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第十一節 応え

 

「――」


 眼に止める緩慢な所作。立ち上がり、構えを取った。――瞬間。


 起こる凄まじい力の流動に永久の魔は小さく眉を動かす。周囲を覆い行く魔力の流れ。人一人が出し得るには過ぎると思われる力の波が。


「ウオオオオオオオラァアアアアアアアアッッ‼‼」


 強く握り締められたその一点に収束され、螺旋の奔流を描き出している。踏込みと共に吼え轟くは裂帛の気勢。ステップから放たれたどこまでも捻りない右拳の一撃が瞳を射り、手向けのつもりで送った剣閃をその背後へ優に踏み越えて。弾くような輝きで纏う邪気を消し飛ばし――。


「――」


 乾坤一擲。撃ち出された男の拳が、永久の魔の肉体に直撃した。


「――っ」


 ――重い。


 まず初めに認識するのはそのこと。……視界の端に捉えた景色が力の余波に滲んで映るほど。大気を捻じ曲げ、歪めている強大な圧力。引き込み圧潰させようとする威力へ向かい脚に思わず力が籠るのを自覚する。しかも――。


 ――あの少女のものとは違う。拳に纏わされた純然たる神聖の光を目にした、永久の魔はそれを認める。……放つ光の輝きは比して弱く、量質共に先の魔力には及ばないが。


 それを補って余りあるほどの緻密さと複雑さで以て組み上げられている。永久の魔の目に映るのは異なる方向と力とを付与された無数とも言える魔力の流路。幾重にも絡み合い重なり合ったそれらが向けられているのはただ一点、男の握る拳の先。――集中突破。


「オオオオオオオオオオァッッ‼」


 ごく狭範囲に絞り込まれた神聖の属性は紛れもなく彼我の力量差を踏まえて構築されたものであり、その全てを収束させて極限にまで突破力を高めている。破れかぶれの力任せでも、我武者羅の突貫でもない。雄叫びに連れて更に強く押し込まれていく拳。……負の情念に浸り切ったこの肉体に痛覚はない。


「……」


 しかしそれでも。自らの表皮が僅かに撓まされているという現実は、言い得ぬ奇妙な感覚となって永久の魔にも理解することができていた。――男は身体の中心線、真芯に拳を撃ち込んできている。人間であれば急所と言えるその部位を過たず外さず、ともすればずれ込みかねない威力を物の見事に、全て一点に収め乗せ切って。


「――」


 ――それでもなお、届かない。


「……ッッァッ‼‼」


 ――届かないのだ。最大限度と言える研鑽と威力とを費やしてなお、ぶつけられた拳は永久の魔の肉体の表面に影響を与えるのみで留まっている。……無尽蔵に流れ込んでくる負の情念による強化と変質に、及ぶべくもなく。


「……ッッ‼」


 衝撃に耐え切れないのか、強く握りしめられた拳の皮膚が裂け始める。肉が覗き、鮮やかな緋が光に混じっては散っていく。このまま全身全霊を注ぎ込み続けたとしても無駄な事であり、そんなことはとっくに分かっているはずだ。


「……」


 ――なのになぜ、この男は。


「……ッオオッ‼‼」


 ――なお、こんな眼をしている?


 重なり合う光景に共鳴するように呼び起こされるのは或る記憶。……あの島で永久の魔と矛を交えた者たちも、思えば似たような目をしていた。


 決して諦めず、退かない。不可能を知りながら、無力さを知りながら、届かないと分かっていながら。


 それでもなお、できないに向けて手を伸ばす目だ。


 ――背負っているとでも言うのか?


 この自分に最期まで立ち向かえるだけのモノを。できないに挑むだけの、不可能に挑めるだけの何かを。


 不意に――。


「――」


 視界の端で、その現象を永久の魔は目にする。……僅かに皹の入れられた肉体。崩れ邪気となった欠片が微かな靄となり、力の奔流に飲み込まれては消えていく。


 ……そうだ。


 こんな眼を、以前にもどこかで目にしたことがあったと思っていた。少女のあの眼と同じくこの眼にも永久の魔は覚えがある。……協和者。


 荒れ狂う己を前にして自らの命を差し出したあの老女が、確かにあんな眼をしていた。そして――。


「……ッ‼」


 今自分の目の前にいる、この男の眼は。


 今はもういない、……友の。


「……」


 ――背負っていたとでも言うつもりか?


