第七節 神器持ち 後編
「……ふう」
職務が一段落した折、町中を見回った最後に、私はこの場所を訪れる。……町を一望できる高台。
「――」
夕焼けに染まる町を眺める。……何もかも、上手く行っている。ふと思えば怖くなってしまうほどに。
――このような場所を、楽園と言うのではないだろうか?
戯れにそんなことを思う。無論ここだけに留めておくわけにはいかない。富や権限を集中させ恣にする、暗愚な統治者たちによって問題を抱えている土地は多いと聞く。思い起こされてくるのは見回りの際に聞いた移民たちの言葉。かつての私たちのような。
決して他人事ではない。この同じ大地に、彼らもまた住んでいるのだ。
「……」
……少しずつ。
少しずつではあるが、皆の努力のお蔭でこの土地には余裕が出始めてきている。念入りな確認と全員の了承さえ取れたならば、いずれ徐々に治める範囲を広げていくのも良いかもしれない。……これからの私たちに残されている展望。
「……」
それを胸に高台を後にする。明日もまた朝から早い。夜には交代での見回りもある。務めに支障をきたさないよう、早目に眠っておかなければ。
このところ日が落ちるのも早くなってきた。これからはまた寒さにも気を遣う時期がくるのだと、そんなことを考えていたとき。
「……?」
――ふと。
気に触れる。……何か、不思議な気配。なんだ? この感覚は。
凡そこれまで経験したことのない、未知。そこまで嫌な感覚ではないが、統治者として僅かでも危険の恐れのあるものは捨て置けない。就寝の前に一仕事、行っておくべきかとそう思い。
「……」
感覚に従って道を辿り始める。町の方角とは違う。立ち並ぶ家々と平行に向かい、私たちの居住する神殿を通り過ぎ。
普段は通らない岩場の方へと向かっていく。一挙に荒涼とした様相を呈してくる景色。この先には川もない。狩りの対象となるような動物もおらず、植物も疎らに生えている僅かの草木があるだけだ。開いたところで特に有用なことはないと、開墾を見送られた不毛の土地であるはずの其処から妙な気配がしていることに、胸騒ぎを禁じ得ない。……仮に。
仮に余所から害意を持つ者が入り込んだなら厄介なことになる。私たちや兵士たちによって都度撃退され回数を減らしてはいるものの、豊富にある水や食糧を狙っての襲撃が全くなくなったわけではない。時刻は夜が始まるとき。気の緩んだ町の襲撃には持って来いと言える頃合いだ。岩陰から何かが跳び出て来ないかどうか、気を張りながら慎重に進む。
「……」
それでも人影は見当たらない。動物の足跡も影も見えない。だとすればこの気配は一体、どこから――。
……下か。
眼を閉じ、気配の方向に集中することでそのことに気が付く。注意して見れば、重なる岩の影になって見えにくくなっている部分。そこに、僅かな幅を持った隙間の開いていることが分かる。……気配はこの下からしている。隙間に入れ、思い切って引いた手が持ち上がった。
「……っ」
覗く階段を凝視する。見えない。段差が続くのは例え昼間であろうとも光の入らないような深い地下。不気味さを覚えつつも――。
――未だ覚える気配に意を決して。私は、穴へと足を踏み入れた。
「……」
暗い。
内部には殆んどと言っていいほど明かりがない。入口から入る光、野党時代に慣れさせた夜目でどうにか周囲の構造を把握する。上から垂れてくる地下水のせいか、岩を削り出して作ったような階段は湿っていて、手入れも碌にされていないようだ。……角の丸くなっていることからかなり古くに作られたことは間違いない。こんなところに、なぜ。誰が?
「――ここは相変わらず、空気が淀んでいるね」
……誰だ?
聞き覚えのない声に足を止める。ざらつき何重にも重なったような、不気味な声。
「ねえ、イデア」
「――」
呼ばれたその名前に、息を飲んだ。
「仕方ないでしょう」
暗闇の中に響くのは紛れもない彼女の声。岩壁に身を隠しながら乗り出した、目に。
「――」
なんだ?
