第四節 永久の魔との戦い 前編
「――おはよう」
「おう」
――今日が永久の魔から告げられた当日。
いつも通りの時刻に全員が揃い、いつもと変わりなく朝食を済ませる。……口数はやや少ない。幾許かの緊張。
「そういや、場所は分かってんのかよ」
「ああ」
バターを塗ったパンを食べながらジェインが答える。
「アリゾナの方で今朝から異常な魔力反応が検知されているらしい。ゲートから支部伝いに行こうと思う」
「時間とかは大丈夫なんでしょうか?」
「……そうだな」
フィアの問いを受けたジェインは、それは予想外だったようで少し考えて。
「大丈夫なんじゃないか? 向こうから期日を指定してきたわけだし、今日中なら構わないんだろう。……多分」
「それで遅れだ! とか言われて暴れられででもしたら堪ったもんじゃねえけどな」
「……止めてくれよ」
冗談でも不安になる。まあ、流石にそんなことはないだろうが。
……不思議だ。
決戦の前だというのに、気負いがない。やけに平常に話ができている。始めのうちにはあった緊張も、話と食事とをしている内に空気に溶けていくような気がして。
「用意ができ次第行こう」
ジェインの提案に、トーストを齧りながら頷いた。
「……」
――よし。
ゲートの部屋。最後に今一度確かめた状態に、拳を握り締める。……良い。コンディションは覚えている限りでこれまでになかったほど。
最高と言っていい状態だ。新しい技法を会得したわけでもなく、そういった意味での何か分かり易い変化があるわけではないが、気力が充実している。……ガイゲとの戦いで受けた傷や疲労の影響も抜けた。細かな部分の見直しもできた。――本調子だと、俺でも迷わずそう頷ける好調。
「――良いみてえだな」
声を掛けてきたリゲル。ずらしたサングラスからブルーの瞳を覗かせて笑う。
「目が輝いてるぜ。らしくもねえ」
「……リゲルこそ」
――分かる。俺だけでなくリゲルの方も、このところ見た中では最も調子が良い。合わせた瞳の奥にも力強さが感じられる。これならば――。
「分かるか? まあ、それだけのもんを預かったからよ」
「皆、準備は良いか?」
「はい」
「いいぜ」
「……ああ」
ジェインの確認に順々に頷く。……いける。確信を確かめ合うように互いに目を合わせ、戸口に足を掛けた――。
「――皆さん」
その瞬間。背中に掛けられた声に、思わず足を止めて振り返る。目にした姿。
「――郭」
「……間に合いましたね」
足下はスリッパ、白い患者衣のまま。無理を言って治癒室から抜け出してきたのか、後ろには心配そうな治癒師の姿が見える。
「無理すんなよ。寝てて良いって――」
「貴方がよく言いますよ。僕が来たかったんです。気にしないで下さい」
息に交じるのは疲労の色。もう一度俺たちを見て。
「――期待はしてないですから」
意外なほどはっきりとした声で告げられたのはその一言。
「相手が永久の魔なら負けて元々。ですから、好きにやって来て下さい。……では」
素っ気なくそれだけを言って戻っていく。余りに予想外だったのか、背後の治癒師は呆気に取られたような表情で横を通り過ぎる郭を見送っている。それとは対照的に――。
「……ありがとうな」
万感の思いを込めて言ったのはリゲル。あの郭がわざわざここまで歩いてきてくれたとなれば、そこにどんな思いがあるのかくらい、俺たちでも充分に分かる。
――大丈夫だ。
今一度ゲートへと向き直りつつ、胸にそのことを確かめる。……俺たちは、死なない。
必ず生きて全員で戻ってくる。永久の魔が相手でも、絶対に――‼
……ゲートから別支部へと移り、待ち構えていたらしい協会員から案内を受けて着いた先。
「……」
「ここが……」
砂の香り。都市部とは異なっている空気に、思わず見回す。視界一面に広がるのは岩だらけの荒野。水平線の果てまで続いていきそうな景色に人家や建物の影は見えない。……正に、あつらえ向きの場所というわけか。
「……」
「……」
誰からともなく。言葉少なに前へ進む。訊かなくてももう分かっていた。着いた時から感じられている力の気配。遠くに始め黒い点のように見えたそれは、近付くにつれてその圧力と詳細を顕にしてゆき。
――いる。
「……」
――目に映るのは永久の魔。剣を帯び、瞑目し、不動で立っているその様は、正しく最古最強の脅威の名に恥じぬもの。覚悟してきていてもなお、否応なく緊張が全霊に走り――。
「……用意を整えろ」
此方側がアクションを見せるより先に、見据えた姿から大地を揺るがすような重々しい声が響き渡った。
「お前たちの持てる力……全てで掛かって来るために」
「……」
口を閉じた永久の魔の前で、それでも如何ともし難く走らされる緊張感。……動く気配はない。本当にこちらが用意を終えるのを、待っているのか?
