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第九節 期待

 

「……」


 ……なるほどな。


 繰り出しても躱される。目の前で展開されるその現象を前に永久の魔は首肯する。本気で命を奪うつもりがないとはいえ、撫で切るつもりでなお切れていない。


 相応の艱難を経て鍛え上げ磨き抜かれてきただろう身のこなし。この自分を前にして退くことなく、接近戦でもなお拳を繰り出してくる闘志には見るべきものがある。仲間の援護を受けているとは言え、この中でも一番の使い手か……。


 温度差を秘めつつ踊る両者の背景。戦場を掻き回すように暴れさせているのは、邪気を凝縮させて生み出した剣と繰り手。景色そのものを切断しようとしているかのような強大なその暴威だが、それに相対しているはずの四つの人間は未だ生き残っている。その原因は見るに明らか。


 ――神聖の属性。支配級の適性を持つ少女がいる以上、相性として有利なそれを振り翳してくることは当然予測の範囲内。永久の魔としても楽に息を吐かせるつもりはなく、それだけに生半可な守りでは相殺し切れぬ膨大な量をあのカタチに押し込めた。相性差だけでどうにかできるほど甘くはないが。


「……」


 ――防がれている。その気配を感じつつ思う。今正に目の前で少女に手繰られている神聖の魔力は、かつて見たあのときを超えるほど強く峻烈な輝きを放つもの。一層激しく、そしてより柔らかに照らし出している光。圧倒的な純粋性を備えた属性は最早その余波だけで通常の邪気が近付くことを許してはいず、高密度に固めた剣と腕でさえ盾によって掻き消すほどの力を備えている。その上に。


「――ッ‼」


 巨大な邪気の剣が永久の魔の身体ごと目の前の男を両断する。――そう思われた寸前に展開された盾の表面。衝突の瞬間にだけ発生する魔力の流れが邪気を逸らし、攻撃の威力を分散させていることに永久の魔は気が付いていた。……恐らくはあの眼鏡の青年の仕込み。


 回数を重ねれば消耗の差で突破することはできるのだろうが、強化を受けた四人の動きは単純に素早く、勘に頼った大まかな操作ではそう連続して捕まえられない。間違いなく、此方の攻め手を理解して戦略を立てられている……。


 ――驚くべきことなのかもしれない。


 見た目からだけでも分かるような若輩たちが。この自分、永久の魔の攻撃に此処まで対応してきていることは。


 望むべくもなかったことなのかもしれない。誰一人呆気なく死なず、四人が四人とも生き残っているこの事態は。目の前の状況は正に僥倖と言って良いほどの上首尾なのだと、永久の魔とてそれを認めないわけにはいかない。


 ……だが。


「……」

「――ウラァッッ‼」


 なおも果敢に拳を振るって来る目の前の男。青年から放たれたと思しき炎の燃え盛りが視界の端を僅かに照らす。……だが。


 ――足りなさ過ぎる。


 踵を返しての突貫。一つの踏込みが少女へ渡されていた距離を消し去り、立つその場所を一毫にして死地へと塗り替える。辛うじて反応し盾を展開しながら下がろうとした所作。急加速して成されたその所作を伸ばした左腕で蝶でも掴むかの如く軽々と途絶させる。驚愕に塗り潰された面が見つめるのは黒紫の剣身。自らの頭蓋が断ち割られるまでの一瞬に、少女は声を上げることさえできないまま。


「――ッッ‼‼」


 ――瞬転して間に入った青年と刀身とに受け止められた。……目を疑うほどの移動速度。永久の魔の一撃を受けた刀身は折れるどころか一片も欠けることさえせずに、小刻みに震えながらも黒紫の剣と競り合っている。――一個の人間にしては凄まじい、群を抜く力だが。


 ――それがどうした?


 全て無意味だ。軸を外しての切り上げ。柄を握り込むように込めた僅かの膂力が抵抗する黒塗りの得物を呆気なく頭上へと打ち上げ、歪む表情の下で大きく開けられたのは無防備な胴体。


 ――この期に及んでまだ奥の手を出し惜しむつもりであれば、知らしめてやらなければならない。


「――」


 永久の魔とはどういうものなのか。その事象を前にして、必死にならない道理などどこにもないのだということを。展開された盾と魔力とに構うことなく振り出した一閃。相性差も工夫も何もかもを力のみで真っ向から撃ち破り、防御の間に合わない腹へと叩き込まれ――。


「グ――――ッッ‼‼」

「――」


 ……耐えた?


