第十七節 抱く決意
「……」
ひとまずの話を終え、フィアたちとも分かれ。
一人、俺は部屋の中で考えている。頭の内を巡るのは先ほど聞かされた話の内容。覚えていない間の出来事と、俺が見ていた夢について。
……あれは、なんだったんだ?
ただの夢ではないことは分かっていたが。……罠を仕掛けてくるようなものとは思っていなかった。あの男はあくまでも俺の夢の中の人物。守護霊などという台詞もあったし、どちらかと言えば好意的なものであるのかと。
それが明確な害意を以て現実にいる俺に干渉してきた。そのことに言いようのない不安が高まる。……殺される覚えなどない。俺があの男に何かしたわけでもなく、寧ろあの男の方から俺に絡んできているはずだ。それがなぜ、命を狙われるようなことにならなければならないのか。
……分からない。手掛かりが少なすぎる。夢の中にいるあの男は一体。
「……」
そして、……暴走。
言われた言葉を心の中で繰り返してみる。……自覚は全くないが、それがあったことは紛れもない事実として受け止めるしかない。疑い様もなかった。あの三人が、あそこまで真剣に言うのであれば。
「……っ」
……承知の上であの呪文を受け取ったはずだ。
リスクが付き纏うこと。円環と同じように、いや、場合によってはそれすら上回る危険性があることを、覚悟した上で。……あの時はそうだった。フィアを助けられる可能性が少しでもあるのなら。この先を切り開くため、現状を打ち破る為にどうしても無視できないものなのだと。
だがリスクが明らかになった今になってみると。……それを、明らかに受け入れられていない自分に気付かされる。――取り戻せたからだろうか?
フィアのいてくれる時間を。永久の魔を破り、これまで求めてきた明日が一瞬でも見えた気がした。……望んでいる日々。
恐ろしいからだろうか? 垣間見えたと思っていたそれが、全て幻で――。
希望も何もかも、失ってしまうことが……。
「……」
……知らず知らずのうちに得体の知れないものに取り囲まれ、蝕まれているような感覚に思わず自分の手を見る。……見慣れているはずなのに、今ではまるで違ってしまったように感じられる掌。
俺は……。
「――」
軽い打突音。思い悩みを断ち切るその音に、顔を上げる。
「黄泉示、いるか?」
「――ああ」
リゲル。正体を認めてドアを開けに寄る。過つはずもなく視界に入ってくるスーツ姿。
「……珍しいな」
取り敢えず中へと招き入れる。……俺の感覚から言えば、リゲルがこうして部屋を尋ねてくることは余りない。以前あったのはアイリーンの……。
「どうしたんだ? それで」
「……」
ドアを開けた時から無言だったリゲルが、俺を向く。眉根に寄せられたのは一瞬こちらがたじろぐような真剣な険しさ。……暴走の一件で何かあるのだろうか。そう考えた俺を、どこまでも済み渡るようなブルーの瞳で真っ直ぐに見つめ。
「――悪かった‼」
全ての予想を裏切って。激突するような勢いで、床に思い切り頭を打ち付けた。
「――っ⁉」
「……」
「……?」
「いってえ……!」
血の滲んだ額を押さえている。――それはそうだ。というか、なにをいきなり……。
「おい――」
「馬鹿だった、俺は……‼」
――大丈夫かと。声を掛けようとした俺より前に、その口から吐露される言葉。
「あの呪文の力を真に受けちまってた。ダチのことだってのに、深く考えもしねえで……ッ‼」
「……」
リゲルは頭を下げ続けている。その言葉。
「――」
「だから……」
その態度に。自分の中で変化を感じている俺の前で、顔を上げたリゲルは其処で一度、言葉を切り。
「――次の戦いじゃ、俺が決めるぜ」
不退転の覚悟と決意を示す面持ちで、宣言する。
「郭に新しい術式の開発を取りつけてきた。お前があの呪文を使う必要なんてねえ。レジェンドもヴェイグも、俺がきっちり仕留める」
拳を力強く握り、再び俺を見たのは底知れない熱を秘めた青の瞳。
「それで全部が終わったら、また飯でも食いに行こうぜ。皆で、一緒によ」
「……そうだな」
見つめ合う表情に。どちらからともなく、思わず笑った。
「……悪かったな」
幾許か笑い合ったのち、少し照れくさそうにリゲルが言う。
