第十七節 ジェイン・レトビック 前編
――週明け。
「今日は野外授業だ。外に出て、自然と地形の実際の様子を観察しよう」
総合自然学の授業。連れ立ってどこへ行くのかと思えば近場も近場、学園の裏手にある森へと誘導される。入って五分ほど歩いたところで。
「この森は中々に植生が豊かだ。――諸君らにはまず三、四人での適当なグループになってもらう。各班、あとで簡単なレポートを提出してもらうので――」
立ち止まった教授から告げられる内容。……グループ。その単語に嫌な予感がしてから間も無く。
「……あ」
「……」
グループを作る動きで必然の如く余りになった……俺たちのところに来た人物。
「……君たちか」
理知的な眼鏡姿は、ジェイン。同じくグループ作りからあぶれて来たらしい。辺りで次々と班が結成され、挨拶が交わされていく中で、俺たちの箇所だけどことなく気まずい空気が漂う。――最中。
「よし。分かれたなら、それぞれ――」
教師から指示が飛ばされてくる。動き出す周りに合わせるようにして、準備に取り掛かった俺たち三人。なるべく互いを気にしないように、黙々と手を動かしていき――。
「――この間は済まなかったな」
中途。作業の手を止めたのは、ジェインから発されたその一言。
「え……」
「売られた喧嘩とはいえ、君たちの夕飯時を台無しにしたのは事実だ。分かっていて買った僕にも責任はある」
「……まあ」
目に映るフィアと同じく。きっと今俺は、微妙な表情をしているのだろうと思う。親しくもない相手が非を認めて謝ってきたとき、果たしてどう返したものだろうか。
「……別にいいさ」
答えも分からずにそう言っておく。正直今謝れるくらいならあのとき思い留まっていて欲しかったとも思うが、そこまで単純なものでもないのかもしれない。相性が悪いと言うか……。
始めの印象のせいか、リゲルもジェインも互いの前では必要以上に喧嘩腰になっているような気がするからだ。現に今こうして、俺たちとは普通に話せているし。
「結果的に飯は食べられたし、騒ぎにもならなかった」
「そうですね。喧嘩にならなくて、良かったです」
「それでも一応、埋め合わせができることがあれば言ってくれ。簡単な手伝いくらいならできるかもしれない」
「……分かったよ」
そう言われても頼むことは特別ない。向こうから言い出してきたこととはいえ、それを真に受けて大して親密でもない相手に頼み事をする人間はそう多くはないだろう。例に漏れず俺も、恐らくはフィアもその一人。もしかするとそこまで分かっていて言っているのかもしれなかったが。
「……」
昨日の件について会話を続けること自体が多少面倒になってきたので、それ以上は何も言わず。俺たちの間の会話が途切れる。また暫く、作業の時間が続き。
「――脅されでもしてるのか?」
「えっ?」
唐突。剣呑なその一言に、フィアと俺が顔を上げた。
「いや。奴のような暴力的な人間と一緒にいるにしては、二人ともやけにまともだと思ってな」
「……そんなことない」
口にしたのはひとまずの否定。俺の返しにジェインはそうか、と言って。
「別にその筋の関係者というわけでもないんだろう? 正直言って、付き合いがあるのが不思議だな」
なお意見を続けてくる。微かに息を吐く動作。言外に込められたその意味合い。俺の内心と同様に、隣にいるフィアが、辛うじて俺に分かるくらい少しだけその綺麗な眉を中央へ寄せた。
「――埋め合わせの事なんだが」
数瞬後に口を開く。分かってしまったその予測に、機先を制するようにして言う。
「リゲルともう一度話してみてくれないか? 俺たちも同席するから」
向こうの言い出したこととはいえ余りに図々しくないだろうか。こんなことを言ってしまって大丈夫なのか。頭の中に浮かんでくる問い掛けを、一旦全て脇へと置いて。
「……また妙なことを言うな」
暫しの沈黙のあとに、再度口を開いたジェイン。
