第二十九節 胡蝶之夢
「……ふぅ」
夕方。学園から流れた遊びの帰り道、フィアの隣で息を吐く。……中々に疲れた。
「大熱戦でしたね」
「……そうだな」
今日の遊び場所は以前にも行ったあの総合レジャー施設。繁盛しているらしく、久々ということで四人で行ったのだが、そこで凄まじい勝負を繰り広げたのがリゲルとジェイン。前回の三番を超えて五番勝負に及んだ熾烈な戦いの末……。
最終戦には前回と同じく卓球が選ばれ、デュースにまで縺れ込んだ最終セットで、二人はなんと三桁の大台にまで突入した。決着時には周囲を取り囲むギャラリーから盛大な拍手。付き合った俺とフィアも含め、全員が困憊で暫く喋れなかったが。
「……まあ、ばれなくてよかったよ」
「そうですね。……私もちょっと、ビックリしました」
ヒートアップした二人はあろうことか、途中からそれぞれの魔術を使い始めたのだ。飛んでくるボールの速さが不意に増したり、重くされたラケットにジェインとフィアが振り遅れたりしているときには、流石に怪しまれるのではないかと肝を冷やした。幸い白熱した勝負内容の方に目が行っていたせいか、事なきを得……。
「……」
「……」
暫しの無言、会話の合間に挟まれる僅かの滞空のような時間。夕日を受けて、どこか儚げに見える横顔――。
「――デートしないか?」
「えっ?」
思わず滑り出した言葉に驚かれる。向いている視線に、そんな言葉が出たわけを自分でも探さざるを得なくなり。
「いや……考えてみればそういうこと、あまりしたことなかったからさ」
一緒に住んでいるフィアとは四六時中とは言わないまでも、普段からかなりの間一緒にいる。だから敢えて二人で出掛ける、という発想は余りなかった。見つめる俺の前で……。
「……そう、ですね」
一瞬。考えるようにしたあとで、再度俺を向いたフィア。大輪の花のような、最高に眩しい笑顔を浮かべ。
「――行きましょう。黄泉示さん!」
そう言ってくれたことに、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「……遅いな」
迎えた週末。雰囲気を出すために、出る時刻を別にしての駅前での待ち合わせ。念のため二十分前に到着した俺は、時間を見つつフィアを待っている。
遅いとは言ってみたものの、時刻はまだ予定の五分前だ。たったの十五分。学園で授業を受けていればあっという間の時間のはずなのに、それがやけに長く感じる。……待ち遠しいという感覚。
――フィアを待っているからだろうか?
待つ相手がフィアだから、こんなにも――。
「――黄泉示さん!」
耳に届く声。間髪入れず振り向いたその先に。
「お待たせ、しました……!」
「……大丈夫か?」
走って来たのか、珍しく肩で息をしている姿。……少し苦しそうだ。
「――済みません。二十分前には来ようと思ってたんですけど、支度するのに時間が掛かってしまって……」
俺と似たようなことを言いつつ、顔を上げたフィア。
――綺麗だ。
いつもの髪型とは違う。流れるような白銀の髪は綺麗に結われ、リボンで留められている。服装の基調は普段と変わらない落ち着いた色合いだが、首元や襟元に施されたワンポイント、フリルにイヤリング。……客観的な見方をすれば、決して特別な服装というわけではないだろう。
ただ、それでも綺麗だと思えてしまう。普段は余りしない格好であるが故に新鮮だということもあるのだろうが、そのことを差し引いても……。
「……黄泉示さん?」
「――あ、悪い」
我に返す呼び掛け。今の今まで無言でいたことに気付いて、頭を掻く。
「見惚れてた。その、綺麗だと思って……」
「――」
俺の言葉に一瞬、フィアは動きを止めると。
「そ、そうですか?」
照れた表情で俯く。……何となくキザな台詞を言ったような気がして、こっちまで恥ずかしくなってきてしまった。流れる微妙な空気……。
「……行こうか」
「あっ、そうですね。少し過ぎちゃってますし、行きましょう」
時間を見て少し急いだようなフィアに、手を取られる。柔らかな指先。触れた個所から互いの暖かみが伝わり合うような感触に。
