第三十八節 離別
光景がチラついたのち、シーンが飛ぶ。俺/ヴェイグを含め……。
……場にいるのは三人。三人だ。ファニと呼ばれた少女は、いつの間にかいなくなっている。疲労の溜まり切った気分に会話もなく、どこかの風景をひたすらに。
「……先生」
歩き続ける。その前で、喋り出したテオドア。
「私ね、……もう疲れちゃった」
言いつつ立ち止まる。喉から出るのは齢に似合わない、乾き、擦り切れた声だ。
「クララも、ファニもいなくなって……」
涙を流す。震えるその後ろ姿に、ヴェイグ/俺は応えられる言葉がない。静かに震えを止め、振り向いた――。
「……最近よく、夢を見るんだ」
泣きながら微笑んでいるかのような、不思議な表情を浮かべて彼女が言う。
「ダビドがいて、クララがいて、ファニがいて。……皆が皆いた、あの頃の夢」
言葉を言い切った刹那、思い浮かべた情景に堪え切れなくなったように、一気にその笑みが崩れた。
「私、あの町に帰りたい……!」
「……テオドア」
端から零れては珠となり、流れ落ちていく涙。……彼女のこんな姿は初めて見る。俺/ヴェイグには、掛けられる言葉が――。
「――分かった」
突如として出された声。振り向いたテオドアの面に浮かべられたのは、予想もしていなかったと語るような驚きで。
「お前はもう、充分頑張ったよ」
掛けるアルコスの声には慣れない優しさが溢れている。テオドアに対しては、これまでに見せたことのない……。
「だからもう休め。後は、俺がお前の分まで頑張るから」
「……」
最後まで言い切った。少しの間呆然としていた彼女は、涙の残る目元を拭い。
「……あなたにそんなこと言われるなんて、私も変わったわね」
「言ってろよ。暴力女」
どちらからともなく笑い合った。かつて少年少女だった彼らはもう、体躯を備えた立派な青年になっている。……落ち着いた雰囲気。
「……明日から町へ戻ろう」
それを迎えて言う。年長者としての自らの至らなさを、内心で強く噛み締めながら。
「ここからならそこまで遠くない。三日もあれば戻れるはずだ」
「……うん」
ヴェイグ/俺の言葉を耳にした、テオドアが俯いた。
「……ごめんね。先生」
涙と共に零れ落ちるのは、謝罪。
「最後まで着いて行くって、約束したのに……」
「……僕には僕の、テオドアにはテオドアの道がある」
泣いている彼女に。こんなことしか言えないのかと、掌を強く握りしめる。
「謝ることなんてない。ここまで着いてきてくれて、本当に感謝している」
「……うん」
「本当だ」
「……ありがとう」
顔を上げる。彼女が浮かべた、その笑顔が。
――いつかどこかで見た誰かと、似ている気がした。
――それから暫くは、アルコスと二人の旅が続いた。
「……」
ただでさえ少なくなっていたアルコスの笑顔は日を経るごとに更に陰りを見せていき。口数も、会話の数も、同じように擦り減っていった。
「……まただよ」
幾度目かの助けのあと。
「どうしてどいつもこいつも、同じことばかり繰り返すんだ?」
吐き捨てるように言われたその言葉に、俺/ヴェイグは顔を向ける。最近は特にこうした独語が多くなっていたのだが、今の台詞には……。
「……アルコス」
「なあ、先生ッ!」
今までににない危うさが見えた。迷いながらも発した声掛けに、アルコスが振り返る。
「どうして皆分からないんだ⁉ どうして人同士で、争いが無くならないんだ⁉」
疲労で濁り血走ったその眼。割れた唇が唾を飛ばす。
「どうしてなんだよ! どうしてこんな――!」
「アルコスッッ‼」
――気付く。右斜め前の岩陰に潜む伏兵。引き絞る弦から今正に矢を放とうとするその所作を雷の魔術を用いて妨害する。殺気と気配とを押さえ込む技術。声もなく昏倒した男の装束は、明らかに景色に紛れることを想定して着けられた物。――暗殺者?
