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第十六節 賢慮

 

「……どうでしたか?」


 ひとまずの話し合いを終え。


「僕の術式は。少しは役に立ちましたか?」

「……おう」


 治癒室に戻る郭を送る最中。掛けられた声にリゲルは答える。自分から言わなければならなかったことを先に言わせてしまった事実に、僅かの自責の念を覚えながらも。


「滅茶苦茶頼りになったぜ。最後に永久の魔を押さえ付けられたのも、そのお蔭だったしな」

「そうですか。なら、何よりです」


 そうこうしている内に治癒室に着く。見慣れた扉を開けて、何かあれば直ぐに動ける用意をしつつ、ベッドに腰を下ろす郭を見た。


「……まあ」


 整えられていないせいで乱れている髪の間から、瞳が覗く。


「そんな顔で言われると、素直に喜んでいいのか迷うところですがね。……彼の、暴走と言うのは」


 眼差しに内心が表情に出ていたことを知ったリゲルに対し、言葉を切りつつ尋ねてくる郭。熱があるのか、少し頬が上気している。


「そこまで酷いものだったんですか?」

「……まあな」


 リゲルは頷く。……郭が先に聞かされたのは理屈で筋道立てられたジェインの話。あれだけでは分からなかったとしても不思議はないだろう。当人の体感した実感というものが、あの話からは意図的に削ぎ落とされていたからだ。


「なんつうか、さっぱり戦えるイメージが湧かねえんだよ」


 対照的に当事者であるリゲルにとってみれば、敢えて思い起こすまでもなく焼き付いていることと言えた。……正面からアレと向き合ったときの感覚。敢えて言うならば、広がる夜の闇を目にした時の感覚に近い。触れられるような何かはなにもなく、それでいて確かに眼前にはあるというあの矛盾。勝ち負けを語るより前にどうしたら戦いになるのかが分からない。全霊の蔭水冥希や賢王でさえ、どう対処するのかがリゲルには想像できないでいた。……レイルでさえも。


「逃げるしかねえってのが嫌ってほど分かる。これは、絶対に敵わねえってな」


 おかしな話ではある。だがしかし、逆にあれを相手取れていたことで永久の魔の異常性をよく再確認させられるのだ。これまででも近くであの術を目にすることはあったものの、あそこまでの脅威を感じ取ることはなかった。味方であり、友である黄泉示が使い手であるということが大きかったのだと今更ながらに思わされる。黄泉示が意識を失った状態でいざ相対してみれば、その実あそこまで恐ろしいものだったとは。


「……そうですか」

「ああ」


 ――次はない。


 郭の呟きを耳にリゲルはそのことを強く意識する。次にあの魔術が暴走したならば、リゲルを始めとした三人に抗える術はない。そもそも今回戻れたこと自体が紛れもない幸運なのだ。何か一つでも間違えばあのまま戻れなかったのかもしれない。何にも気付かないまま手遅れになっていたかもしれないという、如何ともし難く脳裏に過るその最悪の想像に。


「――ッ」 


 思わず拳を握った、胸中に込み上げてくる怒り。


「あの野郎……」


 エリティス・デ・テルボロフ。協力的な素振りをしていたあの逸れ者の姿を思うと、言葉にどうしようもなく怒気が籠る。


「よくもあんな術を掴ませやがって」

「……まあ、一概に責めることもできないでしょうね」


 リゲルの声と対照的に。郭の声は疲れてはいるものの、驚くほど落ち着いていた。


「あの魔術のお蔭で打開策が見いだせたことは事実です。言うまでもなく、貴方たちが一番分かっていることでしょうが」

「……ああ、そうだな」


 エリティスの術で光明が開けたのだということはリゲルとて重々承知している。……あの魔術のお蔭でリゲルたちはアイリーンへの対抗を認めさせることができた。結果としてフィアを助け出し、永久の魔にすら勝利することができている。危険性があることを一応とはいえ黄泉示に伝えていた以上、厳密に言うならば、裏切りとすら言えない行為なのかもしれない。