 予想外。思わぬ光景に僅かに永久の魔の眉が上げられる。全力には程遠いとはいえ、明確に切る意志を込めた一撃を。切り裂かれた衣服から顕にされたのは他と同じく黒に染まった無傷の肉体。尋常では凡そあり得ぬ事態。その僅かの驚愕が、永久の魔の動きを鈍らせており。


「【術式装填・神聖弾】!」

「ウオラッッ‼」


 ――最中の銃撃。纏う邪気を貫いて側頭に着弾したそれに気を取られた瞬間、背後から飛び込んできた男に永久の魔は突きを繰り出す。【情念感知】。膨れ上がる闘気にて読んでいた動作。完全なカウンターの形になった切っ先を男は猛速で左へと首を振って回避する。頬に刻まれた浅からぬ裂傷に怯むことなく、神聖を纏うその拳を永久の魔の下腹部に直撃させた。


 ……なるほど。


 当然の如く衝撃は皆無。意に介さず払うつもりで振るった剣閃を男は凄まじい速度のステップで辛うじて躱し切っていく。極めて強靭に鍛え上げられたその動き。緊張とも不敵ともつかない表情を浮かべながら、なおもカウンター気味に拳を叩き込もうとしてくる。……まるで獣だな。


「【時の加速・四倍速】‼」

「【七重障壁】‼」


 応じに先んじて魔力が動き、盾に隠れたその首を飛ばすつもりで振るった力のこもる一閃が回避される。……完全にではない。地面を滑るように引いた男の額から真一文字に滲み出るのは真新しく鮮やかな赤の色。視界を塞がれないよう即座に拭い、諸手を上げたまま構えを保った。……僅か。ほんの僅かではあるが、体表近くに発生した魔力の流れが剣閃をずらし浅手に抑えた。掛けられた補助の多さに加え、四人の中でもずば抜けた戦闘技術の高さ。やはりこの男が最もできる。……だが。


 ――違うな。


「――ッ‼‼」


 更に力を込めた踏込み。狙いは後衛と思しき眼鏡の青年。突進と同時に放たれていた、避けるまでもない銃撃を左目で受けて。


「グ……ッ‼」


 加速したその首を事も無げに永久の魔は掴み取る。……如何に鍛え上げ、強化を受けた動きであっても詮無い事。


「……」


 多少の捉える意図を以て繰り出したならば躱せない、虚しいその事実の中で永久の魔はこれ見よがしに相手を吊り上げて見せる。……生かすも殺すもこれで自らの胸のうち次第。青年を覆う神聖の魔力と鬩ぎ合っている邪気を他人事のように覚えながらも、間違って潰してしまわぬよう、加減しながら喉を掴む手を絞った。


 ――どうやら肝は、あの青年が握っているらしい。


 この自分の攻撃を受けて削れることのない得物に、絶命しないだけの耐久力。ごく僅かとはいえ自らと競り合いのできる身体能力も踏まえれば、明らかに浮き出ているのがあの青年であることくらいは永久の魔と雖も想像が付けられた。把握して直ぐに掛けたのは脅し。残す手があるのなら出さねばと、敵方にそう思わせるための芝居。


 ――綿密な予測が何になる?


 この戦いの幕開けから、永久の魔の胸中に渦巻いていた思い。相性差が何になる? 技術を磨き、力を鍛え上げたところで、それがなんだ?


 ――何にもならない。そんなものでは。


 永久の魔には届かない。負の情念の集積足る事象を手に負えはしない。何事も変えることなどできない。何も、変えられはしないのだ。


 ――そんなことをしてもどうにもならないことなど、互いにとうに分かっているはずではないか?


 今この場に至っては永久の魔にもはっきりとした得心があった。……この自分が望んでいるのは、変化だ。


 何もかもを貫き通すような、真に新しい未知の破れ。本来的不可能の否定である可能性の示し。今となってはただ、それだけが――。


「……」


 ――剣を持つ青年の心情が変わった。それを感知して永久の魔は用済みとなった人質を投げ捨てる。遠く背後に響く激突の音には目もくれず、自らを見据えてくる視線を、正面から。


「――黄泉示‼」


 仲間の制止も聞かず。永久の魔の目に映るのは既に構えを取っている青年の姿。今の機に治癒でも貰ったのか、先に一撃を食らった分の消耗は見えるものの立てている。……やはり他とは違う。その瞳に宿るのは間違いなく、重責を担っている者の覚悟。


 ……そうだ。


 あの少女。それともどこかしら被るようなその眼を見据えながら、僅かな期待が芽生えるように永久の魔は内に呟く。……できるものならば、見せてみろ。


 人にまだ、変えることのできる可能性があるというのなら。


 この私に、それを――……。


 整えられた舞台は上々。青年の選択に応え、永久の魔が構えようとした刹那。


「――」


 視界を白が塗り替える。一寸先ですら見通せないほどの、突然の白。――光。


 膨大な神聖の魔力が自らを包み込んでいる。今まで見せていた盾すら遥かに凌駕する眩さに、纏う邪気が完全に消し飛ばされ、情念感知を含めたあらゆる感覚が封じ込められる。……これは。


 立ち直りから反応を遅らせたのは側方で起こされている強大な力の気配。最中で事態を認識した直後。


 ――これまでない未知の衝撃を、永久の魔は自らに感じた。











〝……もし〟


 支部で計画を立てていた時。迷いの末。ジェインを前にして絞り出したのは、どうしても考えてしまうその恐れ。


〝もしこれが、通用しなかったら?〟

〝まあ、その場合は死ぬだけだな〟


 一切のオブラートを削いだ端的な台詞が、水を浴びせるように耳を打った。


〝正真正銘、それが最後の望みだと思っていいだろう。だからそこに全てを注ぎ込むんだ。僕たち全員で〟


 ――だからこそ、本気になれる。


 これを逃せばもう後はないのだと。……ジェインが、はっきりとそう言ってくれたのだから。


「――ッ」


 ――決まった。


 走る魔力の刃の先に確かな手応えを感じて、俺は振り切った終月を手元に返す。……確実に命中した。命中しただけでなく、断ち切った。枯渇した魔力に身体からじわじわと失われていく黒の色。虚脱が込み上げて来るような感覚の訪れに、吐き出す息の音を震わせる。


