第六節 神器持ち 前編
「――」
日差しを避けるようにして階段を下りる。やはり日中はまだ暑い。慣れている人間であったとしても、長時間の活動は危険か。
「よ」
そんなことを考えていた矢先。相手の姿を見止めるより前に、覚えのあるその声が届いた。
「お勤めご苦労さん。しくじらなかったか?」
円卓で。此方に向けて軽く手を上げるのは、破壊者。
「余計な世話だ」
「謙遜するなよ。お前がいてくれなかったら大変だぜ? 手枷足枷でずっと縛ってなきゃならないし、とてもじゃねえが割に合わない」
「そういうことでは――」
「――ただ今戻りました」
丁度席に着いたタイミングで届いた声に振り返る。一人の女性。若さの中にもどこか影のある表情。巨大な鎌を持ったその異様に気を取られる者は、この場には誰一人としていない。
「お、葬送者ちゃん!」
出迎えた破壊者の声色が変わる。知古である私でなくても気付くだろう、あからさまな変化だ。
「お仕事お疲れ! 席はこっちが空いてるぜ、さ、さ!」
「……疲れているので、少し静かにして貰えませんか。破壊者さん」
「はい! 破壊者黙ります!」
聞き分けの良い返事を無視して小さく息を吐きながら席に着いた。……この場にいる誰もに言えることだが、葬送者の役目は決して楽なものではない。まだ若いということも相俟って、特に心理的な負担は大きいのだろう。
「手筈はいつも通りで大丈夫なの?」
「――ああ」
相変わらず男に対してはぶっきらぼうな――贖罪者の声に振り返りながら答える。
「いつも通りに頼む」
「分かった」
「――どうしました?」
頷きを受けつつ。卓の反対側で話し掛けているのは、齢を経た穏やかな老女の声。
「溜め息を吐いて。何か悩み事でも?」
「……いえ、協和者さん」
答えるのは守護者。この中では最年少。まだ十代前半の少年だ。
「この間の増水で怪我人を出してしまって。まだまだ至らないな……と」
「なにを言う」
話に入るのは先導者。赫灼とした壮年の男性。
「あれは歴史に残る大雨だった。そなたがいてくれていなければ、家も、畑も、何もかもが流されていただろう」
「私の記録によると――」
そこに記録者も加わる。相変わらずの理知的な細面で、手に持つ板に何やらガリガリと書きつけて。
「これまでに起きた中でも二番目に酷い洪水でしたが、被害は大きく抑えられています。間違いなく守護者の尽力のお陰でしょう」
「……お二方にそう言って貰えると、助かります」
頭を下げる守護者。……この土地。
治めるは我ら八人の統治者。そして――。
「――全員揃ったわね」
「!」
「イデア様‼」
先ほどの無愛想はどこへやら。歓喜で一瞬跳び跳ねたようにも見えた贖罪者が、大きく振り向く。
「――様付けは止めて欲しいと言っているはずだけど」
「はい! 済みませんイデア様!」
「……」
「……毎回やってない? 贖罪者のそれ」
「微笑ましいですね」
「そうだな」
呆れ返るような葬送者と裏腹に、笑みを浮かべているのは年長の二人。流石、ある種の余裕を感じさせる。
「あ、俺そろそろ喋って良い感じかな?」
「そうでなければ会議にならないのでは?」
「北東の開墾についてだけど」
破壊者と記録者のやり取りを耳にしつつ、イデアから今日の議題が出される。
「予定通り順調に進んでいるわ。ただ幾つか新しい問題が上がってきて――」
「――いや~」
一日の仕事を終え。神殿の近くに構えている、町の宿屋。
「恐かったな。イデアさん」
「……まあな」
その一階に私たちは坐っている。木造りの丸テーブル。頼んだ酒を置いて戻っていく店員に、――お疲れさん、と手を上げ。
「守護者の奴は大丈夫かねー」
一口目を豪快に飲んだ破壊者の口から語られたのはそのこと。
