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第十三節 暗転

 

「――ッッ‼」


 刀身に受けた確かな手応えを迎え、振り抜き切った感触を覚える。


「――」


 黒金の一閃が通過したのは邪気に覆われたその剣。目を見開いた永久の魔がゆっくりと崩れゆく、その動きに合わせるかのようにして二つに分かれ。


「……っ」


 倒れると同時に地に落ちた。重々しいその音を追って凝視する。……再生していない。真っ直ぐに刻まれた傷口からは滔々と、濃い霧のような邪気が溢れ出していく。


「……私が、破れるとはな」


 凝然として見入るその先で、動く口元。届く声は身を震わせるような威厳を保ってはいるものの、先ほどまでのような物理的な重々しさは感じずに。


「お前たちは……」


 俺を見、拳を突き出したままのリゲルに移された視線が。


「……いや」


 静かに、受け入れるようにして閉じた。


「言葉にするまでもない、か……」

「……」


 大の字に。転がる力の抜けたその姿を前にして――。


「……やった」

「ウッシャアアアアアア‼」


 ――漸く実感が湧き上がってきた。呟いたと同時、握り固めた拳でガッツポーズを取ったリゲルと目が合う。


「……リゲル」

「黄泉示! んな隠し玉があるんなら言っとけよ‼」

「そっちこそ。必殺技があそこまで凄いなんて、聞いてないぞ」


 見つめ合い、どちらからともなく口元が上がる。零れ出る笑い――。


「はは……」

「ははははは」

「はっはっはっはははイテッ‼ つう――!」

「――っ」


 腹を押さえて丸く蹲ったリゲル。声を掛ける余地もなく込み上げてきた吐き気に、俯いた口を押さえる。……身体の奥が……。


「……その傷ではしゃぐからだ」

「す、直ぐ治癒します!」


 ひっくり返り、混ぜ返されているようだ。動けないでいる俺たちに近付いてきていたジェインも含めた、全員を柔らかなフィアの光が癒していく。……体の怠さがマシになり、渦巻いていた吐き気が治まった。


「……助かったぜ」

「……ああ、ありが――」


 生き返った気分に礼を言おうとしたそのときに、――掴まれているその腕が、眼に留まる。鮮やかなほど綺麗に切り取られた――。


「……フィア、それは」

「……あ、大丈夫です。少ししたら元通りにくっ付いちゃいますから」


 左腕。自身のそれを手に小さく笑ってみせるフィア。……肩近くに入れられた一筋の血の色が示すこと。とてもではないが納得など出来ないその痛みに、唇を噛み締める。


「……済まない。最初から俺が、決意して……」

「……いや」


 ジェインが土塗れになった眼鏡を拭いながら言う。


「初めの段階であれを使っていれば、途中で抜けられていたかもしれない。永久の魔が蔭水の勝負を受けてくれたお蔭で、全員の連繋が間に合ったからな」

「……ま、そうだな。先輩のあの丸薬に、フィアが治癒を掛けてくれなかったら、流石に俺も二回目は撃てなかったかもしれねえ」

「いえ。それは……」

「カタストさん」


 丹念に拭き……漸く綺麗になったレンズ。眼鏡を掛け直し、いつものようにジェインが押し上げた。


「僕も鬼じゃない。世の中には、知らない方が良いこともあるんだ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。――心配要らない。命を救った礼として、あいつには後々孤児院の庭仕事でもしてもらうさ。ただ働きで、朝から晩までな」

「……聞こえてんぞジェイン」

「……ははっ」


 笑いが漏れる。……そうだ。


 ――俺たちは、あの永久の魔を倒したのだ。


 一時は絶望的だと思ったこの相手を、全員の力で。……この三人が一緒なら、なんだってできるような気がする。そんなことはないのだと分かってはいても、今は、どうしてもそんな気分だった。


「……一旦戻ろう」


 興奮の冷めない中で。あくまでも冷静に頭を働かせた口調で言ったジェイン。


「深手は塞いだとはいえ、全員酷く消耗している。早目に休息をとった方が良い」


 ――それはそうだ。こうしている今も、妙な寒気のような感覚が全身を覆っている。じっとりと吹き出て来る汗が衣服を不快な重荷に変えているかのようだ。……休むに越したことはない。唯一問題があるとすれば……。


「えっと……」

「こいつはこのままで大丈夫なのかよ」

「……恐らくだがな」


 俺たちの視線の先にいるのは、目を閉じ沈黙している永久の魔。……動きはなく、戦える状態には見えないものの、完全に消滅してはいない。傷口から虚空に流れ続けている邪気……。


