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第十八節 ジェイン・レトビック 後編

 

「――黄泉示さん」


 全ての授業を終えて。教室から出たタイミングで、隣から掛けられた声。


「どうした?」

「どうして、ジェインさんにリゲルさんと……?」


 ――尤もな疑問だろう。


 これまでにたった二回の邂逅とはいえ、あの二人の相性が悪いであろうことは見ての通り。話し合いとなれば簡単にはいかないだろうし、そも時間が解決してくれるとの見方を呈していたのは俺だ。熱の冷めないうちにまたあの二人を引き合わせることは、更なる火種を生むことにもなり兼ねない。


 だが――。


「……なんでだろうな」


 明確な動機があったわけではなく。あのとき、ジェインと話しているときに感じた思いをなるべく率直そのままに口にする。


「ただ、何となく、誤解したままでいて欲しくないと思ったんだ」

「……」

「リゲルは――」


 聴き入る体勢のフィアを受けて、もう少し具体性を加える為に言葉を探す。


「確かに見た目は完全にあれだけど。……気骨もあるし、真っ直ぐで、良い奴だと思う」


 少なくとも――。


「あんな風に言われる奴じゃない。……ジェインもさっき話したときは落ち着いてたし、話し合いの余地はあると思うんだ」


 胸の内を話し終えた次に、フィアこそ――と、気になっていた問いを投げ掛ける。


「どうしてあのとき、ジェインに頼んでくれたんだ?」

「……それは」


 送る視線。数秒、思い出すように視線を下ろしたフィアは。


「……勿体ないな、と思ったので……」

「勿体ない?」

「――はい」


 訊き返した俺に、フィアは自分の心情を確かめるように慎重に頷く。


「リゲルさんが紹介してくれたお店での夕食、凄く美味しかったじゃないですか」

「ああ」


 色々ありはしたが、オールド・パルは良い店だった。機会があればまた行ってみたいと、そう思わせられるくらいに。


「店長さんも良い方で、雰囲気も素敵で。……もしあのときに、リゲルさんとジェインさんの仲が悪くなくて」


 校舎から外に出る。待ち合わせ場所は図書館の前。見えるその建物に向けて、足を進めた――。


「普通に話ができていたら、多分、もっと良い思い出になったと思うんです。だから……」


 フィアの声が風に消え入る。並んで歩いてきた先、片手で本を読みながら待っているその姿。


「――来たか」


 ジェイン。俺たちを見付けると本を閉じ、幾つもの縫い合わせの跡がある布鞄に淀みなく仕舞った。


「行こう。こっちだ」


 歩き出すジェインに着いていく形で向かう先。……裏門から学園外へ。広がる景色は普段は通ることのない、俺たちからすれば未知のルート。


「……どこに行くんだ?」

「僕の家だ。見せたい物があるのはそこだからな」


 先を行くジェインは質問にも振り向かずにスタスタと歩いて行く。少しして止まったかと思いきや、前にあるのは停留所の標識。


「バスに乗ろう。代金は僕が出す」

「いや。別にそのくらいは」

「見て欲しいと言っているのはこっちだからな。小さくても借りは作りたくない」


 有無を言わせないような口調。ここで意固地になってみても始まらない。間も無く着いたバスにフィアと共に乗り込み、ジェインが三人分の代金を払うのを黙って見た。


「――ジェインはバス登校なのか?」

「いや、いつもは自転車なんだがな。歩くと一時間くらいは掛かるから、今日はバスにした」


 俺たちがいるから、ということか。確かに歩いて一時間では、俺はともかくフィアはキツいかもしれない。


「降りるのは――」

「四つ先だ。そこで降りる」


 それから会話は途切れ、何とはなしに窓の外を眺めること二十分ほど。


「……」


 目的の駅でバスが停車する。降り立ったのは疎らに家が建っている風景の中。行こう、と促すジェインに続き、周りの景色を見ながら歩き始めた。距離にすればそこまでは離れていないはずだが、ビルなどがないせいか、なんだか田舎のような雰囲気を感じる。


「ジェインさんのお家はこの近くなんですか?」

「ああ。ただ、家と言っても――」

「――ジェインお兄ちゃん!」


 呼び止める声。前にいるのは――。


「ああ、マリア。今帰りか?」

「うん。お兄ちゃんは学園の帰り?」


 洗濯物の入った袋を抱えた少女。中学生くらいだろうか? 積み上がった洗濯物の山は殆んど視界を塞いでいるようにも見えるが、器用にバランスを取って軽々と歩いている。……凄いな。


「そうだ」

「後ろの人たちは?」


 少女の顔がこちらを向く。初めましてと言うように軽くする会釈。その他意のない瞳に、どう答えたものかと一瞬狼狽え。


「同級生だ」

「友達じゃないの?」

「ああ」


 ジェインが受け答えをしてくれたことにやや安堵する。耳にしていくのは入る隙のない、日頃から慣れ親しんでいるような二人の会話。……妹だろうか? だが、それにしては……。


「――もうすぐだ。二人とも」


 余り似ていないなと。考えの最中に掛けられた声に前を向く。歩く先に見えてきた建物は。


 ――教会?


