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第二十六節 信じた者たち

 

 ――一瞬、視界一面が紅く染まる。


「――ッッ‼」


 無造作に地面に叩き落とされ。転がった地面の味を口に感じながら体勢を立て直す。――感覚がない。痛打しただろう脇腹を――。


「――フゥッ‼」


 無視して短剣を振り抜く。姿を隠して迫り来ていた不可視の花。血に飢えたその花弁を冒涜の光を纏う刃が切り裂き、断末魔のような声を上げて落ちた花。


「――っ……」


 その直後に耐え切れず膝を付く。……押さえた掌に伝わったのは、ドロリとした未知の感触。震えるような悍ましい手応えと同時、自分の身体が足りていないような、妙な欠落の感覚を覚えさせられる。掌にべっとりと付けられた紅い液から、噎せ返るような鉄錆の臭いが湧き……。


「……しくじったな」


 こそげ取られたように無くなった脇腹の断面を目にして。ジェインは、力なく嗤いを零した。


 ――あの一瞬。ジェインの身を襲ったのは、不可視の花。


 直前の急激な運動に引き上げられていた脳の熱。目で見えるものへの対処を考える余り、見えないものへの備えが疎かになった。紙切れの如くに引き裂かれた防御補助。……仲間の守りがなければここまで脆いものなのかと、自分でも苦笑したくなるほど呆気ない。最終的にはどうにか相討ちの形をとったとはいえ……。


「……ッ……」


 転倒の際に頭を打ったのか、頭部からも溢れ出ている血液。髪を濡らしこびり付いていくその感触を厭わしく覚えつつ、ジェインは思う。……熱い。失わされた身体の部分。千切れた血管と臓器とが、燃えるような熱を発して――。


 ……焼け付くような熱を覚えている。


「は……ハッ……!」


 あの時と同じように荒くなっていく呼吸。……炎と共に燃え落ちる建造物。激しく熱し爆ぜる、火の粉の音。


 瞼を閉じれば今でも鮮明に思い浮かぶ。地獄の釜の底に落とされたような熱さと、全てが焼き焦がされていく吐き気のするようなあの臭い。息が塞がれ、必死に吸う喉と肺でさえ焼き尽くされてしまうのではないかと思わされた。動かない自分の身体が、少しずつ死体になっていく感覚。


〝――生きたい?〟


 ――あの日から、自分の人生が始まったのだ。


「……っ」


 全身に広がった熱さの中で、不意に明瞭になる視覚象。ピントが合い、周囲の状況を把握できるようになる。……ジェインに、死ぬつもりなどなかった。


「……ごふッ!」


 立ち込めた土煙。風の吹きつける中、周囲を取り巻いていたツタたちが退いていくのを地越しの振動で理解する。……自身が考えるのは生き延びるための最善策。これまでのように、これまで通り上手くやる。


 命を晒してまで戦いに飛び込むのはそれ以外ないか、そこに可能性を見出していればこそであり、そうでなければジェインは戦わない腹積もりだった。……仲間のために命を掛けていたことなど、自分には一度もない。


 そのはずだったが――。


「……」


 最後の最後で計算を間違えたらしい。可能性の薄さに目を瞑り、ありもしないような希望に賭けてしまった。それが同時に、自分の命を掛けることであるとの事実にも目を瞑ったまま。


「っ……!」


 ――ゆえにこれは、自分にとっては当然の結末なのだろう。


「……どうしようもない」


 ――そう。あの日以来ずっと、自分が生きることを考えてきたはずだった自分が。


「……本当に、どうしようもない……な……」


 この土壇場で。死の淵で、そう思えてしまっているのだから。彼らなら――。


「……っ……!」


 ――吹き荒れる砂塵の中。意識に聞こえてきたその音に耳を留める。……黄泉示たちが今何をしようとしているのか、ここからでは判別がつかない。だが共に時間を過ごした友として、ある程度の検討は付けられ――。


「――来るな‼」


 だからこそジェインは、此処で声を張り上げた。


「――僕は大丈夫だ‼ それよりも、カタストさんを追え‼」


 唯々必死で。力の限りに叫ぶ。万が一にも二人が自分を助けに来ないよう。二人が自分を追って、まだあるかもしれない可能性を潰してしまわないように。


「ここで追い付けなければ取り返しのつかないことになる……!」


 自らの衰弱が早まるのにも構わずに。……声を放つ度削られていく意識。身を震わせ、躊躇わせようとするそれを克明に感じ取りながら。


「だから……‼」


 ……ああ。


「僕は――……っ」


 本当に。


「ッ、大丈夫だ――」


 ――僕らしくない、な。


「心配、する…………」


 ……頑張れよ。


 黄泉示、リゲル。カタスト、さ……。











「ジェイン――⁉」


 中途で途切れた声。迷いながらも俺が砂塵の向こうに向けて踏み出そうとする、


 ――刹那。


「――ッ‼」


 突如として巻き起こる特大の暴風。――飲み込まれる。直感した瞬間、掴まれた腕を力強く引っ張られて事なきを得た。……リゲル。


「リゲル――!」

「……今は」


 直ぐに放された腕。向かないまま話すその瞳は、一心に前だけを見つめ。


「向くしかねえだろ、前を」

「――ッ――」


 何も言えない。無言で走り出したリゲルの背に、ただ後れを取らないように走り出す。ジェイン――。


「――見てみろよ」


 耳を打つリゲルの声。全力に近しい速度で強風の中を駆け走る俺たちの視界に映り込んだのは、砂煙を通してでも把握できる巨大な影。……あの花々。


「ツタが全部網に戻ってねえ。……まともな方法じゃ近づけねえな」

「……!」


 その指摘に目を見張る。……本当だ。近づくものを迎え撃とうとしているかのように左右の空間へ伸び、鎌首をもたげているツタの影。幾つものそれが標的を探すように蠢いている。あれでは――。