〝この刀『終月』は、使い手の何かを代償に物を切ることができるようになる〟


 あの男から夢で聞かされた力の解説。この作戦の全ての肝となる情報。


〝効力は申し分ないんだけど、その分消耗が少しオーバーでね。だから普段はそれが使えないよう、封じ込められているんだ〟


 使い手の魔力全てを注ぎ込んで初めて発揮される性能。魔力払底を引き起こし、使い続ければ魔力障害をも招く代償の代わりに。


〝その一度だけこの刀は、全てを切り裂ける〟


 信じ難いその内容を、あの男は確かに、笑いもせずにそう言った。なんともつまらないことであるかのように。


〝この世のあらゆるものを必ず。一度だけね〟


 ――【絶対切断】。


 それが終月に備わった力。端的にして強烈無比。実際どこまでが事実なのかは分からないにしても、支部で実際に披露したその威力は俺たちが全てを賭けるのに充分過ぎるものだった。


〝――ただ撃つだけでは駄目だ〟


 ジェインの言葉が耳に蘇る。永久の魔の運動能力は凄まじい。まともに正面から放ったなら、どれだけ速く撃とうとも躱されてしまう。


〝邪気による守りと再生能力もある。僕たちにできる、最高の形で当てなければ〟


 フィアの神聖の魔力が視界を塞ぐと共に邪気の衣を祓い、リゲルの【重力増加】が僅かでも動きを鈍らせる。俺自身の動きは跳ね上げられた強化とジェインの【時の加速】により一息にその速度を跳ね上げて。


 躱せない一撃として叩き込まれる。……必殺の威力を持つこの一撃を如何にして当てるか。それこそが、この戦いにおける俺たちの最高の課題だったのだ。焦れた永久の魔が一撃を放とうとする攻撃の瞬間を狙う、本来の狙いからは外れることになったが……。


「……っ」


 手応えがあった視界の先を食い入るように確認する。……斃れた永久の魔は動かない。ヒトと同じなら心臓がある位置から大きく二つに分かたれた身体。勢いを失った邪気は地を這うように低く沈み込み、そのまま土壌に染み入るように薄くなっていっている。


「……やった」

「やりました……!」

「――やっただろ。こいつはよ」


 思わず零した声を追うように、フィアとリゲルから同様の判断が漏れる。遅れて覚え始めたのは安堵感。空気に満ちる緊張が次第に解けていく最中。


 ――ジェイン。


 真っ先に気になったのは一人だけ反応がない友の事。一撃の際に援護があったことから術が使える状態ではあるはずだが、立ち上がる様さえないことは気に掛かる。投げ飛ばされた拍子に脚を折ったのかもしれない。想像に募ってくる不安。少しでも何か動きがありはしないかと、目を凝らして投げ飛ばされた方角を探し。


「ジェィ――……ッ⁉」


 名前を叫ぼうとしたその刹那。抉じ開けた肋骨の奥の心臓を鷲掴みにされるようなゾブリとした怖気に、呼吸(いき)が止まった。


「……っ……‼」


 俺に見えている視界の中で。……表したその反応はリゲルも同じ。ただの錯覚などではない。全身全霊で感じている、これは。


「あ……」


 震え、竦んだフィアの声。それもそのはずだ。辛うじて動かした瞳に映り込むのは、天から、地から、どこからかより渦巻いて流れ込んでいる邪気の奔流。身の毛のよだつほどのそれが、流れ込んでいるその場所。現象の意味するところを考えてしまったのならば。


「……」


 ただ魅入るしかない俺たちの前で。……驚くほど静やかに。繋がった上体を起こした永久の魔が、ゆっくりと立ち上がった。


「……こんなものか」


 変わらない。光のない瞳で俺たちを向く。撫で摩りすらしないその身体には、僅かの傷一つなく。


 ……嘘だ。


「こんなものが、お前たちの力か」


 消えている。俺たちの刻んだはずの一撃が、これ以上ない形で決められたはずの一撃が、跡形もなく。都合のいい解釈や思い込みですら否定しようのない。その現象を前に誰一人として動き出すことなどできなかった。苛むような、失望の声色を前にして。


「……終わらせる」


 ソレ以外の全てが静止したような光景の中で。


「――【縮裂断罪】」


 止めようもなく逆手に持ち替えられた黒紫の剣。幾体もの大蛇の如く蠢いていた邪気が一瞬、その中心線に向けて縮んだように見え。


〝……まあ〟


 記憶の中に残るジェインの声が、やけにはっきりと。


〝その場合は死ぬだけだな〟


 大きく、耳に響いた気がした。



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