 奴が、この私を――。


 自らの内に湧き起こる情動。噛み締めた歯を軋ませるそれに何と名付ければいいのかも分からぬ中。


「――」


 剣を掴んだまま一息に振り出した右腕。邪気纏う永久の魔の剛腕が呻る力の波動を引き裂き、男の脇腹へと深く減り込んだ。


「――ッッ――……」


 声もなく吐き出した息に連れて。くの字に曲がり、塵のように吹き飛んでいく男。頭部から落ちたと思しき鈍い衝突音が永久の魔の聴覚に遠く響く。……静けさ。


「……」


 ……今のがこの男たちの最後の抵抗だろう。


 残された僅かな痕さえも流れ込む邪気によって瞬く間に修復され、消え失せる。……虚しいその感触を身に覚えつつ、周囲全てに向けて終幕の邪気を放とうと、永久の魔が剣を執った。


「――っ」


 瞬間。不意を討つその感覚に柄を繰り動かす。峻烈な情念の発露に釣られるようにして反射的に描いた弧が捉えたのは、白くほっそりとした左腕。手応えもなく切り飛ばされ、緋に塗れて回転する肩口から先を目に留める。――喚かない?


「……」


 胸中に湧き上がる微かな不可思議。奇襲に対する完全なカウンター、負わされた致命に近い深手に一哭きもくれることなく、重さを感じさせない速さで白い影が振り抜いた剣の脇を擦り抜けていく。……左腕に微かな違和感。覚えた感触が今し方切り落とした部位と同じだと気が付いたところで、声が届いた。


「――貴方は」


 振り向いた先にて。永久の魔と相対しているのは、紛れもないあの少女。……だが先ほどまでとは些か雰囲気が違っている。片腕を失い、滴り落ちていく血を失い、それでもなお此方を見つめている紫翠の瞳は。


 ……まるで。


「私を愛して、くれますか?」


 浮かぶ推測。文言を受けたその瞬間、身体全体に掛けられる歪な力の発生を永久の魔は把握する。――体躯をあらゆる無理な方向へと圧し折り捻じ曲げようとする気配。眇めた目に連れて膨れ上がった邪気の波動が、縋り付くようなその気配の一切を撥ね付けるように弾き飛ばした。


「……呪いか」


 ――詰まらん。その力の正体を無感動に看破しながら、血に塗れた剣を携え。いつの間に紅に染め上げられていた足下を事も無げに踏み越えて、永久の魔は少女へと近付く。


「高々人一人の恨みが、私に届くと思うか?」


 ――少しでも考えを巡らせてみたのなら当然、思惟の及ぶところであったはずだ。


 どれほど峻烈に上げられた嘆き悲しみだろうと。所詮、大海に落ちる前の一雫に過ぎない。加われば混ざりて消える運命。人間全ての歴史的負の情念の集積に、どうして一個の思いなどが敵うことがあるだろう?


「……見込み違いだったな」


 その事実を分かっていてさえ、こんなものしか打つ手がないのだという事態が重ねて永久の魔を失望させる。……切っ掛けとなる眼差しを見せたこの少女ですらも、そう。


 ――何も変わらない。相も変わらぬ見る目の無さに今更思うことなどなく、崩れ落ちるように膝を突いた少女へ向け、ただ終わらせる為だけに永久の魔は足を進める。……何もかも全て、これで終わりだ。


 そう。……これで、なにもかも――。








「……ッ……‼」


 ……フィアが。


 永久の魔がフィアへと迫っている。凄まじい力の衝突で唐突に覚醒させられた意識。口内一杯に鉄錆の味を感じながら上げた視線の先で、そのことだけをどうにか理解する。立ち――。


「――ッ、ゲェッッ‼ オゲ――ッ……ッ」


 円環の力を借りて立ち上がろうとした瞬間、強烈な内臓のうねりに血と吐瀉物が入り混じったグチャグチャの内容物を吐き出させられる。強制的に途切れ止められる呼吸。絶え絶えになる息と共に湧き出してくる涙に視界が滲む。……目の前のグロテスクな物体が自分の中から出て来たものだと認識するまでに、少し時間が掛かった。


 ……駄目だ。


 生まれたての小鹿のように震える身体。――立てない。痛烈にそのことを意識させられる。あの一撃にはどうにか耐えたが、グチャグチャだ。……身体の中が、全部。


 吐いたそれと同じようになっている内側を想像して走る寒気と怖気。魔力が尽きたせいで守りの要たるあの呪文の効力は既に切れている。次に一撃を食らったなら、本当に死ぬ。いや、それ以前に――。