「……〝Akóma kai o thánatos, tha fýgo makriá tou.〟」
どの道迷っている暇はない。紡ぎ出すのは此処までに進めておいた詠唱の続き。
「――【時の加速・三倍速】」
「――〝Esý eísai aftós pou eínai to télos〟」
ジェインと共に言葉を結び、その呪文を発動させた。
「……いよし」
隣りに立つリゲルが屈みこむ。運動前のストレッチのように膝腿脚裏を曲げ伸ばしし、軽くステップを踏んで。
「――行くぜぇッ‼」
「ああッ‼」
猛速で走り出すリゲルに遅れないように、俺も地を蹴って駆け出した。――開戦を告げる俺たちのその意気に応じてか、微動だにせずに佇んでいた永久の魔が、ゆっくりと目を開く――。
「――ッ……‼」
――瞬間。大空から覆い被さってくる鉛の大海を幻視する。詰まり、急速に荒くなる呼吸。身体の内側から醜悪な汚泥に似た負の情念が止め処なく引き摺り出されてくる。これまでは敢えて抑えられていたのだと分かるような、それほどの落差。思考を萎縮させ、心臓を鷲掴みにし、手足を萎え竦ませる。
「っ――」
走れなくなっていく。重りを付けられたような足を動かす肉体は確かに近付いているはずなのに、遠い。視界の中で広がっていく地面を覆い尽くすのは邪気。毒々しい色をした靄のような暗がりが、俺たちの立つ空間を埋め尽くし。
「ッ――‼」
寸前。目の端から輝きが放たれる。押し流されるように一挙に退いていく紫紺のフィルター。同時に自らに掛けられた強化を自覚し、円環を稼働。――引き摺り出される負の情念を断ち切り、押さえ込み、萎えた手足に無理矢理力をパンプして前へ。上げた視線が捉えたのは、永久の魔を中心に沸き立つ邪気の暗雲――。
「オオオオオオオッッ‼」
その中心目掛けてリゲルが素早く振り出した拳。普通なら絶対に届かない無意味な距離。だがその気勢に応えるようにして、リゲルを包む光から閃光が走る。輝く拳のようにも見えるそれらが大気に満ちる暗さを引き裂き、揺らめく邪気を貫いて永久の魔の本体に到達した。
〝――君とリゲルには始め、遠距離から攻撃をして欲しい〟
思い返されるのはジェインから言い渡された戦略。
〝いつでも体勢を立て直せることに気を配ってくれ。僕やカタストさんほどには離れず、永久の魔の剣は届かない距離だ〟
見据えた先で邪気が渦巻く。勢いを付けた奔流から身を躱しながら、懐に忍ばせたそれを取り出す。
「――〝射よ〟」
文言と共に放り投げた幾枚もの符、燃え上がるその軌跡が織り成すは炎の矢。幾筋、幾重にも渡る波状の閃炎が群がるように邪気の中心へ襲い掛かる。
――魔道具だ。
ジェインが支部の協会員に頼んでもらってきた物。簡単な文言の詠唱で予め込められた魔力によって効果を発揮してくれる。当然その威力は軽微。リゲルと違い永久の魔に当たるどころか、纏う邪気を突破することさえできない。
だが、それでいい。
「――っ!」
圧倒的な防御能力に再生能力までもを持つ永久の魔の継戦能力は異常の一言。まともに戦ったところで勝ち目はなく、こんな小手先の削りは言わずもがな通用しない。そんなことは分かっている。
そもそもの狙いは別にあるのだ。ジェインの言葉を念頭に置きながら、俺はひたすらに火矢を撃ち放つ――‼
「――ッ」
うねり狂う邪気の流れ。目前にまで迫ったそれが火に入る蚊の如くに散らされていく。輝く神聖の魔力。この重圧の中にあって温かみを感じさせるそれを支えとし。
「――シッ‼」
狙いを定められないよう、細かく足を使いながらリゲルは永久の魔の周囲を立ち回る。射程ギリギリまで距離を空け、普段の戦い方よりも多くジャブを使い、強打を狙うことなく部位を散らして細かく当てていく。