「疲れてるところに押し掛けちまって。なんか、いても立ってもいられなくなっちまって……」
「……いや」
鬱陶しく思う感情などどこにもない。……なにか吹っ切れたような。雲のない月夜を見ているような、爽快な気分。
「いいんだ。お蔭で俺も、すっきりした」
「そうか? もしそうなら、良かったんだけどよ……」
俺たちの間は少しぎくしゃくしていて、それでも不思議と居心地は悪くない。……何とも言えないその空気のまま。
「それじゃあ、また夕飯でな」
「おう!」
他愛もない会話を終えて、ドアから部屋の外まで。片手を上げて去っていくリゲルを見送る。その背中が振り返らないのを確かめてから、静かにドアを閉めた。
「……」
戻って再びベッドに腰掛ける。……悩む為ではなく、状況を整理するために。
――【終わりの言の葉】の力は、不可欠だ。
アイリーンや永久の魔の攻撃ですらほぼ無力化する絶対的なまでの防御能力。『破滅舞う破滅者の円環』の性能を引き出す為にも要る。そして、その力で終月を振るえば。
「――」
斃せる。ガイゲを始めとしたレジェンドであろうと、ヴェイグであろうと。永久の魔に通用したあの一撃なら、通るはず。
そしてそれ以外で彼らを斃す方法など、今の俺たちにあるだろうか?
「……」
あれば良い、とは思う。リゲルの言うように、本当にそれで片が付けられれば恐らくそれが一番なのだろう。だが。
あるとは思えない。レジェンドたちならまだともかく、ヴェイグの力はあの永久の魔と同格かそれ以上。リゲルのあの技は強力だが、それでも規格外の相手を斃すには至らなかった。
――ならば。
この状況の中で。俺に、必要なのは。
「……」
……できるのか?
俺には本当に、それが。
自問して逡巡する。迷いがあればしくじることになる。だがこのことで失敗は万一にも許されない。できないのなら――
――会いたい。
脈絡もなくふとそう思った。……フィアに。フィアに会ったのなら、きっと。
「……」
立ち上がる。半ば確信にも近い予感を懐に携えて。
誰もいない廊下へと。俺は、部屋を出た。
「……」
廊下を歩いて行くと、目的の場所はすぐに見つかる。ドアの前に立ち、迷いなく軽くノックした手。
「はい」
「――フィア」
聞こえてきた声に応える。寝てしまっていたらどうしようと思っていたが、まだ起きていてくれてよかった。
「あ、黄泉示さん⁉」
少し驚きを含んだ声に、何かどたばたとしている物音。少ししてから近付いてくる足音と共に、カチャリと音を立てて扉が開けられる。
「……どうしたんですか?」
「……なにが?」
少し乱れている白銀の髪。丸くして俺を見る翡翠色の瞳は、先ほどよりも僅かに潤んでいるように感じられる。部屋を訪ねただけでここまで驚かれるとは思っていなかったので、訊く。
「いえ……黄泉示さんから私を訪ねてくることって、そんなになかった気がしたので」
「……」
言われて思い返してみる。……確かにそうだ。今まで寝ているフィアを運んだり、体調が悪そうなフィアの様子を見に行ったりしたことはあったが、こうして起きてるフィア自身を訪ねるのは珍しい。というか初めてなような気さえする。
「……そうだったな」
「取り敢えず、入って下さい。廊下は冷えますし」
「ああ」
ありがとうと言って中に入る。各人に割り当てられた部屋の内装は別にどこも大きくは変わらない。それでもフィアが使っていると言うだけで、なにか自分の部屋とは全く違って見えてくる。……不思議だ。そんなに大して長くも使っていないはずなのに。
「それでえっと、どうしたんですか?」
「いや……」
――特に用件はない。
それが事実なわけだが、そんなことを言ってもしょうがないので、取り敢えずフィアを見ることにする。……滑らかな長い髪。日の光に煌めいている白銀は枝毛が出ていて少し乱れているが、部屋の明かりを映してどこか暖か気に見える。薄肌色をした肌は汚れてはいるものの綺麗で、少し下げられている眉も可愛らしい。いつまでも見ていられるようなのは、どこまでも透き通る翡翠色の――。
「えっと、……その」
瞳が落ち着かないように逸らされる。身体を隠すように斜を向き。
「……どうしてそんなにじっと見てるんですか? その、今は……」
「……フィア」
