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第二十三節 伝説同士

 

「――あらら」


 遮る炎剣の幕。危なげない動きでそれを回避した死神の瞳に、映る姿。


「ナニ、シテルノ?」


 古びた軍服に軍帽。言わずもがなよく見知ったその正体を認めて死神は視線を細める。


「戻って来ちゃいましたか。本当、動きの読み辛い娘ですね」

「コタエテ、シニガミ」


 少女の矮躯から放たれる圧が増す。幾許か考えるように沈黙したのち、死神が紅引かれた唇を開いた。


「――ッ‼」


 刹那に動きを見せたのは黒の甲冑。鋭く鋭角に抜き放たれた一閃が、肌を掠める。


「――危ない危ない」


 胸元から流される血を一瞬だけ瞳に映し、死神は強かに嗤いながら距離を取る。


「流石は《誅滅の黒騎士》。この香量でまだ動けるとは恐ろしいですね」

「……っ」


 踏み込んだガイゲの脚元が揺れ、膝を突く。その姿を隠すように。


「じっくり毒が回るまで待ってから仕留めるとしましょうか――」


 死神の前に立ちはだかったヤマト。開く戦端を告げるが如く、紫の炎が燃え上がった。


「――厄介ですね」


 立ち昇る紫炎。間断なき雨垂れの如くに降り注ぐ炎剣をワンテンポ遅らせて回避しながら、困ったように死神は顎元に指を当てる。


「その外套のお蔭で気配も読み切れない。香も効かない。ガイゲ以上に殺すには手間が掛かりそうな娘です」


 ヤマトの振らせている炎剣は最早雨霰ではない。限界まで速度を上げられたその勢いは正に流星群が如し。唸りを上げて殺到する呪いの手が突き立てられた端から生きとし生けるもの全てを縊り殺そうと這い回りねぶる。それでも死神を捉えることはできない。踊るような捉えどころのない動きで舞う死神の身体は、迫る殺意を読み取っているかのようにその凶炎から逃れていく。その隙に。


「……【聖典詠唱】」


 紡ぐのは【創世記・生命の樹の実】。生命力を増幅させる秘跡で辛うじて五感の崩壊に揺り戻しを掛ける。耐毒用の詠唱をガイゲは会得していない。高すぎる耐性への自負が故。


「――まあ、対策は用意してあるんですけどね。当然」


 微笑みと同時。目の眩むような凄まじい雷光が、走る剣の軍勢を引き裂いた。


「――」


 ――バカな。


「これでどうですか?」


 直後にヤマトを撃ち貫く巨大な落雷。栗色の髪の端が僅かに焦げる。何でもないかのように軍帽の下から死神を睨み付けながらも、遅れてきた轟音の衝撃に微かに身を震わせた少女。


 ……魔術だと? 死神が?


 有り得ない。死神の能力についてこれまでガイゲは徹底的に観察してきた。同格のレジェンドであるだけあって警戒すべき攻め手はあったものの、その多くは身体的な技術や道具。常に監視できていたというわけではないが、ヴェイグの指令で殆んどの行動を共にしているに当たり、新たな技術を身に付ける暇などはなかったはずだ。それもこんな。


「ほらほら。どんどん行きますよ」


 風、氷、岩。次々に移り変わる色取り取りの属性がヤマトの身を攻め立てる。数多の高位級の魔術を軽々しく扱うその様は、まるで、ヴェイグを見ているようで。


「ん~……中々斃れませんね」


 余りに緊張感の欠けたその声が、揺れ動く意識の中にあっても奇妙なものとして響いた。


「――」


 ……ヤマトはまだ斃れてはいない。数多の魔術を身に受け、少しずつ額と頬に傷を増やしながらも、その暗い情念の宿った瞳は未だに死神の姿を見据えている。……炎剣は止むことを知らない。これまでに見たことがないほどの激しさと変則的な軌道とで死神を追い立て、その速度を更に増してきている。一瞬でも後れを取れば焼き尽くされる。そのことは死神も分かっているはずで、ガイゲの目から見ても戦況はどちらに傾くか分からないほど僅差。


 ……なのになんだ、あの顔は?


 緩み切っている。楽しんでいると言うのは分かる。死神の性向は享楽的だ。殺し合いですら楽しんでいるはずで、今正に目の前ではそれが出ている。そうだとしても、ガイゲの目に映る死神の表情は緩み過ぎだった。魔術に関しても、まるで何かを試しているような素振り。あれでは、まるで。


