第二十六節 カラオケにて 前編
「……はあ……」
「う、腕が……」
腕を押さえながらソファーに座る。目の前にあるのは分厚い台帳と、マイク。
――カラオケ。ドリンクと休憩を兼ねて俺たちは此処に来ていた。カフェにしようかとの案も出たのだが、ただ座るより横になれるような場所があった方が良いとのことで、此処になったのだ。
「あー、てめえがごねるからクタクタだぜ」
「勝負を受けたのはそっちだろう。責められる謂れはないな」
「……二人とも元気ですね」
あのあと。
ダブルスでは結局俺たちの側が勝利し……ギャラリーの拍手喝采の中で俺たちは退散した。やはりと言うべきか、服装のせいもあって流石に俺よりもフィアの方が動きが悪く、その差で辛うじて勝利した感じだ。
俺の方もリゲルのスマッシュを受けるときは大概決まって点を取られていたので、互いにパートナーをどう庇うかが勝負になるという、妙な戦いになっていたが。
「済みません……私、ミスばっかりしていて」
「いや、ありゃしゃあねえよ。ジェインの奴が厭らしい変化球ばっか使うのが悪いな」
「女性だからといって加減するのは相手に失礼だ。お前だって黄泉示が打ち手のとき、やたらと強烈なスマッシュばかり狙っていただろうが」
「そりゃ黄泉示相手に加減なんてしねえよ。今だってお前と違ってピンピンしてるじゃねえか」
「……いや、まあ」
寝椅子に寝転がっているのはフィアとジェイン。普通に座っているのは俺とリゲルだ。この辺は体力で差が出るな。俺と違ってジェインは連戦だったわけだし、それも勿論違うのだろうが。
「そうだな。蔭水が体力があるので助かった。何かトレーニングとかしてるのか?」
「特にはしてないな。たまに歩いたりしてるくらいで」
「本当か。それでその体力とは、正直羨ましいな……」
ジェインが再び横になる。……俺の身体能力が高いのは正直反則のようなものなので、少し気が引ける。寧ろ鍛えているとはいえ、俺と同じだけの身体能力を持っているリゲルの方が余程凄いと、内心でそんなことを思う。
「ま、少し休憩してこうぜ。個室だから他に迷惑かける心配はねえし、学割で料金もかなり割安だしよ」
開いたばかりのサービスということもあり、学生は一時間二百円という採算の心配な値段設定になっている。ありがたいというべきか。
「とりまなんか適当に歌うか。――黄泉示はどうするよ?」
「俺は……」
初めてではない。高校の頃、何度かカラオケは来たことがある。が。
「いいかな。歌うのは得意じゃないんだ」
ぶっちゃけ下手だったのだろう。自分ではよく分からないが、音程が上手く取れていないらしい。誘ってくれた連中がちょっとフォローの言葉に詰まっていたくらいには。
「そっか。なら入れさせてもらうぜ」
他人が歌っているのを聴くのは好きなので、カラオケ自体が嫌いというわけではない。機械を操作して曲を入れて行く。その迷いのない、慣れた動作に。
「結構来てるのか?」
「まあ、来てるっつうかな。家にカラオケルームがあって、そこでたまに歌ってたりしたからな」
言うが早いか。大画面に曲名が表示され、流れ始める前奏。マイクを握ったリゲルがリズムを取るように身体を揺らし、瞬間、一気にその声を張り上げた。……これは。
「――」
――手放しで上手いとは言えない。溢れるパワーを歌詞としてメロディーにぶつけているような歌い方。解釈の仕方によっては、声量と肺活量に頼っているようにも聞こえるだろう。だが……。
