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第二十二節 けじめ

 

「もうじきだと思うよ」


 窓の外。急速に崩れてきた空模様を見つつ、リゲルは背に掛かる声を受け止める。


「今は道が混んでいるからね。そのせいで、少し遅れているんだろう」

「……ああ」


 振り向いた先に立つのは父レイル。いつもとほぼ変わらず、しかし胸にハンカチを覗かせたその姿は紛れもない彼の正装。これから会うことになる人物が、一定の格を持つ相手であることを示している。


「――それにしても、リゲル君がいきなりこんなことを頼んでくるなんて驚いたよ」


 からかい半分、探り半分のような父の台詞をリゲルはスルーで受け流す。……あのときに偶然に盗み聞いた話。


〝帰れ!〟

〝ここは、私たちの場所!〟


 子どもたちから投げられた石と台詞。……脳裏に浮かぶあの光景が、これが自分がやらなければならないことだと教えてくれている。


「まあ、現状うちの方が勢いはあるとはいえ、相手もそれなりに力のあるファミリーだ」


 リゲルから返答がないことを気にした様子もなく、窓の方角を見るレイル。


「粗相のないようにね。リゲル君」

「……分かってる」


 色の変わった声を受け止める。響いてくるのは水を弾くタイヤの音。近くに車が停まった。それを理解して間もなく、大きくドアが開け放たれた。


「――外出ってのに突然の雨だ。全く、ここ最近の陽気はどうなってんだか――」

「――やあやあ」


 黒服に案内されて入ってきた数名。水を含んだ重い空気と共に入ってきたその姿を、ボスたるレイルが前に出て出迎える。


「今晩は招きに応じていただいて感謝するよ。名だたるアルバーノのドン、ビアッジョ」

「ふん。世辞は良い」


 コートの肩に付いた水滴を払いながら答えるのは――恰幅の良い、六十代程度の男だ。被っていた帽子を預け、差し出された手を取りながらビアッジョは言う。


「ここ十年で躍進目覚ましいあんたんとこに声を掛けられちゃ、断れる奴はこの界隈にはいないだろうよ」

「事実とはいえ、他人の口から言われると照れるものだね」

「はっ、心にもないこと言いやがって」


 互いに笑みを浮かべ。握手を終えた手が主たちの元へと戻る。


「それで、用件はなんだ」

「実はうちの息子が、ぜひ貴方と話をしたいと言っていてね」


 ここまでは完全に自分を置き去りにした会話。それが終わりを迎えることを悟り、握り締められたリゲルの拳が更にその圧力を増す。緊張と共に一層正す姿勢。


「……息子? ああ」


 その段になってもビアッジョの眼はリゲルを向かない。一瞬目をくれることすらしないまま、不愉快そうに、つっけんどんな口調でビアッジョは語った。


「この前カッサンドラの連中と一悶着起こしたっつうボンボンか。こりゃまた随分詰まらねえ用で呼びつけてくれたもんじゃねえか」

「詰まらないかどうかは、貴方が直接判断してくれたまえ。――リゲルくん」

「……どうも」


 淀みない足運びで前に出る。自分が今いるこの場面では、歩き方一つしくじっても即死級。日頃ごろつきや下っ端どもを相手にしているときとは違う、一切の昂ぶりを伴うことのない、冷えた緊張。


「大変不躾であることは自覚しているが、私は一度席を外させてもらうよ」


 貼り付けたのかと思うほどに崩れぬ微笑を湛えたまま、一片の淀みもない優雅さでレイルが身体の向きを変える。


「お互い、私がいては話しにくいこともあることだろうしね。何かあれば部下に声を掛けてくれたまえ。十秒で来よう」


 それだけを告げて黒服共々に去っていく。あとに残されたメンバーの間に、一瞬の沈黙が過った。


「……お初にお目にかかる」

「……おい」


 その態度が目に映らないかの如く。話し始めたリゲルの挙動を完全に無視して、ビアッジョは部下に声を掛ける。


「切れた。葉巻持って来い」

「俺はリゲル・G・ガウスだ。俺の名前なんざとっくに知ってるだろうが……」

「美味くねえな。もうちょっと――」

「――おい」


 やや強めに声を掛ける。それでも揺らぐことのない、ビアッジョの態度を目にし――。


「聞いてくれ。……頼む」


 九十度。そっ首を差し出すようにして、リゲルは頭を下げた。


「……ふん」


 その行動からやや遅れて。不満げに、頭上で一つ鳴らされた鼻。


「それでいい。親父の笠を着て呼び付けたただのガキが、対等に話そうなんてのが間違ってんだ」


 最低限の条件は越えたという素振りで。それでもなお気のない視線をビアッジョはリゲルへと送る。そこまで至ってもまだ、頭は下げられたまま。


「――で?」


 吹かれた葉巻の煙が、床を見つめるリゲルの面を飲み込んだ。


「話ってのは何だ? ボウズ」

「……あんたのとこに、エアリー教会の地上げの話が上がってるはずだ」


 咳き込みそうになるのを堪えつつリゲルは顔を上げる。自然と握り締めた拳を悟られぬよう、瞳と語る口調の方に意を込めて。


「ほう。そうか。それがどうした?」

「拒否してくれねえか?」


 ――ここだ。身を乗り出す。


「あんたんとこにとってあの教会の地上げは数ある収益手段の一つでしかねえ。元からぼろい教会一つ。孤児院ってことを考えても、旨味のある土地じゃないはずだ」

「なるほどな」


 エアリー教会の周辺はさびれた住宅街。立地を考えても良い位置とは言えず、レイルの情報網で調べてもカネや利権に繋がるような話は出てこない。……行き場を失った子どもたちが野垂れ死にでもすればファミリーのイメージを落とすことにもなる。


