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第二十七節 カラオケにて 後編

 

「……」


 ……ちょっと待て。


「フィ――」

「あ、それ酒だわ」


 俺が勘付くと同時にリゲルが言った一言。それとほとんど同じタイミングで――。


「――ゴホッ⁉ ゴホ……ッ」


 コップを傾けていたフィアが、盛大にむせた。


「フィア――」


 自分の分の水を取り。渡そうとした瞳に映ったのは、フィアの小さな手に持たれたコップの底にある雫。……まさか。


「……全部飲んだのか?」

「の、喉が……乾いてて……ケホッ」


 苦しそうな声と咳き込み。身体も少しふらついている。急ぎ手渡したコップから、フィアは喉と胸の痛みを耐えるようにしてゆっくりと水を飲んでいく。


「――いや、悪いほんと。もう少し離して置いときゃよかったな……」

「――あり得ないな」


 ジェイン。えずくフィアを視界に収めているせいか、いつもに増して顔つきが険しい。


「飲まない人間もいる以上、きちんと配慮しろ。それくらいは常識だろうが」

「だから悪かったって言ってんじゃねえか。被害者でもねえテメエにそこまで言われる筋合いはねえよ」

「口だけの謝罪に意味などあるか。今後また同じことが起きないように、カタストさんに向けて約束くらいはしていいと思うがな」

「――ジェイン。リゲルも――」


 このままではまたバトルが勃発しかねない。エスカレートしそうな遣り取りを見かねて止めようとした矢先。


「――ッ‼」

「うおッ⁉」

「っ⁉」


 勢いよく机を叩いた強烈な響き。軽いが激しいその音の発生源に、一様に、動きを止めた俺たちが、ぎこちなく首だけを動かしてそちらを見た。


「……二人とも」


 ――掌をテーブルに貼りつけているフィア。首を傾けた目、どこか焦点の定まらない、その目が。


「どうしていつもいつも、喧嘩ばっかりしてるんですか?」


 据わっている。いつもとは打って変わった、今ならそれだけで人を殺せそうな眼差し。気のせいか、声のトーンも幾らか低くなっている。……え?


「おいおい。大丈夫かよ、フィ――」

「――リゲルさん」


 一息に飲み干したとはいえ、たった一杯(あれだけ)で? 気遣うリゲルの言葉がけを遮るのは凛とした強さを滲ませる声。


「私、いつも言ってますよね。喧嘩は、なるべくやめて下さいって」

「……いやまあ、言われちゃいるけどよ……」

「けど、なんですか?」

「いやな、その……」


 ――たじたじだ。あのリゲルが。その様子に思わず……。


「……くっ」

「――なに笑ってるんですか? ジェインさん」


 噛み殺し切れない笑いを零したジェインが即刻捕まる。鉈のような重々しい鋭さを秘めた目線が向けられると同時、気温そのものが下がったかのように空気に走るのは緊張。


「……いや、僕は別に」

「誤魔化さないで下さい。ジェインさんも、どうしてリゲルさんに対してはキツイことばっかり言うんですか?」


 怖い……。ジェインも今のフィアに反論をするのはリスクが高いと考えたのか、ただ叱責を受けるに留まっている。今のところ矛先が向けられていないとはいえ、俺も下手な動きはできない――。


「喧嘩なんてしても傷付くし、疲れるだけじゃないですか。どうしてそんなことを自分たちからしなきゃならないんですか?」

「……〝喧嘩するほど仲がいい〟……」

「黄泉示さん?」


 ボソリと言った台詞にとてもいい微笑みを向けられる。……なんだろう。今一瞬、鉈を首筋に突き付けられたかのように背筋がゾクリとした……。


「お二人ともいい方なんですから、リゲルさんもジェインさんも、もっとお互いのいいところを見て――」


 一時の中断を経て延々と続けられる説教タイム。……怒る内容がフィアらしいと言えばらしい。そんなことを思いつつなるべく目立たないようにしながら、まるで正座でもしているように畏まる二人の姿を見た――。


 ――中途。


「で――……――あぅ」


 ストン、と。まさにそんな擬音がピッタリと思える動き。


「っ」

「おっ」

「――フィア?」


 フィアの眼が微睡んだかと思うと唐突に崩れ落ち、机に突っ伏す。掛けた声に返事がない。……見えるうなじに慎重に近付けた耳に聞こえてくるのは、微かな寝息の音。眠っている――。


「……寝ているのか」

「……助かったぜ」


 緊張を解くジェインに、ふーっと息を吐くリゲル。何とも言えない微妙な空気が俺たちの間に流れ。


「……そろそろ時間だな。会計を済ませておくか」

「ああ――」


 確かにそうだ。息を吐きながら財布を出す。……フィアを起こさないように、そっと。




「いやー……」


 明るい光を放つビルをあとに、歩く帰り道。


「まあ終わってみりゃ、なんだかんだ言って結構遊んだよな」

「……そうだな」


 幸いにして施設から家まではそう遠くもないので、寝ているフィアは俺が背負っている。……初めてのときも思ったが、やはりフィアは軽い。


 常識的に考えて流石にそれはないだろうが、俺の半分もないんじゃないかと思うくらいだ。……色々と当たっている感触も、気になることは気になる。


「今回はドロー。勝負を決めるのは、次の機会だな」

「はあ? 何言ってんだ。二対一で俺の勝ちだっただろうが」

「カラオケの点数では僕の方が上だった。二対二で引き分けだ」

「減らず口叩いてんじゃ――」

「……んぅ」


 俺の背で微かに声を漏らしたフィアに、二人がビクリと反応する。


「……止めようぜ。取り敢えず、今だけは」

「……そうだな。カタストさんを起こすのも忍びない」


 密かに交わされる忍び声。すっかり恐れられているなと、やや苦笑しながら先の光景を思い返す。……確かにあれは、普段一緒に住んでいる俺でさえ、いや、普段とのギャップが大きいからこそ、迫力があった……。


