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第十八節 世界外

 

「――やあ」

「……」


 ――夜。大窓から見当たす街の灯りにも静けさが窺える頃。


「どうかな、調子の方は」


 就寝前に葵は訪問を受ける。……ヴェイグ・カーン。敵方の頭領であり、滅世を志すその男。


「不自由はしていないかい? 必要な物があれば、常識的な範囲であれば取り寄せられるよ」

「……いえ」


 相変わらずくたびれた上着を着ているその姿を、視界の端に留め置きながら葵は答える。始めは窮屈と感じた軟禁生活も、二週間近く続けば流石に慣れてくるというのが実情。


 そもそも葵が補佐官となってからの生活は基本的に本山での勤務を中心に回っており、そこまで外を飛び回るということはなかった。衣食住は完璧に保障されている空間。有数の高級ホテルということもあってアメニティや設備も充実しており、不足している物などあるはずもない。当然今の葵の心境では、到底それらのサービスを楽しむことなどできなかったが。


「何の用ですか?」


 端的に問う。初日に洞窟で言葉を交わして以降、ヴェイグは一度たりも葵の元を訪れたことはなかった。今頃になってただ様子だけ見に来たとは思えない。脱出は愚か、葵が抵抗の為の綻びすら見付けられていないことなど、この男には手に取るように分かっているはずだからだ。念には念を入れ、ということもあるのかもしれないが……。


「君に訊きたいことがあってね。夜分に済まないとは思ったが、それで訪ねさせてもらった」

「……訊きたいこと?」


 向き直った視界に収めるのはヴェイグの頷き。……嘘を吐いているような様子は見えない。この状況で、葵が尋ねられることとは。


「……蔭水黄泉示」


 切り出された文言は、葵の抱く期待に違わぬもの。


「彼が使っているあの呪文と刀について、何か知らないかい?」


 以前のように穏やかに。だがその中にも含まれている真剣な音色が、目の前の男にとっての事の重大さを示していた。


 ――全て、終わってしまったかと思っていた。


 ガイゲに言われた期日が為す術なく尽きた今。あの永久の魔の手によって、何もかも終わらされてしまったものだと。


「……勝ったのですか?」


 それでもまだ早い。希望の発する熱が表に出ないよう懸命に抑え込みながら、葵は恐れを忘れて訊く。


「彼らが、永久の魔に」

「……ああ」


 苦々しさだけではない。肯定するヴェイグの表情に浮かんだ、複雑な色彩の全ては葵には読み取れず。


 ――勝った。


 だとしても葵にはただそれだけで充分だった。……生き延びたのだ。彼らは。不可能と思えた脅威に打ち克って、今なお希望の灯を繋いでいる。


「だからこそ、君に彼のことを訊きたいんだ。櫻御門葵」


 蔭水黄泉示。生き残っているだろうメンバーの中で、なぜ彼の名前が挙がるのか葵には分からない。あの呪具と術の力。アイリーンへの対抗策でもあったあれらが、永久の魔との戦いにおいても効果を発揮したということだろうか。いずれにせよ。


「……君の立場からすれば、そう思うのは当然だろうが」


 やらなければならないことは決まっている。決め込んで口を噤んだ葵の内心を合わせた瞳から汲み取ったかのように、根気強い素振りでヴェイグが続ける。


「今後の戦いの為の情報を引き出そうとしてるわけじゃない。彼の使うあの二つの性質は、直に見た僕がよく分かっている」


 台詞に感じられるのは慎重に言葉を選んでいる態度と、葵にはそれが信じ難い事だったが、――僅かの焦り。あれだけの力を持ち、かつての会話でもあれだけの湛える余裕を見せていたヴェイグ・カーンが。


「あれを彼が手にしたルーツ、経緯が気になるんだ。……知っているのなら、教えて欲しい」


 焦っている。間違いなく。紡ぎ出される言の葉は問い掛けと言うよりも、半ば懇願に近いものであることを葵は悟っていた。今ならば情報の見返りとして、それなりのものを要求できてしまうのではないか。


「……なぜそんなことを?」


 そんな打算的な思い付きを押し退けて葵は問う。……このヴェイグをして、ここまで焦らせているものが何なのか。


 その正体にまるで思い当たりのないという事がとかく気に掛かっていたからだ。……永久の魔は間違いなくヴェイグたちの側にとっても最強の大ゴマ。それを討ち取られたことに対する焦りがあって当然と、そう片づけることもできなくはなかったが、それにしては。


