第三節 二人の時間
――永久の魔との戦いまで、あと三日。
「……」
「……」
二人して別室にいる俺たち。……あの日から、俺とフィアとは二人でいることが多くなった。気を利かせているのか、リゲルとジェインは俺たちが並んでいると余り絡んでは来ない。全員で顔を合わせるのは朝昼晩三回の食事のときと、昼か夜に全員で作戦を話し合い、連係の練習をするときくらいだった。
「……」
……何と言うか。
フィアを受け入れると宣言したあの日。互いに思いを告げ、それに応え合った。
そんな大事を過ごしたからか、俺たちは、少し変わった気がする。今までよりも、なんというか……。
「黄泉示さんって……」
このところの例に漏れず、フィアが訊いてくる。もっと深く、互いのことを知って生きたいと。
「昔はどんな人だったんですか? その、中学生とか、高校生の時とか」
「……変な訊き方だな。それ」
「昔から、こんなに優しかったのかなって思いまして。お父さんの話は聞きましたけど、それ以外は私、何も知らないので……」
「……」
自分の物語を話すというのは思いの外慣れないものだ。どう纏めたものかと考えつつ。
「……父が死んだと思ったあと、小父さんに引き取られた話はしたよな?」
確認にフィアが頷く。そのことを踏まえて語り始めた。
「……正直あの頃は、自分がどうして生きてるのか分からなかった」
――思い返す。何もかもが意義を失い鬱屈としていた、あの死んだような無気力の日々。
「目標も、やってきた努力の意味も全部失って……ずっと、部屋に籠ってたんだ」
フィアはまだ何も言わない。聴いていてくれている彼女のために、感傷に浸ることなく続きを紡ぐ。
「そこから出られたのは、小父さんのお蔭だった」
「東さん……ですよね」
「ああ」
そう。夜月東という人を抜きにしては、俺の物語は語れないだろう。
「小父さんは部屋の中の俺に毎日声を掛けてくれた。……まだ下手だったけど、料理を作って俺を外に誘ってくれた」
思い出す。様々に工夫され、考えられて掛けられていた言葉たち。独り善がりな宥め賺しや脅しではなく、懸命に俺の立場に立とうとし、俺の手を取ろうとしてくれていた。
「それを何回も聞いてる内に、こう、申し訳なくなってきて」
「申し訳ない、ですか?」
「小父さんは俺にあれだけ色々してくれたのに、俺は何もできてなかったから」
――差し出される手を取れないこと。それが次第に心苦しさとなって俺自身に積もっていった。相手の思い遣りを感じていたからこそ、何よりも。
「それで漸く、外に出たんだ」
あの時の小父さんの表情を、今でも覚えている。驚きに丸くされた二つの眼。俺が挨拶をした直後に、くしゃりと歪まされたあの顔。
「それから編入で中学に通った。……けど、どうにも周りに馴染めなくて。途中から入ったからクラスでの疎外感もあったし、それなりに有名な学校だったから、周囲は皆俺よりできたんだ」
俺自身それまでは学校の授業より、肉体的な鍛錬に励んできていたのだ。いきなり突き付けられた勉強の成績などさっぱりで、着いていけるはずもなかった。
「無力感が増した。――けど、二年になったあるとき」
入るのは俺の転機となったあのこと。それを意識しながら話す。
「他のクラスに転入生が来て、虐めが起きたんだ。情けない話だけど、始めの頃は聞いてても俺も何もしなかった。……自分には関係ないって。父が死んだと思ったときから、人を助ける為の努力は止めてたから」
気力もなかったし、自分の身を擦り減らしてまで他人のために動いて利用されて死ぬのは嫌だと思っていた。なにもできない俺が介入したところで、事態を悪くしてしまうだけなんじゃないかとも。
「だけど偶々、廊下で虐めの現場に遇って」
忘れられない記憶。複数人で一人の生徒を取り囲み殴り蹴りして、嘲笑っていた。……あの光景。
「虐められてた奴の目を見た時に気が付いたんだ。今の自分は、あのとき父を見捨てた奴らと同じことをしてるって」
「それで……」
「割って入って止めろって言ったら、拳が飛んできてさ。そこからは殴り殴られの大喧嘩になった」
