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エピローグ

 


「……う……」


 朝。差し込むその光を感じ、立慧は目を覚ます。起き上がる掌の下に沈むのは、柔らかく清潔な白い手応え。


「……っ」


 足がよろける。……まるで何日も寝込んでいたかのよう。上手く力の入らない身体で、壁を支えにして、前へ。静かな支部の中を進んだ先――。


「――っ」

「――范支部長」


 立っていたのは郭。驚いた顔つき。白い患者衣は、自分と同じく負傷していた者の証。あれからまだそう日は経っていないという、そのことを確かめた心持で。


「……終わったの?」

「……ええ」


 訊いた立慧に、予想と違わぬように郭は答える。落ち着き払った表情と態度。責務に駆られている者特有の緊迫感がないことからした推測だったが。


「……永久の魔は? ヴェイグは? あいつらは?」

「……」


 続けて為された問いに郭は答えない。唇を結んだまま、手首を握り締めている姿を見て。


「――ッ!」


 ふらつく足で距離を詰め。間合いに入らぬうちから繰り出した右腕でバランスを崩しつつ、立慧は相手の頬を殴った。


「なにやってんのよ! あんたは!」

「……済みません」


 一言も逆らわずに謝罪する郭。目にするその態度。血の色を増した頬と拳に残された痛みとが、立慧に自らのしでかしたことの如何を教えてくれている。腕を下げたまま。


「……謝らないでよ」


 痛みを癒すこともできずに。


「仕方ないじゃない。あんたは。私、私は……」












「――問題は山積みね」


 回復して暫く。目の前の机に積み上がった書類の一部を手に、立慧は息を吐く。


「組織と凶王派の秩序が崩れたことで、あちこちで小競り合いが勃発しているし。まあ、殆んどは取るに足りない技能者の勢力争いなんだけど――」


 その横にいるのは、椅子に腰かけ、脚を机に掛けた一人の男。長髪にこけた頬。浮かべられた笑みは変わらず不敵で。


「大変そうだな。范立慧」

「――なに他人事みたいに言ってんの?」


 バサリと書類の束を放り投げた――立慧が男、アデル・イヴァン・クロムウェルに眼差しを向ける。


「あんたにも手伝って貰うわよ。散々他人に迷惑かけといて、何もしないってのはあり得ないから」

「私にか?」


 不意を打つその発言に、アデルは少し驚いたように片眉を上げ。


「――止めておけ」


 いつものような笑いを浮かべずに、諭すようにそう言った。


「所詮私は、楽しむしか能のない男だ。なにもできんさ。私には――」


 つかつかと間合いを詰めた立慧。言葉を無視して、白き聖職衣の襟首を掴む。


「……」

「私」


 眼光と共に、宣告を突き付けた。


「赦してないから。あんたのしたこと」


 アデルの四肢に嵌められたのは協会の保持する魔道具。古い時代、倉庫の奥底で眠っていた遺物を立慧は引っ張り出してきた。……償わせるために。


「死ぬ気で働きなさい。いつかその枷が外れるまで。あんたが奪った命と、千景の分までね」











「――本当に行ってしまうんですか?」


 出立の日。纏めた荷物を収めたスーツケースを立てた直後、掛けられた声に葵は振り返る。返す答えを決めて。


「ええ」

「……そうですか」


 視線の先に立つのは郭。既に受けた傷は治り、痛ましい形は僅かに覗く肌から顔を見せるだけに留まっている。……ヴェイグの去ったあのあと。


 言い渡された期日の訪れを待って、葵は軟禁されていたホテルから駆け出た。即座に近い支部へと赴き、身元を証明して郭たちの下へ帰還。情報を共有し――。


「葵さんが本山を離れると聞いた時には、どういう風の吹き回しかと思いましたよ」

「……少し」


 今まで共に仕事に取り組んできたのだが。


「自分の目で世界を見てみたくなりまして」


 今の協会に四賢者はいない。当座の対応として作り上げたのは賢者見習いである郭を筆頭とした新たな体制。元補佐官として葵の知る実務の要素は既に該当者への引継ぎを終えており、葵が本山を離れること自体に問題はなくなっている。


「……寂しくなりますね」

「……郭、貴女は」

「僕は本山で、このまま協会の運営に回ります」


 とはいえ私事であることに変わりはない。罪悪感にも似た感情を覚える葵の前で、郭はあくまでも何でもないかのように口にする。


「葵さんが手伝ってくれたお蔭で、基礎的な部分は上手く整えられましたし。まあ、彼の頑張りのお蔭でもありますが」


 アデル・イヴァン・クロムウェル。かつての『アポカリプスの眼』の一員は今現在、立慧の指揮のもと馬車馬の如くに働かされている。信徒時代に鍛え上げられた所以か、当人は全くそれを苦にはしていないようだったが。


「支部長らも頑張ってくれていますしね。……大丈夫ですよ。僕は」


 軽く肩を竦めて見せた。……支部長の中には実務経験の薄い郭を筆頭とすることに否定的な人間もいる。加えて。


「……」


 あの衝撃から立ち直れたのかどうか。その問いは、どうあっても葵の喉奥からは出て来なかった。


「――郭様。范支部長殿から、ご連絡が――」

「分かりました。――では。機会があればまた、葵さん」

「はい。……また、郭」


 協会員と共に去っていく後ろ姿を見つつ、葵は纏めた荷物に目を遣る。……郭には話していないこと。


〝櫻御門様、ですね?〟


 ホテルを脱出したあの日。罠の類を警戒しつつフロントを横切ろうとした葵は、そうボーイに呼び止められた。


〝お預かりしている物があります。ヴェイグ・カーン様から〟


 驚愕を差し置いて。フロントから事務的に受け渡されたのは、一個の古びたトランク。革の持ち手は擦り切れそうになっていて、ところどころに仕立て直された継ぎ接ぎが見える。