「グハ――⁉」
声のした方角へ視線を戻した瞬間、同時に側方から奇襲を仕掛けてきたと思しき男がアルコスの拳の前に悶絶している様子を目にする。泡を吹いた唇から撒き散らされた飛沫。手にされていたと思しき短剣が金属音を立てて転がり落ちる。――無力化した。
「アアアアッッ‼‼」
「――⁉」
その判断ができたにも拘らず、アルコスの拳は止まらない。過剰な気を纏う一撃が吸い込まれるように向かうのは動きを止めた男の鳩尾。――殺してしまう。あの威力では確実に――‼
「――駄目だ‼ アルコスッッ‼」
叫び吼える。当たる直前、装束の布地に触れる寸前で鈍った拳撃は。
「あ――?」
「――っ」
自らの腹部。地面から飛び上がるようにして突き刺さった短剣を前にして、完全に勢いを失わされた。苦悶を示す男の眼に浮かべられたのは下卑た悦びの彩る笑み。短剣に仕込まれていた術式――。
「――ぐふッ」
「アルコスッッ‼」
直後に崩れ落ちた男を無視して、真反対へと倒れたアルコスにヴェイグ/俺は駆け寄る。倒れ込む前に背中を支えると同時、傷付いた部位と状態を確認。祈るように見た視線の先には。
「っ――」
――根の如く。刺した短剣から伸び広がっている紫紺の術式があった。……本職の呪術師による専門的かつ高度な呪い。苦痛と共に対象の生命力を奪い、傷口から壊死させていく最悪のもの。俺/ヴェイグとてこれまでに目にした回数は数えるほどしかない。よりにもよって、それが。
「しっかりしろ――気をしっかり持て‼ アルコス‼」
声を掛けつつ対抗するための術式を選別し、唱える。――まだだ。まだ間に合う。
「……先生」
解呪はできずとも、進行を遅らせることなら。アルコス自身の抵抗力を回復させ、その上で解呪のための時間を稼ぐ。口元を血で濡らし、虚ろな目でアルコスが呟いた。
「ごめん。俺は、もう駄目みたいだけど……」
「まだだッ‼ 諦めるなアルコス‼」
叫び掛けながら術式の詠唱を進める。間に合え、間に合え――‼
「大丈夫だ‼ まだ生きられる、まだ助かる‼ だから――‼」
「……生きられても」
必死の作業の中で、恐ろしいほど静かに耳に入り込んできたその声音。
「……この地獄は、終わらないよ」
「――」
――駄目だ。
脳裏の判断が冷淡に告げる。……この呪いからの生還には当人の意志による抵抗が大きく関わる。今ヴェイグ/俺の耳に届いた、アルコスの声からは。
生きようとする意志というものが、完全に欠落していた。
「……死ぬな」
手は尽くしている。それなのにじわじわと広がっていく呪いを目の当たりに。呻くように、絞り出すようにその思いを口にする。
「死なないでくれ。アルコス……!」
「……テオド、ア……」
祈るような気持ちを込めた台詞は輪を掛けて擦れた声に遮られる。その眼はもう、ヴェイグ/俺を見ていはない。
「ごめん。会いに行く、約束……」
か細くなる。紡がれる言の葉は、交じる空咳で途切れ途切れで。
「守れなかっ……」
腕がだらりと落ちる。心臓の鼓動に続き、消えた目の光。
……死んだ。
「……」
四肢の付け根にまで到達した術式。消えた生命の鼓動に否応なくそのことを確かめた、ヴェイグ/俺が立ち上がる。……ふらふらと。
「……アルコス」
青年を抱えたまま膝を付く。何も言えないまま、俺/ヴェイグは暫くの間、亡骸から消えて行く温もりを腕に感じていた。
「――」
……また場面が変わった。何かを目指すように変わらずひたすらに進む足取り。ヴェイグ/俺は、どこかへ向かっているのだ。
目に映る風景は変わっているものの、僅かに見覚えがあった。この道は、あの町へ続く道だ。俺/ヴェイグと、彼らが住んでいた。
そして今は、テオドアのいるはずの……。
「……」
黙々と歩みを進め、距離を縮めていく。……あと一息だ。告げてくる記憶。最後にこの丘を越えさえすれば――。
「……っ⁉」
視界が晴れる。町を一望できる場所だからこそ、その変化は絶望的なまでにヴェイグ/俺の目に焼き付いた。
――燃えている。
赤々と、轟々と。立ち上る光と煙。肌に伝わる風が、否定しようのない熱気を孕んでいる。……なぜ。
「……やめてくれ」
なぜ? 呟いたヴェイグ/俺が走り出す。息を切らし、窪みに足を取られ、転びそうになりながらも町へ下り――。
「――スローンさん‼ タガムさん‼ ッ誰か‼」
大声で名前を呼ぶ。かつて自分たちを受け入れてくれた人たちの名。生き残っている姿を探して。
「テオドア‼ テオドア‼ どこにいる⁉」
