第十六節 オールド・パル 後編
もう一度、店内をゆっくりと見回す。こうして座って見ると、本当に雰囲気のいい店だ。流れる静かな曲調の音楽はクラシック。ウェイターの足音は軽く静かで、ある程度の広さがあるせいか数組いる他の客の話し声も響かない。ここだけゆっくりと時間が流れているような、落ち着いた雰囲気……。
「良い雰囲気だろ?」
視線を移した先で、口の端を微かに上げているリゲル。その気持ちも今は分かる。
「ああ。凄く落ち着くな」
「曲もそう言うのを選んで掛けてるっつってたな。リラックスして会話や食事を楽しめるように、ってことらしい」
「なるほど……」
神妙な顔つきで頷くフィア。そこまで考えているというのは脱帽だ。もう一度ハーブティーを口へ運び――。
「……」
そこでふと。気になることに気が付いた。
「……なあリゲル」
「あん? どうした?」
「この店……」
もう一度確かめつつ、その疑問を口にする。たまたまかもしれない。そこまで気にすることでもないかもしれないが……。
「なんか、やけに着込んでる客が多くないか」
季節柄この時間帯の外はそれなりに寒いが、店の中は適度に暖房が利いていて暖かいくらい。あんな風に上着まで羽織っている必要はないはずだ。余程の寒がりでなくては――。
「まあそりゃな。大抵の客は、親父と同じような仕事の奴らだろうし」
「――っ」
あっけらかんとしたリゲルの答えに危うく咳き込みそうになる。吹き零しそうになったハーブティー、むせるほどに立ち昇りかけた香りを辛うじて喉の奥へ飲み込んだ。
「……リゲルの親父さんと同じ?」
「ああ。早え話が、マフィアだな」
「え……」
小さく声を上げたフィアと共に、もう一度店内の客層をよく見てみる。……大抵は品がよく落ち着いた雰囲気。浮かべられた静かな笑み、やや大きめの声で談笑している客もいるが……。
「……ッ」
いずれも目が笑っていない。それに気が付いたとき、背筋を一瞬、冷たい感触が通り抜けた。
「ど、どうしてですか?」
「ここ、マフィア御用達の店なんだよ」
俺と全く同じ疑問を覚えたのだろう。小声でするフィアの問いに、得意げな表情でリゲルが返していく。
「口が堅くて秘密も守られるから、飯食いながら商談や密談するのに良いって話でな。まあ偶に、変装したサツなんかが紛れ込んで来ることもあっけど」
……とんでもない話を聞かされているような気がする。色々と気になることはあるが、なら。
「……襲われたりしたらどうするんだ?」
「ここを襲う奴なんかいねえから大丈夫だって。この辺のマフィア全体に喧嘩を売ることになるし、壁や家具は耐火仕様で窓は防弾。店の面子も殆んどは心得のある連中だからな。――ここだけの話」
とっておきの話だというようにニヤリと笑いつつ。口元に手をやったリゲルが声を潜める。
「今の料理長も元傭兵なんだぜ。代が変わって直ぐの頃に何回か襲撃に会ってっけど、全部返り討ちにしたって話だ」
「……」
衝撃の事実を耳にしたフィアが固まっている。だからあんないいガタイをしてたのか……。
「――お待たせしました」
「っ――」
噂をすれば。料理長さんが、俺たちの頼んだ料理を運んでくるところ。静かな音と共に並べられていく皿たちを見て、一瞬丸くされた目。
「凄い……」
「これで、あの値段……?」
フィアも息を呑む。皿の上にあるのはどれも家庭やそこらの店では見られないような、手の込んだ盛り付け。量もそれなりにあり、見た目だけで言えば明らかに高級料理店のそれだ。
「それがこの店のプライドなんだよ。な!」
「皆様から良い仕入れをさせてもらっていますからね。ガウス様のところにも、お世話になっています」
品よく朗らかに笑う料理長。……待て。それはもしやモットーがどうとかいう話じゃなく、マフィア経由で安く食材が手に入るというだけなのでは。
「――お待たせしました。イセエビのグリル仕立てと黒アワビのステーキ、トリュフオイル掛けでございます」
「お、来た来た」
「いやあ、相変わらずいい仕事をなさる」
他のテーブルでのウェイターと客との会話が耳に飛び込んでくる。――ほら、高級食材使っちゃってるし……。
「――揃いましたでしょうか」
「あ、ありがとうございます」
「いえ。ではどうぞ、ごゆっくり」
料理を並べ終えた料理長が、その体格の良さからは想像できないほど優雅に一礼してテーブルを離れていく。思うところはあったものの……。
「……いただきます」
ひとまずは目の前の料理に向けて。俺たちは、ナイフとフォークを握った。
――――
……それから。
いつもの昼休みと違い、悠々と時間が取れるということもあってか、互いに他愛のない話に花を咲かせていく。学園の教師の話、授業の話、試験の話など……まあ、大体の内容は学園絡みだ。共通項であるそのことが話題の大半を占め――。
「それで大口論になっちまってよ。けど、あれくらいの熱意があった方がおもしれえよな!」
「ああ――」
会話の中で、ふと、目端に留まること。……気のせいか?