「僕はああいう手合いが嫌いだ。どうにもならないことなど、分かっていそうなものだと思ったが」
「それでももう一回だけ話してみて欲しい」
手を止めて、相手に送る視線に思いを込める。……なるべく真剣に。
「……無理か?」
「……」
「――私からもお願いします」
応えて手を止めて此方を見たジェインに、フィアがそう言ってくれた。
「リゲルさんと、もう一度話してみてください」
同じく送るのは真剣な眼差し。頼み込む俺たちを見て、ジェインはじっと考え込む素振り。暫くその体勢のまま――。
「――分かった」
手元に視線を戻す。止まっていた作業を再開しつつ、ジェインがそう言った。
「そこまで言うならもう一度だけ話してみよう。埋め合わせをすると言ったのは僕の方だしな。但し……」
了承を受けて勇んだ心持ち。それに待ったを掛けるように、再度顔を上げたジェインから立てられるのは人差し指。
「条件がある。君たちがいたとしても、アレと話すのは中々の苦労になりそうだ。トータルで考えて、僕の方に少しプラスが欲しい」
「――条件?」
「そう難しい事じゃない。見て欲しい物があるんだ。時間があれば放課後、一時間ほど付き合ってくれないか?」
「……ちっ」
空き時間。中庭でリゲルは舌を打つ。黄泉示とフィアと出会ってからは、ここ最近まで鳴りを潜めていた感情だ。
「あの野郎……馴染みの店にまで出張ってきやがって」
やり場のない悪態を口に零す。……店長のあの様子ではクビにするつもりはないらしい。昨日の一件は乱闘にまで発展せず、厳重注意の対応を取った以上、当然と言えば当然だが。
「あー……マジムカつくぜ」
それでもそう簡単に割り切れるものではない。重ねた掌を枕代わりに芝生の上へ寝転んだ。
「……」
――自分にも落ち度はあったことは、リゲルとて自覚している。
友人である黄泉示とフィアの手前。しかも自分が招待した馴染みの店で、手を出す一歩手前にまで進んでしまったのだ。かつて襲い掛かってきた連中にぶつけた台詞を思い出すと、軽い自己嫌悪を覚えるほど。そうでなくとも……。
あの店、『オールド・パル』で騒ぎを起こすことはマフィア関係者としてはご法度。出入り禁止になる恐れも充分にあった。巧妙に場の空気を執り成し、穏便に済ませてくれた店長には感謝してもし切れない。借りを作ってしまった形になる。
――まだまだだな。
吐く息と共に軽く自嘲する。……仮に父レイルなら、如何な侮辱を受けたとしても激昂することなく、あくまで冷静沈着に振る舞ったことだろう。怒りはあくまで秘めて原動力とするもの。
周囲後先を考えない破壊的な行動は、ともすればそれだけで致命的な結末を齎しかねない。単純な暴力で解決できる事柄は世の中にあるごく一部であり、特に自分が直面する問題の多くにはそれが殆んど役立たないということ、リゲルは今更示唆されるまでもなくよく知っている。……経験から。
「――っよし!」
掛け声と同時に跳ね起き、軽く頬を叩いて意気を入れ直す。――くさしていたところでどうにもならない。詰まるところ目下の課題は、問題解決の為に何をするかだ。
「敵を知り己を知れば、百戦危うからず……ってな」
子どもの頃耳にした箴言を呟きながら、リゲルは足を進める。戦いに赴くならば、自分の他にまずは敵の事を知らなければ話にならない。初めてそのフレーズを聞いたとき、子ども心にもなるほどと思わされたものだ。
――いた。
「悪い、ちょっと時間良いか?」
声を掛けたのはジェインのクラスメイト。以前自分のクラスに出られなくて代わりに出たことがあったため、ある程度顔触れを覚えていたのだ。……あのときはまさかこんな風に使うときが来るとは思っていなかった。ラッキーだったなと、思いながら反応を待ち――。
「――」
スルー。声を掛けた相手は全く気付かなかったように歩き続け、道を曲がってリゲルの視界から消える。僅か十秒足らずの出来事。
「……」
