第三十三節 私のための物語
「――来たか」
広い洞窟内に響くのは引き摺る足音。偏に捉えていたその背中が、満を持したように振り返る。
「……一人かい?」
以前から構えていたような。力のこもる深い瞳が、僅かに見開かれる。……答える気など起こらない。ただこちらを見つめる双眸に向けて、刃を構えた。
「……そうか」
――目を閉じた?
仕掛けるには格好の隙。だが敵を前にしての意味不明のその所作がまるで、死者へと捧げる黙祷のようにも思え。
「――話をしないか。黄泉示君」
鈍った切っ先に、開いた視線と言葉が滑り込んできた。
……話?
訊き咎めたその言葉を反芻する。……話。今更、なにを……。
「君が私を、滅世を止めに来たことは分かっている。望むならすぐに戦いを始めてもいい。だが、私――いや、僕としては」
向けられている切っ先を前に。探る視線を前にして、無手のヴェイグが正面から俺を見据える。
「やはり君と話がしたい。そうでなければ僕たちは互いに、訳の分からないまま結末を決めてしまうだけだろう。……世界の在り方に動かされて」
……
……なにを。
なにを、言っているんだ?
「術式は一時停止してある。僕たちの話が終わるまで動き出すことはない。今僕が見せられる唯一の誠意だ」
この期に及んで。……この男は、なにがしたい?
「……」
円環の力を借り、床に描かれた複雑巨大な魔法陣を注視する。……魔力の流れは感じない。偏執的なまでに、執念すら感じるほど繊細緻密に描き上げられた文様になにか大きな力が揺蕩っているのは分かるが、動きがない。……本当に、止まっているのか?
「……君には余り時間がないはずだ。話し合いにはこれを使う」
胸元に掲げられた手に握られるのは、どこからか取り出された一冊の本。唯の本でないことは、それが帯びる魔力の燐光から確認できた。
「『私のための物語』。使用者の合意があって初めて効力を発揮する魔道具だ。これを使えば一瞬で互いが互いの過去を知ることになる。……当人の記憶を元とした物語として」
……なんなんだ、今になって。
この男に、今の俺と話すだけのわけがあるというのか?
そんなもの……。
「……いい」
探る視線を切り。静かに訴えかけるようなその眼を見る。
「……話をしよう。ヴェイグ・カーン」
……ある、ものか。
「……ありがとう。黄泉示君」
刀を構えたままの俺の前で、ヴェイグが手に持った本を翳し、開いた。
「物語の語り手はヴェイグと黄泉示。物語の聞き手は黄泉示とヴェイグ。各人の自発的な合意を以て此処に、『私のための物語』を」
「――先生」
――僕/俺を呼ぶ、声がする。
「先生!」
その声は五つが混ざり合い。力強く、豊かに響いた。
「――ああ。行こう」
それに応えて俺/僕は話す。俺/ヴェイグ・カーンが。
……。
……僕には両親がいなかった。
空腹で山の中をさ迷い歩き、倒れていたところを誰とも知らない老夫婦が助けてくれた。差し出された一杯のスープと、肩に掛けられた布地の暖かさ。
彼らが僕を育ててくれた。優しく、時に厳しく。二人して病気で亡くなってしまうその時まで。
二人と暮らしている内に、思ったのだ。……彼らが見ず知らずの僕を助けてくれたように。
僕も、これからは――。
「――ヴェイグさん!」
修理の一仕事を終えて帰る途中。背中を引き止める声に、ヴェイグ/俺は振り返る。
「あ、はい! なんでしょう⁉」
「ちょっと良いかい⁉ うちの豚のことなんだけど――」
帰り途中に仕事が増えるのにはもう慣れっこだ。後ろに並んでいる人たちを見て、この分なら今日はあと四、五件は増えるだろうかと密かに苦笑いする。
「凄いねえ。ヴェイグさんは」
立ちながら雑談に花を咲かせている、周囲から聞こえてくる声。
「怪我や病気についても詳しいし。家畜の世話や作物を育てるのにも知恵を貸してくれて」
「――なるほど。分かりました」
耳に入って来るそんな声。語られる依頼の内容について考えながら、俺/ヴェイグはどこか誇らしさを感じている自分を覚えていた。
――とある古代の町。
その町で俺/ヴェイグは、何でも屋として受け入れられていた。これまでに学んだ知識と知恵を生かし、困りごとの解決に手を貸す。
「――大変だ!」
そしてまた一人。
「また畑が荒らされてる! 今度は家畜まで!」