「なんかすっげえ思い詰めてそうだったし。あんなガチガチだと、先が思いやられるよな」
「お前がそれを言うのか」
「なんだよ。俺は別に緊張はしてなかっただろ?」
「……そうだな」
この剣を授けられた直後、同じく大剣を授けられていた破壊者の様子を思い返す。……確かに緊張はしていなかった。
〝うおッ⁉ マジか⁉ なんだこれ⁉ すげッ‼〟
やたらと興奮して大剣を振り回していた。あれほどの危険人物は今に至るまで見たことがない。あのイデアですら少々引き気味だったほどのはしゃぎ様であり、お蔭で自分の方がよくよく冷静になれたことを覚えている。
「なんだよその何か言いたそうな顔は」
「別に何も」
視線を避けて盃を傾ける。以前は浴びるほど飲んでいたはずの酒の味は、ゆったりとした賑やかな宿の中では大きく味わいを変えて感じられた。
「まあ、なんだ」
豪快に盃を呷り。吹き抜けの窓から町の明かりに眺める眼。
「イデアさんが来てから、ほんと良くなったよな」
「……ああ」
――地形上、様々な民族が入り乱れることになるこの土地。以前の様相は、酷いものだった。
どこでも争いや諍いが絶えなかった。頻繁に起きる他国の侵入に誰もが疲れ果て、痩せた土地柄から内部で日常茶飯事に起こされたのは盗みや殺し。いつ何時でも疑心暗鬼の目が光り、家族や他人を出し抜き、踏み付けにし、今を生きることに必死にならざるを得ない。……地獄と言っていいあの状況。
――そんなとき、彼女が現われたのだ。
「……」
――イデア。
それが彼女の名前だった。人ではない彼女を彼女、と呼ぶのは正しくなかったかもしれない。ただ彼女は女性であるように見えたし、それが自然なことのように思われた。整った端正な面立ち。いつ見ても完璧に左右対称の調和を保っている表情は、揺るぎない彼女の内面を表しているようにも思える。……そして彼女は、ただ戯れに現われたわけではなかった。
「……」
「なんだよ」
破壊者の背に掛けられた大剣。私の腰に下げられた剣。――神器。
イデアが私たちに齎したモノ。統治者となるべき者にしか扱えず、その素質を持つ者を自らで選び出す魔道具。
――この神器が私たちに希望をくれた。
私たちは現状を変えていくことができるのだと。どんな状況にあろうとも、神器に見出されたならばそれは統治者としての素質の証明になる。八つの神器に選ばれた所有者が出てから、この町の現状が改善するまでにそれでも数年の時が掛かりはしたが。
そしてその上で、何よりもありがたいのは――。
「――よう」
響いた声に思考を中断させられる。野太い声。どこかで聞き覚えのあるような――。
「久し振りだな。……今は断罪者サマだったか」
振り返ったテーブルの横から向けられていたのは、多分に見覚えのある顔。正体を理解して反射的に腰の剣に指を掛けようとした。
「待てよ」
その所作を、突き出された分厚い掌が止める。
「早合点すんなって。俺はあんたに、礼を言いに来たんだ」
耳に留めたのは口にされた台詞。……確かに。目の前の男からは殺気も、害意も感じられない。今のところは……。
「あんたが俺の罪を切ってくれたお蔭なのか、やたらとスッキリしてな。……昔みたいに怒りに駆られたり、暴れたい、奪いたいと思ったりすることがなくなった」
男の眼が宿の中を見回す。
「今は性根を入れ替えて、ここで働いてんだ。つなわけで――」
太い腕から豪快な音と共に目の前に置かれたのは、注文の覚えのない酒の入れられたカップ。
「俺からの奢りだ。楽しんでってくれよ。――心配すんなって」
警戒を完全には解いていない私たちに対し、男は口の端でニヤリと笑む。
「贖罪の儀なんてのはもうまっぴらだぜ。あの姉ちゃんの笑顔を思い出すだけで、身が竦んじまうからな」
