第三十九節 ヴェイグ・カーン
「……!」
――戦っている。
どこかの戦場にて。俺/ヴェイグはたった一人で、同じように。
……いや。
中途で思い至る。……違う。これは。
「――ッッ‼」
「――ヒィッ!」
怒りに任せたかのような戦いぶり。鬼気迫るその形相、獅子奮迅の活躍に、兵たちの気勢が削がれていくのが分かる。勝敗は――。
「ありがとう! おじちゃん」
――決した。思う瞬間に切り替わる景色。戦地の跡と思しき焼け跡の上に立つヴェイグ/俺は、助けた少女から笑顔を向けられている。それに対し。
「……ああ」
懸命に笑顔を作り返して向ける。……応えたヴェイグ/俺の声は。
――自分でも分かるほど、疲れ切ったものだった。
「――」
場面の転換を経て、俺/ヴェイグは一つの場所に立っている。……これまでとは一風変わった、農村だ。穏やかな風景――。
「……まさか」
そこにいるヴェイグ/俺の声は、これまでに見たことがないほど、驚愕に歪まされている。足早に。いつの間にか駆け出して、記憶にあるその場所へと走った。
「……嘘だ」
違わない。……此処こそが正に目的の場所。取り囲む景色の符号が克明に一致を告げている。否定の仕様もない。
「ここに、此処に在ったんだ‼」
認めないかのように叫ぶ。痕跡を探し、必死で掻き分けるように歩く。……ない。
「なんで……」
認めざるを得ない。崩れ落ちるヴェイグ/俺の前で。
風に揺られて。一面に生い茂る草木が、静かにたなびいていた。
――暗転。
ヴェイグ/俺は暗闇の中でなにかを刻んでいる。魔術に造詣がなければ理解の出来ない文言。地面に描かれた法陣は――。
「……これで」
……血? 薄暗い中に鈍い赤色で浮かび上がった文字たち。丹念に書き殴られたような字体から、ある種の狂念が伝わってくるような気がして、息を呑む。――同時に。
「……僕は、忘れないで済む」
耳に聞こえてきている声に意識が向く。……俺/ヴェイグのものではない。ブツブツブツブツと無数の誰かが囁き叫んでいるような声の重なり。言葉として意味を成しているにも拘らず、表現としては決して成立することのない、意識から締め出したくなるようなそれらを。
「……ああ」
ヴェイグ/俺は一つ一つ。どこまでも丁寧に聞き届けて、誓う。
「約束しよう。君たちのいる地獄を、必ずこの世界から消し去って見せる。……僕が」
僕たちが、と。口の中で呟いた台詞は、音を持つ声になることはなかった。
――様々なことをしてきた。
地獄を止める為に、地獄を無くすために。でき得ると考えられること全てに力を尽くした。
協力者を募った時もあった。
人々の力を借りたこともあった。仲間と共に動いた時もあった。誰かを支える為に動いた時も、時には憎まれ役になったときもあった。声を張り上げたことも、共同体の上部に働きかけることも、幾つもの計略と策謀を巡らせたことも。
――だが全て、地獄をなくすことはできなかった。
その場所では上手くいったとしても。……何もなかったはずの場所でまた新たな地獄が生まれる。上手くいっていたはずの場所も、時が経てば塗り潰される。
幾つものビジョンが脳内を埋めていく。助けた子どもたち、洪水から救った村、感謝する人々、歓声。喜びに湧く笑顔と、流される嬉し涙。
戦争で焼き払われた町に転がる黒焦げの死体。惨たらしく刻まれ、犯されて死んでいる少女。血塗れになった数多の拷問器具。山積みになった人の残骸。狂って自らの腕を切り落とす男。全身を覆うケロイド、首つり、少年の首。
いつの時代でもなくならない。世界のどこかには必ずある。それらの問題に力の限り、身を削るようにして取り組み続ける日々が過ぎ――。
「……」
いつしかヴェイグ/俺の心に、一つの考えが湧き上がるようになっていた。……これでは駄目だ。
場当たり的に個々の問題に対処するだけでは。……根本的な問題性そのものへの取り組み。地獄の根絶には、それこそが必要となる……。
――地獄とはどういうことか?