他のウェイターが仕事の内容に応じて縦横無尽に店内を歩き回っている中で。あの給仕一人だけ、これまでに背中しか見ていないような……。
「――っと、なくなっちまった」
声に視線を戻す。リゲルの手元には、空になったグラス。
「もう一杯頼むか。おーい、店員さん」
手を上げて呼ぶ先は、今し方俺が注目していたあのウェイター。呼ばれたことに反応して、背中が少し動いたが……。
「――はい」
「コーラもう一本。なんか頼むか?」
「あ、私は水で……」
「俺も特には」
素早く近付いて来て注文を受け付けた別のウェイターが、畏まりました、と言って下がる。……やはり何かおかしい。まるでこのテーブルを、意図的に避けてでもいるような……。
「……」
……まあ、いいか。
そうだとしても特に害があるわけでもない。気を取り直して、食事とリゲルたちとの会話の続きへと戻った――。
「――悪い。ドリンク運んどいてくれ」
矢先に、聞こえてきた声。ちらりと向けた視線に映るのは。
「はい。どこに――」
「六番のテーブルだ。頼んだぞ」
ウェイター同士小声での遣り取り。先輩らしい相手から盆を持たされたのは、背中しか見えていないあのウェイター。
「ん? ああ、飲み物か」
俺の視線に気付いたリゲルがその方を向く。コーラの瓶を乗せて暫し迷うように立ち止まっていたウェイターだが、諦めたように一つ溜め息を吐くと、俺たちの方へ近付いてくる。その面持ち……。
「――お待たせしました」
俺たちのテーブルまで来たウェイターの姿に、声を失う。淀みなく盆から瓶を下ろし、空になっていたグラスへと注ぐ所作は他のウェイター同様にしっかりしており。
「コーラになります。では――」
「――ちょっと待て」
手早く仕事を終えて立ち去ろうとする店員だったが、無論そんなわけにはいかず、案の定リゲルに呼び止められる。立ち止まり。
「こんなところで何やってんだ? お前」
「……」
その言葉に、店員――ジェインはもう一度小さく息を吐くと、あくまでも冷静なその視線を正面から俺たちに向けてきた。
――そう。トレードマークとなる眼鏡に、理知的な面立ち。
目の前の店員は紛れも無く、俺たちの同級生であるジェイン・レトビックだった。……制服を着てイメージが変わっているとは言え、流石にこの距離で見間違えるはずもない。
「……ただのバイトだ。君たちには関係ないだろう」
「バイトだぁ? ……チッ」
面白くなさそうな反応を示したのはリゲル。俺たちにも聞こえるようなこれ見よがしな舌打ちをし。
「なんでよりによって此処でバイトしてんだよ。仕事の口なら他にも色々とあんだろ」
「ここは給金が良いんだ。それに今言ったが、君に一々言われる筋合いはない」
「けっ、カネで仕事選ぶとか、守銭奴かよ。嫌になるぜ」
「――」
弾みのまま口にされた暴言。流石にそれはマズイと、俺が内心で危ぶんだとき。
「――羨ましい限りだな」
スイッチを入れるようにして。明確に声のトーンを変えた、ジェインが中指で眼鏡を押し上げる。
「ああ?」
「親が荒稼ぎしてる君みたいなボンボンは、何の苦労もなくて。さぞ齧り甲斐があるだろうな。マフィアの親玉の脛は――」
「きゃ――⁉」
言葉の終わりを待つまでもない。熱せられた薪が弾けるように勢いよく立ち上がったリゲルが、ジェインの制服の襟首を掴んだ。
「……ざけんなよテメエ」
「――リゲル」
「り、リゲルさん」
俺たちの制止にも構わず、ねめつけるように強烈なガンを飛ばしている。……黒服たちとの乱闘でさえ見せたことのなかった、本気で怒っている表情――‼
「図星か? やるなら相手になるぞ。どうせ学費だって、親から出してもらってるんだろう」
それを受けてなお、ジェインは些かも怯んだ様子がない。売られている喧嘩を、寧ろ自分から買う素振りだ。
「君のような犯罪者が一般人に絡んだとなれば、直ぐにでもブタ箱行きだろうが」
「――テメエ」
「……リゲル」
更に険悪になる二人の間の空気。これ以上はマズイ。静かに集められている空気に無言の勧告のようなものを感じて、リゲルの腕に手を掛けた。
「抑えてくれ。他の客もいる」
「……」
数秒後。リゲルが手を放すまでの間、俺たちを含めた店内は異様な緊迫感に包まれていた。
「――冷や冷やしたな」
「そうですね……」
オールド・パルでの夕食を終え、リゲルと別れての帰り道。フィアと二人して疲労の溜め息を吐く。……あのあと。
結局俺たちに加え、料理長が出てきてくれたことでどうにかその場は一旦治まった。一応の対応としてジェインは厨房の方に下げられたものの……。
〝……悪かったな〟
その後の食事の間中リゲルの不機嫌は続いていて、デザートのときまで治ることはなかったのだ。自分の馴染みの店にジェインがいたことが余程のこと嫌だったのだろう。思い返されるのは帰り際、別れる際にリゲルが背中越しに呟いた謝罪の言葉。……あのことをそこまで気にはしないが。
「お料理は美味しかったですね。とても」
「……そうだな」
メインは言わずもがな、デザートも。非常に洗練されていて素晴らしい味だった。リゲルが長らく通っていて一押しと言うのも頷ける。……それだけに、最後はもう少し味わって食べたかった気持ちもあった。
――まさかジェインが、あの店でバイトをしていたとは。
運が悪いとしか言いようがない。確かにあの店なら学園の人間が来ることは滅多にないだろうし、来たとしても勤務時間に被らなければ顔を合わせる羽目にはならない。実際遭ってしまったものは、言っても仕方がないとはいえ。
「……」
料理長さんはまた来て下さいと言っていたが、あの分では次の機会は遠くなりそうだ。予想外のハプニングに、言い難い感情を覚えながら……。
「――」
夜の帳を揺らすように、俺は小さく息を吐いた。今後が上手くいくことを願いながら。