「う……」

「……あ、起きたか?」

「あれ……?」


 まだどこかはっきりしていない声に続いて、肩に乗っていた頭がゆっくりと離れる感触。持ち上げられた髪が首筋を撫でていく。


「……寝ちゃってたんですか? 私……」


 ああ、と言う肯定に、大丈夫です……と答えてフィアが背中から降りる。……少しふらついてはいるが、足元は一応、覚束なくないな。


「あー……」

「カタストさん、さっきはその……」

「……? ええと……」


 恐縮しているような二人の態度。目にしたフィアは、困惑するようにその眉根を僅かに寄せて。


「……済みません。間違えてお酒を飲んだところから、覚えていなくて……」


 ――覚えてない?


「……何も覚えてないのか?」

「……はい。済みません。運んできてくださったんですよね。ありがとうございます」

「いや……」


 礼を受け止めつつ振り返る。俺の視線の先には、恐らく俺と同じような表情をしている二人。


「――二人とも」

「ああ」

「おう」


 互いに頷き合う。きょとんとした表情を浮かべているフィアの前で。


 ――この日、『フィアに酒飲ませない同盟』が結成された。






「――大丈夫か?」


 リゲルたちと分かれて家に着いてから。ひとまずうがい手洗いを済ませたらしいフィアに、そのことを尋ねる。


「ちょっとだけ、気持ち悪いです……」

「牛乳でも飲むか? 粉茶が良いとか聞いたことも……」


 冷蔵庫を開ける。……牛乳は俺が飲むので置いてあるが、粉茶はないか。


「いえ……大丈夫です。飲んだ方が多分、駄目だと思うので……」


 済みません、と言うフィアにいや、と返す。流石に今の状態のフィアに何かしてもらうのは酷だ。


「沸かしておくから、先に入ってくれ」

「あ……分かりました」


 リビングに一旦フィアを置いて風呂場へ。お湯張りのボタンを押して少しすると、熱いお湯が浴槽に流れ出てきた。それを確認して戻り――。


「……」


 ……長いな。


 リビングで軽く明日の予習をしつつ、先に入ったフィアが上がるのを待つ時間。いつもより大分。元からフィアは入浴の時間が長い方ではないが……。


 嫌な想像が頭を過る。……ないとは思うが、万が一、酔いが回って溺れでもしていたら。


「……」


 一度想像してしまうと中々消えない。不気味に揺らめいて水面に浮かぶ髪のイメージに、根負けするようにして椅子を立った。


「――フィア?」


 脱衣所のドア。ノックと共に声を掛けるが、反応がない。欹てた耳に届くのはシャワーと思しき水音。その横に倒れているフィアの姿が思い浮かぶ。余り大声を出すのも……。


「……」


 無言のまま。なるべく物音を立てないよう、ドアを開ける。少し崩れた形で折り畳まれた衣服とパジャマ。覗く視線の先には。


「――」


 半透明のドアに移っているシルエット。……普通にシャワーを浴びているだけのようだと分かり、ホッとする。同時に湧き出てきた覗き見をしているような罪悪感に、早々に退散すべきと体を引き。


「――」


 水音が止んだ。音に釣られて戻した視線の捉えるその動きに硬直する。先ほどより近付いたシルエット。身体付きの分かるその陰が、扉に手を掛け――。


「――ッ!」


 ――危なかった。


 ギリギリのところで回避が間に合った。……なにも目にしてはいない。未遂で、セーフ。全く以てパーフェクトに健全だ。うん。


「……黄泉示さん?」


 意味不明な思考に襲われていた最中――ドアが開き、姿を見せたのはパジャマに着替えたフィア。その瞳に見つめられてたじろぐ。


「そ、その、忘れ物があって……」

「……そう、ですか」


 少し、ぼーっとしている。心なしか、いつもより髪の濡れも拭えていないような。


「……やっぱりまだ気持ち悪いのか?」

「何だか少し……ぽわぽわします」


 辛いといった感じではないらしい。疲れもあるのか、トロンとした目は非常に眠そうだ。


「早目に寝た方が良い。明日も、学園だしな」

「はい……お休みなさい……」


 どこか覚束なさ気な足取りで自分の部屋へと消えるフィア。……揺れる後ろ姿に、大丈夫かとの思いもあったが。


「……ふう」


 流石に寝室に入るわけにもいかない。一日の遊びで自分の身体もそれなりに重いことを確認して、俺は風呂場へと向かった。精々ゆっくりと入るとしようと、そう思いながら。



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