声を噛み殺し。思わず飛び退きそうになったのを瀬戸際で踏み止まる。……なんだあの、化け物は。
醜悪と冒涜と歪を混ぜ合わせたような異形の生き物。どこが頭部で手足なのかも分からない、全ての意味と理解を受け付けない不明の形状。それでいてむせ返るような生々しさを覚える襞が不規則に蠢く様に本能的な怖気を感じ、腰の剣に手を掛ける。……断罪の剣に殺傷能力はない。だがもしも、イデアに危害が及ぼうとするならば。
「地下なんだから。大体、私たちに呼吸という行為は必要ないわ」
この身を張るつもりでいた私の意気を、割って入った発言が差し止めた。
……私、たち?
反芻する。ではあれは。相対するあの化け物は。
イデアの――。
「言ってみただけさ。けど、ずっとその姿でいるとそんな気分にもなって来ないかい?」
「ならないわ。前々から思っていたけど、変わり者よね。貴方」
吐き気のするように悍ましいその声を平然と受け止めて。どこか親しげに会話をするその姿が、信じられない。
「――上手く行っているのかな?」
「ええ。問題はないわ。神器はいつも通り、正常に機能してる」
……神器。前後の繋がりを見失って当惑する。イデアが私たちに授けた物。なぜ今その単語がここで出る?
「――」
……なんだあれは。
振り返ったイデアの視線を追って目に入ったのは、滑らかな、自然では在り得ない曲線を描いた何かしらの機械装置。再度の問い掛けを呼び起こしたのは、鏡の如き銀上に走る複雑奇怪な青き蟠纏模様ではなく、その真上に蠢き座するモノ。
黒紫の雲を凝縮し、球に纏めたかのようなソレ。よく見ればその表面と内部は不規則に渦を巻き、微かに脈打っているようにも感じられる。……なんだこれは?
見ているだけで心がざわつく。思い返されるのはかつての殺戮と強奪の日々。この世の全ての情念を詰め込んだような、カタマリ……。
「彼らがこんな悍ましいものを抱えていると思うと、ゾッとするね」
「随分と今更ね。その為のこのシステムなのに」
呆然とする耳にイデアたちの会話が入って来る。
「彼らに神器を与えてから、この地域の紛争数は激減したわ。やはり神器と神器持ちがあれば、彼らの負の情念は抑制できる」
淡々と語られる。その言葉の内容が、何を意味しているのか。
「当面の問題は神器持ちの確保手段ね。これだけの数がいても、彼らの中で神器に適合できるのはそのうちの極一部。それさえクリアできれば――」
「何れはこの星の全域にまで、このシステムを行き渡らせることができる」
化け物が言葉を継ぐ。……システム。
「そうして漸く、全てが君の管理下に入るわけだ」
「そうね。早くそこまで行ければいいけど」
「まあ正直、僕としてはこんなことをしても意味があるとは思えないけどね」
管理? 理解の追い付かない会話。そこまでの遣り取りを耳にしたとき。
「終わりを回避するために労力を注ぐなんて。それよりも――」
「――誰?」
気配を消すのも忘れて。思わず、脚が一歩前へと出てしまっていた。
「……」
「――おや」
「……イデア」
見つめる二者の視線。相対するその化け物のへの恐れを堪えて飲み込み、訊く。
「なんなのですか? ここは」
可能な限り化け物に目を遣らないようにしつつ、視線の先のイデアに向けて。
「その装置は。……管理とは?」
「……」
イデアは答えない。一切の表情を変えないまま。
「……そういうこと」
ただ小さく、息を吐いた。向けられた眼が僅かに細さを増す。
「――見ての通りよ」
話し始めの言葉はいつもと変わらぬように平静。
「ここでは貴方たち――ヒトの負の情念を制御しているの。貴方たちを、より長く続けさせるために」
「……負の情念?」
「怒り、憎しみ、殺意、欲望……貴方たち自身には、どうにもできないことよ」
どうにもできない? 私の疑問を置き去りに、イデアは話を進めていく。
「知られてしまったから話すけど、私が此処に来なければ何れ、貴方たちは滅んでいたわ」
――なに?
「私の見たところだと、遅くとも二年以内には。衰退の仕方に幾つかの形はあるけれど、どの道その時までには確実な終わりが来る」
聞いた脳裏に蘇るのはかつてのあの惨状。……確かにあのときのこの土地は、混迷を極めていた。私たちも統治者ではなく、秩序と平穏はどこにもなかった。
しかし……。
「貴方たちがこれまで続いて来られたのは、私とその神器のお蔭。貴方としてもそれは否定しようのない事実でしょう?」
「……」
〝私と神器〟
そこに欠けている言葉を補うことは。……どうしても、できなかった。
「今まで通り協力しましょう」
イデアが言う。どこまでも落ち着き払った口調で。
「貴方たちがやることはこれまでと何も変わらない。私たちが管理していれば、それでなにもかもが上手くいくわ」
――今まで通り、だと?