おどけたように手を振って去っていく、後ろ姿を複雑な思いで見やる。……かつて私は、この土地に蔓延っている盗賊の一味だった。
盗み、奪い、犯し、殺す。ただひたすらにそれらを繰り返していた毎日。刹那の時間の内に少しでも刺激的な生を求めていた。
――どんな生活をしたところで、人間はいずれ必ず死ぬ。
ならばそれまでの間、せめて目一杯楽しんだ方がいい。欲望を抑えるなど馬鹿げたことだと、そうした考えに依って生きてきた。他人のことなど考えなかった。中心にあるのは常に自分と自分たちのこと。楽しむためにはそれ以外のことを構っている余地などなく、それ以外の全ては蹂躙する対象に過ぎなかった。足りることも治まることもなく、より刺激的なことを求めて次へ――。
そんな日々を生きていたある日、火を放とうと忍び込んだこの町で私たちは捕まった。見せしめに町中を引き回され、鞭打たれ、縛られて放り込まれた牢であとは死を待つだけだった私に――。
〝――これを〟
差し出された神器。それを掴んだことで、私は断罪者となったのだ。
「気になるのか?」
「……少しな」
かつて同じ盗賊団のメンバーだった男の背からテーブルへと視線を戻す。……贖罪の儀は私も受けたことがある。断罪者になってから、私がそれまでに犯してきた罪の清算として受けたもの。確かにあれは中々に堪えた。取り返しのつかない行為をしたのだから、当然と言うべきかもしれないが……。
「ほんと、ありがたいことだよな」
気分を元に戻すような破壊者の台詞。
「罪を犯した連中だって殺さなくて良くなったし。昔の俺だったら、お前とこんな風にテーブルを囲む日が来るなんて思いもしなかったよ」
――破壊者は以前、この町を警護する兵士だった。
盗賊時代には何度か克ち合ったこともある。そんな私たちが今、統治者として同じ場所で酒を酌み交わしているとは……。
「……」
なにもかもイデアのお蔭。そうでありながら、彼女は私たちに対し偉ぶった態度を取ることがない。
あろうことか、神器を与えたイデアは私たちと対等を望んでくれていた。統治についての話し合いの場には出て来ているとはいえ、実際の業務を行うのは全て私たち神器持ちと町の人々。切っ掛けを与えたあとは、殆んど全てを私たちに任せてくれている。
――信頼してくれているのだ。私たちを。それが何よりも嬉しく、誇らしい。
「――破壊者」
「……お?」
カップを置いた私の手に、破壊者の目が動く。
「今夜は飲もう」
「なんだよ。今日は付き合いが良いじゃんか」
驚いたような顔。互いに笑みを交えつつ、手中の酒を飲み干した。
……人は変われる。
例え自分一人ではできずとも。……何かを切っ掛けとして、変わることができる。かつて罪を犯した私が神器に選ばれ、こうして統治者であれているように。
あの男が変われたように。守護者もきっと、大丈夫だろう。
――将来への明るい夢が、酔った私の心を揺らしていた。
「――では、そういうことで」
「ええ。お願いするわ」
話を終えてイデアが去っていく。小柄な、しかし僅かの弱々しさもない、雄々しいとさえ言えるだろうその背中を見つめ――。
「――お」
声。振り返るより先に、肩に手が掛けられた。
「なんだよ。イデアさんと話してたのか?」
「ああ」
答えて今一度目を向ける。遠ざかった輝かしい背中は丁度差し掛かった角を曲がり、通路の向こう側へと消えていくところだった。
「ふむ……断罪者はイデアさん狙いか」
顎に手を当て、ややおどけた調子で言ってみせる破壊者。
「険しい道のりだとは思うが、本気なら手伝っても良いぜ?」
「……そういう感情ではない」
やんわりと否定する。……彼女に対するこの感情は、どちらかと言えば敬愛だ。
どうこうなろうなどとは思ってもいない。彼女は、私たち全員が感謝すべき相手なのだから。