問題とは。どのようにして生まれるのか。なぜ容易くはなくせないのか。取り巻く問い、問い質しに耐え得るその全てに答えを出さなければならない。
続けて立てられた疑問。――地獄とは、無くすことのできることなのだろうか?
地獄を生み出し続けているもの。それは――。
――其処から先は、早送りによる途切れ途切れの映像の羅列。
滅世。思い浮かんでくる考えをその度毎に振り払う。……それは極端な回答だ。誤れば取り返しのつかないことになるという故に、何度も何度も。
資料を集め、更なる知識と技法を学ぶ。――禁忌領域の発見。その内側に眠る、規格外のチカラへの気付き。どちらかへの答えとなるだろうことを予想。
『静謐の死』、『真の恐怖』の出現と討伐。滅びの意志との接続により感知できた体現者発生のプロセスを、行使可能な術式の形へと落とし込む。……可能性の想定。
神器の発見。自分では選ばれないことを確認し、もしものときのために利用できる方策を探す。
無造作に捨てられていく死体の山。黒い雨。慟哭、悲鳴、血、血、血。
――『アポカリプスの眼』に手を貸した。父や東小父さんの活躍によって阻止された。
父に接触したことを皮切りに、新たなメンバーを集めていく。……アデル、バロン、十冠を負う獣、セイレス、零さん。
『伝説』の三人。永仙を斃す。……永久の魔の復活。
――そこまで来たところで不意に、ビジョンがぶれた。
「――」
息を呑む。俺/ヴェイグの目の前に広がるのは、白い、白い果てのない場所。
ここは――?
「――用意はいいかしら」
届く声に、目の前にいた人物の姿を認める。……倒れているだろうヴェイグ/俺。力の抜けたその身体に、一人の女性が近付いて来ていた。
……いや。
感じて思い直す。溢れ出す異様。人のカタチに見えたとしても、断じてヒトではない。自分たちとは違うナニカ……。
「……一つ、訊かせて欲しい」
殺される。
経緯を見ていない俺でさえ理解できる。それほどまでに明らかな状況の最中で、話し掛けたヴェイグ/俺の声は酷く落ち着き払っているように聞こえた。
「この人の在り方は、君が作り出したものかい?」
「なぜそんなことを訊くの?」
「無窮性と忘却とは、問題性と地獄とを生み出し続けるものだ」
言葉を紡ぎ出す度、目元に力が籠る。
「だがシステムの一環として見るならば、実に都合の良い体を成している。続けさせるという、その一点についてなら」
声に込められているのは熱。心の内に沸々と沸くその情動を自覚する。……怒っている。ヴェイグ/俺が、これまでになく――。
「――違うわ」
それに答える管理者の声は、余りにも静かで無機質で。
「貴方たちは昔からそういったナニゴトか。貴方の言うような世界と、貴方たち自身とを引き摺った」
「……そうか」
「怒りをぶつけられる相手がいなくて残念ね」
「……流石は管理者。なんでもお見通しというわけだ」
口元に浮かんだ笑みは。……自分でも、皮肉か自嘲なのか分からなかった。
「見通しついでにもう一つ訊かせてくれないかい? 死にゆく者の、後生の頼みだと思って」
「二度目があれば、ね」
宣告とも付かぬ台詞と共に、管理者がその小さな手を掲げた――。
――ッ。
瞬間に上がる爆煙。邪気を纏い、背後から猛追するのは永久の魔。
「――【究極断罪】」
放たれる一撃。
そこで、画像が途切れた。
……!
息を呑む。空白の間に果たして何があったのか。
逆転している。現われた二者の構図はまるで逆。見下ろしているのは俺/ヴェイグ。倒れている管理者の身体には、深く痛ましい裂傷が刻まれている。……血が流れ出ていない? 合間に見えるのは、存在を削り取られたようなどこまでも深い断絶――。
「……続けて訊こう」
尋ねるヴェイグ/俺の声はどこか堅く、不自然なほど平静だ。
「君は人の在り方を知っていた。常に地獄と一つであるということも、それが変われないということも、とうに、ずっと昔から」
意識をせずとも――独りでに、目付きが鋭くなった。
「そうした人間を、なぜ存続させようとした?」
「……ああ、そういうこと」
変わらない声調子。負わされた傷にも状況にも関心がないように、管理者は瞳を動かして俺/ヴェイグをただ視界の内に収める。
「二度目があれば教えてあげるわ」
「――答えるんだ」
強まる語気を最早隠そうともしない。膨れ上がる右手の魔力が何を意味しているのかは、敢えて自問してみるまでもなかった。
「君は。……管理者とは、どういうことなんだ?」
心の底から汲み上げた疑問。これ以上ないほど真剣に答えを求めた問い掛けに、管理者は――
「――」
――笑った?