 真っ先に意識に入るのは全体的にやや古みを帯びたその色調。建物の一部には崩れているような箇所、修理されていることが分かるような箇所も見える。廃棄された教会という、そんなイメージが浮かび――。


「お帰りなさいマリア。あら――」


 声。視線を降ろした先に、一人の人物が門の中から出て来ていた。


「今帰りました。神父」

「ジェイン。そちらの方たちは? お友達ですか?」

「いえ。学園の同級生で、知り合いです」


 ジェインが話しているのは、柔らかな物腰の――女性。大凡五十過ぎくらいだろうか。神父と呼ばれた通り、首には鈍色に光るロザリオを下げ、服装も聖職者らしい格好をしている。……というか。


「……神父?」

「あー! ジェイン兄ちゃんが友達連れてきた!」

「ええ⁉ ほんと⁉」


 疑問を覚えるまま三人について門の中へと踏み入った途端、幾つもの溌溂とした声に取り囲まれた。威勢よく駆け寄ってきたのはまだ年端もいかないような子どもたちが十人以上。ぐるりと囲まれた上に遠慮なく距離を詰め切られ、瞬く間に身動きを取れなくされる。うおッ――。


「みんな待て。この二人は――」

「兄ちゃん、名前は?」

「か、蔭水黄泉示だ」

「変な名前ー」

「へっ、辛気くせえ面してんな」

「……おい、誰だ今言ったの」


 足にしがみついて倒そうとしてくるのを踏ん張る俺。流石に力負けすることはないが、二方向から力を掛けられるのは万が一のリスクがある。フィアの方は――。


「きれいー」

「サラサラ~」

「ジェイン兄ちゃんの彼女? 姉ちゃん」

「あっ、引っ張らないでくださ――えっと、そうじゃなくてですね」

「――違う」


 髪で遊ばれていた。思い思いに行動する無秩序に翻弄される俺たちに、咳払いと共に空気を戻したのはジェイン。


「二人は僕の同級生だ。迷惑だろう。離れなさい」

「そうよ。お客さんに迷惑かけちゃダメでしょ!」

「ちぇー」

「しょうがねえなぁ」


 続くマリアと呼ばれていた少女。二人の手慣れた一喝にそれぞれの反応を示しながらも、子どもたちは離れていく。……助かった。子ども相手とはいえ、これだけの数に一度に囲まれると対応に困る。圧倒されるというか――。


「行こう」

「ばいばいお姉ちゃん」

「へっ、命拾いしたな兄ちゃん」


 ――さっきからちょくちょく変な発言をしてるのはどいつだ?


 見極めようとした視線を避けるように駆けて行く子どもたち。結局その主を当てられないまま、一息を吐いてジェインと共に先へ進む。……俺とフィアに。


「――済まなかったな」


 扉から中へ入り。こちらも相応に年季の入った廊下を進みながら、前を行くジェインが声を掛けてくる。


「普段あまり人も訪ねてこないから、皆物珍しいんだ。特に年少組は好奇心が旺盛でな」

「いえ。それは全然……」

「ああ」


 構わなかったが。内装を見回す最中、気になっていたことを尋ねてみる。


「……教会なのか? ここは」

「兼孤児院といったところだな。老朽化した教会を神父がツテで譲り受けたらしい。それ以降、孤児院としても運営している」

「……少し疑問なんだが、神父って」

「ああ、神父は女性だ。詳しくは知らないが特例らしくてな。それより――」


 何でもないことのように言った背中が止まる。合せて歩みを止めた俺とフィアの前で、ジェインがポケットから古びた赤銅の鍵を取り出した。


「――僕の部屋だ、今開ける」

「――」


 ……ここが。


 内側に向けて開かれた――木の扉から中へ入る。……元はこの教会に住む牧師のものだったのだろうか。


 真っ先に目に付いたのは薄い布団の掛けられた、見るからに簡素なベッド。壁際にポツリと置かれた机と椅子。……何れも年季の入っているような木造りで、作り手の意図したのではないだろう趣が醸し出されている。


 風の入ってこないようにか閉じられた窓。机の上に置かれたノートパソコンがやけに場違いに感じられるような、狭い空間の中で――。


「これを見て欲しいんだ」


 ジェインが壁に立てかけてあったキャンパスを手に取る。そのまま裏返すと、差し出すようにして俺たちに見せてきた。


「……」


 ……これは。


 絵……いや、イラスト、か?


