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第二十四節 信じる者たち 前編

 

 ――見えた。


「――ッ」


〝――まずは声を掛けるんだ〟


 その後ろ姿に向けて駆ける。脳裏に響くのは先の話し合い。


〝あの変貌が見えてからまだ大して時間は経っていない。今ならまだ、蔭水の声がカタストさんに届く可能性は充分にある〟


 ……そうだ。


 強く思う。フィアを一人で死地へ向かわせはしない。このままで終わらせはしない。そしてもう一度。


「――フィアッッ‼」


 話を――‼


「――」


 叫ぶ呼び掛けに足が止まる。背中が動きを止めたその間にも速度を落とさず、一気にそのところまで辿り着いた。


「……!」


 フィアは立ち止まっていた。振り向いていたその姿に、色を失った。


「……」


 何よりもまずその肌に目が行く。無数と言える罅割れが入り、今なお皹割れていっている表皮。卵の殻が割れるような寒気立つ音が周囲に断続的に響いている。そして。


「……」


 割れた眦。此方を見つめる瞳が呈すのは翡翠でも紫翠でもなく、幾つもの色が重なり合い、混ざり合ったような複雑な様相。渦を巻くような、輝きと消失を繰り返すような、刻一刻と流れ湧くように変わっていく、その色――。


「……だれ、ですか」


 尋ねられている、……声が違う。柔らかく暖かな声音に交錯して届くのは、幾つもの音階が不協和に重なり合ったような異質な調べ。空気に触れ、肌に触れた端から砕けて散っていくような、そんな脆く、透き通る響き。


「……ごめんなさい。さきに、いかないといけないので」


 俺から視線を前へ戻す。進行方向へ回り込んでいたリゲルが、その瞳に見つめられて後ずさる。


「どいて、くれますか」


 再開されたその歩みを誰も止めることができない。俺たちが愕然とただ見つめる中を、フィアはゆっくりと歩いて行き。


 最後まで誰にも目をくれることなく。俺たちの前から、去って行った。


「……」

「……」


 ――なんだ? 今のは。


 予想だにしなかった光景に自問する。余りの変わり様に言葉が出なかった。これまでから想像し覚悟していた、思い描いていたどんな変化とも違う。


「……想像以上だ」

「……どうすんだよ」


 ジェインが冷や汗をかいている。あのリゲルですら、道を開けることしかできなかったほどの異様。


「半端な気配じゃねえぞありゃ。下手をすりゃ、レジェンドたちよりヤベえ」

「僕らのことも覚えていなかったようだったな。……まさか、蔭水に目もくれないとは」


 ただ茫漠と視界に収めるようだった視線を思い返す。あれは、もう……。


「訴えかけるのは無理か。力づくで引き止めるしかない」


 意気を取り直したように言うジェインの声が届く。……フィアでは。フィアとは、既に。


「ヴェイグたちのところに着いてしまえば手遅れだ。……戦いが始まる前までに、なんとしても」

「……止めるしかねえってか」


 じくじくとした予感を覚える俺の前で、リゲルが覚悟を決めたような目付きになる。


「――行こう。蔭水」


 掛けられた声に、隣りを向いた。


「連れ戻すんだろ? カタストさんを」

「……ああ」


 答えにそれ以外の選択肢はない。一つ頷くと、再度三人で走り出した俺たち。


「――で、どうすんだよ⁉」


 早足で駆けながら、吹き付けてくる風に掻き消されないようにリゲルが訊く。


「力づくっつってもガチで殴るわけにもいかねえだろ! なんか思い付いたのかよ⁉」

「まずはもう一度、カタストさんの様子を確認してからだ」


 落ち着いた声。こんなときでも、ジェインはやはり冷静だ。


「起こっている変化のスピードが想像より速い。仮にあのままだとすれば、さっきよりも更に――」


 ……一刻の猶予もないかもしれない。皆まで続かない言葉にそう思う。胸に湧く不安に突き動かされるように――。


「――ッ‼」


 見えてきたフィアの姿。……先ほどからまだ変化はない。揺れ動く小さな背中に、胸を撫で下ろしかけた。


 ――直後。


「――」


 その背から、一本の線が伸びた。


 線のように見えたのは茎。天を衝くように高く伸び、太陽を目指すような勢いで。


 ――止まった瞬間に、花を咲かせた。


 その根元から一斉に幾つもの細い茎が広がり伸びる。それぞれに異なる花を咲かせ、絡まり合い、寄り集まっていく。――天を衝く花束。


 同時に大茎の根元から伸び出したのは無数のツタ。鋭く棘の生えたそれが這うようにして幾重にも交差し交錯し――。


 網目を作り上げ、一個の巨大なドレスの裾を形作る。扇状に地面へと広がる異質な緑……。


「……」

「……どうすんだよ」


 ……分からない。


 俺たちの側にいる誰も、それに答える術を持たない。……なんなんだあれは?