「――虚しいものだな」


 ――敵わない。そう思った直後に響いた重々しい声が、死に体の身と鼓膜とを震わせた。


「お前たちも所詮、何かを変えることなど出来なかった」


 引き摺られるように耳を澄ませる。……永久の魔の歩みが。


「人は愚かだ。何も学ばず、自覚せず、引き受けられず、己以外の事柄に弄ばれるだけ」


 止まっている? ヌラヌラとした光を放つ赤黒い地を見つめていた視線を、辛うじて上げる。視線の先。


「人は変わらぬ。……何も、変わりはしない」


 映り込む永久の魔の姿。合わされるその眼、その瞳。


 受けたその、台詞に――。


「ッ――‼‼」


 身体の奥底のどこかが、焼け付く熱を熾すのが分かった。


「……ッッ!」


 血に突いた終月で体を支える。……漆黒の刀身に縋り付くようにして立ち上がる。何としても、どうしようとも立ち上がってみせる。……あれは。


 ――同じだ。かつての、俺の眼と。


 何もかもを諦め切っている瞳。底知れぬ裏切りと失望に、全ての意義を失った目だ。


 覚えがある。父が自殺したと思ったあの日。なにもせずただぼんやりと見る俺を、晴れた日の窓ガラスがよく映していた。……あの茫漠とした、生きたまま死んでいるような、底抜けの虚無を湛えた瞳が、正に。


 ――ここで俺たちが斃れれば。


 力の入らない肩口に突き立てた爪。自らを抉る爪の痛みで残る痺れを強引に押し込める。……抱くその諦めは、本当になってしまう。


 虚しさは肯定される。失意は本物になり、なにもかもそれで終わりになってしまうだろう。


 ――だからこそ、立たねばならない。


「……っ」


 歯を食い縛り、肩から腰に渡る傷に響く捻じ曲げられるような痛みに耐えて地面から引き抜いた終月の刀身。勢いで体幹がグラつき、足がふらつく。……どうにかして身体は支えられている。


 この状態でまだ生きていられるのは、円環と立慧さんの符のお蔭か。骨骨がバラバラになったかのようにガタの来た全身。苦痛と不快感が綯い交ぜになった血みどろの感覚を堪え、前を。


「……」


 痛覚を刺激する呼吸の中で据えた視線の先。僅かに振り向いた永久の魔は、向かっていたはずのフィアではなく、確かに俺を目にしている。


〝――用意を整えろ〟


 邂逅したとき。永久の魔から口にされた、その声が脳裏に蘇る。


〝お前たちの持てる力、全てで掛かって来られるよう〟


 次に浮かぶのは決め手を打つ前の光景。……ジェインを殺すこともできたはずだ。


 だが永久の魔はそうしなかった。邪魔になるかのように人質を投げ捨て、俺に対し構えるような素振りさえ取って見せた。


 待っていたのだ。あのとき永久の魔は、確かに――。


 ――そうだ。


 促すように繋がる思考。……思えばこの戦いは、永久の魔の宣戦布告から始まった。


 俺たちとこの形で対峙することを望んでいたのは、そもそもが向こうなのだ。俺たちを殺すというだけならばあの時点で全てが終わっていたはず。――なればこそ。


「……」


 簡単には終わらせたくないはずだ。終月を構えながら見た瞳に確信する。……俺たちになにか少しでも期待することがあるのなら、自分からその芽を断ち切ってしまいたくはない。先の言葉の中身が紛れもない失望だったのだとしても、かつての俺のように。


「……勝負だ」


 ――だからこそ、乗ってくる。


「永久の魔」


 俺がまだ何かあるように見せられれば。永久の魔の期待を鎖さないだけの、態度を見せることができるなら。


 必ず、受けて立ってくるはずなのだ。


「……」


 揺るぎなきように。一心不乱に睨みつける視界の中で、永久の魔が完全に此方へと向き直る。……柄に掛けられた手。放たれるだろう一撃が紛れもなく俺に向けられていることを自覚して震えが走る。だが俺のこの態度も、なんの根拠もないというものではない。