 逆になぜあんな話が出ているのかと疑問に思うくらいには、地上げには向かない土地柄なのだ。


「考えねえ話じゃねえ。あの話はこっちとしても、そこまで拘ってるわけじゃねえからな」


 言葉とは裏腹に気のない所作。赤熱を湛える葉巻の先端から変わる灰を、皿に落とし。


「――で?」


 そこが要点だと言うように、幾分声の調子を変えて尋ねてくる。訊くだけは訊くという風に、相変わらず気のない笑みを浮かべたまま。


「その話を蹴って、俺に何の旨味がある? 頼みを持ってきといて礼の一つもなしってのは、有り得ねえよな?」

「……ああ」


 唾を飲む。幾度もの考えと覚悟とを以てしても容易に口に出すこと敵わないのは、正にその次の一言。


「あんたんとこは、俺に貸しを作れる。それが旨味だ」

「――」


 全ての音が抜け落ちたかのような空隙。清水の舞台を遥か背にする心境で、待ち受けるのはその瞬間。


「……クッ」


 ――訪れは唐突。


「クハハハハハハハッ‼」


 一度破れれば戻すことは難しい。独りでに広がっていくかのように、大笑いの声が空気を埋め尽くしていく。


「そうかそうか! いやこりゃ参った! お前に貸しを、ねえ⁉ ハハッ‼」


 ビアッジョの抱腹は止まらない。踏み締めたその場から笑い転げるかの勢いで、彫られた皺の他に涙までを浮かべた眦。


「それで? 俺が困ったときにボウズを呼べば、パパにお願いしてでもくれるってのかい?」

「親父は関係ねえ」


 笑みを貫く眼差しには一切の揺らぎも、怖じ気も入れない。――入れてはならない。例えそれが、全くの意図しないものであったとしても。


「これはあんたと俺の話だ。ドン・ビアッジョ」

「……」


 混じれば全てがそれで終わる。黙したまま値踏みするように見つめてくる瞳の動き。リズムを刻むように灰を落とす節くれだった指の所作に、否応でも汗が浮かび――。


「――一つ訊かせろ」


 慣らされた指。控える部下のどこからか用意した皮椅子に背をもたれて、ビアッジョは見るものの動きを静止させるような双眸を青年へと向ける。


「貸しと言ったな? ならこれがお前にとってどれだけ重みのある貸しなのか、それを確かめないことには始まらねえ」


 継ぎ目のない平坦な声で言い、瞬間、ぐいと身を乗り出した。


「――レイルを殺れ」


 囁かれる、冷徹な声。


「タイミングはこっちで指示する。息子なんだ。やり方なら幾らでもあるだろ?」

「……」


 リゲルが黙す。大きく口角を吊り上げるビアッジョから、数秒だけ目を逸らし。


「……今の俺には無理だ」


 口にされたのは、弱音とも思えるようなその言葉。


「十年。十年待ってくれれば、望みに応えてみせる」

「……」


 ビアッジョの顔から笑みが消える。初めて見せる真顔で、唇を結んだリゲルの表情をまじまじと見た。


「――良いだろう」


 直後に言い渡されたその一言。安堵を覚えるより先に、ビアッジョの継いだ次弾に意識を向けさせられる。


「その条件で頼みを聞いてやる。借りを忘れればどうなるか」

「分かってる」


 動きを見せるのは控えたままの部下。間髪入れずリゲルの返した表情に、満足そうに頷いた。


「なら話は終わりだ。――帰るぞ。車回せ」




「……っ」


 去っていくビアッジョ――アルバーノの一行を目に、リゲルは崩れ落ちそうになる膝を支える。……まだ生きた心地がしない。一つでも応答を間違えれば、果たしてどうなっていたことか。


「終わったようだね」


 いつの間にか。音もなくリゲルの背後に立っているレイル。常人からすれば否応なく驚かされるだろうその行動にも、息子であれば慣れた心持しか出ない。


「ま、どうにかな」

「――貸し二つだよ、リゲル君」


 安堵する暇もなく。にっこりと笑ったレイルから突き付けられるのはその現実。


「地上げ話の調査費用に、別ファミリーのドンへの繋ぎ。これだけでも結構な額だ」


 何処からか取り出したそろばんをパチパチと弾きながら言う。……レイルがその程度の計算に道具を使う必要がないことなど、リゲルや黒服たちなら誰もが知っている。詰まるところ、プレッシャーを掛けるための演出だ。


「いつものように無利子出世払い。将来大きくなったリゲルくんから返してもらうのを、楽しみにしているよ」

「……ああ」


 痛い出費。ではあるが仕方がない。自分はやるべきことをやり遂げた。あとは――。


「じゃ、俺は出て来るからよ」

「ああ。行っておいで」


 気を付けてとは言わないレイルの声を背に、リゲルは早足で階下へと向かう。目指すはあの場所。事態を告げるべき相手のいる、その――。



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