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第二十節 崩壊

 

「――強力な反応があった」


 いつもと変わらないように思えた朝食の席。ジェインから告げられたのは、その一言。


「共鳴するように世界各地で魔力の脈動が起こっている。協会員にも訊いたが、尋常では考えられない反応らしい。間違いなくヴェイグの術式が稼働した合図だ」

「……場所は」


 ああ、と頷いて、ジェインが地図を出す。指し示された一点は、ヴェイグが以前に言っていた場所に相違なく。


「ここだ。近くの支部からは少し距離があるが、協会から機関に頼んで車の手配をしてもらってある」


 聞かされた内容に意表を突かれる。……いつの間に、そんな用意を。


「よく協力してくれたなオイ」

「向こうも先日の軍隊の消失は確認しているからな。あれだけの戦力を一変に失わされた以上、もう手がないのは自覚しているさ。――近くの町まではそれで移動して、そこからは徒歩で向かおう」

「……間に合うんですか? それで……」


 術式が既に稼働している以上、猶予がどれくらいあるのかは分からない。似たようなことを思ったらしいフィアの問いに、ああ、と頷いて。


「これまでの時間でヴェイグが発動しようとしている術式の類型を絞り込んだ。推測するそれぞれで細かな違いはあるが、どれも設定された効力の規模を考えれば相応の時間が掛かる。二十分や三十分でどうにかなる代物じゃなく、最低でも数時間単位の時間が必要だ」


 郭にも確認して貰った、と続ける。……そこまで動いていたのか。重ね重ね思わされるのは、ジェインがどれだけ考えて事を進めていたか。俺が終わりに向けた日々を過ごす間に……。


「それに洞窟まで乗り物を使って移動する場合、途中でレジェンドに襲われでもしたら厄介になる。袋詰めの形を作ってしまうからな。町を通っていくのも、なるべく人に紛れて進んで行きたいからだ。ヴェイグに辿り着くまでの消耗を抑えるためにも――」


 可能な限り道中で奇襲を受けることは避けたい。……町を抜けたあと洞窟までは乾燥した荒れ野、砂漠地帯が続いているらしく、密集した背の高い建物や森などがないことから見晴らしもいいとのこと。確かにそういった場所なら奇襲を受ける可能性は低そうだ。


「普通なら徒歩で一時間近くのようだが、僕らの足なら三、四十分で着くだろう。――準備ができ次第直ぐに出よう」

「だな」

「……その前に」


 送る視線に頷いたフィアたち。この後にやるべきことを思い浮かべ、早々に食事を済ませに掛かった。






「――」


 支部の治癒室。治癒師たちの手により清潔を保たれたそのベッドに横たわっているのは、立慧さん。……変わらぬ姿のまま。


 ──死神に毒を飲まされたあの日以来、立慧さんは一度も目を覚ましてはいなかった。……眠り続けているように、それでも死んではいない。呼吸と共に微かに動いている毛布。生きているのだ。立慧さんは今も、確かに。


「……やはり目は覚めないか」

「そうですね……」


 施された様々な手当ての甲斐があってか、容態は安定しているらしいと治癒師たちからは聞いていた。……終わらせるわけにはいかない。最後の決戦に向かう決意を更に強くする心持ちで、俺たちが部屋を後にしようとした──。


「……っ」

「――っ⁉」


 そのとき。微かに届いた空気の揺らめきのような音に振り向く。……今。


「――立慧さん?」

「――」


 ベッドに駆け寄ったフィアに続く。……眠っている。先と変わらないように見える立慧さんは……。


「う……」

「──立慧さんっ⁉」


 声をあげている。……呻くように。


「だ……いか……で」


 澄ませた耳の先で、譫言のように、ひたすらに何かを。眉根を歪めて、動いていない手を必死にどこかへと伸ばしているようなその様子。


「か……げ」

「……」

「……行こう」


 黙ってその光景を見る中で、気を取り直すようにジェインが声を発した。


「時間がない。今は、支部の人間に任せるしかない」

「……そうだな」


 変化があったことを察知したのか、足早に駆けつけてきた治癒師たちの姿を目に留める。出ていく俺たちとは反対の方向に、忙しなく響く足音に後ろ髪を引かれるようにしながら。


「……」

「もうすぐ目が覚めんだよ。きっとな」

「そう……ですね」


 良くなる兆候だと良い。それだけを願って、俺たちは歩き出した。






 ――ゲートを使った移動ののち。


 到着先の支部を出て、待っていた車へと乗り込む。大型のボックス車。事前に話が通してあったせいか、俺たちが乗り込むと即座に運転手は車を発進。慣れた手つきで道路を走らせていく。……無言のまま。


