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第四十節 戦いの果て

 

 ………

 ……

 …


「……決着か」


 ……なんだ?


 声が届く。その言葉の元が、やけに遠い。


 ……俺は。


「世界外級のチカラと雖も、脆いものだね」


 俺は、どうなった?


「……寧ろよく、そんな状態でもったものだ」


 ……肉体を覆う黒が。


 徐々に俺の身を蝕んでいっている。指先の感覚が、分からない。


 拮抗を支える円環の力が、消えかけているのか……。


「終わりにしよう。黄泉示くん」


 近付いてくる足音。先に掛けられたヴェイグの問いが、俺の中を巡っていた。


 ――俺は。


 どうして、ここにいる?


 明らかな終わりを前にしても身体は動かない。……考えるより先になどという本能で、せざるを得ないなどという衝動で、突き動かされてはくれない。


 守りたいものは失った。勝って得られるものなど何もない。戦うことは辛く、ひたすらに代償が伴うものだ。


 ……ならばもう、良いはずじゃないか?


 ここで、終わってしまっても……。


 ……


 ……良くないはず、だったのだ。


 ……それは、どうしてだっただろうか?


「……苦しみは与えない」


 ヴェイグが呟く。送るように。


「せめて向こうがあるのなら、良い夢を」


 ――無の刃が振り下ろされる。直後。


「――ッ‼」


 四肢に力を込めて反転する。飛び起き跳ね退いた俺の顎を、見えない空気の亀裂が切り裂きながら掠めていく。


「……その身体でまだ立てるのか」


 俺を見るヴェイグの表情に込められているのは、驚愕というよりも、悼み。その前で崩れ落ちないよう、円環と言の葉の力で強引に身体を固定する。


「黄泉示くん。君は――」

「――苦しみに膝を折ったとき」


 掛けられる、その思い遣りを遮って、言う。……この言葉だけは。


「誰かが助け起こしてくれた。……手を差し伸べてくれる人がいた。背中を支えて、押し出してくれる人がいた」


 この言葉だけは、伝えなければならない。


「だからだ。だから俺は今、ここにいる」


 ――俺は支えられていたのだ。


 今までに俺と出会い、向き合ってくれた全ての人に。


 そしてそれは――。


「貴方がしてきたようにだ。ヴェイグ・カーン」

「――」


 俺の言葉に、目の前の男は確かに、少しばかり目を見開いて。


「……そう、か」


 誰に聞かせるでもないように呟いて、眼を閉じた。


「……」


 沈黙。荒い俺の息遣いだけが、場の空気を乱している。


「――お互いに」


 男が。ヴェイグが眼を開ける。決然とした瞳。


「止まる理由はないようだね」

「――ああ」

「君と僕はやはり、ぶつかり合う他はない」

「……ああ」

「最後に一つだけ。黄泉示くん」


 顕わにされた決別の中で、それでも指を立てて見せた。


「――蔭水黄泉示。僕は君に出会えて――」


「本当に、良かったと思っているよ」












 ――強い。


 ヴェイグは掛け値なしにそのことを是認する。


 呪具による限界を超えた能力のブーストと、技法の行使。その状態で活動を維持し、同格以下のあらゆる干渉を無力化する世界外級のチカラ。同じく世界外級のチカラを持った黒刀。


 神器と【失われし楽園】のチカラを手にし、滅びの意志のバックアップを受ける自分であっても敗北は有り得る。それがどれだけ有り得ないことであるのかを、ヴェイグはよく自覚している。自分には悲痛としか映らない戦い方。それをこの青年は選び取った。その選択が、自身の生き方の果てにあるものだとするならば。


 彼は決して、自らの戦いを悲痛と呼ぶことを許さないだろう。


 同じ世界とそれぞれの状況に投げ込まれた者同士。


 態度を決めたなら残るのは、違いと相容れなさ。


 ――それでも、思い遣りはできるのだろうか?


「――ッ」


 詰めかけられる距離。一瞬後に気付き、咄嗟に魔術弾幕を張ることで体裁を濁す。冷や汗と共に零れる苦笑い。


 ――今ここに至って、そんなことを思う甲斐があるのか?


 いや、甲斐と言うよりは寧ろ――。


 ――そう思えること自体が、自分は嬉しいのだろう。


 法陣の役割自体はすでに終わっている。とはいえここが術式の起点になっている以上、魔力の供給者であるヴェイグもこの近くを離れられない。そうでなくとも逃げるという選択肢はないだろうが――。


