第三十四節 ヴェイグと生徒 前編
それからまた、何回かの取引が終わってからのこと。
「――あなた、なにしてる人?」
「え?」
思わず訊き返す。……俺/ヴェイグに少女の方から話し掛けて来るのは、思い出せる限りでこれが初めてだった。
「仕事。これだけ他人に食料をあげる余裕があるんだから、さぞ楽な暮らしをしてるのかと思って」
「人助けだよ」
隠すことでもないので答える。嫌味のような言い方が少し引っ掛かりはするが……。
「人助け?」
「壊れた家を治すのを手伝ったりとか、畑を耕すのを手伝ったり、家畜の飼い方を教えたり。怪我や病気を診ることもある」
「……なにそれ」
向けられたのは感情の読み辛い目付き。
「人を助けるのが好きなんだ。……だからこういう仕事をしてる」
「……」
偽りなく告げた俺/ヴェイグの本心に、少女は少しの間じっと押し黙る。沈黙の後。
「――バカみたい。そういうの」
思いもしない温度の声が、耳を打った。
「助けられる人なんてほんの一部だけ。助けられない人は、あなたの知らないところに山のようにいる」
いつものぶっきらぼうとは違う、冷え切った声音。瞳の宿している鋭さは、それだけで下手な反論を許さないだけの凄みがある。
「それを見て悦に浸ってるなんて、幸せね」
「……それは」
いつになくキツイ台詞。普段なら湧き上がるだろう他の感情よりも、戸惑いが先に立ち。
「……君も、なにかあるのかい?」
「……なに? いきなり」
「いや、その……」
確証はない。目の前のこの少女の事を、ヴェイグ/俺はまだ殆んど何も知らない。
だが先ほどの言葉にはただの一般論ではなく、実感を伴っているような響きがあった。助けられなかった人たちの中に、自分も入っているかののような。
「……済まない。変なことを訊いた」
「……本当」
空気に広がるのは妙な沈黙。自分らしくない失態に、どうしたものかと内心で悩み。
「――前に、訊いてきたことがあったわね」
唐突に話し出した少女に、意識の全てが集められる。……何を。
「子どもの私がどうやって、大人の見張りを気絶させたのか」
「ああ……」
そのことか。深刻な内容を予想した自分を苦笑うように目を逸らす。……気を遣って話題を変えてくれたのかと、戻した視線の先に。
「――これが、答え」
少女はいず。見回す暇もなく背後から、喉元に指を突き付けられた。
「……ッ」
――なんだ? 今のは。
速いなんてものじゃない。消えたと思ったら、背後を取られていた。何事もせず離れてくれた少女に、内心で安堵しながら。
「……凄いな君は。これだけの速さで走れるなら、見張りだって簡単に」
「あなた、バカなの?」
感嘆したはずが罵倒をぶつけられて戸惑う。
「子どもの私があんな速さで動けると思う? 常識的に考えて」
「いや……」
思わないが、見せられてしまったものは仕方がないのではないか? 俺/ヴェイグに浮かんだそんな考えは――。
「――魔術よ」
次に少女が吐き出した言葉に、あっさりと足場を失わされた。
――魔術。
ヴェイグ/俺もその技法について聞いてはいた。国に仕えるような神官や呪術師たち。彼らの多くは儀礼上の役目を司るに過ぎないが、一部には本物がいる。自然の神秘や神の奇跡さえ操り起こすことができるのだと。
「どう、驚いた?」
考え込む中で、少女の金色の眼が覗き込んでくる。反応を窺うように。
「……まあ、それは」
驚きと、合点がいったと言うのが正直なところだ。普通では考えられないような事柄であっても、魔術の仕業ならば説明がつく。
「……魔術師だったとはね。でも、それなら色々とやりようが――」
「あなたは知らないかもしれないけど」
思い付きを遮ったのは固い声。
「魔術は技術よ。天候を操るだとか、無いものを作るだとかそんな大層なことはまずできないし、奇跡も起こせない」
