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第二十二節 裏切り

 

「――ッ‼」


 首を薙ぐ剛腕。触れれば千切り取られる暴威の圧力に逆らうことなく、風に舞う薄布を思わせる動きで死神は泰然と距離を取る。ガイゲの身体能力とリーチは既に確認している。何かしらの強化を使われでもしない限り、死神に攻撃が当たることはない。


「ッ!」


 一息に外れた骨を入れ直すガイゲ。柔軟かつ強靭に鍛え上げられた騎士の首。反射的に固められた筋肉の鎧が、人体構造を完璧に把握している殺し屋の手管を撥ね退けた。嵌まったその感触を確かめるよう、コキコキと首を鳴らしながら。


「……どういうつもりだ。てめえ」


 強く睨みつけてガイゲは質す。じゃれ合いでは済まされない。今し方の挙動にあったのは紛れもない殺しの意図。仮にもヴェイグの下で仲間として動いている以上、決して向けられてはならないものだ。


「イケてないですねえガイゲ。幾ら能力が高くても、肝心なところで察しが悪いと女性にはモテませんよ?」


 成功させなければならなかったはずの奇襲の失敗。問い詰められている立場。だというのに死神はいつもの艶やかな微笑を崩さない。愛嬌を振り撒いているように見えて、その実毒を入れる隙間を抉じ開けるための触手を伸ばしている。その単純だが効果的な虫取り草の如きやり口も、湛えている薄気味悪いほどの余裕も、ガイゲには変わらず気に入らなかった。


「裏切りは女性の華と言うじゃないですか。そんなに驚かなくとも――」

「――驚く?」


 意図的な転調。言葉尻を捉え、嘲笑うようにねめつける。


「俺が今の今まで、テメエを信用してたとでも?」


 場に漂う雰囲気を塗り替えるような暴力的な殺気。鋭さを増した眼光に連れる威圧に、さしもの死神も口を噤んだ。


「テメエの殺り口は分かってる。気配と殺気の押し殺し。敵じゃねえ振りをして近付いて、匂いと技で知らぬ間に命を奪う」


 ――そう。稀代の殺し屋たる死神の技法は、標的に自らを敵だと気付かせないことを主眼に構成されている。


 如何に強力な技能者であろうとも、その力を発揮する機会さえ与えられないまま殺されたのでは何にもならない。敢えて姿を晒すのも魅了で隙を作ることが本懐ではなく、標的に敵でないことを確認させてその警戒心を解くためであり、その意味では至極合理的と言える殺し方。同じレジェンドと謳われるだけあって技術の完成度も高く、ガイゲとしても中には唸らされた部分もあったことは確か。


「テメエに取って俺は天敵だ。今のこの状況から、逃げられるとでも思ってんのか?」


 だが逆に言うならば。一度敵として認識されてしまった時点で、それらの技法の多くは用を成さないということになる。並みの相手ならば歩法で再度目線を切って死角を突くことも、動きの速さで正面から強引に押し込むこともできるだろうとはいえ、《誅滅の黒騎士》足るガイゲが相手なら話はまるで別になってこざるを得ない。基本的な身体能力では全てガイゲの側が勝っている。加えて子どもの頃から狩りで鍛え上げてきた視力と追跡能力。数多の乱戦を生き抜くことで磨かれてきた状況把握能力も相俟って、一旦その気で捉えた敵を逃さないことについてガイゲは絶対と言える自信があった。死神のように肉体技法に頼みを置く相手ならば尚更の事。技法の例外の有無も含めて、今日この時まで徹底的に確認してきたのだ。


「……バカですねえ」


 極めて明確なその見立て。喉首へと向けた剣の切っ先で敗北と死を告げてなお、迎える死神の薄笑いは拭われない。僅かに目を細め、整えられた娥眉を見下すように下げながら不遜に嗤う。その態度にガイゲは迂闊に切り込めないでいる。


「しくじったことがないからこそ、《死神》なんですよ」


 初めて耳にしたその自尊。同時に覚えた不意の感触に、吃驚したガイゲの眉が僅かに上がった。


 ――まさか。


 即座の確認。感覚に応えたのは自身にとって起こるはずのない重心のブレ。視界に映る景色の線が、うねる蛇腹の如く奇怪に歪む。


「信用されていない? そんなこと、とっくに気が付いていました」


 心肺を制御しようとする意志を無視して荒くなっていく呼吸。急激な発汗が止まることなく、鎧と服との間の不快感を秒刻みで増していく。皮膚を襲うのは、燃え差しで炙られているかのような熱――。


