは余りにリスクが大き過ぎる。今のこの状態でさえいつまで続けられるか分からない。負った不名誉は、それを上回る栄誉によって塗り直されることだろう……。


 その判断が老人をして、ある一手を選ばせた。





「……っは、っは……!」


 ――傷が痛む。痛いと言うよりは熱を帯びて、じくじくと身を焼いて行くようだ。


 これまでなんとか、なんとか男の攻撃を防げている。だが負った傷と疲労が徐々に身体の動きを鈍くし、反応が遅れがちになってきている。――斃れるわけにはいかない。


 その一念で身体を支えるのも限界が近い。次か、遅くとも次の次には閃く刃が身体を貫く……そんな不吉なビジョンさえ脳裏に浮かんでくる。


「……ッ」


 揺らぎそうになった身体を意志の力で立て直す。……仕掛けては来なかった。こうして相対して立っているだけでも、気力体力を秒単位で削り落とされている……一か八か。


 力尽きてしまう前に仕掛ける他ない。破れかぶれの心境で、俺が覚悟を決めた――。


 刹那。


 ……?


 全くの不意。それまで放たれていた殺気が、消える。……こちらを見る男の眼にも力がない。喉に刃物が触れているような圧迫感も霧消。状況にそぐわない、妙な解放感に襲われる。


 ――なんだ?


 今までは殺すつもりが、突如見逃す気になったとでも言うのか? ……有り得ないと思いつつも、その気配の余りの豹変ぶりに戸惑わざるを得ない。


 そのことが、致命的な隙となっていた。


「ッ⁉」


 ――眼前まで迫っていた凶器を弾き飛ばす。甲高い金属音と共に闇の中へ消えて行くのは、これまでの短剣とは別のナイフ。振るった俺自身の腕で死角になっていた陰から矢の如く飛び出してくる、銀の刃先。


「――‼」


 ――右目。狙いを直感的に悟り、打ち出された短剣を紙一重で躱す――!


 目元に走る熱。それに一瞬気を取られたその僅かな間で、またもや男は俺との距離を既に取り直し終えていた。


「――」


 数瞬遅れて、生温かい液体が頬骨の上を伝っていくのを自覚する。


 ――何だ? 今のは?


 心臓が激しく脈打つ。最初に擲たれたナイフの刃は黒。濡羽色の刃は夜に溶け込み、僅かに手を動かしただけとも見える熟練の投擲技術と相俟って攻撃を認識させるのを遅らせた。が、それだけではない。


 俺は見ていたからだ。男の動作も、迫るナイフも。……明らかにこれまでとは違う。相手は既に攻撃に移っているのに、それを途中まで攻撃と捉えることができなかった。……今の一撃を回避できたのは単に幸運によるもの。


 避け易い目などでなく、男の狙いがより的の大きい胸部や腹部であったなら。躱し切れず深手を負った俺は、間違いなく次の瞬間にでも殺されていただろう。相手が即死を狙ってきたことが、皮肉にも俺の生存に繋がった……。


 ――冗談じゃない。男の動きは速いが反応出来ないほどではない。それでなんとか今まで耐えられて来たのだ。その反応が、確実に遅らされるとなれば。


「……」


 今もこちらを見つめる男の目から、やはり殺気は感じ取れない。今の攻防を踏まえれば男が意図的に殺気をコントロールしていることは明らか。殺気というアラームがなくなったことで、即座の対処が不可能に追い込まれたと言って良い。幸運は二度も続かない。今の強襲に失敗したことで男は今度こそ、確実に俺を殺せる手段を打ち出してくるに――。


「っ――」


 鈍い衝撃。思わず降ろした視界に映し出されたのは俺の右腿から生える、一振りの刃。


「――ぐッ‼」


 ――刺された。それを理解した瞬間に広がる熱さ。右脚から力が抜け、崩れ落ちそうになるのを辛うじて堪える。――マズイ。本能的の鳴らす警鐘に突き動かされるようにして、視線を再び前に――‼


「――」


 ――移した目の前に映り込むのは、短剣を構えた男。近付くという過程を丸ごと削り取ったかのようなヌルリとした現出。俯いた隙に近付く動きを見落としたのだとしても、先ほどより明らかに距離を詰める速度が速い。――今までは本気を出していなかった。そんな思考に割く時間さえ最早ない。


 いや。というより、これは既に――。


「――」


 ――無理だ。そんな冷淡な宣告がどこかで響く。危険を察知した身体は本能的に迫る刃を回避しようとしているが、どう足掻いても間に合わないだろう。数瞬後に訪れる死。それが逃れられない必然であることを、取り巻く状況が機械的に告げていた。


 津波の如く脳裏に渡来する、過去の記憶の数々。――走馬灯。その中である、一つの映像が留まる。


 ……忘れようとしていた。思い出さないようにしていた、古い、古い記憶。


 父から手解きを受け、修練に励んでいた、あの頃の――。


 ――。


 身体が相応しい体勢を整える。――脇構え。腰を浅く落とし、左手は無い鞘を掴むかのような形で虚空(そら)に置く。ナイフの刺さる右脚には敢えて力を込めない。必要な一瞬。その瞬間にだけ力を入れられれば良いからだ。


 ――蔭水流に九つの型有り。一技必殺にして二の技要らず。


 その内の一つ。『影の太刀』における奥義。気付かせずして敵を断つ神速の居合術。

 そう、この技の名は――。


無影(なきかげ)】。


 脳裏にイメージと言葉が重なるのとほぼ同時。


「――ッ‼」


 迫る刃に向けて、全身から一閃が解き放たれた――‼











「……ちっ」


 黄泉示たちと別れての帰り道。歩みを止めたリゲルは、一人悪態を吐く。


 そのサングラス越しにも分かるような、不機嫌そうな気配に気圧されたのか……道行く通行人たちが何人か、リゲルを見ると慌てて彼を避けるようにしてその場を離れて行く。そんな自身を取り巻く周囲の反応にも、当の本人は全く無関心であるようだった。


「ったく。……何だか知らねえが、さっきから嫌な予感がしやがる……」


 そうブツブツと呟いているリゲルの周囲を、やはり通行人は遠巻きに、万が一にも視線が合わされないようやや俯き気味に、急ぎ足で去っていく。


「……突っ立っててもしょうがねえな」


 決意したようにそう一言呟くリゲル。突如その場で反転すると、元来たはずの道を勢いよく逆走していく。


「……」


 どこか安堵したように息を吐く人々……。その中でただ一つ、走り去る自分の背中を見詰めていた人影があったことに、リゲルは最後まで気付いてはいなかった。



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