……そうなのか? 今まで噂に聞いてきたイメージとの食い違い。
「あと、魔術師なんて上等なものじゃないわ。そこらの市民がたまたま素質を持っていただけで、だから一人になったの」
「……どういうことだ?」
「あなたみたいに能天気な人ばかりじゃないってこと」
今度の言葉に、先ほどのような冷たさは込められていない。
「普通、魔術っていうのは国に仕える人間だけが扱えるものでしょ。それを普通の市民が簡単に使えるなんてことになったら、どうなるか」
「――」
……まさか。
「噂を広められたの」
想像に違わない。少女の第一声は、俺/ヴェイグの予想を裏付けるもので。
「こいつらは悪い魔術師で、お前たちを脅かすためにいるって。それで父と母は殺された。二人が身体を張って守ってくれたから、私はなんとか逃げて来られた」
重い内容に、返す言葉が思い付かない。黙るしかなくなったヴェイグ/俺を、じっと少女は見つめて。
「今日はもう行くわ。じゃあね。お気楽なお兄さん」
それからまた何回目かの邂逅。
「――頼む」
いつものように食料を渡した後で、俺/ヴェイグは頼み込む。
「僕に、魔術を教えてくれ」
「は?」
二度目になるその反応。まじまじと見るその眼まで、以前のその時を思い返させる。
「……あなた、話聞いてた? 私は――」
「基本で良いんだ」
予想していた反応の一つを短く遮って続ける。
「そこからは自分で努力する。さわりだけでもいい。頼む」
「努力って……」
呆れたような眼差し。魔術は素質のある者にしか扱えない。そのことはヴェイグ/俺も分かっている。だが……。
「君の話を聞いて、思ったんだ」
ぶつける。自分の考えを、思いをありのままに。
「僕が魔術師になれば、今より多くの人を助けられるようになる。君のような人も、助けられるようになれるかもしれない」
「……」
――助けられない人たちがいることに気付かされた。
その輪を少しでも広げられる方法があると知ったなら。できるかどうかを試さずに、諦めることなどできない。
「……呆れるわね」
零されるのは小さな吐息。
「お人好しも、そこまで来ると」
呟くように言った彼女が、俺/ヴェイグを向いた。
「名前」
短く告げられたその一言に一瞬、耳を疑う。
「名前、聞いてなかったわ」
「あ、ああ」
それは分かっている。今更どうしたのかと思いつつも。
「僕はヴェイグ。ヴェイグ・カーンだ」
「そう」
頷いて。名乗りに応えた少女が、掌を差し出した。
「私はファニ。よろしく、ヴェイグ」
――それから、何度か場面が移り変わる。
「注意しましょう」
「……ああ」
廃墟のような場所を歩き回る俺/ヴェイグとファニ。上がっている煙。生々しく散乱した食べ物や家畜の死体が、少し前まで送られていた生活を語っている。
「――ヴェイグ!」
「あああああああああああッッ‼」
瞬間、物陰から飛び出した小柄な影。激しく振り回された重い棒が、肩を掴むのと引き換えにヴェイグ/俺の肩を強かに打った。
「――落ち着いて聞いてくれ」
もがく少年を抑えながら、俺/ヴェイグは話す。
「僕たちは敵じゃない。君を、助けに来たんだ」
「嘘だ‼」
半狂乱になっている少年。拳を振り翳し――
「――ッ‼」
振り下ろされた拳が強かに額を打った。受け止めた一撃の痛みに耐えつつ、なんとか笑顔を作って見せる。
「……これで信用してくれるかい?」
「あ……」
驚いたような少年。拳が、ゆっくりと下げられ。
「……ごめん」
静かなその声。受け入れてくれた少年の態度に、ヴェイグ/俺は笑って、手を伸ばした。
「うう……」
蹲っている少女。簡素な服に滲む鮮やかな緋が、眼に痛々しい。
「……信用できないあなた方に、彼女を診せるわけにはいきません」
立ち塞がっているのは少年。理知的なその瞳には、強い意志が宿っている。
「そのままなら死ぬわよその娘。それでもいいの?」
「……」
「……ファニ」
