第二十節 ジェインのわけ
「……」
「……」
あれから一晩が経ち――授業終わり。
俺とフィアは帰路についている。……終わる時間帯が違うので、今日も帰りはリゲルとは別だ。半ば独りでに歩を進めつつ――。
〝なにも聞いてなんかいない〟
考えてしまうのは昨日のあの話し合い。ジェインが出て行ったあと、残されたどこか気まずい雰囲気にリゲルも早々に退散した。俺とフィアもそれ以上話をすることはなく、やることをルーティーンに戻したが。
ジェインの口にしたあの一言。……俺たちやリゲルが知っている以外にも、何かあるということ。一体全体、何が――。
「……黄泉示さん」
フィアの声に考えを中断する。
「……どうした?」
「行ってみませんか? 教会に」
「……!」
告げられたのは俺としても薄々は考えていたこと。思い浮かべながらも、容易には踏ん切りをつけられないでいたが。
いざ言葉にされてみると。……その考えは、思っていたよりずっと自身の核心を突いているように感じられた。
「このままだと、なんだか……」
「……ああ」
頷きを返す。このまま悩んでいたところで、どうにもならない。
「そうだな。――行ってみよう」
―――
……バスに乗って。
「……」
前回と同じ停留所で俺とフィアは降車する。……教会までの道筋は覚えている。問題はない。フィアと共に、なだらかな景色の続くその道を暫く進み。
「――」
見えてきたのは先日と変わらない教会の姿。閉じた門扉の見えてきたところで歩みを止める。……さて、どうするか。
中には入れない。……先日のあの態度だ。ジェインに見付かれば、それだけで追い返されてしまうだろう。知り合いだと言えば子どもたちに入れてもらえるかもしれないが、騙すような真似は……。
「――何か御用ですか?」
――刹那。天啓のように掛けられたその声に、横を向く。視線の先に見えたのは思う通り。
「あ……」
「あら。誰かと思えば、この間の」
エアリーさん。前と同じ神父服で、手には箒と塵取り。背後には枯葉枯草、落ちていた枝などの入れられた大きなビニールの袋が見える。……掃除中だったのか。仕事の最中なのは申し訳ないが――。
「ジェインにご用事ですか? 済みませんが、この時間、あの子は丁度バイトで――」
「――エアリーさん」
今の段階で俺たちが頼れるのはこの人しかいない。願ってもいない僥倖に、食いつくようにして声を出す。
「ジェインの事で、訊きたいことがあって来ました」
「……」
目を合わせて告げた俺に、エアリーさんは少し、その温厚な瞳を細めるようにして。
「――昨日」
少し雰囲気を変えて、言葉を紡ぎ出す。
「あの子――ジェインが、珍しく分かり易い不機嫌で帰って来ましてね。子どもたちも気にしているんです」
向けられるのは――どこまでも落ち着いた、大地に根を張る楡の老木を思わせる眼差し。
「何があったのか、聞かせていただけませんか?」
――
―
「そうですか。ジェインが、そんなことを……」
昨日のリゲルとのやり取り。一部始終を聞き終えた、エアリーさんが小さく息を零す。どこかしみじみとしたようなその反応。
「その、お互いに悪気があったわけでは……」
「ああ、大丈夫ですよ」
印象を補おうとしたのだろう。フィアの言葉に、目の前の神父は微笑みを見せ。
「そうだろうと思いますから。ジェインに関しても、あのスーツの彼につきましてもね」
……良かった。
ホッとする。エアリーさんまでがリゲルの素性に対し不信感を抱いていれば、ここから先の話へは進めなかった。安堵の情をぐっと腹の奥底に飲み込み。
「……それで、リゲルが聞いていなかった話というのは……」
「……」
問うた俺に、エアリーさんが少し目線を反らす。……思い違いではない。口元に浮かべられたのは、どこか寂し気な笑み。
「――この教会はもうじき、無くなってしまうかもしれないんですよ」
「え……」
「え……っ」
口にされたその言葉に、俺とフィアが殆んど同様の反応を示した。
「性質の悪い人たちに狙われましてね。何でも、自分たちで言うにはそこそこ長い歴史を持ったマフィアなんだそうですが」
吐くのはこれまでとは違う、深い溜め息。――マフィア。
「正直、地上げ屋かなにかと変わりませんね、あれじゃあ」
否応なくその単語に意識が向けられる。……ジェインがあれほどまでにリゲルを嫌っていたのは、だから――。思い至ったそのとき。
「――」
突如。裏手の方から響いてきた破砕音にハッとした顔を上げさせられる。……何か重い物、花瓶でも落ちたかのような、この音は。
「なにが――」
「――っ」
直後に走り出すエアリーさん。その動きに続いて、俺とフィアも、その方角へと走り出した。十秒も経たないうち――。