「……」


 後部座席に座る俺たちの方にも会話はない。防弾製なのか、二重になっているぶ厚い窓ガラスを通して見る景色。揺られるうちに流れていく景色は鮮やかで、空は気持ちがいいほどに晴れ渡っている。青い海原に浮かぶ雲が、白い島のようにも見え……。


「――ありがとうございました」


 町の入口で停車した車。自動で開いたドアから俺たち全員が下りると同時、ドアを閉めたボックス車は間を置かずにアクセルを踏み込み、素早いUターンにて土煙を上げて去っていく。その姿を、一瞬だけ目に留めて振り返った視界に。


「――」


 改めて映り込む町の姿。慣れないはずの異国の光景でありながら、……余りに。


「――行こうぜ」


 余りにのどかに感じられたその光景に、暫し、全員の足が止まった。振り切るように言い出すリゲル。


「止まってても仕方がねえ。早く着けるに越したことはねえだろ」


 ――

 ―


「……」


 ……俺たちは歩いて行く。小さな町の中を、四人全員で固まって。


 道行く人の顔。場違いな俺たちの格好にしばしば好奇の眼差しが向けられる。ゆっくりと散歩でもするように歩いている人もいれば、急いでいるのか忙しない速足で通り過ぎていく人もいる。誰かと言葉を交わしている人も、一人で町を眺めている人も――。


「――待てー!」

「捕まえてみなっ!」


 前から勢いよく駆けてくる子どもたち。自分たちをとらえるものなどないように周囲を自在に走り回り、また何処かへ走り去っていく。幼い顔立ちに笑みと高揚とを浮かべ、懸命に駆けているその姿。


 ――日常だ。


 強く思う。同じ世界の内で何が起こっていようとも、変わらないもの。何処かでは必ずあり続けているはずの事柄。


 ……ヴェイグたちを倒せなければ、この光景も。


「……」


 次第に人家が疎らになっていく。――現れたのは町と自然との朧気で幅のある境界線。目の前に広がる景色は、以前永久の魔と対決した場所に似た、しかしそれよりも灰色の多い砂地の大地。一気に開けた視界に、否応なく緊張が過り――。


「――ここからが危険地帯だ」


 ジェインの声に目を向ける。……そう。俺たちにとって、およそここからが本番だ。


「レジェンドたちが仕掛けて来るのもこの先になるだろう。注意しながら行こう」

「――気ぃ入れていかねえとな」

「……ああ」


 バシリと拳と掌を打ち合わせたリゲルに――円環で感知能力全般を負荷が出ない程度に強化する。何かあればこれで変化に気が付けるはず。物理的に身を隠すことが難しくとも、魔術的な隠匿の可能性は消しきれない。緊張と覚悟と共に、荒野に足を踏み入れた。


 ――

 ―


 ……歩き始めてから、どれくらいが経っただろうか。


「……」


 警戒を保ちつつ進む俺たちの間に会話はない。今のところ感じ取れるような脅威もなく、無言でひたすらに大地を進んでいく。一歩一歩、自分のいることを確かめるように地面を踏みしめながら。


