第二十三節 雨降って…
「――分かりました」
話していた男が、耳から携帯を離す。……なんだ?
「帰るぞ」
「え……⁉」
先ほどからどこか雰囲気が変えられたようだと。そう感じた矢先に飛び出してきたその発言に、狼狽えるのは俺たちよりも寧ろ仲間の男。
「上からだ。買い上げ話がご破算になったんで、とっとと切り上げろとさ」
「ま、マジですか……」
「大マジだ。つうことで――」
テーブルに手を突きつつ男が腰を上げる。それに続くようにして、慌てるように部下の男も立ち上がった。
「退き上げさせてもらうぜ。もう、此処に用はなくなった」
「……随分と勝手な話だな」
食って掛かるのはジェイン。
「一から十までそっちの都合で掻き回しておいて、謝罪もなしに消えるつもりか?」
「ふ、じゃあなんだ? このままこの話が続いて、面倒なことにでもなってた方が良かったか?」
「……」
「まあ、そうカッカするなよ。気持ちは分かる――なんてことは言わないが」
煙草を取り出そうとしたのか、指がシャツの内ポケットを探るような仕草をして、思い直したように止まる。
「人間、なんでもかんでも好きに自由にできるってわけじゃない。状況やしがらみ次第で、どうにもならないことだって山ほどある」
口の端の片方を軽く上げて見た、その瞳にそれまでのような凄みは見えない。
「そういうことを互いに考えて、理解するのがあんたらの説くような思い遣りだろ? ――なあ? 神父さん」
「……そうかもしれませんね」
視線を交わす。一瞬の交錯ののちに、男は身体の向きを変え。
「じゃあな。――良かったな、ボウズたち」
こっそりと覗いていたらしい。子どもたちが分かれたそのあとを男たちは通って行く。そのことを確かめるようにエアリーさんがあとに続き。
「へっ、あばよ!」
「もう来るなよ、ゆでだこー!」
「けっ、こんな襤褸っちい教会なんざ、頼まれても二度と来ねえよ!」
子どもと言い合う男の声が、取り残された俺たちの耳に最後まで響いてきた。
「……ふう」
少しして、俺たちのところへとエアリーさんが戻ってくる。息を吐き、肩の力を抜いて。
「……神父」
「ええ。大丈夫ですよ」
緊張をほぐすように首を回し。浮かべたのは穏やかな微笑み。
「二人ともちゃんと帰って行ってくれました。あの様子では、嘘でもないのでしょうしね」
――ほっとする。息を吐く俺たちの前で、その柔和な目がこちら側を向いた。
「二人とも、ありがとうございました」
「……いえ」
丁寧な礼。情感の込められたその仕草に、逆に膝上で握る拳に力が入る。……礼を言われる立場ではない。俺たちは。
「俺たちは、何もしていないので……」
「こういうことは、意外と当人が気付かないものなのかもしれませんが」
事実をそのままに告げたつもりの俺の言葉を切り、エアリーさんが茶目っ気のあるような表情を見せる。
「ピンチのときに誰かが傍にいてくれることで、勇気が出ることもあるんですよ」
「……まあ」
エアリーさんの微笑みに、次いで言葉を紡ぐのはジェイン。
「一応、礼は言っておく。手間を掛けさせたのは事実だからな」
「そんな、私は……」
二人からの礼。身に余る感謝に、フィアが取り成そうとしたとき。
「――神父、ジェインー」
慌てたような声と共に駆け込んできたのは年長の子どもの一人。全力で走ってきたのか、膝上に両手を置きつつその肩を大きく上下させている。
「なんだ。今は」
「外にまた、黒い人が来てる」
「……!」
――まさか。
急速に胸に沸き上がる不安。走り出したエアリーさんとジェインに続くようにして、俺たちもあとを追った――。
「……っ!」
走り抜いてきた先。雨が降っていたのか、濡れた門の前に立っているその姿を認めて足を止める。……サングラスは掛けていないものの、目にしたのは見慣れたスーツ。
「……リゲル?」
「よ。黄泉示、フィア」
手を挙げたのはリゲル。……どうしてここに。覚えた疑問に足を進めるより先に、ジェインが対峙するように前へ出た。
「――なんの用だ」
放たれた声は固く、冷たい。
「この二人を探しに来たのか? 言っておくが、僕が何かしたわけじゃ――」
「んなことじゃねえから引っ込んでろ。――そっちの神父に会いに来たんだよ」
「……なに?」
「私にですか?」
「ええ」
口調を変えたリゲルがエアリーさんに向けて姿勢を正す。いつもの態度からは想像もつかないほど、改まった雰囲気。
「――話、つけといたんで」
一瞬、何の事を言っているのかが分からなかった。
「もう多分、連中が来ることはないと思います」
続けられた台詞に目を丸くする。……あのときの電話。上からの指示を受けて、男たちが引いたのは。
――リゲルが――。
「それだけなんで。――んじゃ、また明日な! 黄泉示、フィア」
去っていく。残された衝撃に、その背を追い掛けることはできず。
「リ――!」
「……待て」
フィアがその名を呼ぼうとした声を遮り。硬さの残るジェインの声が、去りゆく半ばにある背中を呼び止めた。
「……どういうことだ? 奴らが引いたのは、お前の仕業なのか?」
「……カッコ付かねえだろうが。何度も言わせんなよ」
「なんのつもりだ」
振り返らず溜め息を吐くように言い。再び歩き出したリゲルに掛けられるのは感謝ではなく、半ば問い質すかのような強い声音。
「意趣返しか? 恩でも売ったつもりか?」