 明らかにただの植物とは違う。何かの結晶のような透き通りを備えた色合い。(そび)える花々は日の光そのものを分解しているかのように、それ自体波打っているかのように彩を少しずつ移し変えていっている。虹色よりも複雑に、個々の色合いを、陽光を通じて輝かせて。


「……苦労だな」


 ポツリと。同じ光景を目にしているはずのジェインが、一言だけそう呟いた。


「ッんなことは分かってんだろうが。いいからさっさと――‼」

「――異形化の症状が進んでいるんだろう」


 焦燥を含んだ苛立ちに対して告げられるのは打って変わって冷静な分析。……いつもと変わらない。いつも通りのジェインだ。


「カタストさんが歩みを止めていないことからして、まだ完全には済んでいないらしいがな。変化のスピードから言っても早めに手を打つ必要はあるだろうが……」

「……どうする?」

「――まずは様子を見る」


 繰り返す形。俺の疑問に対し、素早く端的にジェインは答えてくる。眼鏡を上げ。


「あの植物のような何かが無害かどうか分からない以上、それが妥当だ。――【重力増加】で進行を止めるぞ」

「はっ、気楽に言ってくれるぜ――」


 応じてリゲルから高まり始める魔力。――何が起きるか分からない。備えて警戒を高めた次の瞬間。


「休憩の時間だぜ、フィア――! 【重力四倍】ッッ‼」


 掛け声と共に、リゲルの発動した魔術がその効力を発揮する。――目には見ることのできない変化。空気がそこだけ重くなったかのような、空間の拉げるようなズシリとした感覚に連れ――。


「……!」


 ――フィアの。植物のような結晶体の動きが、鈍くなった。……間違いなく影響を受けている。元より少女の急ぎ足程度だった進行のペースが、ほとんど動かないまでに。――これならば。


「やった……!」

「効果はあるようだな。なら――」


 どうにかすることはできるのだと。確かめられたその事実に、どことなく安堵の気持ちが胸に浮かびかけた。


 ――直後。


「――」

「――おいッ!」


 リゲルから飛ばされた声に、視界の中で起きていた変化に気づく。……結晶でできたツタの裾地。無数と言える数のツタが複雑に絡まり合い形成しているその一片が。


「――」


 動いたのだ。ズルリと音を立てるような挙動で網から剥がれ、触手のような蠢きを見せるツタ。ブルリと一度身を震わせたその槍の如くに鋭い先端が、鎌首をもたげて俺たちの方を向き――。


「ッ――‼」

「――【時の加速・三倍速】‼」


 一気に俺たちの方へと向かってきた‼ ――放たれる矢の如く。緩慢な予備動作から想像もできない速度に一瞬反応の遅れた中で、叫ばれた詠唱。スローモーになる視界の中、それでもなお高速で迫りくる先端を。


「――ッ」


 ――辛うじて躱す。無数の棘の生えた表面。打たれればどうなるかをイメージして背筋に怖気が走る。これをまともに食らったなら――!


「チィッ‼」


 本能的な忌避感から更に距離を開けた俺の視界に、映り込んだのは襲い来る別のツタの攻撃を避けているリゲル。縦横無尽。意志を持つ蛇の如くに乱舞する三本のツタは、それぞれが複数のツタを縒り合わせた太い縄状のもの。――明らかに殺意が違う。リゲルの身のこなしを以てしても避け切れない、恐ろしい速度と柔軟さとを備えた猛攻に。


「――ッッ‼」


 同時に動いた俺とジェイン。円環を稼働し、ブーストを掛けた踏込みでツタの一方を弾き飛ばす。直後に真横から襲い来る別のツタ――。


「――ッ‼」


 ――硬い。


 そして重い。受けた終月に走る衝撃へ強化した膂力で漸く競り合いを釣り合わせる。……見た目と挙動からは考えられないほどに。一際力を込めて目と鼻の先に迫る棘を遠ざけ、地面に押し付けるようにして固定するが。


「くッ‼」

「クソが――‼」


 向けた視線の先。囮になろうとするジェインの所作を無視して、まるで目がついているようにツタはリゲルだけを執拗に追っている。変幻自在の動きを取りながら空間を塞ぎ、狭めるようにして。――逃げ場がない。打つ手のなくなった状態で、突破口として【覇者の剛拳】を打ち放つためか。


「――」

「は――⁉」


 リゲルがフィアと結晶に掛けている【重力増加】を解除した瞬間、四方から襲い掛かろうとしていたツタの動きがピタリと止まる。機を外されたリゲルの行動もまたキャンセル。……俺の押さえつけていたツタからも、力が抜け――。


「……」


 ズルズルと、先に見せた俊敏さが嘘のように緩慢な速度で戻されていった。再開されていたフィアの歩みに、引きずられるようにして。……どうにか。


「ふー……やばかったぜ」

「……ああ」


 なったのか? 治まっていく動悸を自覚する俺の前で、リゲルが額から冷や汗を拭い飛ばす。肩で息をしているジェイン。鋭利なあの棘先が掠めたのか、ズボンの裾が僅かに破れている……。


「……ラッキーだったな」

「おうよ。……しっかし、なんでまた」


 一命を取り留めた幸運を噛み締めて、リゲルと共に俺も首を捻る。始めの激しさからは考えられないほど不自然に静止したあのツタたち。あれだけ執拗にリゲルを狙っていたにも拘わらず――。


「……歩みを止めようとしてくるものに攻撃してくるのか」

「……!」


 フィアを見ていたジェインの発した声が、俺たちの首の角度を元に戻した。……そうか。


「じゃあ何か? フィアは今、ヴェイグたちのところに向かってて」

「邪魔するものは排除する、ということだろう。……心中する、と言っていただけのことはある」


 ――今しがた見せられたツタたちの挙動。三倍速の加速を受けていてなお完全には躱しきれない速度に、尋常ではない頑強さと力。個々のツタ同士で連携も取れる。網目を組んで広がっているツタの総数は一見するだけでも数百を超えているように思え、もし仮に、あれだけの数のツタが一斉に迫ってくるとすれば。



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