第二十一節 揺れる天秤
――確認は済んだ。
術式への魔力供給と稼働試験。滞りなく全ての用意を終えたヴェイグは一人、暗闇の中で座っている。何かを考えるように。
「――よう」
足音に連れて響く声。闇の中でも浮き上がるほど黒く染め上げられた甲冑を纏うのは、ガイゲ。利く夜目で迷うことなくヴェイグを見付け、今一歩近付いた。
「どうしたんだよ。んな暗くして」
「……ガイゲか」
背を向けたまま答えたヴェイグ。立ち上がり、伸びをして見せる。
「いや、大したことじゃないんだ。術式の用意で少し疲れていてね。仮眠を取っていたところで――」
「んな覚めてる面で言われても説得力がないぜ? 大したことじゃねえんだったら、試しに話してみたらどうだ?」
告げられた指摘に一つ、苦笑した。
「……ここに来て、不安が出てきてしまってね」
手ごろな岩に腰掛けて。再度ヴェイグは話し始める。
「情けないと思うんだが、どうにもならない。蔭水冥希も、永久の魔も」
そこで微かに表情を歪ませるように。
「最後は向こう側に着いてしまった。一度は滅世を選び取っていた、彼らが……」
「そりゃまあ、仕方ねえだろ」
肩を竦めたガイゲから送られるのは、核心を射ることのない一般論。
「人の心なんてのは移ろい易いもんだしな。お互いの立場ってのもある。昨日まで味方だった奴が、明日も味方のままでいてくれるとは限らねえさ」
「管理者の言った言葉が引っ掛かっているんだ」
「あ?」
ガイゲは知らない。共有していたはずの永久の魔はもういない。それを知っていてなお、ヴェイグは独り言のように言葉を続けていく。
「相手方についてかなり予想外の事柄が出てきてね。……もしかすると、この状況ですら管理者の思惑の内なのかもしれない。これでも駄目なのかもしれないと、そう思ってしまうよ」
横たわる静寂。それきり沈黙するヴェイグに、ガイゲはやれやれと息を吐き。
「――なに寝ぼけたこと言ってやがんだ。あんたは」
黒光りする鎧姿に似つかわしくない、それは穏やかな叱咤激励。
「この為にどれだけの月日を掛けてきた? そいつが全部、最後の最後でおしゃかになっちまっても良いってのかよ」
顔を上げたヴェイグに対し、掲げられた手甲が披露するのは大仰な身振り。持ち上げられた鎧がガシャリと音を立てる。
「――嫌だぜ俺は。なんの為に千以上ある龍脈地に陣を敷いたと思ってんだ。全部おしゃかになる為に、あんな苦労を引き受けたわけじゃねえ」
背を向け、音を立てて小さく歩き回り、再び正面から向けた瞳。
「大体こんだけのことをやらかそうとしといて、今更なんだよ。異常だぜ? 本当に世界を滅ぼそうなんて奴は、お伽噺の中ですら見たことがねえ」
真剣な眼差しで見たあとに、ふと目元の力を緩めた。
「そんなあんただからこそ、できないことも為せるってもんだろう」
「……」
直ぐには応えない。ガイゲの言葉を咀嚼するように、ヴェイグは姿勢を崩さないまま。
「……励ましとは君らしくないね」
「言ってくれるじゃねえか。俺は誉れ高き騎士サマだぜ? 身内のフォローくらいわけねえんだよ」
少しばかりおどけたようなガイゲの言葉に、小さく笑った。
「――ありがとうガイゲ。少し、気が楽になったよ」
「礼なら全てが終わった後にするんだな。――っと、その頃には言いたくても言えねえか」
ガイゲの視線の先で、ヴェイグが立つ。その雰囲気は先ほどのように沈んだものでは最早なく。
「余計な心配なんてしねえで前だけを見てろ。最後は必死に走ってりゃ、案外いつの間にか全部が終わってるもんさ」
「――どうでしたか? ヴェイグの様子は」
洞窟から並足で二十分ばかり。過剰なほど大きく距離を空けたその場所にガイゲは戻る。ヤマトと共に待ち受けていた、死神の問いに。
「なんてことはねえ。ただの人だ」
口角を上げてガイゲは答えた。立ち止まり、剣を抜き。
「どれだけ長く生きてきたとしても、化け物になるわけじゃねえ。むしろその方がよっぽど人間らしいのかもな」
遠き地平に突き付けるように構えてみせる。日の光を受けて輝く剣身。
「だからこそ守り甲斐があるってもんだ。神や人形を戴いたところでつまらねえさ。おもしれえのはいつだって、人のやることだからな」
「まあ、それはそうですね」
「――いよし」
剣を収めると、後ろにいる二人へと向き直る。
「どうせこれが最後だ。いっちょ派手にやろうぜ! お前らも派手な技の一つや二つくらい持ってんだろ?」