「――!」
見えてきたのは敷地の裏手に当たると思われるもう一つの門。壁の上から中へ降りている子どもに、地面にぶつかって無残に割れた鉢植えと、幾つかの石。
「――どうしたんですか、これは」
「あ、神父!」
裏門の近くに集まっていた何人かの子どもたちがエアリーさんを見て門を開け、こちらに駆け寄ってくる。我先にと。
「――あのね、また悪い人が来たんだよ!」
「真っ黒でね、うろうろしてて怪しいの」
「だから、追っ払ったんだ」
「まあ……」
「……」
口々に報告する子どもたちの声を耳に現場に投げかける視線。……言葉通りに取るならばエアリーさんの言っていた地上げ屋の連中が来ていて、それを見つけた子どもたちが鉢植えなどを投げて追い払ったということなのだろうが。
「……」
そんな性質の悪いマフィアの連中が、石を投げられたくらいで退散していくものだろうか? 見れば応戦したと思しき子どもたちは皆、小学校低学年くらいの年少者。小さな石ころはともかくとして、重そうな鉢植えなどは門から殆んど外に飛んでいない。門の上からどうにか持ち上げて落としたのだろうという、それくらいの飛距離。これでは。
「――済みません、二人とも」
脅威になるとは考えづらい。考えが具体的な結論を成さないうち、思考を進めていた意識がエアリーさんの声で目の前の相手へと引き戻される。
「子どもたちを落ち着かせなければならないので、今日はこの辺りで。ジェインに何か伝言があれば伝えておきますが……」
「私は……」
「……いえ、特には」
「そうですか。――分かりました」
では、と。別れの挨拶に連れて、エアリーさんは子どもたちを連れだって足早に教会の敷地へと入っていく。あとに残された俺とフィアは。
「……行こう」
「……はい」
言いようのない空気を身の周りに。閉められた門を見て、静かに踵を返す。互いに無言のまま、エアリーさんに言われた話を頭の中で反芻させて。
……翌日。
「……」
学園にて。いつもの屋上で昼飯を食いながら、思う。……何か。
何か、できないだろうか。ジェインたちの抱えている、あの問題について。
自分から面倒に首を突っ込みたくなどはない。人助けをしたいなどとも思ってはいない。……ただ。
「――おい」
「……」
あの孤児院が無くなってしまうというのは、それを黙ったまま見過ごすという選択は、余りにも……。
「おーい!」
「――ッ」
――不意。リゲルから声を掛けられていることに気が付いて、前を向く。視界に映り込んだブルーの瞳。
「どうしたんだよ、黄泉示」
「ああ……悪い」
「なんだよ、考え事か?」
ほどほどにしとけよな、と言いつつホットドッグを頬張るリゲル。もちゃもちゃと租借しながら俺の隣へと視線を移し。
「フィアも。――ちょいと暗いぜ? 大空はこんなに晴れやかだってのに」
「そ、そうですね。済みません」
フィアが頭を下げる。……フィアも今日はどこかぼうっとした感じだ。俺と同じで、何かを考えているかのような――。
「何もねえならそれでいいんだけどな。最近特に寒いし、体調とか気を付けとけよ?」
「ああ、ありがとう」
――リゲルには頼れない。
当のジェインとの仲があれだということもあるが。……下手に本職同士をかち合わせてしまえば、不味いことになるだろうということは俺でも想像がつけられる。仮に組織間の抗争にでも発展してしまえば一大事。その懸念がある以上、気軽に頼める事柄ではない。今回の一件は――。
「……黄泉示、フィア」
「どうした?」
「悪かったな」
突然の謝罪。不意を突くその一言に、二人して視線をそちらに向けさせられる。
「ここんとこ、あの野郎の件で掻き回しちまって。つまんねえ思いさせちまった」
「いえ――」
素早く言葉を紡いだフィアは、これまでの反応の鈍さを補うように少し早口で。
「大丈夫ですよ。その、そんなに気にすることじゃないので」
「ああ」
「そうか? ま、どっちみち、流石にもう終いにするぜ」
二つ目のホットドッグを平らげたリゲル。大口でバーガーを頬張り、忙しなく動かす口元に一つ笑みを浮かべて告げた。
「いつまでも小せえことに拘ってるってのも馬鹿らしいからよ。んなことよりも、これからのことだよこれからの」
「……そうだな」
ふっきれたような言葉を聞きながら思う。……リゲルは恐らく、それでいい。
ああいった事情がある以上、ジェインもそう易々とリゲルと再び会うことはしてくれないだろう。現状で冷静に話をすることが難しいなら、距離を置くことも一つの手だ。俺も――。
「しっかし限定メニューだってから頼んでみたけど、美味えなこれ。フィアも食うか? 一個」
「いえ。私はもう――」