「再生していない以上、このままなら力を使い果たして消滅するはずだ。止めを刺そうにも、僕らの側に余力が残っていない」


 それは確かに。俺たちの側の誰ももう、戦えるだけの魔力体力などは残っていないだろう。……消滅。


「……」

「放置しかないだろう。それに――」


 どことなくやり切れない思いを抱く俺の前で。眼鏡を押し上げながら、ジェインが続けて何かを言い掛けたそのとき。


「――」


 不意に。それまで柩のように閉じていた永久の魔の双眸が開かれる。何かを探しているような眼差し。思いがけない変化に一瞬の気を取られ。


「――ッ⁉」

「黄泉示さんッッ‼」


 リゲルが構える。フィアが叫ぶ。俺ではない、見つめるその方角を振り向いた先に。


 何時の間にか、一人の人物が立っていた。







 ……誰だ?


 何よりもまず始めにそのことを思わされる。……ボサボサの黒髪に丸眼鏡。くたびれた服。


「……こうなるとは思っていなかったよ」


 俺たちの驚愕など目に入らないかのように。小さく息を吐いた男は両手を上着のポケットに入れたまま、どこまでも無造作に近付いてくる。


「まさか貴方が敗れるとはね。永久の魔」

「……ヴェイグ」


 ……ヴェイグ?


 耳にした名前。その言葉の持つ意味に、数瞬ほど遅れて気付かされた。


「……随分と清々しい顔をしているように感じる」


 ――ヴェイグ⁉ 父たちアポカリプスの眼らを束ねていたリーダーであり、レジェンドと共に俺たちの最後の敵になるだろう人物。滅世の首謀者、ヴェイグ・カーン。


「彼らに撃ち破られたことが、そんなにも嬉しかったのかい?」

「……さあな」


 この男が? 俺たちの反応をまるで無視して永久の魔に語り掛けている、その様子から覇気や力などはまるで感じない。……今のこの俺ですら倒せてしまうのではないかと、本気でそんなことを考えてしまうくらいは無力に見える。


 ……だが……。


「……」


 永久の魔が。あの永久の魔が、話している。


 認めているのだ。自分と平然と言葉を交わすことのできる相手。この男を、ヴェイグ・カーンだと。


 それが何よりの――


「――!」

「――きゃあッ⁉」


 不意の爆炎。十メートルほど離れた場所から火の手が上がり、狂ったような風が吹き付ける。


「ッ――なんだってんだ⁉」

「これは――‼」


 見上げた空に雲を描いて飛ぶ鉄の機体群。地平線の向こう側に居並んだ、鉄のカタマリたちが見えた。


「……ミサイル?」


 戦車。その後ろに、凄まじい数の歩兵が見える。


「……来たね」


 嘆息して、男が俺たちに背を向けて歩き出す。――此方へ砲塔を向けている軍隊の方へ、それが当然であるかのように、前へと。


「下がっているといい」


 打てる手は全て失っている。何をしたらいいのかも分からない。


 それでもどうにか動こうとした所作が、男の一言に止められた。


「君たちでは手に余る。彼を相手にした後では、尚更に」


 歩いて行く。その所作を、止めることができない――。


「――やあ。連合の諸君」


 声が通る。魔術を用いているのか、拡声器を通したかのように増幅された声量が、風に伸ばされる波のような勢いで辺り一帯に広がっていく。


「機関から聞いているかな? 僕が『アポカリプスの眼』の首領、ヴェイグ・カーンだ」


 送る言葉に当然の如く答えなど返っては来ない。何事も起きない沈黙。しかしその中で、見えないざわめきが広まっているような感覚を覚えた。


「流石にあれだけ派手にやったなら君たちでも場所を掴めるか。――大した数だね。当の自分たちの命が天秤に乗ったなら、これだけ早く対応ができるとは驚くよ」


 言いつつさらに一歩前へ出るヴェイグ。


「君たちはこれまでに、どれだけの他者を排してきた?」


 語り掛けが、風に乗って届く。


「その兵器で今までに流させた血と涙を、君たちは覚えているのかい? 用意された娯楽やプライドで覆い隠してしまってはいないかい? 自分たちが何のために使われているか、考えたことは――」


 唸りを上げて前方の一台から噴き上げられた轟き。殆んど同時に空中で上げられた爆炎が、流れる血をぶちまけるように細かに散乱して地を抉る。……俺たちのいる遥か前方で何かに遮られた砲弾は、そよぐ風の一片ですらヴェイグに届かせることはない。