「分かりますよ。見ることは殺しの基本ですから。とても警戒していましたね。まるで犬の威嚇のように。――でも」


 目の前で徐に弄る所作。しなやかな指先が袂から取り出して見せた、それは。


「世の中には薫らない香もあるんですよ、ガイゲ。如何に嗅覚が優れていようと、この香りに対しては意味がなくなります。効果もじわじわ出ていくタイプでなく――」

「【聖典詠唱・レビ記・ヨベルの歳】‼」

「一定以上の蓄積で出る爆発型ですから。気付いたときにはもう、手遅れの状態です」


 痺れつつあった舌。講釈に割入って紡がれた詠唱に応じて騎士の身を光が包み込む。神秘を宿す秘跡の光が消えると同時、変えられることのないふらつきに、ガイゲの表情が一層歪まされた。


「無駄ですよ、無駄」


 目の前のその足掻きを、歌うように死神は嗤う。


「蓄積自体はもうかなり前から始めてましたし。その呪文、一定期間より前には戻せないんでしょう?」


 指摘してみせる。普段のような威勢のいい返しがないことに、満足そうに数度頷いた。


「――でも、本当に苦労しました」


 警戒を解いた声。その侮りを咎めるだけの余裕が今のガイゲには最早ない。脈打つ自らの血流の音で、ともすればその言葉さえ聞き逃しそうになる。


「その鎧のせいかは知りませんが、ガイゲ、やたらと頑丈だったので。普通ならとっくに動けなくなる量でも一向に効いた様子がないんですし、焦りましたよ。このままでは間に合わないんじゃないかと思ったくらいです」


 一際大きな笑みが、ガイゲの瞳に映り込む。狡猾な。


「本当、あの子たちに時間を稼いでもらって正解でしたね」

「――」


 示す言葉。……つまり死神は。


 始めから――。


「……は」


 事実を理解してガイゲは笑いを零す。吊り上げられた口角は、地面に目を向けたまま次第に大きく広がり。


「――馬鹿はテメエだ死神」


 最大限の嘲笑となって、死神の双眸に叩き付けられた。


「ここまでやっといて、ヴェイグがテメエを見逃すとでも思ってんのか?」


 突き付けるのはその事実。そもそもの足場を支えている柱を外しに掛かる。


「どれだけ粋がってみようと、俺たちは所詮ヴェイグに呼ばれた身の上だ。俺が死ねばテメエの裏切りなんぞ直ぐに知れる。そうなりゃ立ち所に死に帰り――‼」

「――そうですねえ」


 反攻を遮ったのは、蠱惑的な声の色。


「これについては私の方に分がありますし、仕方がないですね。私、とうにヴェイグの支配下を外れてるんですよ」


 ――。


「な、に?」

「ある人から依頼を持ち掛けられましてね。その見返りでこういう風にしてもらったんです。正直冷や冷やものでしたけど、上手く行ったようで何よりでした」


 確かめるように自らの手首を見る死神。その仕草を前にしているガイゲは声が出ない。……薄らと。


「想像できますか? ガイゲ。今の私は、再び自分の足でこの世界に立ってるんですよ?」


 柔肌に浮かび上がる線。滲み出滴り落ちた血が、乾いた大地を濡らし、土へと浸みゆく。


「ワクワクしますね。これからできることを思うと」

「……誰だ?」


 その光景ですら霞むほど朦朧とする意識。


「誰が、テメエに依頼を……」

「残念だけど、それを教えてあげる時間はないようですね」


 脳の血管がバクバクと音を立てる。目元に力を込めるも虚しく、更に景色が歪む。


「さようならです、ガイゲ」


 崩れた輪郭の中で、死神が嫋やかに手を振った。


「短い間でしたけど、楽しかったですよ」


 来る。それを痛いほどよく承知していながらも、ふらつく身体を留め置くしかないガイゲ。乾坤一擲の心持ちで抜身の剣を動かしたその時。


 ――紫紺の炎が、両者の間に燃え盛った。



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