「……」


 直ぐには答えない。ヴェイグは考えるように皺寄せた眉間で暫し、葵を見つめ。


「……僕らは皆、世界にいる」


 不意に視線を外し。窓の外を見て、独り言のように話し始めた。


「そこでは常にできるとできないとが付き纏っている。流動的な変化に連れて移ろい変わってはいくが、現理的にそれらは離れることがない。その事実のように」


 無造作にズボンのポケットに入れられた両掌。見つめる横顔にふと、葵は、ヴェイグが酷く疲れているのではないかと思った。


「僕らには現理的なないが備わっているように思える。それらをできるできないのための条件として解釈することもできるのかもしれないが」


 それはともかく、と呟いて。振り返るヴェイグの双眸が再び、葵を見た。


「その破れが齎されることがある。単なるできるできないの移り変わりではなく、本来的な状況そのものからの外れがね」


 聞き入るしかない葵を前にして、ふと。目に込められた力を抜いた。


「実演して見せようか。――君は、無があると思うかい?」


 窓から離れ、部屋の中央に。


「もう少し限定して言うなら、無を魔術で再現することができると思うかい?」

「……可能です」


 意図は分からない。しかし自分の求める答えに繋がっているだろう問いに、これまでに覚えた知識と発想を用いて葵は答える。


「再現することはできます。その方向に向けた感性の他、極度に高い魔力操作の能力と術式の構築力が必要になる上に、コスト対効果を考えれば実用的とは言えませんが」

「そうだろうね」


 葵の答えを予期していたように聞き流し。手に取ったのは硝子で作られた一個の花瓶。このホテルに相応しい、洗練された飾りを備えたそれが。


「――【失われし楽園】」

「――ッ⁉」


 直後に消え去った現象を目にして、葵は只々吃驚した。


 ……なんだ? 今のは?


「これが破れの一例。――【絶無】だよ、これは」


 困惑に投げられた答えと思しき言葉でさえも、今の葵の意識には割り入っていなかった。……絶無? ありえない。そんなことは。そんなことが、できるはずがないのだ。魔術では絶対に。しかし――。


「破れを『世界』が押し込めたカタチ。ただ、こういった世界の破れと僕たちが偶然に出遭うことはまずあり得ない。そこにはなにか、それに足るだけの事情があるはずなんだ」


 今のはどう見ても魔術だった。理解の追い付かない中でヴェイグは再び葵を見る。その強く黒い瞳で、正面から。


「僕はそれが何か知りたい。……なんでもいい。君が知っていることを、教えてくれないか?」


 聞かされた内容の全てが整理できたわけではない。


 見せられたのは未だ理解の追い付かない在り得ないこと。それでも目の前の男の態度からして、事の只事でなさだけは明確に感じ取れている。


「……あの呪文は」


 告げられた言葉の意図が言葉通りなら。


「賢王の知古であった逸れ者……エリティス・デ・テルボロフが彼に教授したものです」


 ヴェイグが知りたがっているのはあれらの出どころだ。性能に繋がるような話ではなく、ならば多少話したところでと、そう考えて葵は口を開く。下手に噤み続ければ強制的に自白させられる羽目になるやもしれず、この男に対してその前に舌を噛めるという自信が葵にはなかった。戦いの際に有利に働く情報を混ぜ込んでしまわないよう、注意しつつ選んだ言葉。


「《非存在のエリティス》か」


 その名前にヴェイグが頷くのを目にして、まず一つ安堵する。


「かなり長い活動歴を持つ『逸れ者』だね。以前報告を受けて、彼が君たちの側に着いているだろうことは把握していた。……だが一介の逸れ者に過ぎない彼が、なぜ……」

「……あの刀は、蔭水黄泉示の所有物です」


 考え込むようなヴェイグ。その仕草は気にはなるが、事が煩雑にならないうちに一息に終わらせてしまおうと葵は言葉を続ける。


「蔭水家に伝わる宝刀、『雪月花』の一振り。蔭水冥希が彼に渡したものだと聞いていますが」

「……そうだね。彼もそう言っていたし、僕の調べでもそうだった。次代の当主候補に向けて、不殺の心構えを示す為に贈られる……」


 そこで、息を吐いた。


「だがそれ以上の記録は遡れなかった。無理からぬことだろうが、蔭水家は随分と秘密主義の一族だったらしいよ。君たちが何か、独自に知っていることがあればと思ったんだが」