「……ごめんなさい。救える命を捨てようとしてる人を見ると、苛ついて」
窘めたヴェイグ/俺の言葉にファニは目を逸らす。険しい顔をする少年と、瞳を合わせた。
「君たちを苦しめたところで、僕らに良いことなんてなにもない」
下手な嘘や誤魔化しでなく、本心を直入に告げる。
「信じてくれないか? その娘の命を助ける為にも」
「……」
「……ケホッ!」
背後から咳き込む声。このままでは無理だと悟ったのか、悩むようだった少年が顔を上げた。
「……信用します」
苦い。それは無力を噛み締めるような声だ。
「どうか、彼女を助けて下さい」
「初めからそうしてればいいのに」
「ファニ。……ああ。必ず助ける」
しっかりと頷いて。俺/ヴェイグは、倒れた少女の下へ向かう――。
目の前を撫でていく赤に、思わず下がる。
「……かなり厄介ね」
傍らにはファニ。空気に焼けるような熱が満ちている、木が爆ぜ燃え盛る炎が渦巻く、その中心に。
「魔力の量が段違いだわ。このままだと」
「ああ」
小さな姿。俺/ヴェイグを取り巻いている息苦しさは、火炎が酸素を奪っているせいなのだと気付く。このままでは、あの子も。
「少し手荒になるかもしれない。ファニ、頼む」
「任せておいて」
決然と炎の中へ向かう背中。そこで、景色が途切れた。
……っ。
開けた景色の変わり様に驚く。硝子のない窓の外に見えるのは、草原。涼やかに吹き抜ける風が緑色の波を作っている。……穏やかで。
「あー! 畜生!」
それでいて明るい。俺/ヴェイグの意識を、一つの叫び声が遮った。
「んな問題分かるかよ! 算術なんて大した役には――」
「出た。できない人間定番の言い逃れ。できれば色々なことの役に立つって、この間先生から教わったばかりでしょ」
「うるせー! このデカ魔力チビ女!」
「言うじゃないのこの無駄デカ脳無し男‼」
続いて部屋の中に響き渡る喧騒。その隣で、気にも留めていないようだった少年がふと耳を澄ます。
「……誰か来ますね」
「え……?」
「気付くのが早いね、ダビド」
ヴェイグ/俺の口から声が出される。部屋に近づいている人物の気配。それなりの感知力がなければこの段階では気づけない。
「先生に比べたらまだまだだけどね」
「それは僕の台詞でしょう。ファニ」
「ふふっ、ごめん」
続けられる会話の間隙に響いてくる駆け足の音。跳ねるように扉が開けられ、一人の男が姿を現した。
「カ、カーンさん‼」
「――どうしました?」
真剣さを増した声音で俺/ヴェイグは訊く。内容に踏み込まずとも、息せき切って駆け走ってきたその態度を見れば、その重大さに大凡の察しは付いていたからだ。
「大変なんだ。妙な病気で、村の連中がバタバタとやられちまって――!」
「病気、ですか」
少し前に南町で流行っていたものと同様のものだろうか。落ち着かせつつ詳しく症状を聞く。……これまでの経験と知識から役立つと思えるものを選び出し、使うべき術法について思考。
「手は尽くしたんだが、俺たちじゃ無理なんだ。このままだと遅かれ早かれ全員死んじまう!」
「――分かりました」
耳を打つ悲観的な叫び。実現させたくはない最悪の想像に、意識して眼差しに力を込めた。
「手は尽くします。ですから――」
「そうだぜおっちゃん! 心配すんなよ!」
威勢良く上げられた大声。その声の主を見て、駈け込んで来た男性が眼を瞬かせる。
「漸く授業が始まるかと思ったのに……」
「そう言うなよ。困ってる人を見捨てるわけにはいかないだろ?」
「それはそうよ。あなたがもっと静かにしてれば――」
「……この子たちは?」
「生徒たちですよ。私の」
「はあ……」
怪訝な顔つきだ。だがそれも、事が終わるころには変えられているだろう。
「――よし。皆、行こうか」
「「はい!」」
ヴェイグ/俺たちは行く。
今日もまた、誰かを助ける為に――。