 ――今、葵が手に持っている物だ。


「……」


 始めから物理的な鍵は掛かっていなかった。何か魔術的な仕掛けが施されているのではないかという懼れから、協会に残されていた設備を使い、仕事の合間を縫って数か月を確認に費やした。――結果はシロ。


 ただのトランクだ。それがどうやら分かったらしいところに来ていてもなお、葵はまだ中身を確認することをしていなかった。できなかったのだと言っても良い。仕事の忙しさに感けていたこともあるが、何より畏れのような感情が強かったのだとも自覚している。……ヴェイグからの贈り物だと。


 そう解釈して良いのだろうか。二度に渡って話をした、礼としての……。


 ――いや。


 気付いて思い直す。……ヴェイグが自身の終わる可能性を予期してこれを残したのだとすれば、贈り物と言うよりは、寧ろ。


「……」


 ――目的地に着き次第、確認してみよう。


 そう思う。その時の自分にならば開けられる。なぜだかそんな気が葵にはしたのだ。それが果たしてただの、錯覚なのかどうか。


「――」


 確かめるためにも。櫻御門葵は、新しい始まりの一歩を踏み出した。














「待ってよ、お母さん~」

「ほら、走らないで!」


 ――砂で覆われた、更地のような場所。


 そこを二人の人間が歩いている。会話から察するに一人は少年。もう一人は少年の母親のようだ。周囲を純粋な好奇の目で見渡しながら、少年は前を行く母親を彼なりの速度で追いかけて行く。


「うわっ……」


 砂に足を取られた、少年が転ぶ。柔肌を裂くような岩は砂の中に潜んでいなかったものの、少年自身にとっては決して軽くない体重が齎した衝撃のせいで、少年は直ぐには起き上がれないでいる。


「焦らなくていいわよ! ……全くもう。いつまで経っても、子どもなんだから」


 母親にとってその光景はごく有り触れたものなのか、特に駆け寄るでもなく、助け起こすでもなく、少年が自力で立ち上がるのを待っている。その目に映し出されているのは、愛しい我が子への情愛だ。


「は~い……。……ぺっ、ぺっ……」


 返事の後で口に入り込んだ砂を吐き出しつつ、少年は地面に掌をついて立ち上がろうとする。――体重を両手に預けた瞬間、僅かに沈み込んだ砂中に違和感を受け、少年は触れた指先でそれを引っ張り出す。


「……写真?」


 呟いた少年の手に握られていたのは、古ぼけた一枚の写真。風雨に晒され砂に埋まり、少年に握りしめられてくしゃくしゃになっているそれは、大分痛んではいるものの、まだなんとかそこに閉じ込めた図柄を確認することができそうだった。


「……」


 ゆっくりと写真を開き、そこに何が写っているのかを確かめようとする少年。目に飛び込んできたのは、複数の人物が写し出された、記念写真のような何かだった。写っている人間は全部で四人。少しサングラスをずらしてこっちを見ている、強そうなスーツのオヤジ。見るからに頭が良さそうな眼鏡の兄ちゃん。そして――。


「うわぁ……」


 その中に写っている一人の上で、少年の視線が止まる。


 四人の中で少し小柄な背丈の、白いドレスの女の子。写真とは言えこんなにも綺麗で可愛い女性を目にしたのは、少年のそれまでの人生で初めての事だった。


「……」


 自然と次に少年の視線は、少女が手を繋いでいる人間へと向けられる。少しの羨望と嫉妬を含んで動いて行った視線は、しかし――。


「……あれ」


 その人間の顔が、擦れて見えなくなってしまっていることで意気を失ってしまう。


「な~んだ……」


 少しがっかりしたような声で少年は呟く。その少年の耳に、母親が自分を呼ぶ声が入ってくる。


「――何してるのー? 行くわよ。早く来なさい」

「――はーい!」


 元気一杯に返事をした少年は写真を捨てようとして、思い留まったようにもう一度そこに写っている人間たちを眺めた。


 見れば、写っている四人の姿は決して行儀のいいものではない。サングラスの男はさりげな隣の眼鏡をどついているし、眼鏡の男はそれを受けて体勢を崩しつつも足を踏みつけて反撃している。顔の見えない人物は二人のやり取りを受けて少し体勢を崩し、手を繋いでいる少女もそれに引っ張られてやはり少しだけ姿勢を崩している。そんな纏まりのない写真。


「……。……っ!」


 少しの逡巡の後、少年は写真を放り出し、息子の帰還を待ち侘びている母親の下へと急ぐ。


 ――あの写真に写っていたのがどんな人たちだったのか。写真を見ただけの少年には分からなかったし、分かるはずもなかった。


 ただきっと、良い人たちだったのだろうとは思う。だって、あの写真には――。


「……?」


 その途中で少年はふと、あの顔の見えなかった人物がどんな表情を浮かべていただろうかと考えて、少し悩んだ末に納得のいく答えを見つけて頷いた。


 ――きっとそれは、これ以上ない幸せな表情だったに違いない。


 だってあの写真に写っていた人たちは皆が皆そんな笑みを浮かべていて。……これ以上ないほど幸せな時を、噛み締めているように見えたのだから。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


活動報告に今作についての説明や今後の予定などについて書かせていただきました。ネタバレを含みますので、気になる方は本編読了後に見ることをお勧めします。

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