四対一。俺の方が訓練を止めていたこともあって、初めての喧嘩は殆んど互角。
「教師が飛んできて、流石に学校も無視できなくなった。俺たち当事者に小父さんたち保護者も呼ばれて。色々と無茶苦茶な話し合いだったけど、一応はどうにかなったんだ。……虐めの指揮を執ってた奴と、虐められてた奴は騒ぎが大きくなったってことで転校したけど……」
「……」
……そう。
今でも思うことがある。あのときの俺がもう少し早く、そのことに気づけていれば。
「それからはもう少し頑張るようになったな。――進んで人を助けるようなことはしない。けど、誰かが本当に必要で手を伸ばしてる時に、見捨てるような人間にはならないって。勉強とかにもどうにか食らいついて、平均くらいはギリギリ取れるようになった」
「だから、私のことも助けてくれたんですか?」
「……ああ」
あの時はそうだった。重荷だとも、面倒だとも思っていたことを覚えている。
「けど、それから助けられたのは俺の方だったな」
「え?」
「高校では周囲に合わせたこともあったけど――」
フィアを置いて、一旦話を続ける。
「やっぱり何か違ったんだ。これだと思えるものがなにもなかった。だから学園に入るために、こっちに来て」
「……言ってましたね」
「でも街を見て、結局変わらないような気がしてた。場所が変わっても、自分が変わらなきゃ意味なんてない」
今では特にそう思う。欲して求めるだけでは、きっと叶わない。その切っ掛けをくれたのが――。
「――フィアと出逢ってからは、予想もしない慣れないことの連続だった」
――目の前の。他でもない彼女なのだ。
「正直苦労もしたけど、充実もしてたんだと思う。リゲルともジェインとも、フィアがいなかったら出逢えなかった」
「それは……」
「だから感謝してるんだ。本当にありがとう」
結果的に礼を言うことになってしまった。……恥ずかし気に照れているようなフィア。やや気恥ずかし気な空気になってしまったこともあり――。
「……その、フィアは」
「――はい。大体は、見てもらった通りなんですけど」
今度は此方から訊いた俺に対して一転、答えるフィアは、愁いを含んだような表情になる。……それでも。
「私は儀式の為にいないことにされていて。寝る時は外の小屋なんかを使っていました」
しっかりと聞いておきたい。淡々と語ることを意識掛けているような、なるべく影を落とさずに話そうとしている彼女の態度に、自身が応えられるように聴く。
「今から思えば、飢えさせたりしないように配慮がされてたんだと思います。あの歳の子どもが、一人で生きていけるはずがないですよね」
「……まあな」
「でも、当時は真剣で、必死でした。死なない為に、受け入れられるために、必死で……」
「……結局、あの村は」
「死にました」
端的に。感情を含むことなく、事実だけを告げようとするような硬い声。……やはり。
「私は混乱していて、その時はまだ自分が死んでいないと思っていたんですけど、……多分怨霊化した私の呪いで、みんな」
「……そうか」
あのときに見た光景の最後を思い返す。……あの叫び声。誰のものともつかなかったあれは、村人たちの……。
「けど、あの人たちも必死だったみたいです」
「……なにがだ?」
「中央から重い税が掛かってたみたいで」
彼らが何をしでかしたかを目にした以上、簡単には思い遣りたくはない。そう思う俺の前で、フィアはどこまでも静かに、落ち着いて話をしていく。
「役人みたいな人が取り立てに来ているのを何度か見ました。お金や作物だけじゃなく、時には人も連れていかれたり」
「……そうなのか」
「はい。辺りの治安も悪かったみたいで。だから、あんな儀式に縋ったんだと思います」
――儀式……か。
自分たちが辛い状況に置かれていて。そこから抜け出せるかもしれない手段が、例え誰かを犠牲にしてでもあったのだとすれば。
それを使おうという決断を、理解することはできる。……決して是とすることはないにしても、理解だけは。
「……」
「……でも」