なんというか、熱量を感じる声だ。思わず血が滾ってくるような、身体の奥から熱さが呼び起こされてくるような、そんな滾りを感じる。これはこれで一つの歌い方なのかもしれないと、思う俺の前で。
「――っふうッ! んな感じかな」
一曲を見事に歌い終える。……正に熱唱。振り向いたリゲルに対して、俺とフィアが拍手を送った。
「――煩い」
その最中に。不機嫌そうな声と共に身を起こしてきたのは、ジェイン。
「だみ声を大音量で聞かされると迷惑だ。喉を磨いて出直して来い」
「はあ? 歌ってのはハートで歌うもんだろ。小手先の技術に頼った歌なんぞ、無味乾燥で面白くもなんともねえよ」
「……いいだろう」
俺へ目を向ける。
「次は僕が歌う。――蔭水。マイクを貸してくれないか」
言われるがままに手渡したマイク。受け取ったジェインは完全に置き上がると、素早く機械を操作して曲を入れる。……軽く水を含んで、ゆっくりと立ち上がった。
「――」
始まった曲は先ほどのようなアップテンポのものではなく、ゆったりとしたバラード。軽く息を吸って、歌い出したジェインは――。
「……」
――上手い。
声量はそれほどでもないが。リゲルとは違い、歌う技術が身に付いているのが分かる。ここぶしの利かせ、喉の絞り、息継ぎのタイミング、……など。
「――どうだ? 分かったか?」
最後まで音程も外すことなくきっちりと歌い上げた。俺とフィアから送られるのはリゲルのときと同じく拍手。それに対して――。
「ぬわぁにが〝分かったか?〟だよ」
リゲルはソファーにふんぞり返った姿勢を崩さないまま。やれやれと言った素振りで首を振っている。
「んなヘロヘロした声じゃ、誰の心にも響かねえっての。声出しの練習でもした方がいいんじゃねえのか」
「技術の上に立ってこその歌。声だけデカい奴に言われても、説得力が皆無だな」
「――フィアはどうだ?」
「……そうですね」
口論が始まりそうだったので急遽視線と話題とを余所へ。尋ねたフィアは、少し迷う素振りを見せて。
「私、カラオケは初めてなので……」
「――マジか」
フィアの発言に、二人の言い争いが止まる。
「上手くないというか、下手でも大丈夫でしたら……」
「全く構わないさ」
やや不安気に言ったフィアを、ジェインが有り得ないという風に執り成す。
「誰だって初めてのタイミングがある。事情を省みないでとやかく言うのは、愚か者のすることだ」
「そうだぜ。そもそも上手い下手じゃなく、楽しんで歌うのがカラオケだしな」
うんうんと首肯する。二人とも、先ほどの罵り合いが嘘のように紳士的だ。……かく言う俺もちょっと聞いてみたくはある。此方を見つめる瞳に、頷きを返した。
「じゃ、じゃあ」
えっと――と言いつつ曲を入れたフィア。緊張しているように両手でマイクを握る中、始められた音楽に耳を澄ませる。……これは。
「――」
確信を持てたのは丁度歌い出しの辺り。以前にフィアが鼻歌で歌っていたメロディーだ。軽やかな中にも情感のある、穏やかな旋律を伴った、あの――。
「~~~」
歌詞もリズムも完全には覚えていない。画面に映る文字を頼りにしながらの歌い方はたどたどしいが、なにか癒されるような気がする。
「……」
そしてそれだけでなく、どこか惹かれるような要素もあるのだ。――懸命さがあるからだろうか?