「……そうだろうね。人にはそれができてしまう。見ないことが、忘れることが、気付かないことが、目に見えている以上、考えようとしないことが」


 会話を拒絶する相手には届かないと知っていてなお声を上げるような。それはどこまでも、悲しみを含んだ声で。


「仕方のない事なのかもしれない。――それでもやはり、君たちはやってきたんだ」


 一つの力強さがそこに加わった矢先、呼応するように群れ為す軍勢が砲塔を上げた。


「その帰責の結末を、君たちに向けて投げ返そう」


 ――来る。全身で直感する。数瞬後には視界を埋め尽くす一斉の砲撃が。展開した攻撃機から降り注ぐ雨霰のようなミサイルと爆撃は地形を変えて、その余波で俺たちを跡形もなく吹き飛ばすだろう。正に塵のように仕方なく。彼らからしてみれば、俺たちの犠牲など何の――。


「――【失われし楽園(Lost Eden)】」


 その疑い様のない確信が、なくなった。


「……え?」


 脳を襲う唐突な変化に眼を瞬かせる。……消えた。あれだけいたはずの軍隊が。跡形もなく、綺麗さっぱりと。


 見えなかった。聞こえなかった。何も感じはしなかった。


 ただ天と地を隈なく覆っていたはずの軍勢が消え去って。……その他一切が変わりなく、どこまでも続いているかのような大地と青空だけが広がっている。


「――さて」


 呟かれた声で我に返る。振り返り、何事もなかったかのように此方に歩いてきていたヴェイグ・カーン。


「続きを話そうか。さっきので分かったかもしれないが、今日ここに来たのは本来私の予定にはないことでね。時間も余りないから、ここで君たちをどうこうするつもりはない」


 その視線が、チラリとどこかを向く。


「……仮にそうしようとしても、彼がそれを許さないだろう」


 その言葉で追う前に分かる。地面に斃れているままの、永久の魔。


「私としてもかつての同志との衝突は避けたい。だから、宣告にしよう」


 咳払いをして。その黒い瞳が、真っ直ぐに俺たちを見つめた。


「――私は世界を滅ぼす」


 強く、明確なその言葉。


「術式の完成は七日後。起動の準備には前兆があるからどこにいようと直ぐに分かる。止めたいなら起動が終わる前に来ることだ。私は、そこにいる」


 はっきりとそれだけを述べて――ヴェイグが歩き去っていく。動くことのできない俺たちを追い越し、更に遠ざかり――。


「――希望と可能性とは罠だ」


 告げられた言葉に振り返った、視界に映り込む男の背中。


「囚われれば抜け出せなくなる。犯された過ちに目を瞑って、また同じことを繰り返すだろう」

「……そうだろうな」


 答える声。その反応で漸く、ヴェイグが永久の魔に言っているのだと気付く。


「だが今は、彼らを否定したくない」

「……そうか」


 再開した足音が遠ざかっていく。遠く遠く、次第に離れ――。


「――ヴェイグ・カーン」


 その姿が消え去らないうちに、永久の魔から、声が響いた。


「……」

「……お前は」


 何を言うのだろうかと意識を向けた先。


「お前は、間違っていない」

「……ああ」


 応えるヴェイグ。振り返らず、背中を向けたまま。


「……ありがとう」


 今度こそ足を止めずに、歩み去っていった。……ヴェイグの姿が消える。


「……ふぅ」

「……行ったな」


 それを確認して、金縛りが解けたかのように唾を呑んだ。緊張を解くリゲル、ジェイン。フィアも、腕を下ろしている。


「……あれが……」

「……ヴェイグ・カーンか」


 恐ろしい業だった。……あれだけの軍隊を一瞬で。対策などまるで見当もつかない、それでも乗り越えなければならない、最後の壁。


 だが……。


「……」


 ……倒したのだ。


 嘘のような静けさの中でじわじわと蘇ってくる感情。……あの永久の魔を、どうにか。最後に思わぬ不意打ちはあったが、何はともあれ、これで。


 次に――。


「……っ」


 不意にくらついた視界に合わせて、蹌踉めく足取り。……疲れのせいだろうか? 傷は癒してもらったはずなのに、なにか、眩暈がする。


「……黄泉示さん?」

「ああ、大丈夫だ」


 答えて込めた力で身体を支えようとした瞬間、ズキリとした痛みが走る。……表面ではなく、頭の奥で断続して続く鈍い響き。


「蔭水?」


 そのせいで掛けられた声に応えられない。這い上がってくるような寒気と共に、手と足から熱が消えていく。知らずのうちに地面を向いていた視界が、端から黒く食み進まれていく。


「おい、黄泉示――」


 ――黒が、黒で、黒く、黒に。何もかもが、同じ色に塗り潰され。


「黄泉示さんッッ‼」


 劈くようなその悲鳴を最後に。意識が、完全に途絶した。



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