「……」


 黙々と。この先に待つ場所。全ての決着がつく場所へ向けて進み続け――。


「――黄泉示さん」


 息を殺すようにして進めていく歩みの中で。……不意に、隣を行くフィアが、声を発した。


「……どうした?」


 周囲に気を配りながら訊く。先ほどの光景、それとも俺の気付かないところで何か思う所があったのだろうかと、そう思い――。


「楽しかったです。私」

「――」


 耳に届いた言葉に思わず、歩みを止めることになる。……なんで。


「……」

「色んなことを教えていただいて。色々なことを、二人でできて」


 なんで今、そんなことを言う? まるで長い別れを予感しているような台詞に――。


「リゲルさんも」

「おお……」

「ジェインさんも。……ありがとうございます」

「……いや、別に……」


 続けて声を掛けられた二人も困惑気味だ。前を行っていた歩みを止めて、俺と同じように振り返ってフィアを見ている表情。


「良ければこれからも、三人で――」

「――待ってくれ」


 なおも続けられようとした言葉を、ジェインの割った声が押し止める。訝し気に。


「なぜ今そんなことを言う? カタストさん」

「――そうだぜ」


 質すように訊いた。リゲルも同様の態度。


「決戦前でナーバスになってんのか? 緊張してんなら――」

「……違うんです。リゲルさん」


 静かなその否定が、落ち着き払ったその声が。今はやけに場違いに響く。乾燥した気温は高く、決して寒くはないはずなのに。


「……フィア」

「……ごめんなさい黄泉示さん」


 寒気のするような言いようもない不安を湧き起こす。向き直ったフィアが、泣き笑いのように表情を歪めた。


「――私、フィアじゃなくなっちゃいました」

「――」


 意味の分からない台詞。追い付かない理解が言葉の中身を聞き咎めたそのとき。


「――ッ⁉」


 その瞬間にそれを見咎めた。……フィアの目元。俺から一瞬遅れて。


「――」

「……おい、その眼……!」

「……私が以前に掛けられた儀式は」


 気づいたような二人にも向けて、フィアが静かに語っていく。……肌に入れられた皹。わけもなく悍ましいその光景。


「とっくに私の一部になっていたんです。私が自分を思い出す前から、少しずつ私を蝕んでいって」


 ――広がっていく。発される言葉に沿うように、罅割れが少しずつ。呟くような語り口。もう――と言い出した言葉の途中でふと、視線の向きを変えた。


「――ここで待っていてくれませんか? ジェインさん」

「……なに?」

「二人と一緒に。暫くの間動かないで」

「……」


 ……なにを言っているんだ?


 俺たちは全員で、ヴェイグたちと――!


「私はもうじき、フィア・カタストではなくなります」


 何事かを言おうとした俺の所作を、フィアのその言葉が差し止める。酷く落ち着き払っている、事実だけを告げる声。


「けれど私の呪いを使って、その力の方向性だけは定めておきますから」


 ……方向性。


「……ヴェイグたちと心中でもするつもりか」


 ジェインの言葉に静かに微笑む。その哀し気で儚げな笑みが、酷く目に焼き付く。一人で佇んでいる姿を前にして……。


「……なんでだ?」


 ――どうしようもなく、思いが零れた。……分かる。


 分かるのだ。その決意が、どれだけの苦しみと悲しみの上にあるか。


 分かってしまう。声から。表情から、仕草から、瞳から。……だから……。


「なんで俺に、話さなかった?」


 ――絶対にしたくない。


 あのとき俺はそう思ったのだ。血に塗れ、震えながらも独り立ったフィアを見た時に。……あの光景を、フィアを、もう二度と。


 なのに……。


「俺はそんなに頼りないのか? そんなに俺は、信用できないのか?」


 止めようのない思いが言葉の羅列となって喉を突く。……響きの残された自らの発言。


「俺は――‼」

「――黄泉示さんだって、私に隠し事をしてるじゃないですか」


 それが酷い自己矛盾だと気付いたのは、フィアの口からそのことを告げられる直前だった。


「――っ」


 …… な に ?


「……知ってるんですよ。私」


 訊き咎めた俺の前で、涙を湛え、唇が動く。


「その刀が黄泉示さんの生命を使って物を切るもので。……黄泉示さんが、それでもそれを使おうとしていること」

「……!」


 指摘された事実に心臓が跳ねる。――此処でそれを言われては。


 リゲルにも、ジェインにも――。


「……その話」


 予測に違うことなく、ジェインから飛ばされてきた声が鼓膜を揺さ振る。信じられないように俺を見るリゲルの瞳。


「マジか? 黄泉示」

「……それは」


 ……どうしてだ?


「……仕方ないだろ」


 ――考えていたはずだ。


 自分たちの置かれた状況と、できることとを考慮した上で。……考えた末に出した結論であったはずだ。問われても揺らぐことなどないはずの、誠実さを持った決断であるはずで。


 ……なのに、どうして俺は今。


 ――こんなにも、狼狽えている?


「これしか手はないんだ‼ 誰一人死なない為には、これしか――ッ‼‼」


 得も言われぬ情動に突き動かされるようにして叫び上げた直後。


「――」


 一歩近付いてきた白銀の髪が僅かに揺れる。動きに囚われて静止した頬を、伸びてきた手に強く打たれた。


「……なんなんですか黄泉示さんは」


 消えゆく衝撃の残滓。余韻に生まれてきた熱に、呆然と振り抜かれたその腕を見つめる。


「自分だけ死んで、私たちだけが生き残ればそれで満足なんですか? ……それで良いとでも、思ってるんですか?」


 責め立てる言葉は、一方的ではない。非難の言葉を口にする度、自分自身も同じだけ傷付いているようで。


「貴方がいなくなったら、……誰かが」


 耳に入る声に、次第に交じり始める、変化。……嗚咽。


「……私が。……私たちが悲しいとは、思わないんですか?」


 頬を伝って零される涙の珠を見て。……なお返せるだけの、言葉はなかった。


「……」

「……私か黄泉示さんの、どちらか一人が死なないといけないのなら」


 目元を拭うことなく、頬に残る涙の道筋をそのままにフィアが。


「私が死にます」


 強く言う。振り返り、立靡く髪に隠された背中を向けた。


「私の方はもう、手遅れですから」


 見えないように目元を拭い。指を濡らす涙を払う。空中に散らされるその飛沫。


「――さようなら黄泉示さん」


 肩越しに俺の方を振り返る。微かな、それは今にも消えてしまいそうな微笑み。


「――今まで本当に、ありがとうございました」



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