 だが、それでもやはり。


 実際に起こされた危険の大きさを考えると。……そのつけ込んだような遣り口が、リゲルにはどうしても赦せないのだ。


「……あの呪文にリスクがあることを」


 黄泉示だけではなく、せめて自分たちにも伝えると言う考えはなかったのか? そんなことを思うリゲルの耳に入る、郭の声。


「全く考えもしなかったんですか? カタストさんはともかく、貴方やレトビックは頭が回っても良さそうなものでしたが」

「……あの指輪の力で抑えられるんじゃねえかって話してたんだよ」


 以前ジェインとした話をリゲルは覚えている。あの時はまさか、こんなことになるとは思いもしていなかった。


「あんときはエリティスのことも疑ってなかったしな。正直、ここまでのもんだとは――」

「――彼がそこまで愚かだったとは意外ですね」


 意識を打つ、一転して冷ややかな声。


「蔭水黄泉示が使っている魔術に【侵食】の系統が組み込まれていることは明らかでした。能力の強化で進行を遅らせられたとしても、あの手の術法の影響を帳消しにすることはできません」


 リゲルは耳を疑う。郭の口から語られている、その内容は。


「……おい」

「蔭水黄泉示はもう、二度とあの術の影響から抜け出せないでしょう。あれだけ書庫を漁っていた彼なら、気付いて良さそうなものですが」


 遮りを無視してなお紡がれた言葉は皮肉気な口調で幕を閉じる。……冷淡なその横顔。


「……どういうことだ?」

「――僕は知っていたんですよ」


 ――違う。先に郭が言っていたこととは。満を持して放たれたその台詞に、死角から放たれたフックを受けたかのような衝撃をリゲルは覚えた。


「彼の扱う呪文のリスクについて。大凡ですがね。――僕は賢者見習いですよ? あの呪文がただの強化系統でないことくらい、一目見れば分かります」


 リゲルへと向き直った郭。開き直りとも違うような、不思議なその表情。


「……まあ、葵さんは気付かなかったかもしれませんね。補佐官と雖も、禁忌にある程度の造詣がなければ――」

「ッならなんで――」

「必要だったので」


 返される答えは恐ろしく短く、そして冷たい。


「アイリーンを倒し、カタストさんを助け出す為に。これから先、永久の魔やレジェンドを始めとした敵と渡り合っていく為には」


 リゲルに突き付けられるのは、揺るぎのない――強い瞳。そこで少し目元を緩め、ふっと嗤うようにして先を続ける。


「エリティスは協会に属さない『逸れ者』です。禁術の研究をしているという噂も聞いていましたし、あるんですよ。禁術師が、何も知らないような一般人を自分たちが持っている術法の実験台として使う話は」


 貴方たちは知らなかったでしょうがと言うように。


「僕は先の戦いの事を考えて、そのことを貴方たちに伝えませんでした。あの呪文が戦力として、僕たちには必要だと思ったからです。彼に多少のリスクを背負ってもらうとしても」

「――」

「――まあ、本当に誰も気付いていなかったのには苦笑しますが」


 止まらない。言葉を失っているリゲルの前で、全ての膿を吐き出すように郭は朗々と喋り続ける。慮りなど。


「呆れますよ。あれだけ仲間だのなんだの言っておいて、掛かる代償一つ想定できないとは。本当になにもないと思っていたのなら、大層都合のいい考え方――」


 何もない。ただひたすらに傷口を抉り怒りを掻き立てるようなその台詞、口振りに。


「――」


 ――思わずして胸ぐらを掴んだ。喧嘩相手にするように布地を捻じり上げている、その自分をリゲルは一瞬遅れてから自覚する。


「……ッ」

「……殴りますか? 僕を」


 背丈の差もあって、半分釣りあげられているような。力任せに扱われている郭は、嫌に平静で。


「好きにして下さい。僕も、貴方に赦されるようなことをしたとは思っていません」


 その目元に僅かな変化を見て取った時に、郭が顔を背けた。


「……間違ったことをしたとも、思っていませんから」

「……」


 次第に荒げられる呼吸。幾許かの時間が過ぎ。


「……間違ってねえよ」


 絞るような声を口にして、リゲルは郭を掴んでいる腕を離す。


「間違ってねえさ、お前は。けどよ……」


 言葉にならない。乱れ皴の出来た胸元を直そうともしない郭との間には、只々沈黙が横たわり。


「……」

「……郭」

「……なんですか」


 答えてきた声音に険はない。そのことをせめてもの縁として。


「――頼みてえことがある」


 案を示す。それから幾許か郭と話し込んだあと。――リゲルは一人、足早に部屋を出て行った。



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