その場の全員が聴き入っている中で、傍目にも頑張っているフィアはどうにか無事最あとのサビを歌い終わり――。
「はあ……っ」
「――良かったぜ! フィア」
大きく息を吐いたところで、リゲルから威勢良い一声が飛ばされた。振り返るフィア。
「やはり綺麗な声だな。聞いていて心地良かった」
「えっ? あっ、ありがとうございます――」
「こうなったら黄泉示も歌えよ」
リゲルが俺にマイクを渡してくる。……いや。
「俺は――」
「一曲くらい良いじゃねえか。俺らはまだ聞いたことねえし」
「そうだな。一度は聞いてみたい。無理なら仕方ないが」
続け様に言われるリクエスト。だが、俺は。
「――黄泉示さん」
俯かせる躊躇いに手を掛けるように、フィアから掛けられる声。
「その、私も……」
「……」
カラオケは初めてのフィアまでが、頑張って人前で歌い切ったのだ。
「――」
ここで歌わなければ男がすたるというもの。マイクと共に機器を手に取り、リストから知っている曲を入れる。……暫く歌っていないが、俺がかつて一番練習したことのある歌。これならば――。
「……よし」
多少なりとも歌えるはず。緊張と決意を以て、始められた旋律に歌詞の出だしを紡いだ。
――
「――っ」
「……さっきよりは、大分……」
腹から声を出す意識にフィアの呟きが聞こえてくる。――先に一曲を歌い切って。聴いたフィアたちの感想は――。
〝……あー、なんつうかな、あー……〟
〝こ、個性的ですね……〟
〝……はっきり言ってしまうが、壊滅的だな〟
以上の通りだった。俺の歌が下手だとの評価が、このメンバーに於いても確定した瞬間。
「そうだ。さっきよりは音程が取れてる。その調子で――」
「初めのうちは思い切り声を出してった方が良いぜ。間違ってんじゃないかとか、恥ずかしいとか思わずにな」
ジェインとリゲルの二人から熱心な歌の指導を受けつつ、何度目かになる同じ曲を歌っていた途中。
「――っと」
盛大に鳴る腹の音。同時にラストサビが終わり、流れていた音楽が止んだ。
「っ……」
「腹減ってきたな。そろそろどっか行くか?」
「ここで食えばいいだろう。別の店に入り直すより楽だ」
マイクを下ろし。一息を吐く中で耳に届くジェインの声。……そこはかとない疑問。
「ここで?」
「ああ。最近のカラオケ店は、結構食事のメニューも充実してることが多いからな」
ほら、と渡されたメニューを見る。……本当だ。軽食以外に、ガッツリした品も色々とある。下手な喫茶店などよりは充実しているだろう。
「よくこれだけ……」
「まあ、下手に品数の多い店だと逆に疑問が湧くことはあるがな」
驚く俺の反応に対し、肩を竦めるジェイン。
「食材には限度があるし、普通に作っていればある程度メニューが限定されるのも、出て来るのに時間が掛かるのも当たり前のことだ。単なる手抜きとは区別しなければならないが、適切な意味で〝何でもある〟店などそうはない。幸いここはちゃんと作っているらしいが――」
「うし。じゃあ呼ぶぜ」
長くなりそうな講釈の途中でリゲルがボタンを押し、内線で店員に連絡。それぞれが決めたメニューを告げ、休憩も兼ねて喋りながら来るのを待ち――。
「……美味いな。意外と」
「だろ?」
届いた食事群。メニューとして珍しいものはなく、スパゲッティやハンバーグ、カレーにオムライスなど、馴染みのあるラインナップではあるが。
「……」
味の方はどうして中々に悪くない。カラオケが本業なのだから、言ってみれば料理はおまけ。味は期待しても仕方がないとの認識を改めさせられる。
「味付けも濃くないですね」
フィアなどはサラダセットを頼んでいる。野菜の色は見た目にも鮮やかで、健康にも割と良さそうだ。……こうして友人と一緒に来なければ、こうしたことも知らないままだったのだろうか。
「いやー、美味かったな」
真っ先に食べ終えたのはリゲル。ふぃ~と息を吐きつつ満腹になったらしい腹を摩っている。
「食休みが済んだら行くか。流石に食べた直後で歌うのは厳しい」
「おっ、なんだジェイン。あんだけ高説垂れてたくせに、案外貧弱だな」
「……周りを気遣ってのことだったんだがな。いいだろう。貴様がその気なら、またバトルしても――」
「これ、お水ですか?」
など――。