「……ふ」
言葉にならない感情が胸に湧き上がる。肺腑から喉へ、喉から唇へと溢れ出した――。
「はははははははははははッッ‼」
それは哄笑。止め処なく、行き場もなく溢れ出していくそれが。
「は……」
途切れた。……後に残された空虚に、侵入り込んでくるもの。
「……私たちは」
――対等。
「貴女たちの、傀儡ではない……ッ‼」
信頼。踏み躙られたその言葉が、怒気となって私の身を焦がす。
「切っ掛けをくれたことには感謝している――だが今の私たちは、統治者だ!」
吠える声と共に地に突き刺したのは、腰元から下げられていたその剣。
「貴方たちの管理など必要ない。その気ならば神器も手放す。私たちはこの先もこの町を、仲間と人々と共に導いていく‼」
気迫ごと。でき得る渾身の覇気を込めてぶつけた宣言に――。
「……ああ」
目の前の二者は僅かも揺るがない。……その態度に当惑する。しゃがれたその化け物の声は歴然とした異質。思い遣りなど到底できないものであるはずなのに。
「勘違いしているようだね。彼は」
――確かに溜め息のように、私には届いたのだ。
「そのようね」
……いや。
ようにではない。イデアの口調は正に、物の分からぬ子どもを前にして私たちがするその態度に等しく。
「忘れてしまったのなら、思い出させてあげる」
整然とした声の色に、私はただたじろぐ自らを自覚していた。
「貴方たちが抱えてきているものを。それが、どれだけ手に負えないことなのかを」
イデアに眼差しを向けられた瞬間。――言いようのない、喪失感のような何かが私を襲う。……これは?
「……っ⁉」
「――神器の貴方への所有者としての認識を、一時的に取り消したの」
事も無げに。僅かの力みもなく言ってみせるイデア。……取り消し? そんなことが……。
「……なにを」
「どうなるか、直ぐに分かるわ」
だがなんのために? 覚えた疑問に向けて告げられた直後。
「……!」
胸を。鼓動にまとわりつくような、衝動が襲う。……なんだ?
これは。止めようもなく昂っていく気持ち。私の。自分のイデアたちを見る目が。――これではまるで。
あの日々の――。
「――ッ‼」
戻ってきた。不意に心の平衡が取り戻された感覚によろめく。……私は、今……。
「――分かったでしょう?」
染み入るように言い聞かせる。湖底まで見通せる清澄な湖の如きイデアの声が、目の背けようのない現実を突きつける。……奪ってやりたいと。
「貴方たちの統治者としての器は、その神器によって保たれている」
ズタズタに辱め、殺してやりたいと思ったのだ。……目の前にいる、穢れなき彼女を――。
「貴方たちが秩序と平穏を維持できているのは、私たちと神器のお蔭。ずっとこんな醜悪なものを抱えこんでいる――」
背後のカタマリに目を遣り。私を見る、イデアの、眼が。
「――貴方たちは、変われないのよ」
――哀れみではなかった。
ただ罪に剣を振り下ろすときのように、告げられたその言葉――。
「……違う」
――否定。
「違う、違う……‼」
奥底から湧き上がるそれに呼応して首を振る、頭を振る。……決して認めるわけにはいかない。
「変われたのだ‼ 私は――‼」
私たちは。そのことを叫び上げた瞬間――。
「――っ⁉」
「――なに?」
洞窟内を揺らす振動。――上。町の方角から来ているものだと知った時。
「――ッ‼」
脇目も振るうことなく。私は、出口へ向けて駆け走った。
「――」
ひたすらに町へと向けて駆け抜ける。岩場を抜け、見えてきたのは夜を照らす火の明るさ。
「――っ」
……なんだ? これは
そこかしこに響き回るのは剣戟の音。鈍く甲高い声。誰のものともつかない叫びと悲鳴。怒りの咆咻だけが空気に満ちている。なぜ――。
「――おい!」
強く私を呼び止める声。破壊者――。
「どこ行ってたんだ‼ 手ぇ貸せ‼」
「……なにが」
呆然とした状態で問うた私に、血相を変えていた破壊者は舌を打ち。
「周辺の奴らが攻め込んできたんだよ‼ あいつらも対応しちゃいるが――」