 ――似ている。


 苛烈に相向き合いながらそう思う。


 秘めた情念が、永久の魔に。


 剣を振るうその様が、蔭水冥希に。


 幾度となく立ち上がるその態度は、九鬼永仙(あの男)に。


 そして恐らく、自分の知らない誰かにも。


 似ているということは違うということでもある。結ばれた糸が解けて流れ、新たな絡まりを作るように。


 色持つ糸も元とは別の糸に囲まれ、新たに別の色を織り成していく。……その差異こそが、永久の魔の言っていた希望なのだろうか。


〝……やめてくれ〟


 声が聞こえる。


 ……自分や彼らの行いも。きっとどこかに継がれていたのだ。


〝私が、彼らが。……なにをしたという⁉〟


 権力に従う軍隊に、殺し尽くされていく人々の声が。


 ……そこで新たな纏まりを作っている。目の前にいる彼のように。自分が目にしてこなかった、誰かのように。


〝アアアアア、アアアアアアア‼‼〟


 手足を失い。のた打ち回る仲間を見捨てながら、這ってでも生きようともがく声が。


〝っやめて……助けて……助けてッ‼〟


 歓楽の為に刃物で刻まれ、悪意と苦痛の中で叫びを上げている幼い声。


「……」


〝なんで、皆……〟

〝……私たちは、英雄なんかじゃない〟


 孤独の中で、失意の中で、自ら命を断とうとする者の声。


〝……どうして〟


 強く響く。今この瞬間もなお、地獄にいる者たちの声が。


〝どうして、もっと早く助けてくれなかったんですか〟


 響いている。忘れない為に。どれだけの歳月が経とうとも、慣れ受け入れることなどできない。


〝――どうしてもっと早く、殺してくれなかったんですか?〟


「……終わらせよう」


 その望みのない悲嘆に、思わずして応える声が零れた。


「消せない地獄を。君たちの流している、血と涙を」


 変わらない。自分の繰り返してきた決意は、千年を経てもなお変わらぬ重さを持ち続けている。


「もう二度と、新しく繰り返さないように」


 ――受け入れてはならない。受け入れられることがあってはならない。


 あらゆるものを赦すことが必要だと、他人事に言ってのけるのは簡単だ。


 だが自分には、決して赦せないものがある。


 それを譲ったならばヴェイグは最早ヴェイグではない。……いつの日かより、いつの日もそう断じてきたからこそ、自分は今ここにいるのだ。


 だからこそ、己の取る道は一つしかない。


 ヴェイグはただ、目の前の青年に全てをぶつける。









「――」


 ――必死。他に頭を巡らす余裕などない。ヴェイグの手数の多さは異常。魔術と魔具の連繋に加え、【絶無】による攻撃を的確に混ぜ込んでくる抜かりの無さ。――攻め込めない。


 五感を封じ込めるような嵐の中、魔力の熾りが紛れ感知できない即死級の攻撃を円環のブーストを頼りに躱していく。生命力を糧に終月の力を使えるのは恐らくあと一度だけ。


 見えているあの法陣を断ち切っても意味はない。……先ほどのヴェイグの物語から引き出した事実。あの法陣はあくまで術式の起動と稼働の確認を担うものであり、大本の術式自体は既に接続された世界各地の法陣にまで拡がっている。術者であるヴェイグ自身を止めるしかないのだが。


 終月の力を最大限まで発揮しなければヴェイグに刃を届かせることはできないという、その確信があった。確実な機を見定めなければ――‼


 ――時間がない。


 黒の侵食は進んできている。円環の強化を受けて身体を動かせるのも、いつまで持つか。食い縛る俺の前で展開される巨大な法陣。幾重にも重なったそれらから世界そのものを削り取るのではないかという密度で溢れ出す攻撃群。


「――〝舞え〟」


 短縮詠唱。紡ぎ出すのは書庫から入れた最高位暗黒魔術。呪文の力により大抵の攻撃は避けずともどうにかなるが、その瞬間視界が塞がれるとなれば話は別。絶無を察知できる空隙を作るために。


「【功徳消し去る無限の剣影】‼」


 発動させた術式。無数の黒の剣が魔術の弾幕と相殺(あいころ)し合う。脳の神経が焼き切れていくような感覚。身に走る怖気を耐え走りながら――。


 ――考えろ。


 向き合っている相手へ思いを遣る。……焦れているのは、ヴェイグの側も同じはずだ。


 俺が終月を手に生き残っている限り、ヴェイグにとっての脅威は消えない。できることなら確実な形、完全に消し去れる形で絶無を当てたいと思うはず。


 ――ならば。


「――ッッ‼‼」


 俺の狙う、機会とは――‼


〝守りたいものがあるのなら、守り抜け‼〟


 決めて覚悟した鼓膜に、あの日の父の声が届く。


〝どんな状況の中でも、必ず――‼〟

〝――その気持ちを忘れるな〟


 続いて響いた永仙の言葉。認めて託すような、あの笑い顔。


〝お前たちなら、きっと――〟

〝――前を向いて歩いてけよ〟


 心を震わせたのは、懐かしいその声。


〝今のお前なら。――もう〟


 ……小父さん。


「ァあああああああああああああああッッ‼」


 振り絞る。全力を、自らに出せる力の全てを、今この瞬間のひと時に。


 ――人はいつの日か、必ず死ぬ。


 俺たちには待ち受けている終わりがある。その上でなお、この世界の中に無念も後悔もない生き方があるとすれば。


 それはきっと、本当にやり切ってこそ――‼‼


 ……瞬間。


「――ッ⁉」


 僅か。全力で岩壁を駆け走り地へ飛び移ろうとする俺の足が、足場の崩落を読み違え崩れる。一瞬があれば即座に踏み直せるような、それは円環のブーストを受けた俺にとってごく僅かな居つき。


「――」


 刹那に消え失せた足場。岩肌を削り取り空洞にした絶無。ほんの数秒間、空中に立ち位置を固定される俺の前で。


 ――大海と錯覚するほどのヴェイグの魔力が、これまでにない猛りを見せるのが分かった。








 ――ここだ。


 ヴェイグは過たず待ち望んでいた機を見通す。自らの術法が生きる完璧な瞬間。終焉も絶対も絶無の前では意味をなさない。最大出力で確実に仕留められる。


 意志に応え、今、常外の魔力が渦巻く。




 ――今だ。


 全身全霊が叫び促す。この一撃の前に距離など皆無。相手が決め手を打つその瞬間こそが、俺にとって最大の好機。


 破棄された詠唱により漆黒の刀身に金色の紋様が浮かび上がる。生命を糧に煌めく、最期の光――。



 ――【失われし楽園(Lost Eden)】。


 絶無が哮る。滅びを志す男に応え、全ての障害を消し去る為に。


 ――【一刀一閃】。


 身に着いた構えから解き放たれし刃は絶対の断絶。万象を断ち切る黒金の一閃が今、空を駆け。


 ……瞬間。


 二つの世界外級のチカラが、正面から交錯した。



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