はい、と居住まいを正したフィアを見て。
「――抱き締めても良いか?」
出した言葉に、一瞬時間が止まった気がした。
「……本当にどうしたんですか?」
硬直が解けたように、まじまじと俺を見るフィア。
「思ったことを言っただけなんだ。駄目か?」
「……ええと」
見つめる先で。フィアはなんだか困っていると言うか、恥ずかしそうだ。
「実はその、私まだ、シャワーも浴びてなくて」
思い付いたように紡がれた言葉の感触は柔らかく、答えを決めている者の確証が交ざってはいない。
「さっきの戦いで服も汚れちゃってたりするので、……今は、タイミングが」
「……嫌なのか?」
嫌ならしない、というよりできない。その場合は残念だが仕方がないということになる。
「ええと……」
はっきりとした回答を迫る俺に、ちょっと困ったように。
「嫌ではないんですけど、その――」
――それだけ聞ければ充分だった。
「――」
一息に。互いの間の距離を消して、その背中に手を回す。
「黄泉示さ――あっ」
少し強く込めた力に連れて引き寄せた、フィアの唇から声が漏れる。痛くしないよう、気を付けながら更に身体を寄せ合わせた。
「……」
「……」
言葉はない。……だとしても、嫌な沈黙じゃない。
「……もう」
顎をくすぐるのはフィアの呆れたような、拗ねたような、それでも受け入れてくれたような声の音。
「……強引ですよ。黄泉示さん」
「……悪い」
言葉に応じるように少しだけ距離を離す。空いた隙間の中で、僅かに身じろぎしたフィアは。
「……もっと」
そこで言葉を止めて、言い直す。
「もう少しだけ強く、抱いてくれませんか?」
――ああ。
喜びと共に狭めた腕の輪。俺一人では決して生み得ない柔らかな暖かみは、更に強く身体を通じて俺の自己にまで伝わってくる。
……そうだ。
この笑顔の為ならば、俺は――。
「……黄泉示さん」
胸元から不意に響いたのは、フィアの声。
「……あの剣技……」
躊躇いがちに。しかし、それと決めたように出されたその言葉。
「刀の力はもう、使わないんですよね?」
「――」
……どうして、そんなことを訊く?
緊張に似た感覚を覚える。……あの代償のことは。二つ目の力の内容は、フィアには――。
「……ああ」
朧気な思考に浮かんだ戸惑いと迷い。それらを持てあましながらも、決めた心に沿って言葉を紡いだ。
「そのつもりだ」
「……」
俺の返した答えを受け止めた一瞬、フィアは、僅かに何かの表情を浮かべて。
「……それだけです」
もう一度身体を預けてきてくれる。そのことに、どこか胸を撫で下ろしている自分がいた。
「……」
――嘘だった。
もしその時が来たとすれば。……俺は、使うだろう。ヴェイグたちを斃す為に。例えそれで、死ぬことになったとしても。
――死ぬ。
改めてそう意識してみても怖くはなかった。フィアを。……リゲルを、ジェインを。死なせるわけにはいかない。
自分の身などどうでも良いというわけではない。命を投げ出すつもりもない。ただ。
共に戦って。それでもどうしようもなければ、仕方のない事ではないか?
全員で死ぬわけにもいかない。ヴェイグを止められなければ、何もかもそれで終わり。見す見すそれを看過するわけにもいかない。止めるための有力な手段があるのなら、如何に自分に掛かる負担が大きくとも、俺はそれを使う。使わないという選びはない。……それに。
「……」
フィアの髪へと下ろした視線。きめ細かに分かれているはずのそれらがぼやけていることに、霞んでいる視界を認める。……やはり、気のせいではなかった。
視力が落ちてきているのだ。円環の力を使わずとも疲労が常態化しているかのように、身体が重い。感覚も鈍ってきている。……先にはリゲルの発言をよく聞き取れなかった。これまでに積み重ね続けてきた無理の代償が、明確な形で出始めているのだろう。
――俺に先はない。
今度のヴェイグたちとの戦いで。……例え終月の力を使わなかったとしても、俺は。
「……黄泉示さん」
「……どうした?」
抱き締めたままで訊く。身体全体に伝わる柔らかな暖かさ。声の染み入る少しの間があって。
「……なんでもありませんっ」
笑顔を想起させる声に連れて、暖かい感触が一層強く抱き締めた。