ヴェイグ/俺のところに舞い込んできた依頼人。訴えに応じ、案内された畑を見る。
「……これは酷い」
俺/ヴェイグの口から思わず零れた声。収穫を目指して植えてあったはずの作物は殆んどが引っこ抜かれている。
「見張りを付けてなかったのかい?」
「付けてたさ。大の男を二人も。だけど二人とも、誰かに襲われて気絶させられたんだ」
「……なるほど」
畑を回って痕跡を調べる。……目立たぬよう巧妙に付けられた足跡。爪先から踵までの距離は短く、くぼみもかなり浅い。小柄な女性か、或いは……。
「……タガムさん」
考えを纏めつつ、言う。
「今晩は、私が見張ってみましょう」
「おお、本当かい! ヴェイグさんが来てくれりゃ百人力だ!」
「良かったじゃないか。きっと犯人も捕まるよ」
「はは……それはまあ、やってみないと分かりませんが」
強い信頼の置かれた会話にやや困った笑みを零しながら、ヴェイグ/俺は沈んでいく日に目を移す。……もう、夕方だ。
次第に暗さを増す空を瞳に。俺/ヴェイグは、今夜の用意を整え始めた。
――夜。
完全に日は沈んだ時分。用意を整えてきたヴェイグ/俺は息を潜めて木陰に潜み、目を付けた畑を見張る。……犯人が動くのはこれまでの手口からするに何れも深夜。傾向から言って次にこの畑が狙われる可能性は高いと思えた。
「……」
ひたすらに待つ。仮に他のところに出たとすれば、叫び声などを合図にして駆け出していけねばならない。強張らないよう適度に身体を曲げ伸ばしし、音を立てぬよう足踏みをしながら待つ。……もうすぐ、夜の遅くになる……。
「……!」
耳に届く微かな足音を聞き咎める。……軽い。やはり子どものようだ。素早くも落ち着いた足取りが畑に近付いていく。止まり、空けられる暫しの間。罠がないかどうか確かめているのか。
「――」
凝らした目に映るのは小さな影。茎を掴み、抜く。一度につき三秒と掛からないそれを次から次へと繰り返し、持参した皮袋に入れていく。大した手際の良さだ。相当に慣れているらしい。やがて収穫に満足したのか。
「……」
影は動きを止め、元来た道を足早に戻り始める。人の目に留まらぬよう、素早く畑を後にしようとし。
――その瞬間、仕掛けておいた罠に足を取られた。
「――ッ」
「動かないように!」
驚愕を認めると同時に物陰から飛び出す俺/ヴェイグ。ロープを使った簡単な罠だが、一度捕まれば大の大人でもそう簡単には抜けられないよう工夫してある。あの小柄な体躯で逃れることは――。
「――⁉」
そう思っていた最中、闇を切り裂く銀色の閃きが二閃する。駆け出した影――切られた? ナイフを使ったにせよ、ああも簡単に――⁉
「待て!」
追い付いた。掴もうと伸ばした腕を即座に身を翻した影が切り付ける。――動きに躊躇いがない。手首を狙う銀閃を枚数を重ねた牛皮の手袋で凌ぎ、次いで出された金的への蹴り。喰らえばただでは済まないそれを咄嗟に挙げた脛で防ぎ――。
「――くっ!」
貫手のような目潰しを掻い潜って押し倒す。逃げられないよう両手脚を押さえ、正面から正体を見た。
「――」
……少女だ。
「……捕まっちゃった」
縮れた黒い髪。瞳をヴェイグ/俺に合わせ、状況にも拘わらず落ち着き払った様子で話す。
「殴るの? それとも犯す?」
「……そんなことはしない」
分かる。こうしている間にも少女は抜け目なく此方の様子を窺っている。隙を見せれば出し抜かれるだろうと、それを言い聞かせながら俺/ヴェイグは努めて冷静に振る舞う。
「僕はこの畑の主じゃない。町の人たちから頼まれたんだ。夜になると出る泥棒を、捕まえてくれって」
事情を話し、そこで意図的に目付きを強めた。
「なんでこんなことをしてるんだ」
「決まってるじゃない。食べるためよ」
いきなりの率直な言い分に、返す言葉を見失いそうになる。……それは。
「……事情があるのかもしれないが、家族が悲しむだろ。こんなことをしてたら」
「家族はいないわ」
「え?」
思わず訊き返したヴェイグ/俺の声は、自分でも驚くほど間抜けだ。
「一人なの。私」
黒い瞳。真っ直ぐにヴェイグ/俺を見るその眼は、それまでの隙を窺うような視線とはどこか違い。
「こんな子どもがまともに稼ぐ手段なんてないし、家族でもない人を養ってくれるところなんてない」