なんと言うべきか。贈る言葉を思いつけないでいる俺の前で、フィアがまた話し出す。思いを抑えていたようなこれまでとは少し、語調を変えて。
「あの人たちから受けた仕打ちも。……今では少しだけ、赦せる気がするんです」
「……なんでだ?」
「あのことがなかったら、私はここに居ませんから」
フィアが見せたのは儚いような、それでいて明るい笑み。月明りに照らされる、花のような……。
「そうしたら黄泉示さんとも逢えませんでした。……皆さんとも、だから」
「……そうか」
互いに黙する。……どちらが良かったのかは誰にも分からない。だが、それでも。
「黄泉示さん。そろそろ」
「……ああ、始めるか」
俺たちは今を受け入れられている。そう話が一段落したところで動き出す。……フィアと一緒にいるのはなにも、こういった話をするためだけではない。
「――」
「――フッ!」
――二人での修練をするためもあるのだ。俺の方が【一刀一閃】の反復をする間、フィアは俺への間接強化に磨きを掛ける。フィアが神聖の魔術の修練をする間には、エリティスさんから預かったあの魔術の使いこなしを。
「今少し、身体が前に傾き過ぎてませんでしたか?」
「そうか?」
「はい。……多分ですけど、踏み込むときに癖があるんだと思います。後ろ足を――」
とはいっても期日までにもう日はなく。あくまでも調整が目的だ。本番に備えて互いに気が付いた点を指摘し合い、より合わせて研ぎ澄ませていく。――俺もフィアも。
「――もう少し絞って良い。この辺の筋肉なんかはあまり使わないから――」
「えっと、こんな感じ――でしょうか?」
「ああ。丁度いい感じだ」
これまで戦いと修練とを経験してきたせいか、ある程度の見る目が備わっている。指導してくれる誰かがいない今、そのことは俺たちにとって唯一の大きな助けだった。……俺があの魔術の特訓をする時間は、互いに自分の魔術に集中することになるが。
「――【上級障壁・神聖・三重】」
「く……ッ」
それでも、時折に行き交っている互いの視線。……互いの努力を目にすることで、自分の方の修練にもより身が入る。相手に心配をさせないため、無茶をせずにもっと頑張ろうという、適切な意味での気概も高まる。
――何もかも違う。
「……!」
一人でやるのとは。……心強い。幾つもの意味で共に、戦おうとしてくれる相手がいることは。
――そうだ。
今更ながらに思う。……俺たちは、一緒にやるのだ。
一人ではない。――フィアと。リゲルと、ジェインと共に戦う。
単に守るだけではなく、守られるだけでもなく。隣に並んで。それを忘れない。忘れないことだ。
「……ふう」
風呂上がり。濡れた髪をタオルで拭き、飲みほした水の潤いを喉に感じながらベッドに座る。何も無い空間を、何とはなしにぼんやりと見つめた。
――調子は悪くない。
動かしても体の痛みはほぼなくなってきている。ガイゲから致死一歩手前の損傷を食らったとは思えないほど。癪な話だが、応急措置をしてくれたアデルのお蔭はやはり大きいのだろう。それでも少なくとも現状、あの男に礼を言う気にはなれなかったが。
あれだけの傷を負っていたリゲルも順調。日ごとにメキメキと回復してきているようだった。……フィアの治癒があるとはいえ、相変わらずの生命力。控え気味にせよ筋トレも再開しているのだから驚かされる。……フィアも、ジェインも悪くない。立慧さんは昏睡が続いているし、郭も療養中ではあるが……。
「……」
それでも今の俺たちの状態は、あの時からは考えられなかったほどだ。
永久の魔の宣戦布告を受けたあの日から、レジェンドの襲撃を受ける前。先の見えない焦燥と不安に駆られていた、あの頃とは――。
「――」
響く控えめなノックの音。扉の叩き方にも各々で特徴がある。これまでに何度かドアを叩かれた経験から、ある程度はその相手を判別できるようになっていた。
「――黄泉示さん」
扉を開けた前に立っていたのは予想に違わず――フィア。同じように既に風呂に入ったあとなのか、映る服装はいつものパジャマ、手には……枕?
