第十九節 話し合い
――二日後の放課後。
「……」
「……」
「……」
「……」
俺の家のリビング。……机上に置かれたお茶の入ったコップを間に、対面して座っているリゲルとジェイン。その傍らにそれぞれ俺とフィアとが、一触即発の心境で座っている構図だ。
「ええと……だな」
ひとまず進行を取ろうとして、二人の発する剣呑な雰囲気に早くも言葉が揺れる。……どうか落ち着けと、叱咤するように内心で自らに言い聞かせた。
――ジェインとの話し合い。昨日の昼食事に俺とフィアがその件を持ち掛けると、リゲルは意外なほどあっさりと承諾してくれた。事前に考えて構えていたぶん拍子抜けするほどに。杞憂に近い感覚を覚えながらも、その流れのままに決めた――。
「……」
場所の候補としては始めから俺の家があった。下手をすれば殴り合いの喧嘩に発展しかねないことを考えれば、他に人目のあるようなところでは不味い。それでいて双方ともに暴れ辛いだろう場所ということで選んだ結果だが。
「……」
この空気に身を置いていると、もしやその判断が間違いだったのではないかとの不安が脳裏を掠めてくる。……まさか、友人を招待する初めての機会がこんな形になるとは思ってもみなかった。半分は祈るように。何かあれば直ぐにでも止めに入る心持ちで、緊張に固まる唾を飲んだ。
「――はて」
破られる沈黙。始めに口火を切ったのは、ジェインの側。
「僕はてっきり、まず君の方から謝罪があるものだと思っていたがな」
「……あ?」
端的すぎる反応。いきなり不機嫌さ全開といったその声調子に、痛む頭を抱えたくなる。
「その二人の言う話し合いに応じたということはそうだろう。まさか、自分の非も認められないまま此処に来たのか?」
「……ジェイン、その言い方は――」
「なるほどな」
緩衝剤になろうとする俺の発言をぶった切り、リゲルが威圧するようにソファーに背中を預けた。
「てめえの都合のいいように解釈するのが利口ってことか。流石、特待生の言うことは為になるぜ」
あたふたとするフィア。キリキリと痛む感触。……胃が痛い。胃薬が必要かもしれない。
「俺は頼まれたから来ただけだ。テメエと、話をして欲しいってよ」
「僕だってそうだ。その二人に頼まれていなければ、君のような暴力的な人間とはそもそも顔も合わせたくない」
「えっと、二人とも、その……」
……話し合いだと言ってるのに、なんでいきなりここまでギスギスしてるんだ? 恐る恐るといった様子で為されるフィアの制止に――。
「――大丈夫だ」
思いのほか強く、明確にジェインは宣言する。
「君たちに迷惑をかけるような真似はしない。このゴリラがとち狂って、襲い掛かって来なければの話だが」
言葉の〆と共に送るのは刃のような鋭い視線。……俺たちだけじゃなく、できればリゲルにも迷惑を掛けないでくれ。
「シルエットからしてひょろっちいモヤシがよく言うぜ。黄泉示とフィアに免じて、此処じゃ圧し折らないでおいてやるよ」
「モヤシを馬鹿にするのはいただけないな。表に出て折れるかどうか試してみるか?」
――このままでは埒が明かない。
「えーと、だな」
確信して声を発する。……下手に俺がリゲルの肩を持つような真似をすれば、ジェインは表面上納得した振りをして退いてしまうかもしれない。
授業や教会で見たジェインの表情は冷静かつ穏やかであり、リゲルはあれだけあっさりと承諾してくれた故に、双方共もう少し取り付く島があると思っていた。そのせいで、何をどう言ったものか迷わされる。
「二人とも、一旦……」
「――まあ」
とにかく落ち着いてくれと言おうとしたその拍子。それまでは刺々しさ一辺倒だった、ジェインの声口調が。
「それで丸く収まると言うなら、僕の方から先に謝ってもいい」
――変えられる。以前に俺たちと話していたときのような、冷静さを前面に押し出したトーンに。レンズから覗くその眼はいつの間にか、鋭さから理知的な光の宿されたものへと表情を変えていた。
「初めに喧嘩を売って来たのはそっちだが、こっちも意図的に君を挑発した。――僕も忙しい。詰まらない小競り合いをいつまでも拗らせているほど暇じゃないし、それはそっちも同じだろうと思うんだが、どうだ?」
間違いない。遠回しではあるが、この一件に蹴りを付けに入っている。……或いは、俺たちの意を汲んでくれたのかもしれない。
話し合うことを約束したからには、なあなあでなくきっちりとした形で決着を付けようと。歓迎すべきなのかもしれない。動機はどうあれ、ジェインが単なる罵倒から話す態度へと移ってくれたことは。
……だが、それでは。
言い難い感覚が胸に募る。この二人は、互いにこのまま――。
「――嫌だね」
「――ッ」
遣る方ない逡巡の最中。余りに明確に響いたリゲルのその拒絶に、フィアまでもがそちらを向いた。
「ぐだぐだ御託並べて誤魔化そうってのかもしれねえが、何言ってんだ。そもそもそっちが講義で相手を馬鹿呼ばわりしたのが始まりじゃねえか」
言葉に合わせてずいと身を乗り出す。……ガッシリした体格と相俟って、威圧するようなその眼光。
