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第二十七節 幻の希望

 

「――」


 首筋に響いてくる戦闘の音を感じながら、歩みを進めるフィア、その正面に到達する。……大凡は先に見た光景のまま。


「――ッ!」


 だが結晶体の警戒が引き上げられたせいか、フィアに纏わりついているツタたちが目覚めたかの如く活発に蠢いている。根元であるうなじの辺りから伸びてくる何本ものツタ。猛速で鞭の如く、槍の如く迫ってくるそれを。


「――ッ‼」


 終月を振るい、一本一本叩き落としていく。――払うだけでは拉致が明かない。打ち払うその先からなおも湧き出てくるツタたち。確実に数を減らしていかなければ。


 ならば――ッ‼


「〝千首千胴を落とす無明の刃を以て、天地神明を此処に断つ〟」


 紡ぎ出したのはあの文言。ここまで来て最早躊躇う理由などない。――フィアを。


「〝我が真名、蔭水黄泉示の名に於いて、その禁を一時的に解除する〟――!」


 必ず助け出す! 詠唱の完了に応じて刀身に金色の文様が浮かび上がる。命を糧に切る力を得た、その刃で以て――。


「――おおおおおおッ‼」


 迫り来るツタたちを切って切って切り開いていく。無我夢中、一心不乱に。……届け。


「おおッ……ッッ‼」


 ……届けよ。


 俺は、助けられなくちゃならないんだ。


 もう二度と、フィアに。


「っ――」


 あんな顔を――ッ‼


 無限にも一瞬にも思えた切り払いのあと。不意に、視界に映り込んできていた絶え間ない手応えが消え失せる。――来た。


「――」


 勢い余って倒れ込みそうになる身体。俺の前にあるフィアの姿から、巻き付いていたツタたちが解かれていく。残る最後の砦とばかり、大きく左右に剥がれて広がったそれらの前で。


「フィア――ッ‼」


 目の前の。顕わになったフィアと、遂に相対した――。


「――」


 ……ああ。


 ……その姿。


 その出で立ちを見た時に全てを理解する。……どうして、俺は。


 広げられたのは四肢であったろう部位。辛うじて判別できるそれらは奇妙に捻じくれ、歪み、無残に開いて(ほど)けている。


 皹割れて、所々が砕けている顔貌。そして何よりも髪と分かるその部分、柔らかだったはずの頬、奥から覗く玉虫にも似たその色が。……かつてとの掛け離れを、克明に語ってしまっていた。


 ――フィアを、連れ戻せるなどと思ったのだろう?


 取り返しの付かなさを。もう戻れないのだということを。決定的な変容を。前方から聞こえていた戦いの音が止む。ズルズルと引き摺るような音と共に、蠢くツタと花とが俺の方へ伸びてくる。……絶望に呼応するような。


 ――あのときの彼女の言葉を、正面から受け止めていれば。


 その光景の中で。一人立つ俺はただ、震える腕で終月を構えた。


 ……とうに望みの無いことなど、分かりそうなものだったのに。
















「……っ……!」


 室内。


 ベッドに全身を投げ出した私は、蠢くその感覚に身を縮める。……今日は、特に酷い。


 固有魔術を破られたせいだろうか? あのときに受けた魂を分かたれるような衝撃。心も身体も一瞬バラバラになってしまったと錯覚するような痛烈を受けた。……その後に怨霊としての力を使ったのも響いているのかもしれない。考えても仕方のない思いに身を浸しながら柔らかなシーツの感触になるべく身体を埋めようとする。……夜になるまで、このまま……。