「……どうしたんだ?」
いつもと違う雰囲気を感じたが、ひとまず中に招き入れる。こんなところをリゲルやジェインに見られたら、何を言われたものか分からない。
「その……」
俺の問い掛けにフィアは幾許か言い淀んで、抱えた枕の覆いをキュッと握った。
「一緒に寝てもらっても良いですか? 黄泉示さん」
「――」
半ば予想はしていたその言葉に、しかし実際告げられることの衝撃を以て受け止める。
「……どうしてだ?」
これまでの経験からすると、フィアがこうしたことを頼んで来るときは必ずそれなりのわけがあった。また何か悪夢や不安を感じたのだろうか。怨霊という自身の記憶を取り戻したことで、何か不調が。
「その……」
はにかむようにフィアは目を泳がせ。
「こんなときに不謹慎かもしれませんけど、少しでも長く、黄泉示さんと一緒にいたくて……」
斜め九十度上から一撃を入れられる。……それを言われては……。
「……駄目、でしょうか?」
抱き締めた枕越しに見つめてくる視線に。――俺は、断ることができなかった。
…………
……
「……消すぞ」
「……はい」
了解を得て照明を落とす。一気に暗さの増した部屋には、窓に掛けられた布地越しの朧気な月明かりが照らすのみ。
狭いのだ。俺たちの利用している客室は元来一人部屋であり、その用途に合わせてベッドも当然一人用。幸いにして二人で寝られないほど狭くはないが、互いのスペースが充分取れるほどの余裕もない。……つまり。
「……」
普通に寝ているだけでも肩が。腕が、脚が触れ合う。体勢を変えようと動けばそれだけで色々と届いてしまいそうだ。
――眠れない。
全身を緊張に浸けられたような切実な状況。前にもフィアと一緒に寝たことはあったが、その時とはまるで状況が違う。あの時は布団とベッドとで段差があったし、触れたのは意識的に繋いでいる手だけだった。それに何よりも。
大きな一枚の布団の下にいるというのが。……密閉された小さな空間に二人きりという印象を作り出してしまい、落ち着かない。というか普通に寝られないんじゃないかこれ。引き受けた時にはそこまで考えが及ばなかったが、下手に寝返りでもうてばどうなることか……。
「……」
そしてそんな俺の内心の動悸に拘わらず、隣にいるフィアはとても静かだ。伝わってくるのは穏やかな暖かみと、微かに聞こえて来る呼吸の音。実はもう寝てしまったのだろうかと思ったそのとき。
「……黄泉示さん」
唐突に掛けられた、声。囁くような声量に、ドキリと心臓が跳ねあがる。
「起きてますか?」
動きのないまま掛けられる問いが続く。……その質問になぜだか分からないが、つい、黙ってしまった。答えるのが億劫というわけではなかったが。
「――」
――ッ⁉
不意。その感触に一瞬震えそうになった反応を押さえる。鼓膜に聞こえるのは静かな衣擦れの音。ベッドから伝わる蠢きと共に、身体に乗り上げてきた、柔らかな重みは。
「……」
――フィア。フィアが。
抱き掛かるようにして俺の上に乗っている。近付いた髪、頭。間合いがゼロになった身体が一層強く暖かさを伝えてくる。腕に覚える極限の柔らかさ、肩に掛けられた手の指の細さ。掛けられた素足の滑らかさに。
――円環だ。
一秒を争う速さで指輪を稼働させようとする。円環で、血流の制御を――‼
「……私」
近くで零された、優しく撫でていくようなフィアの声。
「今とても、幸せです」
その穏やかな声の音に。脳裏に思い起こされるのは、死人の冷たさで血に交じる涙を流していたフィアの姿。
「……ありがとうございます。黄泉示さん」
続く言葉に、上手く力が抜けた。……両腕を、そっとフィアの背中に置く。
「……っ⁉」
ビクリと微かに撥ねた。……フィアの身体は柔らかく、やはり暖かい。
「……黄泉示さん?」
フィアが身を起こす。目は、まだ瞑ったままだ。
「起きてるんですか?」
「……ああ」
うっすらと眼を開ける。見上げる瞳に映ったフィア。髪を天からの梯子のように下ろしたその顔は、眉根と口元とを少し下げているように見える。
「……ズルいですよ。寝たふりなんて」
「……悪い。つい」
「――赦しません」
一瞬。変わる雰囲気に連れて底冷えするような声音が走る。身震いした瞬間に――。
「今晩は、これで寝て下さい」
もう一度。穏やかな香りと共に、覆い被さって来た。
「……あ、眠れないようでしたら、その……」
「……いや」
フィアに包まれながら、フィアを包みながら言う。
「大丈夫だ。寧ろ、よく眠れる」
「……そうですか?」
「ああ」
不思議な色合いをしたフィアの眼が俺を見る。一瞬のちに、ほころぶように微笑んで。
「──じゃあ、もっとくっついても大丈夫ですね」
頬を寄せ、そのまま目を閉じた――。