「――俺があのツタどもを引き付ける」


 もう。望みの絶たれたような心持のした俺に向け、似合わないほどに静かな声で告げてくるリゲル。


「その間に前に回って、フィアを切り離せ。そうすりゃ――」

「それは――!」

「俺じゃあ根っこを切り離せねえだろ。ヒロインを救い出すって役目から言っても、黄泉示、お前が適任だぜ」


 情動的な反論を塞ぐ理屈。声を継ぐことのできないでいる俺に、後半をやや冗談めかした口調で言ったリゲルは軽く笑って。


「んな不安がんなよ。――ジェインの奴は、きっと生きてる」


 はっきりと、信じているように言い切った。


「大丈夫だっつってたろ? 俺たちはフィアを取り返して、全員で明日を掴む」


 握られた拳。込める膂力に手袋の皮が歪み、皹割れそうな皴を作り出す。


「そんだけだ。何も変わらねえ。――そうだろ黄泉示」

「……リゲル」

「……はっ、悪い。柄でもなく湿っぽくなっちまったな。とにかく――」


 前へと移された眼差しは、聳え立つ障害を鋭く見据えるもので。


「俺が全力であの化け物を食い止める。その間に助け出してこい、フィアをよ!」








「――ッ!」


 黄泉示が行った。駆けていく友の背中を見ながら、リゲルは思う。


「……死んじゃいねえさ」


 呟きで自らに言い聞かせた台詞。脳裏に一瞬浮かび上がったのは、視界を覆うあの砂煙と血の跡。血を吐くようだったあの叫び。


「そうだろ――‼」


 ――ジェイン。


「――ッ」


 イメージからやや遅れて走り出した。……真っ直ぐに、蠢いているツタの巣窟へと、迷うことなく踏み込んで。


 ――ふざけんなよ。


 リゲルは異形の前に立つ。網目を中心にそこかしこで蠢いているツタの触腕。ジェインを塵のように払い除けた、天を衝くその花々を睨み付け。


「【重力六倍】ッッッ‼‼」


 先制は手慣れた魔術の一撃から。影響を受けて動きを緩慢にした結晶体、各所で蠢いていたツタたちが感知した脅威に我先にと迫ってくる。中から抜きん出た一本。触れればそれだけで粗挽き肉となりそうな剛速を有し、乱立する棘に切り裂かれた空気の唸りを纏い迫り来た先端。――一瞬後には。


「――シッ‼‼」


 速贄の如く串刺しにされる。否応なく映像(ビジョン)を過らせるその突貫を前にして、リゲルはただ一度ワンステップのみを踏み入れる。――表面すら擦らせない完璧(パーフェクト)な紙一重で突進の影響圏から離脱。ツタが動きを変化させる前、直後に重力を纏う拳の一撃で中ほどから吹き飛ばした。


 ……何もかもまだ、これからだろ?


「――ウラッ‼」


 破砕されたツタの断面が撒き散らす透明の液。接触を皮切りに怒涛の如く押し寄せてきたツタの濤波その全てを、寸分の狂いなく、センチの見切りで以て躱し切り、反撃の拳を叩き込んでいくリゲル。――黄泉示もフィアも。


「ウオラァッ‼‼」


 ――俺も、ジェインも、郭も、先輩も。瞬くような左右のコンビネーションを受け、ズタズタに千切れ飛び宙を舞う残骸。視界が塞がれるのにも構わずリゲルは確固としてその場所に立ち続ける。自らの脅威の大きさを示すように、迫りくる夥しい数のツタをものともせずに。鬼神の如き様相で――‼


「ウラアッッ‼ ッ――」


 ――転調。流れ作業のような捌きに交じる僅かな違和感。テンポが上がった。続けざま打ち付けた拳から感じられるのはこれまでにないほど硬質の手応え。……上がっている。速度も、力も、硬さも――!