この状況で、なぜ――
「……貴方も本当は分かっているのでしょう?」
微かな笑みを口元に浮かべたまま。俺/ヴェイグに向けて、管理者は確かにそう言った。
「世界は滅びない」
胸に浮かぶのは一抹の不安。懸念。抱いた最悪の恐れを力を込めて振り払う。
「これからも、ずっと――」
目に焼き付くのは管理者の笑み。ヴェイグ/俺の右腕に収束した魔力が、一息に解き放たれ――
「――」
霧散するように掻き消えていく色の奔流。気付けば、現実の世界がそこにあった。
「……終わったようだね」
前に立つヴェイグも言葉を零す。……あれが、この男の。
「君が見たように僕も見た。君が聞いたように、僕も聞かせてもらった。僕たちは漸く、お互いの物語を共有できたわけだ。それが仮初めで、不完全だとしても」
「……」
衝撃が、俺を少しだけ現実に引き戻す。
「……あなたは」
声を発しようとして開く口が、あなた、という言葉を独りでに選び出していた。
「失う苦しみを分かっていて。その上で、こんなことをしたのか?」
「……そうだ」
否定しない。真っ向から俺の発言を受け止めて、ヴェイグは答える。
「僕は地獄を終わらせる。連綿とあり続けている血と涙の連鎖を、必ず、必ず」
どこか悲しげに、問い掛けるように俺を見る瞳。
「あの地獄を受け入れてまで生きていく甲斐はない。……そうは思わなかったかい? 黄泉示くん」
「……」
「……人は忘れてしまうんだよ」
ヴェイグが語り出す。『私のための物語』によっては語り切れなかった、彼自身の部分。
「人間は皆罪ありき。王は神によって選ばれている。神の化身だ。神を信じないのなら悪だ。法を犯したのなら罪人だ。富める者こそが優れている。財を持っている者こそが憎む相手だ。地位の高いものが成功者。国のために死なないのなら同じ仲間ではない」
言葉の際まで耐え切れなくなったかのように、一度息を継ぐ。
「……彼らはそうやって、自分たちが奪い殺せるための理由を作ってきた」
「人間じゃない。敵だ。仲間じゃない。大事じゃない。正しくない。悪だ。正義だ。英雄だ。劣っている、優れている、金がない、自分には関係ない、役に立たない、狂っている、変だ、おかしい、弱い、強い、きっと大丈夫だ」
「……彼らはそうやって線を引いて、見捨てても良いと思える誰かを作ってきた」
「仕方がない、自分のせいじゃない、言われていたから、そう聞いたから、命じられたから、指示されたから、忙しいから、決まっているから、どうでもいいから、都合が良いから、だってそうだから、それが事実だから、現実だから」
「……彼らはそうやって更に、それらを正当化するための言い分までもを作ってきた」
吸い込まれる息。吐き出したものを、再び飲み込むように。
「そしていつでも新たな境界が、誰かによって作られる。彼方と此方とを分けて、自分たちの側を優先しようとする」
俺はただ耳を傾けている。ヴェイグの語りを、恐らくは初めてされているのだろう、この男の告白を。
「……本当はとても、切実な事だったはずだ」
息を吐く。
「誰かを助けたくとも助けられない。そうしたくとも自分にはできない。人が人である限り、どうしてもできないことはあってしまう。その無力さを嘆き、その嘆きを和らげようとする声だったはずなんだ」
――仕方がないとは、と。声を零したヴェイグ。その後で哀し気に。
「だがその声でさえ、いつのまにか覆い隠しに加担してしまうようになっている。人は変われない。忘れてしまう、溺れてしまう。個々に終わりを用意された、終わらない無窮性の中で」
声が僅かに強さを増す。
「決して此処を外れられない。問題の解決は、現理的に不可能だ」
ヴェイグが言葉を切る。一瞬、静まり返る空気。
「……ならどうする?」
次に呟かれた言葉は確かに俺に向けられていて、同時に自分自身にも向けている独り言のようでもあり。
