第十五節 欠落
……。
「……蔭水」
……。
「蔭水‼」
「っ⁉」
呼び掛けに跳ね起きる。見えたのは地平線の向こうにまで広がっている青い空。浮かぶ白い雲が、やけにくっきりと映えていて。
「う……」
「……大丈夫か?」
瞬く目でジェインの姿を認め、状態を確認する。……身体中を覆っている鈍痛。掌に突いている柔らかな感触は、普段足下にあるはずの土の感触だ。倒れ込んでしまったのか? 俺は。
「……黄泉示さん」
「……フィア」
ヴェイグが去ってからの記憶がない。またフィアが治癒を掛けてくれたのかと、空白を埋める推測を働かせながら立ち上がろうとしたそのとき。
「っ……⁉」
「……!」
不意に飛び込んできた柔らかな感触に目を奪われる。……回した両腕でしがみ付くように抱き付いて。そのまま強く抱き締めてくる彼女に、何も言えない。
「……フィア」
「……」
尋ねてもフィアは顔を上げてはくれない。……俺の倒れている間に、なにがあった?
「……黄泉示」
「……リゲル」
状況の説明を訊こうとして、目に止める。
「……どうしたんだ? サングラス」
さっきまで掛けていたはずのそれがない。ふと見れば、見覚えのある形が蔓の曲げられたまま足元に転がっていた。
「――っ!」
「ッ――⁉」
俺の問い掛けには答えず、地面を殴り付けたリゲルのその所作に当惑する。
「……あの糞野郎が‼」
「……取り敢えず、支部に戻ろう」
リゲルのその憤激を抑えるように、ジェインが言った。
「何があったのかは、そこで話す」
「……ああ」
「……暴走?」
支部に帰還した後。
「ああ」
律儀に起きて待っていたらしい郭を交えて。告げられたのは、思いもしなかったその一言。此方を見るのはジェインのいつもに増して真剣な眼差し。……突然のこと過ぎてどう受け止めればいいのか分からない。ただそれでも、冗談を言っているようには聞こえなかった。
「それ以外に言いようがない。魔術が術者の意志を離れて、独りでに効力を発揮した」
ジェインの目が険しさを増す。
「呪文のリスクについて、エリティスさんから何か聞いていないか?」
「……」
自分の意志でと言うよりも、置かれた状況に促されるようにして記憶を探る。
「……具体的には。ただ、危険性はあるようなことは――」
「――知らなかったわけねえだろ」
遮ったリゲル。
「押しつけたんだよあの野郎は。何食わぬ顔で、リスキーな呪文を黄泉示に」
激昂でない。それでいて確かな凄味のある剣幕。声に秘められているのが生半可な怒りではないと知っているからこそ、思い付きで口を挟むことはできなかった。
「専門家の観点から聞いて、分かることはあるか?」
「……彼が意識を失っていたとき」
深く椅子に腰かけている郭が、黙ったままのフィアに目を遣りつつ言う。
「貴方たち三人は襲われたんですよね? 暴走していた術に」
「……そうだ」
「思うにその呪文は強化系統ではなく、憑依に近いのではないかと」
――憑依?
「……どういうことだ?」
嫌でも不吉を連想させる単語に、思わず尋ねた声が震えた。
「僕と同じく賢者見習いだった、三千風零」
そんな俺に対し、郭は至極冷静とした語調で言葉を紡ぐ。
「『アポカリプスの眼』として彼が使っていた禁術が憑依術です。召喚させた異形を自らの肉体に憑依させ、一時的にその異形の力を我が物とする。成功すればその効果は絶大ですが、それを踏まえてなお協会が禁術に指定しているのは暴走のリスクがあるため」
其処まで言ってここからが本題だというように、一つ咳払いをし。
「召喚した異形の制御を術者が誤ったとき、術者の肉体と意識は憑依させた異形に乗っ取られ、異形の鬱憤のままに暴走する。今回の貴方のケースとよく似ていると思いませんか?」
……確かに似ているように思える。少なくとも聞いた限りでは。だが……。
「流石に呪文で何かが出て来てんなら、幾らなんでも気付くだろ」
リゲルの突っ込みが俺の意見を代言する。……そうだ。これまでで何回も使っているが、あの呪文のどこにもそんなモノが出てくるような様子はなかった。仮に知らぬ間に何かが出て来ていたのだとしても、俺には到底それを制御する力や技術などない。
「そうですね。だから貴方のあの呪文は【召喚】ではなく、【契約】との複合魔術なのではないかと考えています」
……契約?