「――ッチッ、バーカッ! 思い上がんな!」
言葉の前に零された舌打ち。叫んで決めたように素早く振り向くと、ジェインを青眼に見据えてリゲルは言う。
「てめえ如きの為にじゃねえよ。――ガキどもが不憫だろうが。あの齢で、居場所を失っちゃあよ」
それに――と。再び前を向き、背を向けてリゲルは言った。
「これは俺がやらなきゃならねえことだからやっただけだ。テメエがどれだけいけ好かない野郎だろうが、関係ねえ」
言い切って足を進め始める。……誰も声を掛けることはできない。纏わされている明確に終わりを告げる雰囲気に、俺たちの内の誰も割り込むことはできず。
「――待て」
再び声を掛けたのはジェイン。半歩踏み出して掛けたその声が、肩に手を掛けたように。
「顔を見せていけ。……子どもたちに」
「はあ?」
立ち止まったリゲルが振り返る。表情に窺える怪訝と警戒。
「いきなり何だよ。今更詫び入れようってんなら――」
「違う」
リゲルの台詞を遮る冷静な声音。ジェインの言葉に弱さはなく。
「勘違いするな。――誰が教会を潰そうとして、誰が守ろうとしたのか」
俺たちから見る背中は、毅然とした断崖を保っていた。
「あの子たちは知っておく必要がある。……協力してもらうぞ、お前にも」
「……」
睨み合う数泊の間。半身と共に首だけを向けていたリゲルが、その足先の向きを変え。
「――ガキどもにはてめえから言えよ」
「ああ。分かっている」
その言葉を合図にしたかのように、教会へ向けて歩き始める。――前を通り過ぎた。三人で顔を見合わせ。
「――っ!」
距離を離されないようにあとを追う俺たち。灰色の雲が立ち込めていた空に見えている晴れ間を、目指すようにして。
――その後。
「わー!」
草木に残る雨露が光を放つ教会の庭。はしゃぐ子どもたちがリゲルの両腕に乗っかっている。始めの警戒が嘘のように。
「すげーすげー‼」
「たけー!」
「はっはっはっ! どうよ! 楽しいか⁉」
「うん!」
「やるじゃねか、あんちゃん!」
「今頃気付いたのかよ! そら――!」
子どもたちを乗せたままグルグルと回るリゲル。……メリーゴーランド――いや、コーヒーカップか。完全に子どもたちと同じ水準のテンション。リベンジを果たそうとするも早々に圧倒されていた俺、現在進行形で圧倒されているフィアとは、えらい違いだ。
「――やれやれ。全く……」
屋根下の濡れていない草の上。子どもたちの手から逃れて眺めている俺の隣に、近づいてきたジェインが座り込む。軽く息を吐いて。
「あんな馬鹿に毎日絡まれているとは。君やカタストさんは大変だな」
「……そうでもないさ」
本心からの回答を返す。風の吹いていく中で、暫しの間が置かれ。
「……借りができたな」
「……多分」
零したジェインに、余計なことかもしれないと思いながらも言った。
「リゲルは、そうは思ってないんじゃないか」
「奴が思わなくても僕が思う。借りには違いないさ」
「そうか……」
沈黙。雨上がりの空気は澄んでいて、頬を冷たく撫でていく。その心地の良い雰囲気に身を浸し――。
「――蔭水がなぜ話し合いに拘っていたのか、少し分かった気がする」
唐突なジェインの言葉。不意を討たれて振り向く。
「今更あり得ないとまで思っていたが。……話してみると、案外気付かされることも多いな」
力みや敵意の抜けた声に、自然とこちらも肩の力を抜いた言葉が出る。思ったそのままのこと。
「ジェインだってそうさ」
「――ああ、かもしれないな」
「――ジェイン」
顔を上げる。俺たちの前に立っているのは、いつの間にか近付いて来ていたエアリーさん。
「あなたが教会のためにいつも頑張ってくれていること、私たちは知っていますし、嬉しく思ってもいます」
「……神父」
「ですが」
優しい微笑みを眼に浮かべた。
「あなたはもっと自分のために時間を使って下さい。今のような根の詰め方では、見ている私たちとしても不安になります。――私もまだまだ現役の身ですから。頭の良いジェインからしたら、頼りなく映るんでしょうけど」
「いえ、そんな……」
「あなたはまだ青年です」
きまり悪そうに頭を下げたジェインに対し、エアリーさんは更に微笑みを贈る。
「これからまだ多くの経験を積んでいきます。ときには近しい先達に、背中を預けてみることも大切ですよ」
「そうだぜ!」
勢いよく叫んだのは、神父の後ろから飛び出してきた子どもたち。
「俺らだってもう、自分らで遊べるよ!」
「そうよ。ジェインももっと、好きにしたら?」
「……っ」
次々に掛けられるそれらの言葉。腰に手を当て、腕組みをする子どもたちの姿に、ジェインは僅かに瞠目したように見え。
「……ありがとうございます、神父」
エアリーさんに向けて頭を下げる。そのあとで、改めて子どもたちの方へと向いた。
「――ありがとう、皆」
「……」
「おう、黄泉示! ジェイン!」
どこか湿っぽくなった空気の内を、威勢の良い声が跳ぶ。
「ずりいぞんなとこで! 休んでねえで、お前らもがきんちょの相手手伝えよ‼」
「……呼ばれてるぞ」
「ジェインもだろ」
互いにふっと笑みを浮かべながら立ち上がる。ズボンに付いた土草を払い、向かう先は、子どもたちの集っているところ。
「よ、黄泉示さん~!」
「――今行く」
全方位から子どもたちに抱き付かれて身動きの取れなくなっているフィアに。そう返して俺たちは踏み出した――。