消えた学生のあとを眺めながら考える。……まあ、たまたま聞こえなかったのかもしれない。気を取り直して。
「よう! ちょっといいか?」
「っ」
逃げられる。今度のは確実に、聞こえてから歩き去る速度を上げていた。
「……なあ」
走り出す。
「話」
擦り抜ける。
「を」
脱兎。
「――ッ!」
業を煮やす。次こそは逃がさないと睨んで、望んだ五度目――。
「――か、勘弁してくださいよ!」
追い込み漁の如く、誘導した袋小路にて捉えた学生。お願いします、お願いしますと手を合わせ、震えあがりながら頭を下げる。まるで命乞いをするようなその態度に、リゲルの方が若干気の引ける思いがする。
「いや、別に取って食おうってわけじゃ……」
「ジェインの事なんて誰も知りませんよ! あいつ、頭は良いみたいだけど付き合い悪いし」
上げられるのは必死とも言える叫び。
「俺が知ってるのは毎回裏門から出てるってことくらいです。リゲルさんと絡んでるところを見られて友達を無くしたくないんです! お願いします!」
「――」
懇願するその面構えを、前にして。
「――行けよ」
指で後方を示すと同時に縄を解かれたかの如くに走り去る。……取り残されたのち目に焼き付いたのは、擦れ違いざまに学生が見せた、歓喜と安堵の入り混じった表情。
「……ま、訊くだけが調べじゃねえ」
ぼやくようにそう呟く。……そうだった。
黄泉示たちと和気藹々と話しているとつい忘れてしまいそうになるが。……これが自分、リゲル・G・ガウスという人間に対する、周囲の通常の反応なのだ。
どの道あの言い分では有益な情報が出てきそうにもない。訊きこみは諦めて別の手段を考えることにしたリゲル。どうにかジェインについての情報を得るにはと考え――。
「……よし」
思い付いた結論。数秒の吟味のあと、躊躇うことなくリゲルはそれを実行に移した。
――
―
「……」
最適と睨んだその場所でリゲルは待つ。ポジションは正門前。敷地内から出て来る学生たちからは死角となる、草むらと木立の影だ。
――尾行。
それがリゲルの思い付いたシンプルな手段だった。……人間誰しも弱みはあるもの。
そのうちの一つや二つでも握っておけたならあの暴言製造機を黙らせることも容易いはずと、そう思えば俄然とやる気が出てきたというのが事の次第。そうでもしなければ口では勝てないとも言うのだろうが……。
「……」
その点についてはリゲルはこの際あまり深く考えないことにした。注意深く木の陰に隠れて時をやり過ごす。時刻は既に講義の終了時。中途で二回ほど散歩中の犬に吠えられそうになったが、凄みを込めて睨み返せばどちらの犬も尻尾を巻いて大人しくなった。最近の犬はガッツがねえな――そんなことを戯れに思いつつ。
――来た。
目に映る姿に一気に気合いが入る。門から悠々と姿を見せたのは、憎きあの眼鏡。リゲルが潜んでいるなど思いもしていないその歩き振りに、しめしめと――。
「……っ⁉」
思い掛けたのも束の間。更にその後ろから現われた二人の人物の姿に愕然とし、思わず飛び出しそうになった足を止める。……今一度注視。
「マジか……⁉」
重ねて驚愕を口に出す。偶然ではない。リゲルの目に映る二人の動きは明らかに先行するジェインに着いていっているそれだ。なぜ黄泉示とフィアが、あの眼鏡と……。
「……」
嫌な可能性が胸に浮かぶ。……あの陰険な眼鏡のことだ。リゲルへの報復として、あの二人に何かするつもりでは。
これは絶対に見失えない。決意を新たにリゲルは植え込みを出て、物陰に隠れながら三人のあとを追う。……さあ、どこへ――。
「――って」
バスかよ⁉
視線の先で到着したバスに乗り込む三人。――ただでさえ自分のこの格好は目立つ。狭い車内でばれずにいられる可能性を考えたなら――。
「クソッ――!」
出せる答えは一つ。一つ大きく悪態を吐いて、リゲルはダッシュで発進するバスのあとを追い始めた――。