「典型的な黒魔術のイメージで、悪魔と契約を交わすというものがあるでしょう? 端的に言ってしまえばあれです」
さも当然かのように言ってのける郭。……魔女狩りの名分にもなったと言う、あれか。
「異形の存在と契約を交わし、対価を支払う代わりに何かしらの恩恵を受ける。この技法も協会によって禁術に指定されています。分を弁えない愚かな取引をした連中によって起こされた面倒は、歴史の中にそれこそ山のようにあるので。高い知能を持った異形が相手なら、契約自体を悪意的に利用されることもあり得ますし」
「……待ってくれ。素人考えかもしれないが、召喚を介さずに憑依を行わせるということが可能なのか? 僕も幾つか文献を読んだが……」
「難しいとは思いますが、不可能ではない、と言うしかありませんね。《非存在のエリティス》は少なくとも百年以上逸れ者として禁術の研究をしてきているはずですし、契約先の異形の格によっては――」
〝……それは〟
専門的な話に入る二人の前で脳裏に木霊すのは、かつてエリティスさんから告げられたあの言葉。
〝――悪魔に魂を売り渡してでも?〟
……あれは、そういう意味だったのか?
悪魔のような異形に自らを捧げることになってでも。フィアを、助けたいかという……。
「――明確な対処法はないということか?」
「難しいですね」
会話の続きが飛び込んでくる。
「アイリーン戦での使用から間が空いています。今になって影響が出たと言うことは、時の経過で回復されるタイプではないのでしょう。恐らく使用に伴って影響が積み上げられていくタイプのもの、そして」
郭の眼が再び見たのは俺。
「一定限度を超えたところで具体的な影響が出始めるのだと思います。今回の貴方のように」
「……永久の魔の一撃で蔭水は元に戻った」
ジェインが続ける。
「影響の蓄積まで消えたという可能性は?」
「分かりませんね。それが起きていれば幸運ですが、当てにして動くのは難しいでしょう。一度症状が出た以上、次に使えばまた同じことになると考えて動いた方が賢明です」
「え……⁉」
郭の言葉の意味。そこまでは頭の回っていなかったその内容。
「……やはりそうなるか」
「ええ。仮に蓄積型ではなくて使い過ぎによるものだったとしても、そう変わりません。聞いたところでは、そのリスクは背負うには大き過ぎる」
「……っ」
言葉もない。ジェインが、狼狽えている俺を見た。
「次に君があの状態になれば、今度は戻れるかどうか分からない」
粛々と。レンズの奥から合わせられた目は、真剣そのもので。
「あの術の発動は可能な限り控える必要がある。本当の最後、他に手が無くなって初めて使うべき代物だ」
……それは分かる。
ジェインの言っていることは。確かにそれが賢明なのだろう。起きるか分からない暴走のリスクを負って戦うのは、味方の中に爆弾を抱え込むようなもの。
……だが。
同時に強く思う。あの術がなければ、俺は……。
「――ヴェイグが言った期限まであと七日ある」
俺から向き直ったジェインが、全員に向けて話す。
「できる限り調べてみよう。あの呪文の件についても、無論、それ以外も」
「それは結構ですが」
郭の眼が俺たちを見渡す。
「今日くらいは休んだ方が良いんじゃないですか。見ていると相当に疲れているようですし、僕も、喋っていて少し疲れました」
「……そうだな」
いつものように話せてはいるものの、リゲルを始めとした全員に消耗は見える。……黙っているままのフィアも、かなり疲れているようだ。
「夕飯まで各自休もう。話の続きはまた、そのあとに」