喉が焼けそうだ。目に映るのは焼け焦げ血に染まった死体ばかり。物言わないそれらを見知った人たちと重ね合せてしまうのが恐ろしくて、目を背けながら走ってしまう。喉を擦れさせて叫ぶ声に答えは返ってこない。走り、曲がり、駆け――。
「テオドア‼」
幾度目かに曲がった角で、漸く見付けた。
忘れるはずもない。地面に伏せている、彼女の姿を。
「――テオドア‼」
「――先……生?」
彼女の方もこちらを認める。以前よりも彫りの深くなった顔立ち。庇うようにして抱き抱えているのは、一人の赤ん坊。
「無事か――⁉ ――何が」
「ユドスの軍隊が、攻めて……来たの」
足と脇腹とをやられている。重い消耗と負傷の激しさを見て治癒を開始。ところどころ掠れ途切れるようになるテオドアの声は。
「魔術師を匿ってるだろうって。……私――」
「――いたぞ‼」
唐突な闖入者。列をなして現れたのは執拗なまでに頑強に武装した兵士たち。背後には軽装の弓矢隊、その更に後ろに魔術師と思しき人間の姿も見える。――治癒は終わってはいない。最悪と言える状況下での登場に歯噛みする俺/ヴェイグ。
「……先生、この子を――」
テオドアから手渡された子ども。……暖かい。咄嗟の反応で受け取ってしまった感覚に、思わずして前を向いた。
――その、中で。
「――っ……!」
「テオドア⁉」
テオドアが立ち上がっている。治癒を終えていない折れた足で、脇腹を押さえることなく前を向いたその背中。
「……ごめんね、先生」
呟くように言う。炎に照らされて靡く髪。決然とした後ろ姿は、あのとき辛苦に涙した者のそれではなく。
「あいつらは私が何とかするから。――逃げて」
「――お前も魔術師か」
飛ばされる。周囲の惨劇が幻かと思うほどに、冷えた声。
「丁度いい。お前たちは生け捕りにして、王の元へ連れ帰ろう」
「……これだけのことをやっておいて、よくそんなことが言えるね」
それに面と向かって対した。声音から感じられるのは、抑えようとしてもなお滲む怒気の色。
「クズは何人死のうがクズ――違うか?」
「……それを言える時点で、貴方が私たちとは違うんだって分かるよ」
次に応える声には微かに、哀し気な音が交じった。懸命に姿勢を保ちつつ。
「王の傀儡。――あなたたちには、なにがあるの?」
眼差しを上げる。――ヴェイグ/俺にも分かる。鋭く変えられただろうテオドアの眼差し、その一睨みに、兵たちが怖じ気狼狽えを見せるのが。
「自分たちのために他人を犠牲にして笑えるなら。私が、教えてあげる――‼」
「なに――」
「テ――‼」
急激に昂ぶりを見せた魔力。子どもを傷つけないためにか、これまで抑えられていたのだろう力の発現に魔術師が声を上げ、兵たちが慄く。――刹那。
「――」
吹き荒ぶ。瞬く間に起こり目の前を削り取るように飲み込んだそれは、竜の息吹かとさえ思われる峻烈な螺旋風。火炎も熱も何もかも一切を寄せ付けない激しさで立ち昇り――数秒。
思いのままに吹き荒れた風が止む。勢いとは裏腹に後方には一切の被害を齎さなかった暴風。……薙ぎ倒されている、兵たちと魔術師は。
「ぐ……っ!」
息がある、全員の。割れ凹み外れしている重厚な鎧、無残に折れ散らばった弓。沈黙の中で一人、ズタズタに引き裂かれた衣服の随所から血を滲ませる魔術師は苦しんでいるようだが、防御したのか意識までは絶たれていない。その中で……。
「……テオドア?」
「……」
俺/ヴェイグが声をかけた先。……正面から地に伏したテオドアは、動かなくなっていた。……呼吸音がしない。魔力を。
「ぐ……くそ……ッ‼」
使い果たしたのか。……そして死んだ。ただでさえ手負いの身、疲弊し切っていた身体で。
最後まで――……。
「おのれ……! 野良如きが、ここまでの魔力を持っているとは……っ!」
守り通したのだ。ヴェイグ/俺たちとの約束を。その理解の上でなお、吠えるノイズに。
「皆殺しだ――貴様ら全員‼ 全員――‼」
「……黙れ」
どうしようもない、情念のような何かが喉を駆け上がった。――精神支配術。
「ッ……!」
「……君たちには眠ってもらう」
同時に兵たち全員にも同じものを掛ける。一時的な人形と化した魔術師に対し、有無を言わさずに言い付ける、深く刻むように。
「起きた時には全てを忘れて。全てが滞りなく終わったと、ユドスの王に伝えるんだ」
「……はい」
応えるのは虚ろな眼差し。胡乱だった瞳から僅かな光が消え、糸の切れたように倒れ込んだ魔術師を尻目に。
「……」
振り返った目に付くのは赤子と遺体。……どこか遠くへ。できうる限りで手厚く葬ると、今はただそのことだけを考えながら。
――二人へ歩き出した俺/ヴェイグの足取りは。今にも動けなくなりそうなほどに、震えていた。