 詳しくないのではっきりしたことは言えないが、多分絵の具で描かれている。題材は人物画。具体的に言えば少女。だがその系統は、写実的でも抽象的でもなく……。


「昔から趣味で描いているんだが、中々他人に見せる機会がなくてな」


 日本でちょくちょく目にしてきた、サブカルチャーのイラストに似ている。平たく言ってしまえば美少女ゲームなどで良く使われている描き方だ。


「デジタルの方でも描いていて――これがそうだ」


 そう言って開いたパソコンの画面上で見せられた更に何枚か。……ディスプレイに浮かぶ絵は、先ほどのよりも更にらしい。同じキャラクターでも視点やポーズを変えて描いたものが、開かれたフォルダ内にズラリと並んでいるのが見える。ゲームのキャラらしいもの以外にも、漫画風や、アニメ風のもの……。


「これについて意見や感想が聞きたい。――カタストさんにも。異性からの見解は貴重だからな」

「……」

「……ええと」


 ……意外過ぎる。


 何というイメージとのギャップ。軽く着いていけていなさそうなフィアが引いていないかどうか心配だが。


「……」


 露出の多いものは一枚もない。そのことにどこか足場を得たような感覚を覚えつつ、気を取り直してじっくりと見ていく。……まあ、あったとしても流石に見せることはしないか。


「……そうだな」


 ――正直、〝物凄く上手い〟とは言えない絵だ。


 勿論俺などの素人に比べれば遥かに上手いが。勉強中ということを文字通り写したように、見せられたイラストたちの多くは線もラフ。デッサンなどが極端におかしいものはないが、中には少し歪んでいるような点が見られるものもある。


「……技術的なことはよく分からないけど、雰囲気は伝わってきてる気がする。この絵も――」


 とはいえそんなことは描いた本人が一番分かっているはずだ。クリックして見ていった中から俺が示した一枚。……向けた背中越し。火事の跡だろうか? 焼け落ち焦げた建物の残骸の中で僅かにこちらに振り返り、言いようのない視線を投げ掛けている女性。敢えてなのだろうが、全体的にぼやけた色調で書き込みもそこまで多くはない。


「なんというか……惹かれるものがあると思う。その、上手く言えなくて悪いんだが……」

「そうか――」


 自分で聞いていても拙い俺の感想。こんなもので大丈夫なのかと危ぶむが、ジェインはそうした素振りは一切見せないままに頷き、視線を移した先はフィア。


「カタストさんはどれか特に良いと思ったとか、気になったりした絵はあるか?」

「……そうですね……」


 正式に尋ねられて。俺と代わってカーソルを動かし、一枚一枚イラストを見ていくフィア。そして――。


「……私は、この一枚が好きです」


 フィアが指したのは、始めに見せられたキャンパスの絵。向日葵を背景に、空気に満ちている強い日差しの煌めき。麦わら帽子を乗せた少女が、穏やかな眼差しを投げ掛けている。


「凄く暖かい感じがして。モデルとかはいらっしゃるんですか?」

「いや、想像だ。――服装とかはどうだ? その方が雰囲気に合うと思ってシンプルにしているんだが、単純過ぎたりしないだろうか?」

「あ、いえ、そこは大丈夫……だと思います。表情も、生き生きとしていて――」


 そのあともジェインは、何枚かのイラストの題材や雰囲気、色合いなどについて俺たちの両方、時にはそれぞれに質問し。俺たちはできる限り明瞭に、自分の感じたことを伝えられるように苦心し――。


「――こんなところか」


 部屋に掛かる時計の針が三十分を過ぎた辺りで。メモを取っていたジェインがペンを置く。


「ありがとう二人とも。大分参考になった」

「いえ、こちらこそ」

「……役に立ったなら良かった」

「僕も約束を守らないとな。君の言う通り、奴ともう一度だけ話をしてみよう」


 パソコンを閉じ、部屋に置いてあった袋を持って促すように外へ。ギシギシと鳴る廊下を通りつつ。


「まあ、あれを説得するのは君たちの仕事だが。話が付きそうならまた声を掛けてくれ。都合のいい日取りを相談しよう」

「……ああ」


 帰り道。庭に出たところで、来るときには見えなかった干された洗濯物、野菜が植えられている菜園を目にする。……その向こう側には、明らかに自作と思しき木製の遊具。


「……あれは、ジェインが?」

「一応な。本を読んでどうにか作ってみた。安全性を重視したから、見た目は今一だが……」

「ジェイン!」


 駆け寄ってきたのは少年。……なんだ? 何やら期待するような面持ちでジェインを見つめているが。


「――ああ、そうだったな」


 今気づいたかのように言って、ジェインが持っていた袋を渡した。


「誕生日おめでとう、エドモンド」

「――ありがとう、ジェイン!」


 嬉しそうに手を上げて子どもたちの元へ走り帰っていく少年。……こんなことまで。


「凄いですね……」

「大したことじゃない。僕がここでは一番の年長だからな」


 フィアの言葉に首を振って、ジェインは振っていた手をポケットに入れる。やや遠くを見るように。


「神父と一緒に、あの子たちの面倒を見ないといけない。やらければならないことが、山ほどあるんだ」



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