「破壊者こそどうした?」
「俺? 俺はな――」
「……っ」
肩越しに見えた葬送者。こちらの面子を見止めて一瞬だけ足を止めたが、諦めたような足取りで向かって来る。
「今日は早いんですね。お二人とも」
「いや~そうなのよ。実は頼まれちゃってさ。どうしても邪魔な岩があるから、どうにかしてくれって――」
「イデアと話があってな」
「そうですか」
「あれ? 無視? 二人とも俺のこと見えてる?」
「……はい。鬱陶しいほどに」
静かに溜め息。それでも破壊者は嬉しそうだ。
「なら良かった。今大丈夫? 時間があるなら、俺と話でも――」
「――畑を回らないといけないので」
明確に断られる。……拓いたばかりの新しい畑の事か。
「大変だな」
「私にできることですから。――では、私は行きますね」
「あ! 葬送者ちゃん、せめてもうちょい――」
「――破壊者殿」
破壊者が手を伸ばしたタイミングで、声を掛けてくる兵士。
「揃いました。お願いします」
「あー……っ」
目の前に現われた人間に対し破壊者の視線が揺らぐ、その僅かの間に充分遠ざかっていた背中。やけに足早な歩調は、多忙な仕事の為だと解釈しておきたいところだった。
「……ったく、間が悪いぜお前ら」
「す、すみません。ですが……」
恐縮する兵士が不憫だ。……統治者である私たち八人は当然、神器によって課された役割だけに従事しているのではない。
断罪者である私は盗賊というかつての経験を生かし、町の用兵を任されている。……本職であった破壊者と力を合わせ、警護に相応しい配置や見回りを考えているのだ。
守護者は記録者と共に算術を生かして治水や建物の設計に携わっているし、協和者は市勢に身を置くことで人々の思いや悩みを聞き取り、親身に相談にも乗っている。先導者は豊富な経験から得られた様々な知恵を若者たちに授け、時には揃って揉め事の仲裁へ回ることもあるようだ。
贖罪者は差別層への働きかけを、葬送者は意外にも開墾した畑に植える植物の選定や肥料づくりという場面で力を発揮している。……全ては秩序と平穏を齎す善き統治者となるため。対等を望むイデアの思いに応え、自らを選んでくれた神器に報いるために――。
「んじゃま、いっちょ稽古でも付けてやっか」
用兵と言っても昔と違い、戦乱が常ではない。ときにはこうして狩りや剣術の指導をすることもあり、どちらかと言えばその方が私たちの主な仕事だった。
「岩崩しよりも、そういった剣技でアピールした方が良いんじゃないのか?」
「馬っ鹿知らねえのか? ……葬送者ちゃん、戦いとかあんま好きじゃないんだよ」
破壊者は特に兵士たちから尊敬を集めている。踏まえて指摘した私に、やや残念そうな笑みを零しながら言う破壊者。
「役目も役目だし、昔に色々あったみたいでな。あんま目に入れたくねえのよ、そういうの」
……知らなかった。単純に鬱陶しがられているようにも見えている破壊者だったが、いつの間にか葬送者の個人的な話まで聞いている事実に驚きを覚える。こう見えてちゃんと――。
「つうかお前も来いよ。評判なんだぜ? 実戦的で為になる訓練だってな」
「……皮肉は止せ」
正式に剣を習った破壊者と違い、私のそれは殺し合いの中で身に付けた荒削りなものだ。訓練と言うよりはどうしても荒っぽい模擬戦のようになる。狩りの方は慣れ親しんでいただけに、ある程度の自信があったが……。
「……」
兵士の中には私が盗賊であったことを知っている者もいる。断罪者となり、贖罪の儀を受け役目を果たしてきたとしても、かつての所業が消えるわけではない。
「私からもお願いします」
――そうであっても。
「断罪者殿」
自分を認めてくれている相手がいる。そのことは、素直に感謝することだった。