「――」
「黄泉示さん?」
「……なんか、今日は大胆なんだな」
「えっ?」
無意識だったのか、キョトンとしたフィアが俺の視線を追って握った手に視線を落とす。
「あ、えっとこれは――っ」
わたわたしながら離そうとした手を――。
「えっ――」
こっちから握り返した。動転しているような反応を置いて前に出て、隣に並び。
「行こう。フィア」
「……はい!」
互いに離れないように握り返して。俺とフィアは、よく晴れた街中を歩き始めた。
……とは言ったものの。
「――髪は自分で結ったのか?」
手を繋ぎながら歩くのにはやはり慣れない。……特にこの場合には、明らかにそうだと宣言しているようなもの。堂々としていればいいのだと思いながらも、道行く人たちから時折向けられる視線がこそばゆくて、気恥ずかしさを誤魔化すように話し掛ける。隣で――。
「はい。美容師さんに、コツとかを教えてもらって――」
答えるフィアもいつもより少し周りの目を気にしているようだ。やや落ち着かなさげに動いている瞳。……そう言えば以前は、フィアが髪型を変えているのを見たことがなかった。
出会った時からずっとフィアはストレートだった。その余裕もなかったのだろう。金銭的な意味でもそうだし、戦いに巻き込まれてからはとてもそんな時間は取れなかったのだから。
――だが、今はもう違う。
こうして髪型をアレンジすることもできれば、デートにだって出かけられる。お互いに、互いの為に時間を掛けられる。
これからは――。
「――あ、見てください」
フィアの指し示した方にある噴水。彫像を中央に頂いた人造の湖からは、一定の間隔を経て規則的に水の柱が立ち昇っている。日の光を受けて煌めく水飛沫。水柱が一周する毎に掛けられる水流のアーチは、まるで像の頭上に幾重もの虹が掛けられているようで。
「……綺麗だな」
「そうですね……」
二人して暫し立ち止まる。こういう時間と思い出を、幾らでも積み重ねていけるのだ。
――死が二人を分かつまで。
「……」
「――あれじゃないでしょうか」
再度歩き始めてから、一瞬だけ浮かんだ言葉に逸れていた意識。……何を思っているんだと心の中で頭を振りつつ。
「……そうみたいだな」
「凄い建物……立派ですね」
脳裏に過った何かを振り払うようにして、聳然と立っている、目当ての建物へと足を進めた。
――
「――これなんかどうだ?」
真新しい。新進気鋭の建築家によって建てられたのだというビルの中。休日だけあって賑やかな店内にて、フィアに良いと思ったその服を見せてみる。暫しの検分。
「……ちょっと大人っぽくないですか?」
「そうか? 似合うと思うんだけどな」
確かにフィアの普段着ている簡素なワンピース、今着ている服とも違って、より装飾などが多彩でお洒落な感じはする。……というよりそういう一品を選んだのだ。露出は多くないし、デザインに寄り過ぎて動き辛いということも恐らくはないはず。目の前にいる本人とイメージを重ね合せてみてもやはり似合うと思うのだが。
「ご試着されますか?」
「い、いえ。――に、似合わないですよ。私には」
「そう言わず、一回着てみてくれって」
小声でそう耳打ちしてくるフィアを押し切るようにして連れて行き、どうにか試着室へ。……これまでの習慣なのか、フィアは自分のこととなると買い物や装飾などを遠慮する嫌いがある。地仙に願ったことによる言わば〝作られた姿〟であるわけだから、その点で思うところがあるのかもしれないが。
「……っ」
カーテンを開けて出てきた姿。初めての服装に少し自信なさ気な、恥じらいを帯びたその姿態に目を奪われる。予想通りの、いや、予想以上に。
「……へ、変じゃないですか……?」
「いや」
そこだけは確信を持って言える。……俺が馬鹿なのかもしれないが、パーフェクトとしか言いようがない。
「凄く似合ってて、綺麗だ。いや本当に……」
「そ、そんなことないですって――もう」
この感動をどう伝えたものか悩んでいる俺の前で早々にカーテンを閉じてしまうフィア。……もっと見ていたかった……!