「――はい」


 落ちようとした眠りを妨げるノックの音に覚えたのは、少しの煩わしさ。……誰だろう、こんなときに……。


「――フィア」


 全く。次に声が聞こえてきた瞬間、そんな思いはどこかに吹き飛んでしまっていた。


「――あ、黄泉示さん⁉」


 驚きと共に身体を起こす。乱れてしまっている布団を直し、髪と服をできるだけ整えて足早に扉を開けた。


「……どうしたんですか?」

「……なにがだ?」


 立っている黄泉示さん。……珍しい。普段は余り、こういうことはなかったはずなのに。


「いえ……黄泉示さんから私を訪ねてくることって、そんなになかった気がしたので」

「……そうだったな」


 言われて思い出したような表情。とはいえこうして来たからには、何か用があって来たのだろう。


「取り敢えず、入って下さい。廊下は冷えますし」

「ああ。――ありがとう」


 招き入れてドアを閉める。扉が完全に閉じると、一瞬の静寂が私たちを包み込むようだった。


「それでえっと、どうしたんですか?」

「いや……」


 訊く。訊いた私に対し、黄泉示さんは煮え切らない。考えるように斜め下を向いた視線が、直ぐに向いたのは私の方。……見られている。


「……えっと、その」


 そのことを意識して少し落ち着かなくなる。黄泉示さんがこんな風に見つめてくることなんて、私の覚えている限りではない。こうまで率直に、正面からくることは。


「……どうしてそんなにじっと見てるんですか? その、今は……」

「……フィア」


 ちょっと調子が悪いので、と言おうとした私を、黄泉示さんの声が遮る。


「はい」

「――抱き締めても良いか?」


 告げられたその言葉。思わず耳を疑った内容に。


「……本当にどうしたんですか?」


 嬉しさや恥ずかしさよりも、疑問の方が先に立った。


「思ったことを言っただけなんだ。駄目か?」

「……ええと」


 素直に求められているのだと分かって狼狽する。……なにか、なにか理由……。


「実はその」


 ええいという気持ちで口に出す。これを言うのも恥ずかしいのだけど……。


「私、まだ、シャワーも浴びてなくて」


 黄泉示さんの前で口にするその内容に、頬が赤らむのを自覚する。本当なら直ぐにでも浴びたい気分なのだが。


「さっきの戦いで服も汚れちゃってたりするので、……今は、タイミングが」

「……嫌なのか?」

「ええと……」


 言葉に迷う。……そう真っ直ぐ来られると、困ってしまう。


「嫌ではないんですけど、その――」


 嘘は吐けない。本心を告げながら、それでもどうにか納得してもらおうとした。


「――っ!」


 次の瞬間に。目の前に広がった黄泉示さんが、私を覆い被さるように抱きしめる。


「黄泉示さ――あっ」


 力を込めて引き寄せられた身体。ゼロになった距離が、次第に更に近付いていくのを感じて。


「……もう」


 胸板に当てる形になっていた手を離し。私の方からも、黄泉示さんの背中に腕を回した。


「強引ですよ。……黄泉示さん」

「……悪い」


 自分で言っていても分かる。嫌がる気持ちなど、私の声には少しも込められていない。優しい暖かみに寄り添いつつ……。


「――もっと」


 思いのままに言い掛けて、踏み止まりののち、慎ましやかな言葉で言い直す。


「……もう少しだけ強く、抱いてくれませんか?」


 合わせるように私自身も力を込める。……自己を幸せに包まれている内に。


 ――ふと、一つの不安が浮かんできた。


「……黄泉示さん」


 いつもとは少し違っている黄泉示さんの様子。……大丈夫だとは思う。


「あの剣技……」


 話してもくれるはずだ。だって。


「もう、使いませんよね?」


 黄泉示さんは、もう。


「……」


 待たされる辛い五秒間。朧げな感覚の中で予感と思いが鬩ぎ合っている最中。


「……ああ」


 頭のすぐ傍で響いた言の葉に小さく唇を開いて。……静かに、心の中で目を閉じた。


「……それだけです」


 黄泉示さんの胸に身体を預ける。今のこの気持ちが表に出てしまわないように、頬を強く押し付けた――。