〝以上がこの刀の秘密さ。だけど――〟


「――〝千首千胴を落とす無明の刃を以て、天地神明を此処に断つ〟」


 丸薬を噛み砕き。思い起こすのはあの男の言葉。夢で教えられた、力の内容。


〝この刀の持つ力には、もう一つだけ先があるんだ〟

〝……先?〟


「〝我が真名、蔭水黄泉示の名に於いて、その禁を一時的に解除する〟――」


〝魔力ではなく、使い手の生命力を使って振るわれる一刀〟


 黒羽の如き終月の刀身に現われる変化。浮かぶ文様の色は金色。教えられたのと寸分違わない、朝日のような峻烈な煌めきが、漆黒の刀身に道筋を作っていく。


〝その力を発揮したなら文字通り、神さえ断てるかもしれないね。無論、君自身の生命が持てばだけど〟


 ――俺は甘えていたのかもしれない。


 自分がいつになく好調であることに。仲間と共に戦えることに。……どうにかなるのではないかとも考えていた。ジェインの策に従い、リゲルと並んで立ち、フィアの守りを受けていれば。その上で魔力の全てを代償としたならば、きっとどうにかなせるはずだと。


 ――違う。


 自らの希望的で楽観的な考えを叱咤する。そんな幸運な、都合のいい顛末など望んではならない。今現に、どう在るのかを見ろ。


 懸けるのなら生命までだ。己の全てを失う覚悟を以て挑まなければ、この永久の魔には届かない。絶対に、届かせることなどできないのだ。


「……」


 戦う者としては余りに遅く、しかして失してはいない覚悟と決意。今俺の持てる全てを、この一撃に掛け――。


 この一撃に俺たちの、全てを掛ける。







「……虚しいものだな」


 決着を見据えた内から、意図しない言葉が零れる。


「所詮お前たちも私も、何かを変えることなど出来なかった」


 ――そうだ。


 分かっていたことではないか。何もかもが虚しいこと。負の情念の集積たるこの私を手に負える者など、決していはしないのだと。


 人の身である限り超えることなどできはしない。超えられたとしても、人でないのなら意義はない。


 どう足掻こうとも手詰まりとなっているという現実。……だが、だとすれば。


「人は愚かだ。何も学ばず、自覚せず、引き受けられず、己以外の事柄に弄ばれるだけ」


 私たちの――。彼らの、この者たちのしてきたこととは、なんだったのだ?


「人は変わらぬ。……何も、変わりはしない」


 ただ集積した負の情念に擦り潰されるようなものだったのか? 人外の叡智が齎した神器を前にして、虚しく破れ去るようなことだったのか?


 人のすること、人がするということは――。


「……」


 暫しの時を待ってみても、何も変わらない。景色はただ、同じ様相のまま沈黙を守っている。……そのことを受け入れて柄を握り。


「――」


 目の前で起こされる一個の動きに、思わず顔を向けた。


「……」


 動いている。起こりを見せたのは先に自らが裂断したはずのその青年。深く傷の刻まれたその身体で、立とうとしている。……只々必死に。


「……」


 足元が蹌踉めく。血が溢れ出る。それでも立とうとすることを青年は止めない。刀を突き立てて支えとし、縋るように寄り掛かって。


「……」


 そうして確かに立った、この大地に。前を向く青年の双眸が確かに、永久の魔を捉えている。


「……勝負だ」


 取られる構え。死に体と思える青年は、信じ難いことにそれを自力で言ってのける。


「永久の魔」


 真正面からの布告。策も援護もなく、尋常ならただ無謀と受け取るだけの行為。多少の気概が認められようとも、それだけでは何にもならないことを永久の魔は知っている。知らされていると言っても良かった。自らに流れ込んでくる負の情念。染め上げられたこの神器に、絶えるほど。


「……」


 ――面白いとは思わなかった。


 ただ本当の最後を前に、少しでもマシな終わり方を求めていた。


 ――何も変わらない。


 平坦な感情と共に思う。どれだけ精錬されていようとも、人一人とその道具一つが為し得る事柄には如何ともし難く限界がある。例え如何な狙いを持つ攻撃であったとしても、ただこの剣で切り伏せるのみ。


 積み重ねられた人間全ての歴史的負の情念。人外の技術で造り上げられた至高の得物は、使い手が罪と認識する全てを切り裂く。


 この二つが相俟って――断てぬモノなど在りはしないのだ。所詮、この世界の何処(いずこ)にも。


「……」


 青年が腕に力を込める。最早隠そうともしない。愚直なまでに死力の乗せられた一刀が抜き放たれる瞬間を見届けて。


「――【究極断罪】」


 ただ為すがままに。――永久の魔は、自らの絶対の一撃を虚しく合わせた。



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