「暗殺者にそんなものを期待されても困ますけど。ねえヤマトちゃん」
「ハデッテ、ナニ?」
「まずはそこからかよ……」
伝説三人の間で交わされる談笑。まるで家族の間で交わされるような、和やかなそれを──。
「キタ」
破ったのはヤマトの声。反応して二人が一時に顔を向ける。
「どの辺だ?」
「マダトオイケド……」
たどたどしく告げられた大凡の距離に、ガイゲはよしと頷き。
「段取りは言った通りだ。――お前はあっちで隠れてろ。厭らしくいくからよ」
「ワカッタ」
ヤマトが去る。……神聖の属性というウィークポイントがあるヤマトの姿を晒すのは愚策。生命の気配を感じ取る炎剣ならば、数キロ離れた距離からでも充分過ぎるほどの支援ができる。怨霊である少女の相手はガイゲ。厄介な呪具を持つ青年は死神が、炎剣での奇襲に紛れて殺す。
「まあしかし、何だかんだ良かったぜ」
遠く離れたその姿が見えなくなり、死神と二人になったところでガイゲは言う。
「あの永久の魔を斃すんだ。歯ごたえがあんだろうな。これまでで一番」
「――ええ。本当に」
徐に近付いてきた死神。――不意の接触。背後から、包み込むような柔らかな手が頬に添えられたことを意識した。
次の瞬間、ガイゲの顔が百八十度回転した。
「……っ」
――行ってしまった。
フィアが去ってしまったその後を。俺はただ、跪いて見つめている。灰色の地面……。
……なんなんだ一体?
俺のしようとしたことは、俺が選んだことは。
フィアのしたことは、フィアの選んだことは。
――なにもかも全部、ぐちゃぐちゃだ。
最後の最後で、俺は――。
「……」
頭の中で滅裂な思いの群体が乱反射して渦巻いている。……どこから手を付ければいいのかも分からない。鉛の水のように動きと思考を縛り付ける情動を、少しでも吐き出そうと――。
「……どうしたら」
「知らねえよ」
零れ出た声に、右上からぶつけられたのは突き飛ばすようなぶっきらぼう。
「何も話さずに一人で決めて頷いてる奴の事なんざ、誰が知るかよ」
「全くだ」
首肯するように。見えない左上から響いた台詞は、審判者のように冷ややかだ。
「結局君は、何がしたいんだ?」
「……」
……分からない。
これしかないと思っていた。これしかないから仕方がないのだと、そう思い込んでいた。
俺は、どれだけ――
「……そうだ」
ふと。心に落ちた何かに引っ張られるように、頭が上がる。
「……フィアに、謝らないと」
涙に濡れた眼。平手打ちを受けた感触を、思い出す。
「謝って。それで……」
去り際の姿。刀身を握る手に、自然と力が籠った。
「……連れ戻す」
水を打ったような静けさが、言葉の残響と共に広がる。
「……ま、いいんじゃねえの?」
息を吐きつつ言ったのはリゲル。
「泣いて走り去った仲間をそのままってのは、なしだわな。寝覚めが悪くなって仕方ねえ」
ブルーの瞳で暫し俺を見て。跪いたままの俺に、グローブに包まれた手を差し伸べた。
「分かってんじゃねえか。やっぱ、それくらいはよ」
「……リゲル」
「――実を言えばだな」
リゲルの手を借りて立ち上がる。自らの足で立った俺に、ジェインの語る内容が届く。
「君と同じくらい、カタストさんにも腹が立っているんだ。……どうして一人で抱え込むのか。なぜ僕らにも、話してくれなかったのかとな」
溜め息と共にやや鋭くされた眦。眼鏡の位置を直し、ジェインが俺を見た。
「ヴェイグたちとの戦いには、全員の力が必要だ」
断言する。僅かも目を逸らすことなく、力の込められた、落ち着き払ったその声で。
「僕らの誰が欠けてもいけない。カタストさんを、連れ戻そう」
「……ジェイン」
「幸い、カタストさんの速度はそれほどでもなかった」
一瞬だけ口元に笑みを浮かべて、また直ぐ冷静な顔付きへと戻ったジェインが言う。
「二倍速なら追い付ける。――行こう」
「おうよ」
「……ジェイン、リゲル」
バシリと掌を打ち付ける動作に。背中を叩かれたような気持ちになりながら、言葉にする。
「……済まない。……ありがとう」
「――ばーか」
下げた視線をリゲルの軽口が引き戻す。
「そういうのはあとで良いんだっつの。んな事よりも、今やることから考えてろよ」
「そうだな。終わったあとでなら、幾らでも話してくれ」
用意を整えた二人は既に前を見つめている。……俺が、後れを取るわけにはいかない。
「フィアに贈る台詞、考えとけよ? てめえの気持ちがしっかり伝わる奴をな」
「……ああ」
「行こう。間に合うように」