その後も、選んだ幾つかの洋服について意見を言い合って――。
「む~」
「……フィア。そこまで考え込まなくても」
「駄目です。ここが大事なポイントなんですから」
選び抜かれた二つの候補を前にして考え込んでいるフィア。翡翠色の瞳が二つの間を交互に動き、止まり。
「……よし!」
決めました! と言って片方を手に取る。既に選んでいたズボンと併せて、渡された上衣。
「これ、着てみてください。黄泉示さん」
「何でもいいんだけどな……俺の服なんて」
「駄目です。――黄泉示さんだってカッコいいんですから」
機能性さえちゃんとしていれば。ピッと人差し指を立てて言ったのち、ぼやく俺を窘めるようにフィアは続ける。
「自分の良さを生かした服装にしないと。……大切な人のことですから、それだけ真剣にしたいんです」
さりげなく普段の格好に駄目だしされているような気がしないでもないが。真っ直ぐにぶつけてくる、フィアの言葉。
「……分かった」
それに根負けして試着室へ向かう。……他人に服を選んでもらうのなんて何年振りだろうか。サイズが合っていることを確かめながら、ズボンに脚、シャツに腕を通し――。
「……こんな感じか?」
カーテンを開ける。見つめられるこそばゆさを感じつつ。
「はい。……あとは、ここを、こう――」
近付いてきて襟や袖口、裾を簡単に調整するフィア。……良い香りがする。俺へと固定されたその眼を見ているうち、大丈夫です、と言って離れた。全身を確かめるようにして見て。
「……うん。やっぱり、似合ってます」
満足そうに微笑む。フィアの表情を見て、自分でも鏡で見てみるが……。
「……似合ってるのか? これ」
「似合ってますよ。カッコいいですし、素敵です」
自分ではそんな風に思えない。なんというか、普段とは違い過ぎて服に着られている感じがする。それでもフィアの選んでくれた服を着て、鏡に映っている俺は。
「――」
いつもよりも少しだけ、良い表情をしているように見えた。
「――面白かったですね」
「ああ」
――本当に面白かった。
映画館から出て少し。明るい照明の照らす通路を進んでいる俺とフィア。映像と音楽がメインと聞いていたので内容にはそれほど期待していなかったのだが、予想外に面白かった。小さなこととはいえ、こういった何気ない不意打ちがあってくれるとそれだけで嬉しい気分になる。……特にデートの時は。
「リゲルさんたちに会った時には、びっくりしましたけど」
「だな……」
上映中には気づかなかったが。映画館から出て来る途中、同じく中から出てきたリゲルと郭のペアに鉢合わせしたのだ。リゲルはいつものスーツ姿。郭も、普段とそこまで変わらない服装だったが……。
「郭さん、お洒落してましたね」
「……やっぱりか?」
「はい。髪の毛もいつもよりサラサラでしたし、口紅も。あと、少し香水も使ってたと思います」
「そうなのか……」
上手く言えないが、いつもとどことなく雰囲気が違っているような気がしたのだ。とはいえそこまでは分からなかった。詳しいところまでよく気付くのは、流石同性同士と言ったところなのだろうかと、そう思い。
「……リゲルは気付いてるのか? それ」
「……どうなんでしょう」
訊いた俺に少し苦笑いする。……リゲルも鈍い方ではないはずだが、そこまで微妙な変化だと難しいかもしれない。でも、と、執り成すように。
「リゲルさんも郭さんの気持ちには気が付いてるはずですけど」
「郭も中々、自分からは言い出さないだろうからな……」
傍から見ればどう見ても既にそう言う仲なのに、郭もリゲルも自分たち自身では決して認めようとしないのが実に頑なだ。俺たちなどはもう隠しようがないし、どう足掻いても否定の仕様がないので、公然のものとして認めてしまっているが。
「まあやっぱり、最初は恥ずかしいですよ」
取った手を握りながら言われる。伝わってくるのは柔らかで、優しい暖かみ。
「そうだったかな」
「そうですよ。黄泉示さんだって、照れてたじゃないですか」
フィアの鼓動が掌を通して伝わってくる。互いが通じ合っているよな、その幸せを握り締めて――。
「夕飯まで散策でもしませんか? 黄泉示さん」
「――今日は本当に楽しかったです!」
レストランでの夕飯を終えて。
俺とフィアは、暗くなった公園で池のほとりを歩いている。遠くに見える夜の明かりが、水面に反射して作る煌びやかな影――。
「リゲルさんやジェインさんたちと遊んでいるときも、楽しいんですけど……」
「……ああ」
なんとなく分かる。今日のこれは、リゲルやジェインたちと遊びに行くのとはまた違った楽しさだ。感じ方が異なるというか……。
「……いえ。でも、今日は、じゃないですね」
先を歩いていた、フィアが一回転する。服の裾をふわりと靡かせて、俺へと振り返り。
「黄泉示さんと一緒にいると、いつも、安心して、楽しくて、ちょっと、ドキドキして……」
夜の暗さの中でも分かる。……僅かに紅潮した頬の赤み。まるで、初めての告白のような。
「――私、黄泉示さんのことが好きです」
「――俺も好きだ」
台詞に迷いなく返す。俺の中で、ずっと決まっている答えを。
「フィアが大好きで仕方がない。……愛している。本当に、ずっと一緒にいたいんだ」
――あの日。
血と涙に濡れたフィアを抱きしめた日から。……漸く、こんな風に言える日が来た。
今俺とフィアのいる此処には血も涙も流れてはいない。二人の間に流れるのはただ、穏やかな時間と、優しい微笑み。
「私もです。――あなたを愛しています、永遠に」
口にされたのは永遠という言葉。世界の中にはない、それがもし本当にあるのだとすれば、それはきっとこんな時のことを言うのだろうと。
「……フィア」
「……黄泉示さん」
どちらからともなく近付き合う。差し伸べた両手を、互いに取り合って。
「「――倶に/一緒にいてくれて、ありがとう」ございます」