どこまでも淡々とした語り口。同情を引く気など微塵もない、いや、同情など決してさせないだろう、現状を受け入れ切った目。
「だから、盗むしかない。これで分かる?」
「……分かった」
一応。一応ではあるが、少女の話には筋が通っている。頷いた俺/ヴェイグに対し、少女は冷ややかに細めた眼で再度唇を開きかけ――。
「僕が、君に食料を提供する」
「――は?」
その口から上げられた声。初めて眉根を上げた、演技ではなさそうな反応に内心で息を吐く。
「だからもう盗むな。こんなこと、長くは続けられない」
「……あなたが私に食料をくれるっていう保証は?」
警戒されている。向けられるのは明確な疑い。無言のまま、蹴られないように注意しつつ少女を立たせた。促して、ナイフを取り上げる。
「こっちだ」
「なに? 物陰にでも連れ込む気?」
「違う。僕の家がこっちにあるんだ。それにそんなことはしないと言ってるだろ」
「どうだか」
ぶっきらぼうな言葉を交わしつつ暫く歩き、家に着く。両手を繋いだままでやり辛かったが、なんとか目当ての器を取り出した。
「ほら」
「……」
「芋と豆。干し肉も。次からはもう少し量を用意するから」
「……」
幸いにして独り身だ。蓄えを考慮しても分ける余裕はあり、網籠に入れたそれらを手渡す。受け取った少女は置かれた食料一つ一つを取って改めると、直ぐに皮袋に入れるかと思いきや、手に持ったそれを暫しじっと見て。
「あなた、変わってるのね」
「……そんなことないさ」
そんなことはない。ヴェイグ/俺はそう思う。これは単に、困っている相手に手を差し伸べるだけの行為だ。……それが変わっているなどとは、できるだけ思いたくはなかった。
「……依頼主には僕から上手く話しておく」
まだ何かを考えているような少女に対し、駄目押しのつもりで重ねた言葉。
「君の正体も明かさない。逃げられたと伝えておこう」
「――良いわ」
応えたのは再度の落ち着き払った声。暗がりでは分からなかった、少女がその金色の眼を俺/ヴェイグに向ける。
「どっちみちここの畑からはもう盗れないし、盗むのって結構疲れるし。あなたが欠かさず私に食料をくれるなら、止めてあげる」
また随分な言い草だ。しっかりと袋の口を閉めつつ腰に括り付けた少女の仕草。土に汚れている裸足を見る。……傷はない。なら、今は仕方がない。
「それで、明日はいつごろ来ればいいの?」
「……そうだな」
日中は町の人たちに見られるかもしれない。仕事があることを考えると、夜までは暇がない。とても無理だろう。
「今日と同じくらい遅くに来てくれればいい。ちゃんと用意しておくよ」
「分かったわ」
用はそれだけだと言うように足早に踵を返し、去ろうとした背中。
「――北門の近くに私の立てた見張りがいる」
言っておかなければならないことを急いで告げた。
「避けて行くと良い。君の足なら追い付かれないかもしれないが……」
「……そ」
少女は振り向かない。小さく声だけを返して、夜の闇へ駆け出して溶けて行く。
「……」
その姿が消えたあとを暫く見つめているヴェイグ/俺。……他人を助けるのは初めてではない。これまでに幾度もしてきたことだが。
――こんなにも誰かを助けたいと思ったのは、これが初めてだった。
……それから、ヴェイグ/俺と少女の取引は暫く続いた。
始めの数回は特別少女も警戒しているようだったが。……回数を重ねるうちにいかにもと言った態度は消え、ある程度の信頼が生まれたようだった。それでも少女が俺/ヴェイグに気を許した様子はなく、取引をする上での最低限の信用と言った感じではあったが。
「――それにしても……」
「なに?」
その内の何回目か。矯めつ眇めつ見るような視線に、僅かに顰められる眉根。
「……いや。君みたいな子どもが、よくこれまで捕まらなかったなと思って」
「大人たちが間抜けだからでしょ」
ヴェイグ/俺の疑問に答える少女の回答はそっけなく、容赦ない。
「まあそれはまだ分かるとしても、男の見張り二人を気絶させるなんて、並大抵の事じゃない」
「……コツがあるのよ」
それだけを言って、話を打ち切るように少女は背中を向ける。
「次は干し肉を多めに用意しておいて。同じ時間帯にまた来るわ」