 尋ねられている。そのことを理解して記憶を辿る。上守支部長の報告書。彼らが本山に保護されてから調べた情報に、その後の戦いでの知見。


「……いえ、特には」

「……そうか」


 根こそぎ当たっても思い当たる節はない。選択の余地なくそう言わざるを得なかった葵の前で、暫し沈黙し。


「ありがとう。手間を取らせてしまって済まなかった」


 失望した様子も見せず、それ以上なにも訊くことなくヴェイグは歩き去っていく。ここを逃せばもう、対話の機会はないかもしれない。


 煤けたような汚れの見えるその背に声を掛けるべきかどうか。逡巡した葵が、それでも何か声を掛けようと唇を開いた。


「――滅世の用意はもう殆んど終わっている」


 正にその瞬間。先んじて葵の耳に届いたのは、かつてと変わらないヴェイグの声。


「勝つのが僕たちならば予定通り滅世は遂げられる。だが、もし君たちが勝ったなら」


 止まっているその踵は返されない。向けられている背中は揺るぎない壁などには見えないにも拘わらず、それでも対話の終わりを示しているのだと、葵にはなぜかはっきりと感じられた。


「世界と人はこれからも続いていくだろう。――六日目の朝が来たら、外に出てみると良い」


 ヴェイグがドアに手を賭ける。空いた隙間から差し込んでくるのは、柔らかな黄色の光。


「そのときにはもう君は自由だ。このホテルに掛けた術式も、効力が切れている頃合いになる」


 足が出る。扉が閉まる。背中を掻き消す静かなその音の残響を、暫くの間見つめたのち。


「……」


 バスローブ姿の葵は立ち上がる。グラスを取り出し、開封済みのボトルを開けて注がれていく水、泡の混じるその流れを目に映した。


 ――脱出は考えれば考えるほど不可能だった。


 同階には未だレジェンドたちが滞在している。葵たちのいるこのフロアを除いてホテルは平常通りに運転しており、一般の客も多い。……戦闘となれば周囲に巻き添えが出ることは必至。そもそも葵では相性差で勝るはずのヤマトにさえ勝つことは敵わなかった。抵抗は無意味な自殺行為だと分かっている。仮に彼らがいなかったとしても……。


「……」


 流れる水で口内を潤しながら、葵は目に映るそれを見遣る。仕掛けられた強力かつ高度な術式。室内だけでなく廊下、壁、天井、窓にまで。ホテルのそこかしこに張り巡らされているそれらは、最上級魔導師たる葵ですら半分もその内容が理解できないほどのもの。配置に穴はなく、以前丸一日を掛けて解析に努めてみたが、自分では手も足も出ないということしか分からなかった。ヴェイグの腕であれば当然悟られぬよう隠しておくこともできるだろうに、わざわざ葵の目に見えるように配置してあるその意味はいわば無言の勧告。ホテル外へ出ようとすれば即座に命を落とす羽目になると告げられていることは明らかだった。


「……」


 ――手詰まりだ。自分がどうしようもなくそれを認めざるを得ない状況に置かれていることを葵は自覚しつつあった。無論抵抗を諦めたわけではなく、堤を崩すために残りの時間を費やすという気概と覚悟はある。あるのだが。


 それでも如何ともし難いのではないかという予感を葵は消し切ることができないでいる。自分にできること全てを考えた上での八方塞。起死回生の手立てがあるかどうかは、最後のそのときになってみるまで分からないとはいえ。


「……」


 飲み干したグラスを置く。灯りを消し、慣れてしまったベッドに入る。深夜の調査はもう試した。気を張ってありもしない機会を窺うよりも、心身の充実に努めた方が賢明だという実情。今の自分には、そうするより他にない。溜め息を逃がすように布団を被り――


 ――子どもの頃。


 ふと、思い出す。……目を閉じている間に世界が無くなっていはしまいかと、無性に不安に駆られた頃があった。その度に掛かる布団を抱き寄せ、掻き集めた柔らかさと暖かみで懸命に忘れようとした。


 修練に明け暮れた日々が流れ、いつしか覚えることもなくなっていた感覚。今になってそれが思い出されたことに葵は何かしらの意味合いを感じざるを得ないような気を覚える。……まだ早い。


「……」


 だがその感覚まで思い出すことになる夜は、遠からず必ず来るのだ。幼き日に寄り添ってくれていた祖母のいない柔らかみに身を委ねて。


 葵は目を閉じ、眠りの中へ落ちていった。



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