「――じゃあ、また夕飯で。フィア」


 どれだけかも分からない長さの抱き合いの後で。離された身体。届く声に、髪を整えていた私は振り返る。


「はい。黄泉示さ――」


 ――トプリ、と。


 音がした。だから思わず、そちらを向いた。


「――」


 ……私が、いた。


 血を流す私が、グシャグシャに殺された私が。部屋の隅から、腐り淀んだ眼で、あの光のない瞳で私を見ている。……じっと。


〝……ワスレナイデ?〟


 欠けた唇が動く。そう言われたような気がして、吐き気と共に崩れそうになる膝を堪えた。


「……フィア?」

「……!」


 黄泉示さんの声が耳を打つ。咄嗟になんでもないような顔を繕って、声の掛けられてきた方に目を向ける。


「……大丈夫です」


 言おうとした声が少し震えている。上手く誤魔化せていると良いけど。そう思いながら力を振り絞って次を繋いでいく。


「ちょっと、立ち眩みで」

「大丈夫か?」

「はい」


 震えが抑えられていることを確かめる。……大丈夫だ。


「ありがとうございます。黄泉示さん」


 辛さを表に出さないようしっかりと微笑んで、隠すように姿勢を直した。


 ――


「……」


 食堂まで。日の光の差す廊下を覚束ない足取りで歩く。……幻覚が、酷くなってきている。


 揺らぐ。視界に映る線が曖昧になる。自分と世界との境界が、把握できない……。


「……はあっ……!」


 否応なく荒い息が零れる。――あの日。


 私が私であることを思い出した、あの日から。……私は、フィア・カタストでなくなりかけている。


 彼らの掛けたあの呪いが、かつての身を捨ててなお私に纏わりついているのだ。力を使ったせいなのか、永久の魔さんとの戦いのあとからその影響が特に強くなっているのを感じていた。様々な色を交えて作られた糸玉が、解けるように……。


 少しずつ、私でなくなっていっている。なくなっていくことが、分かるのだ。


「――【紅涙結界】」


 呟きと共に呪いを放つ。止め処なく零れる血の涙が生み出す結界。忌まわしい過去を含んだ呪いでさえも、今は私を此処に繋ぎ止めておくための縁だった。


「……」


 ――私は、何になるのだろう。


 あの人たちが望んでいたように。……神に、守り神と呼ばれる何かになるのだろうか。


 そうは思えない。


 あれだけ私の拒んだ変質が。願い手たちが自分で投げ捨てた儀式の結末が、そのままで現われるとは考え辛い。


 ……なら。


 私は一体、なにに?


 ただ、なにとも呼べぬモノに崩れて溶けていくだけだろうか。


「……っ……」


 それを想像すると、どうしようもなく、息が凍った。


 ――本当は、あの時にサヨナラを言うつもりだった。


 私が私であることを思い出したあの時に。最後に一つだけ、思い出を貰って。


 ……でも。


 駄目だった。しっかりとした暖かみに抱き締められて、思いを告げられたとき。


 ――どうしようもなく、嬉しくなってしまったから。


 ……一緒にいよう。


 湧き上がるように心の中に浮かんだ思い。……この人と。私が終わるその時まで、ずっと。


 そしてその為に、私は――。


「……」


〝強く在りなさい〟


 言われた言葉が蘇る。私の過去を見たアイリーンさんは。


〝何が起ころうとも、強く〟


 ……このことを、知っていたのかもしれない。


「……」


 次第に治まっていく溶解の感覚。私が安定を保っていることを確かめてから、呪いを収める。……このままではそう遠くないうちに、私が黄泉示さんたちを殺すことになるだろう。


 ――そうはさせない。


 そんなことは、決して。その為に、私に何ができるのか。


「……」


 それを考えるとどうしても辛くなる。やらねばならないことなのだと決意していても、どうしても。


 ――だから今は、少しでも長く。


 黄泉示さんと、共に行こう。


 ……私の終わりが来る、最期のその時まで。



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