「謝ってもらうぜ、きっちり。でなきゃ手打ちになんかするかよ」
「……そうか」
応対を受けてジェインの目付きが再び鋭さを帯びたものへと変わる。落ち着いた雰囲気はそのままに、纏わされるのは冷たい逆棘の鎧。目の前にいるリゲルを最早見てすらいないように。
「――悪いが二人とも」
俺たちの側を向いたジェイン。……何を言おうとしているのかは察しが付く。
「話はここまでのようだ。馬鹿が相手では、やはり話になら――」
「逃げんのかよ。色眼鏡野郎が」
「……なに?」
「てめえのその眼鏡はぐしゃぐしゃの色眼鏡だっつってんだよ。マフィアってだけで蔑みやがって」
――向いた。リゲルの挑発的な言葉に、ジェインの方が。
「言っとくが、うちの親父のファミリーは地域の犯罪率を下げてるぜ? サツなんかも言ってる事だ」
「だとしても犯罪者であることには変わりがない。マフィアと言うのはそもそもが、犯罪に手を染めている連中を指すものだからな」
リゲルの発言に乗る形で、ジェインが論陣を張りに掛かる。
「結果が良ければ手段は正当化されるとでも言いたいのか? それぞれの良し悪しは別物だ。例えまともな結果を招いたとしても、手段の悪辣さはそのままに残される」
「そりゃそうだろうな。だがそもそも俺は、親父がマフィアだってだけでマフィアじゃねえ。そこんとこはどうなんだよ?」
「その犯罪で稼いだカネの恩恵を受けているんだろうが。学費も、生活費も、お前は何一つ自分で稼いでなんかいない」
「事情ってもんがあんだろ。あの親父の元に生まれたからには、今はこうするしかねえ」
激しい言葉の応酬の中にあって、リゲルの零したその一言だけが、ある種の痛切さを以て耳に響いた。
「……リゲルさん」
「少なくとも、今はな。大体が、テメエみたいに頭ごなしに物言う奴がいるから厄介なんだよ。犯罪者だと決め打てば好き勝手言ったり書いたりしやがって、そのせいでこっちがどんだけ苦労したと思ってやがる」
「知るかそんなこと」
即座にその空気を引き戻して言ったリゲルに、ジェインの返答はどこまでも冷たく拒絶的だ。
「旗色が悪くなれば論点ずらしの不幸自慢か? 情に訴えたところで――」
「テメエに言われたくはねえな」
「……なに?」
そこで、一転してリゲルの表情が偽悪的になる。
「――なんだぁ? 親が荒稼ぎしてるボンボンだっけか? それこそ僻みじゃねえか」
可笑しくてたまらないという風に口角を上げ、眼には嗤い。
「〝自分は貧乏で苦労してます~〟ってか? それが不幸自慢じゃなきゃなんなんだよ」
「……っ」
ジェインは一瞬激昂するように目を見開いたが、黙ったまま眼鏡の位置を変える。――流石に、お互い言い過ぎだ。
「――リゲル。ジェインは――」
「黙っててくれ、黄泉示」
静かに。意外なほど落ち着き払って言われたその言葉に、思わず継ぐ言葉に詰まる。
「悪りいな。――これは、俺とコイツの問題だ」
「……僕のことを調べたのか?」
それとも、と。物言いたげに、俺たちへ向けられる視線。剣呑さを孕んだ目付きにフィアがビクリとする。
「違えよ。こないだお前が二人を連れてったときに、着けてったんだよ。こっそりな」
一切悪びれなく口にされた台詞に、隣からえ――と漏らされた声。……全く気付かなかった。同じく気づいていなかっただろうジェインが憎々しげに口元を歪める。
「……こいつ」
「あの神父さんが言ってたぜ? 〝もっと自分たちを頼って欲しい〟」
エアリーさんの言葉を伝えるときだけ、その嘲っているような雰囲気が消える。本気の眼つき。
「〝自分も子どもたちも、もっとできる〟ってな。テメエは周りに目を向けずに、自分一人で苦労を背負い込んでるだけなんだよ」
「――ッ……」
……黙った。息を吐かせないようなリゲルの言葉の猛襲に、何かを耐えて考えるように目を瞑るジェイン。組んだ両腕を手を固めたまま、その姿勢を崩さない。……五秒、七秒……。
「……お前は」
空気に満ちる重苦しさに口を挟めないでいる俺とフィアの前で。水中で息を吸うかのように口を開き、一瞬、何かを言おうとするように唇を開いて、思い直したかのようにジェインが継ぎ直す。
「お前は、なにも聞いてなんかいない。――それと、もう教会には近付くな」
「ああ――?」
一方的にそれだけを言い残して立ち上がった。用は済んだと言わんばかりに背を向け。
「おい、待てよ――!」
「――済まないな二人とも」
呼び止めるリゲルを無視して俺たちへと掛けられる声。見える横顔は、落ち着いているように見えて。
「話し合いの件はここまでだ。リゲルを含めて、今回君たちに色々と迷惑を掛けたことは謝る」
続いて告げられる台詞には間接的ではあるがリゲルへの謝罪も含まれている。軽く下げられた頭に、どう返したものかと一瞬迷い。
「ジェイ――」
「だから君たちももう、僕の迷惑になるようなことはしないでくれ」
掛けた声を振り切って足早に。振り向かずに出て行ったジェインを、その場にいる誰も止めることができなかった。