 ――勝たなくても、良いと思っているような。


「――っと」


 空中で身を捻り、死神は砂礫の転がる地に着地する。軽やかに。


「ふふ。しぶといですね、ヤマトちゃん」


 微かに息を乱しながら笑む。その所作でさえも、ガイゲにはこれまでの死神にそぐわないものとしか思えない。


「本当に丈夫なんですね。耐久力ならガイゲより上なんじゃありませんか?」


 軽口を叩く標的をヤマトが睨む。刀身を包む紫炎が更に燃え上がり、唸りを上げる。


「――では、もう少し強いのをいってみましょうか」


 それを迎える死神の口から、信じ難い言の葉が漏れた。


「〝放て光精〟」


 唯一無事と言える聴覚で捉えたガイゲは愕然とする。……この詠唱は。


 ――まさか。


「〝全ての影を消し去り、かの神の名元に輝きは屈す。光り、閃き、照り付けよ。世界明らめる黄金を地に齎し、讃えよ彼を〟」


 地を蹴り跳び下がった足下に土ぼこりが立つ。滑らかな肢体を炎剣が捉え切る寸前。


「――【善祝福する主神の聖域】」


 地面より溢れ出た膨大な光の束が。ヤマトの身を飲み込み、埋没させた。


「……ッ!」


 光の齎した衝撃の余波で転がりながら、ガイゲは霞む目を凝らして戦況を確認しようとする。ここまでくればもう、間違いはない。


 かつて見た記憶と感覚とが告げている。……最高位級の古典魔術。それも、ヤマトにとって天敵である神聖の属性の。


 聖宝具である鎧と極めて高い親和性を持つ神聖の魔術は、仮にガイゲが喰らったならば特別なんの問題ともならない無力なものになる。だがヤマトが、あれをまともに喰らったのならば。


「……!」


 更に目を凝らす。晴れた視界に次第に映り込んでくる姿。……古びた軍帽に軍服。その手に握られているはずの、刀が。


「……?」


 根元から砕け散っている。地に広がるその事実を理解できないかのように、柄を握り締めたまま立ち尽くしているヤマト。不思議そうに呆然と、ない刀身を今一度見つめた。


「……危ない危ない」


 その向こう。斜向かいに相対しているのは、死神。無傷ではない。絹のような肌が広がっていたはずの左腕は火傷に覆われ、髪や服の端は焼き切られている。だが、それ以上の損傷は。


「もう少しで燃やされるところでした。けど、私の方がタッチの差で早かったみたいですね」


 ない。無事な右腕で死神が一つ指を鳴らした瞬間、渦巻く暴風がヤマトの身を取り囲む。狂風に破れた軍服が千切り取られ、その後から覗いた赤が徐々に面積を増やしていく。枯れ葉のごとく浮かされ為す術なく蹂躙されるがままの体躯。小さなその身体の全てが、鮮やかな緋色で覆い尽くされようとして。


「――」


 響いたのは耳障りな重い金属音。頭上を越えて向こう側に落ちたその剣に、死神が流すように目を向けた。


「なんだ、まだ死んでなかったんですか」


 言葉と共に風が消え、ヤマトが落ちる。……視線の先。息を荒げつつも立ち上がっているのは、ガイゲ。


「ふらふらでしょう? もう、私のこともよく見えないんじゃないんですか?」


 誘うように服の裾をひらつかせ、たくし上げて見せる所作。……然したる反応がないことに、小さく溜め息を吐いて眇めて見た。


「あんなに狙いを外して。強壮な騎士サマが、随分と弱々しくなりましたね」


 斃れず立っているのがやっとという体のガイゲを見つめる目は、冷たいものではない。玩具を弄ぶような残酷さも、死神の名に相応しい冷酷さも其処にはなく。


「ヤマトちゃんを助けたい一心で立ち上がったんですか? 男性として、そこは中々のもの――」

「……」

「ん?」


 言おうとしている、何かを。声にならないと踏んだ死神が、僅かな唇の動きを読もうと注目した。


「〝……悪いな〟」


 辿っていく。騎士の遺すだろう、最期の言葉を。


「〝破っちまうぜ、約束〟」


 異変に気が付いたのは、その言葉を読み終えた直後だった。


「……っ⁉」


 ――空が。


 空が割れている。天を覆っていた分厚い雲が二つに引き裂かれ、その合間から地上に向けて伸びる一本の手。


「……馬鹿が」


 それが握る炎の剣を目にした直後、耳を打つのは絶え絶えな一声。


「あんだけ時間がありゃ、無詠唱で刻むなんざ余裕なんだよ。……余裕こきやがって。これでテメエも終わり――」


 揚々と語る首が真後ろに折れ曲がる。その傍らを擦り抜けるように駆け抜けた死神。今度こそ物言わぬ骸と化した騎士を尻目に、空を仰ぎ見て二度驚愕した。


 ――止まらない。天を衝く怒りを示すが如く轟々と燃え上がる白き烈火の剣は、術者が絶命してなお理に従って落ちるように真っ直ぐ死神の立つ大地へと振り下ろされてくる。既に全てを悟りきった身体。諦めにも似た状況の受け入れが、構えていた両腕をだらりと下げさせた。


 ――瞬間。


「っ……」


 洪水のような炎が大地を埋め尽くす。触れた足先指先から塩となり崩れ落ちていく身体。常人であれば発狂していてもおかしくないその光景と感覚とを覚えつつ。


「……なるほど。腐っても伝説ですね。《誅滅の黒騎士》」


 自らの手落ちが招いた破滅を認め、それでもなお。


「楽しかったですよガイゲ。ヤマトちゃん」


 ――最期にどこまでも嬉しそうに、死神は笑った。既に首元まで塩と化し切った肉体。眼前に迫る、白の死をはっきりと目に焼き付けて。


「また遇いましょうね。いつの日かどこかで、きっと――」


 押し寄せる白が全てを飲み込む。白炎が消えたあとの世界には。


 一面を成す塩の残骸だけが、天啓の如く大地に残されていた。



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