耳に入る言葉。それに半ば独りでに判断を下してくる思考。……町の警護体制には私と破壊者とが主に携わっている。
交代や巡回の時間帯も踏まえ、襲撃側と警護側双方の視点を考慮し、万全の態勢を敷いていたはずだ。現に私たちが統治者となってからこの町の守りは一度も破られたことはない。旅人や移民に紛れて入り込む斥候への対処もできている。それがここまで攻め込まれることなど、普通ではあり得ないはずなのだ。
内部の事情を、よく知ってでもいなければ――……。
「――制御しきれなかったか」
背後から私の耳に届くのは、溜め息を吐く――どこか違和感を覚える、可憐な声。
「君のこのシステムも、完璧じゃあなかったようだね。イデア」
「……」
背後へ贈る視線にぶつかるのは華美な衣装を着た見知らぬ少女。声に応えず隣に立つイデアはただ、目の前の光景を黙して見ている。……そうか。
「おい! ルヴァニア――‼」
「――」
イデアの存在を無視して語りかけてくる破壊者に、思わずその言葉が胸を突いて出た。
「……何になる?」
「あ――⁉」
「……私たちは、全て……」
手に握り締めた神器の感触。慣れ親しんだその感触を、掌ごと砕くほどに強く、強く。
「――何もかも、無駄だったのだ‼」
叫びを、世界そのものにぶつける。……そうだ。
「私たちは変われてなどいない――‼ 私も、お前も、この町も‼」
振り上げた剣身が私たちの状況を映し照らし出す。狂乱と戦乱。漂ってくる熱と、血の臭い――。
「何一つ、変えられてなど…………ッッ」
「……お前……」
膝を突いた私を破壊者が見下ろしている。……どうでもいい。何もかも。どうにでもなれ。
「な……」
そう思っていた直後、どこからか上げられた声と共に、全ての喧騒が止まった気がした。
「……なんだありゃ」
破壊者の呟きに釣られるようにして、その方角を見る。――斜め上。荒れ地の方から湧き出るのは暗雲の如き黒紫の靄。降り注ぐ月星々の光、燃え盛る炎の灯りすら遮っているそれらが、空の下、地面の上で蠢きを見せ。
「――」
次の瞬間。土石流の如く向かってきたその奔流に、為す術なく私は飲まれた。
……壊し続けた。
我が身に注ぎ込まれる負の情念を糧として。濃紫に染め上げられた剣を振るい、目に映る全てを壊し続けた。
壊し尽くしてしまいたかった。
イデアも、何も知らず役目を果たし続けている神器持ちたちも。それらによって支えられているこの町も、攻め込んできた者たちも、私自身も。……この手に掴んでいる神器も、全て全て。
そしてそれが叶わぬ願いであることを、他ならぬこの私自身がよく知っていたのだ。
「――残念ね」
触れられるはずの距離から発された声。照らされて清らかな燐光を纏っている睫毛が微かに動きを見せる。壊滅的なまでの惨状を瞳に映していてなお、些かも損なわれることのない均整のとれ過ぎた美しさ。
「……っ」
此方を見もしないその顔を、私はただ偏に睨み付けている。この身を引き裂かんばかりに荒れ狂う情動を糧に、目の前のその秩序に僅かでも傷を付けようと牙を剥いて足掻いている。
……だが。
「折角都合のいいシステムを築けたと思ったのに。これでまた、一からやり直しだわ」
滾る力と思いとをどれだけ込めようとも、宙に固定された四肢は僅かの身動きすら取ることができないまま、虚しくもがくだけに終わらされる。……理解のできない常外の作用による拘束。近く目にされた髪が、舞い上がる炎に煽られるようにして揺れ動いた。
「――憑代になった貴方には、永劫あの場所にいてもらう」
一瞬だけ向けられたのは冷ややかに透き通る氷の宝石の如く落ち着いた瞳。もう用済みだと言うようにイデアが完全に背を向ける。僅かに靡くその後ろ髪の滑らかさが、一層の怒りを掻き立てるその美しさが、目の前から遠ざかる。
「誰も訪れない領域に。『世界』が燃え落ちるその日まで、――永遠に」
次第に遠くなり、小さくなっていく後ろ姿と共に、私の世界から景色が消えた。