「地獄は消えない。地獄が消えず消せないというそのことを、僕らは容認して行くのか?」
上を向いている。ヴェイグの目の先に見えるのは、暗く塞がれた岩の天蓋。
「地獄の解消は世界と僕たちにとって不可能だ。なら、問題そのものを消し去るしかない」
その行き詰まりから俺に視線を戻した、ヴェイグが宣言した。
「地獄を消したいと思うのなら、滅ぼさなくてはならないんだよ」
「……」
――なにか言いたい。
この男の語りに、堪えられるだけの言葉を。
「……」
だが、言えない。
多くの言葉の元が思考の内側の中で潰れてしまう。……次から次へと湧く思考が、未遂に終わらされていく。
――思い遣らされたからだろう。
この男に。ヴェイグ・カーンとは、どういうことなのかを。
この男たちは、本気で人を助けてきた。……その上での地獄の根絶。この男はそれを、本気で目指してきたのだ。……それに。
この男の思って来たようなことは。……俺も――。
「……僕から訊こうか。黄泉示くん」
俺からの言葉がないことを見て取って。
「僕が見た君の物語からすれば。この世の中にはどうしようもない地獄があることを、君は既に知っている」
一拍おいて俺からの反応を待った上で、ヴェイグが続ける。
「その上で生き続ける動機が、君にあるのか?」
――なに?
「君はどうして、僕を止める?」
深みを持った瞳に、どこまでも真っ直ぐに見つめられた。
「君が僕を止めるなら、人と世界と共に地獄はこれからも存続する。君が地獄にいる人々を、助け続けるつもりでないのなら」
言葉を差し込む間もなくヴェイグの言葉は続いていく。
「君が地獄を知りながら生きるということは、地獄にいる彼らを見捨てたまま生き続けるということだ。かつて他の誰かが、君の父親を見捨てたように」
――突かれたのはあの頃の、俺の思い。
「……それは……」
狼狽える。そうだと思ってしまった自らを、否定する材料を探す。
「違う……」
「ならどうして助けない? 世の中に飢餓が、戦争が、病が、難民が、苦しむ人たちが溢れていることは誰でも知っているはずだ。問題は数多く、中には破滅させる受け入れがたい地獄がある。結果として助けられずとも、助けようとすることはできるだろうに」
仕方ない、とは俺には言えない。仮にこの男に対してそれを告げたとしても、その答えはごく僅かしか意味を持たない。
「人は彼らを、見捨てたままで生きている。分かっているはずだ。今君が、そうして応えられる言葉を探しているのなら」
「……」
「その上で敢えて生きていこうというのなら、君が出した答えを聴かせてくれ」
……以前なら。
以前なら、すんなりと答えられたのかもしれない。
素朴な夢を目指していた子どもの頃の俺。或いは、一人でなかった時の俺ならば。
だが……。
「……それでも」
今となっては、もう。沈黙を経て口にされたのは、か細く、擦れた声。
「それでも俺は、あなたを止める」
自分の中の残り火を掻き集めるようにした言葉は乾いていて、燃え尽きた枯れ枝のように頼りない。
「そうでなければ、浮かばれない……」
「……」
第二の沈黙が広がる。終わりの見えない静寂に、耐え切れなくなり始めた頃。
「……そうか」
ヴェイグが言った。俺の答えに多く、不満を残した声で。
「その思いがこれまでの間、地獄を続けさせてきたのだとしてもかい?」
「……」
迎える俺にもう、答えは無い。……答えられる、はずもなかった。
「……まあ、いい」
またしても生まれそうになった静寂をヴェイグが取り成す。その声に滲むのは、明らかな失望の色。
「君が戦うことを選んだなら、僕もそれに応えよう」
ヴェイグの手に一冊の本が現われる。尋常ではない、どこか異様な雰囲気を纏った書物――。
「――構えろ黄泉示くん。気を抜けば、決着は一瞬だ」