「ッ――‼‼」


 どこが天か地かも分からない。打ち付け、振り下ろし、貫き、巻き付き、薙ぎ払い、圧し掛かる。ありとあらゆる方向、勢いと変化を以て散乱する猛攻の連続を捌き続ける、それだけの瞬間。息も満足に吐けない、刹那の遅れさえ許さない戦いの中。


「……‼」


 不意に絶え間なく打ち付けていた手応えが消える。……日の光を遮って影が差す。――見下ろしているのだ。


 あの花々が、望んだように。肌へ纏わりつくような不快な感覚にリゲルは先の時点から気が付いていた。全身を覆っている悍ましさは、確かにナニモノかのもたらす視線のそれで。


 ――漸くかよ。


 見つめるようにリゲルへと向けられた幾重もの花弁。笑みで以てリゲルはその怖気の走る変化を了解する。……ちょいちょいと手前に曲げるように動かした手袋越しの指先。挑発というその意図を知ってか知らずか。


「――ハッ‼」


 全ての網目がほどけたあとにあるのは無数と言える数のツタの壁。蠢くそれらを唾吐くように睨み付けると、リゲルは再度構えを取った。


 ……俺は。


「ッ‼」


 ――俺たちは、死なねえ。


 降り注ぐ猛撃の嵐。一際密度を増した攻撃に織り込まれているのはこれまでにない緩急、しなやかさ。――折り切れない。叩き込んだ拳撃をツタは逸らし受け流すように表面を撓ませて耐え凌ぐと、次の瞬間には一層勢いを増して襲い掛かってくる。直後。


「シッ――ッ‼」


 十本が纏められたツタの薙ぎを力を込めて弾き返したのと同時、直感に従って避けたのはあの花弁。目では見えないその気配を空気の揺らぎから察知して躱し切る。……俺たちは、生きる。


「――ッ‼」


 可視と不可視、柔と剛。生と死の不規則な乱れ舞いの中に踊る。生きて、生きて、生きて、生きて――。


「……っ!」


 揺れ動いた地面。怖気に跳んだ直後に砂地を掻き分け現れるのは、これまでにない特大の大きさを備えたツタ。遠方から掘り進んできたと思しきそれ、鋭く伸びた棘の先端を逆に足場としてリゲルは縦横を駆け巡る。僅かに残された空間、合間に残された空気を吸うようにして。


 ――生きて、この先の明日を見るのだ。


 ……全員で。


 だからよ――ッッ‼


「っ‼」


 ――垣間見えた一点のそこへ拳を繰り出そうとした瞬間、違和感に気づく。拳の先、狙い撃つ花々のうち、熱病に罹ったかの如く震え出していた一輪。ブルブルと不気味にその身を震わせた花が首を落とすようにボトリと落ちる。蒼褪めた色の付いている――。


「――ッ⁉」


 その花びらを認めた刹那に起こされた異変。湧き起こる暴風からリゲルは紙一重の反射で身を引き躱す。触れるもの全てを引き裂く勢いで吹き荒れている螺旋の風圧。花束へと続く視界を遮った竜巻に。


 ――こいつのせいか‼


 合点が入ったと同時に次々と起こされる風の塔。その全てを回避してリゲルは駆け走る。触れればただでは済まない、全身を一瞬でバラバラにされるだろう鎌鼬。手足を絡め取ろうとするツタを避け、殴り飛ばし、頭上からくる花を避けてひたすらに。


 ――ッ見えたッ‼


 今度こそ。狂騒の最中に一縷の機を捉えた意志に応じて拳と起動された術式が唸りを上げる。腕の先に感じられる圧倒的な密度の魔力。最大にして必殺の威力を込めた一撃が完璧なまでの機会を得て撃ち放たれようとした。


 ――刹那。


「――」


 前腕を襲った軽い衝撃に、滾る血流が一瞬止まる。……バターに熱したナイフを突き入れたかのような、まるで抵抗のない。


「……ッ」


 ……飛んでいる。


 自らの右腕が。一瞬だけ綺麗な線となり、直後に堰を切ったかの如く噴き出してくる赤い色。今更のように覚えた鮮烈な激痛と――。


「ッお……!」


 ――熱。我が身から抜き出て行く熱さが絶たれた断面を焼き削る。真後ろからツタたちが迫ってきている。側方に感じられるは複数の揺らめく花の気配。足元に巻き起こる、僅かな風の流れを感じた瞬間。


「オオオオオオオオオオオオオオッッ‼‼」


 リゲルは絶叫し、迷わず左腕を引き絞る。大きく打った心臓で最後の血液を流し込み、死力を以て握り締めた渾身の鉄拳。杭とした右脚を軸に貫くが如く大地を踏みしめ。


「ウラァァアアアアアアアアッッッ‼‼‼」


 固定した身体で全身全霊を込めて撃ち放つ‼ ――郭の術式を乗せた【覇者の剛拳】。賢者見習いと支配者とが出し得る最大級の威力にツタも竜巻も何もかもが消し飛ぶ後ろで、あの花々が、身じろぎするよう僅かにその茎を揺らした――。


 ――【重力七倍】。


 直後。心内詠唱にて抜かりなく圧し掛けたのは超常たる魔術の重し。回避の動きを鈍らせた花束の中心を猛進する術と拳撃の衝撃が粉々に撃ち貫いていく。大きく風穴を穿ち抜き、煌々と差した光の道筋。


「……へっ」


 ――やったぜ。


 刻まれ食い千切られた肉体。襤褸雑巾のような四肢から全ての感覚が消え失せる。吹き上げられた空を逆さまに墜ちていく中で、太陽に照らされながら、リゲルは笑った。



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