……すげえな。
思い返すのは本山での邂逅。目の前の脅威に向けて撃ち込んだ渾身の拳は、邪気の前に敢え無くその威力を阻まれた。覚えたのは不気味なまでの手応えのなさ。自らの一撃が完全に無意味なものだったと、あそこまで強く感じさせられたことはなかったにも拘らず。
「――」
黄泉示と逆方向になるよう背中側に回り込みながら更に追加で放った拳の先に描かれる光の軌跡。肩、首、背面。邪気が逃げるように押し退けられ、手応えを感じさせる音が空に響く。拳撃の先だけでなく、こうしている間にも襲い来る邪気でさえも近寄らせない――。
〝――永久の魔に直接拳を撃ち込みに行くのは、余りに危険過ぎる〟
止め処ない動きの中で、脳裏に蘇るジェインの言葉。
〝せめて一定以上の距離から攻撃できる手段が欲しい。そこで、こういう魔術を用意してみた〟
そう言ってジェインが披露したのは被術者の拳を中心として展開される補助術式。フィアの強化魔術と併せることで効力を発揮し、肉体に纏わされた神聖の魔力をパンチングの動作と連動させて撃ち出すことを可能にする。
〝有効射程は約十メートル。威力自体はそこまで出ないが、永久の魔の纏っている邪気は相性差で突破できるはずだ〟
ジェインの予測が正しかったことは目の前の光景が証明している。打ち放ったジャブの連打に、更に重なる打撃音が響き。
〝完全に無意味な攻撃だけでなく、此方が有効だと思っているような攻撃が欲しい。相手に狙いを絞らせない為にも〟
まだ到底本番ではない――。集中の中でリゲルはそのことを重ねて自らに言い聞かせる。……最古最強と言われる永久の魔は未だ、自ら手足を動かすことすらしていないのだ。全てはまだ小手調べの段階。
〝膠着した状況が続けば、向こうから必ず動いてくる。――そこからが勝負だ〟
黄泉示と共に気の抜けない前座を務めつつ、あわよくば永久の魔の守りが薄い部位を見付け出す。
「――シッ‼」
与えられた役目の真っ当に納まらないその意気を持って、リゲルは拳を放ちながら足を動かし続ける。
「……」
……こんなものか?
目に映るその態度に永久の魔は思わされる。負の情念には呑まれなかった。邪気による攻撃も防げているとはいえ、攻撃を仕掛けて来ているのは四人のうち半数の二人だけ。それにしても勝負を賭けたものではなく、まるで牽制であるかの如く徹底した距離を取って繰り出して来ている。……警戒か。
――この期に及んで詰まらない手管だ。警戒を重ねようが蛮勇で以て突き進んで来ようが、どうせ結果など変わらないと言うのに。如何ともし難く湧き上がってくるのは理解しているのかという疑念。……流石にこの程度でどうにかできるとは思っていないはずだ。ならば目の前のこれは、勝負に至るまでの何かしらの布石。或いは。
「……」
こちらの動き出しを待っているのか。新たな考えを胸に見る。掛けられた神聖の強化は予想通り。後衛の動きを見るに、例の行動速度を上げる仕掛けも施されているようだが。
相対する者たちにとって命綱であるはずの神聖の強化を、一人だけ与っていないのが永久の魔には気にはなった。……捨て駒の囮か? だが通常の魔力による強化は被っており、全体としてそのような動きにも見えないのが引っ掛かる。相手方の配置は大まかな前衛後衛に二人ずつ。見る限りは均等に陣を敷いているようで――。
……少し散らすか。
考えを打ちきり、永久の魔は意図を出す。全てはまだ序盤。情念への感化と邪気をどうにかできねば話にもならず、その為の確認を終えただけ。この時点で考えたところで仕方がない。どの道危機感を与えた方が奥の手を出し易くなるはずだと内心で断じ。
――その思いに駆られるようにして、纏う邪気がこれまでにない蠢きを見せる。