「……」
頭の内ではそう思いながらもどこかでまだ今回の件について考えている自分を、結局俺はその日の間一日中、自覚していた。
夕暮れ時を、一人ジェインは歩いている。
「……ふぅ」
息を吐くバイト帰り。このところ妙な連中に絡まれていたせいか、仕事でも今一つ本来の調子が出せなかった。普段ならもう少し、効率的に作業を進められるはずが……。
「……」
バイト先の連中の蔭口がやけに耳に付き、残っている。……分かっている。
彼らのそれは負け惜しみだ。働きぶりも仕事の内容もジェインの方が遥かに良い。それだけの労力は掛けているつもりだったし、考えてやっているからこそそこまでできることだ。他人の努力を僻むことしかできない連中には、僻ませておけばいい……。
「……チッ」
いつもより少し重い足取りで道を進む中、ジェインの聴覚はその声を捉える。……ああ。
――また、奴らだ。
「……また貴方たちですか」
壁を背に。悟られないよう覗いた曲がり角の向こう。教会の神父、エアリーが相対しているのは、いかにもと言った雰囲気を漂わせる二人組。
「またとは大層な御挨拶じゃねえの。神父さまよぉ」
横幅のある、幾らか丸顔の、背の低い方の男が詰め寄る。
「言ったよなあ? 次来るまでに建物やら荷物やらは退かしとけって。なのになんでまだあんの?」
「そう言われても、こちらとしては立ち退く理由がありませんので……」
「ああん?」
似合わないサングラスをずらし、ガンを飛ばした。それでも神父は怖気付く様子を見せない。無言のまま立っている態度に、詰め寄った男の方が表情を歪ませた。
「茶化してんのかてめえ――」
「やめろ」
止めたのは背の高い方、兄貴分と思しき風格の男。舌打ちして下がった仲間を目端に、一つこれ見よがしに溜め息を吐き。
「――なあ、神父さん」
あやすように、そう言った。
「俺たちもそう暇じゃねえんだ。ここ一件にいつまでも時間を掛けてるわけにもいかねえし、上の命令だからな。立ち退かねえって言われて、はいそうですかと大人しく下がることはできねえ」
「そうですか。大変なんでしょうが、私には関係ありませんね」
「まあそう言わずに聞けよ。孤児院なんだってな、ここ」
懐から煙草を出し、火を付ける。漂ってくる煙の匂いに、ジェインが顔を顰めた。
「年端もいかない子どもがゾロゾロいるとか。少し考えりゃ分かるんじゃねえのか? 睨めっこになりゃ、困るのはどっちの方かってことくらいはな」
「……子どもたちに危害を加えるつもりですか?」
「まさか。ただ、そんな不幸な事故が起こらねえうちに利口になった方が良いんじゃねえかって話だ。俺たち相手にここまで堂々と話の出来る、あんたのその度胸には感心するが――」
「――そこまでだ」
これ以上は聞くに堪えない。有用な情報もなさそうだと判断し、ジェインは自らの姿を顕にする。
「通報するぞ。警察沙汰にされたくなければ、大人しく帰れ」
「……ジェイン」
「はあ? 俺たちが警察なんぞにパクられるとでも――」
「この――っ!」
小太りの男の声に突然割って入る幼い声。ジェインとエアリーが止める間も無く、
「うおッ――⁉」
「――あっちいけ!」
「二人から離れろ!」
投げ付けられる小石と空き缶。中から飛び散った液体が上着に付着し、小柄な男の方が叫び声を上げる。
「……ッ、このガキども……」
男の形相が変わる。怒りに震えながら素早く懐にやられた手。何かを取り出そうとする仕草に最大限の警戒を以て、ジェインが身構えた。
「――押さえろ、大人気ねえ」
その緊張を破る静かな一喝。小柄な男の方が動きを止め、口を閉じてポケットへと手をしまう。その肩に手を置きつつ。
「ガキのやることに一々カッカしてどうする。人様に物を投げちゃいけねえってのは確かだが……」
男が眼光を投げ掛けた途端、怯えたように後ずさり、背に隠れる子ども。庇うように前に出たジェインを、明らかに意識した声で。
「やり方なんぞ幾らでもあるんだ。いい歳した大人がその気になれば、それこそ幾らでも。――ま、考えといてくれよ」
最後の言葉と視線とはエアリーに向けてのもの。
「お互いにとって何が一番か。面倒事にならないよう、神サマとやらに祈ってるぜ」
台詞を残して去っていく。あとに着く小柄な男の浮かべた嘲笑うような笑みが、記憶に残されることに舌打ちしながら。
「――で」
先ほどから気付いていた気配。やや離れた位置から様子を窺っていた、二人組の方に声を飛ばす。
「来るなと言ったのに来た、君たちはなんの用なんだ?」
「……よう」
「こ、こんにちは」
ジェインの視線の先に立っている人物。……蔭水黄泉示。そして、フィア・カタストだった。




